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 わたくしが連日街へ出かけることについて、夕食の席で母は心配そうな表情を浮かべたけれど、元内務大臣の父と現内務所属の兄は「護衛を必ずつけるように」としか言わなかった。

 婚約者が変わった時も含めて、一般的な認識に反してロビン殿下に好意的にも見える父や兄の反応は、昨日わたくしがイップ牧場のおばあさんに伺ったお話を信じる一つの材料になる。

 そういえば、いつだったか、ショーン殿下が場にいないロビン殿下を“金のかかる道楽者”だと揶揄していた時、兄はさりげなく諫めていた覚えがある。

「なんと言っていたかしら……」

「お嬢様」


 ヴァンに声をかけられ慌てて顔をあげると、タストロの木が囲む細い道の前に馬車が停められていた。前回訪ねたときよりも小さい馬車だから、森のずいぶん近くまで来れたらしい。ヴァンの手を借りて馬車から降り、狼がいるかもしれない山道を踏みしめながら進んでいると、向かい側から背の高いシルエットが近づいてきた。

「! あんた、なんで……」

 わたくしの後ろに従者が控えているのに気づいたエドさんは、一瞬ひそめた眉を隠すように元の道を戻った。自然とわたくしたちを先導する形になった彼は、不満そうな声のままつぶやいた。

「……こんなところで護衛を一人しかつけないで来るなんて、ずいぶん無謀なご令嬢なんだな」

「殿下に魔物は出ないと伺いましたわ。従者も狼一匹ならがんばって対処してくれるそうですし」

 わたくしがちらっと後ろを向いて同意を得ようとすると、エドさんが釘を刺した。

「……一匹じゃないときもある。」

「あら」

 でもここまで来てしまったし、と構わず足元の草を踏みしめて進むわたくしに息をついたエドさんの言葉に、ヴァンが不機嫌そうな声をあげた。

「そんなにマルクの料理が食べたかったのか。ずいぶん食い意地が張ってるんだな」

「おいお前、口の利き方を……」

 背後からヴァンの圧を感じ取ったわたくしは先手を打つことにした。

「ええ、わたくしも従者も虜でしてよ。それと、あなたに相談をしたくて」

「相談? オレに?」

 エドさんに声色で促されても、わたくしはその場で先を口にせず、白い屋根の小屋が見えるまで、躓かないように歩くのに専念した。


「あれ、早くないか……んん?」

 不満そうにエドさんが扉を開けると、台所の隅からこちらを見たマルクさんが、目を丸くした。



 とっておきのパンケーキとオムレツを焼くから、というマルクさんの甘い言葉に目を輝かせたヴァンに、エドさんの代わりに街へ鶏の卵を買い出しに行ってもらっている間、わたくしは背の高い少年に尋ねたかったことを早速口にした。

「どうしたら、ロビン殿下にお話いただけるでしょう」

「何の話だ?」

「“ですか?”だろ、エド。年上のご令嬢だぞ」

「……何の話で、す、か」

 わたくしはその質問には答えないまま、台所で下ごしらえをしているマルクさんの様子をそわそわ窺っている、自分の向かいの席のエドさんを見つめた。答え次第で、マルクさんに拳骨でも落とされてしまうのかもしれないと思いつつ、わたくしは彼の頬に走る傷が、まだ新しいことを確信して口をひらいた。

「昨日、イップ牧場を訪ねました」

「あんのババア、ばらしたのか」

「エド」

 すぐに口を閉じたエドさんは、杖をついてわたくしの隣に来たマルクさんにしかめた顔を小突かれた。こちらには別人のように優しい顔で笑みを浮かべたマルクさんに、スープ皿をテーブルに置かれたと同時に問われて、わたくしは内心怯みつつも笑みを返すにとどめる。

「……ロビンから何も聞かないで、どうやってイップまで突き止めたんだい?」

「討伐隊の方の肩当てにあった模様から、色々と……」

 ほお、とどこか感心した声をあげるマルクさんに、スープにスプーンの先を沈めたまま、わたくしはぽつぽつと自分の手際の悪いところをさらすことにした。

「……最初はどこかのご貴族の紋章だと思ったんです。でも、本や資料を手当たり次第に調べてもそれらしい家が見つかりませんでしたので、伝令所と乗合馬車の御者に尋ねたら金物屋さんを案内されました」

「店主が口を割ったのか?」

 腕組をしたマルクさんの声色は、向かい側のエドさんが身体をこわばらせるほど凄みがあり、言い訳のように続けたわたくしは、気づけば手の内をすべて明かしてしまった。

「いえ!! 対応してくれたお店の方に、こういう防具を領地で注文したいなあ、とほのめかして、店主さんへ相談に行っていただいている間に耳をすませて……唯一聞き取れた場所がイップ牧場だったんです。ほとんど全部、行き当たりばったりで」

「……やってることが殿下の婚約者様でもあるご令嬢とは思えねえな」

「言葉は悪いがまあ同感だなあ」

 抜け穴があるのを教えてもらえて助かったけどな、と小声でつぶやいたマルクさんは、不意に顔をあげると小屋の扉を開けて、両手に卵の入った籠を抱えて戻ってきたヴァンを迎えた。足音もなにも聞こえなかったのに。現役ではないとはいえ、討伐隊の人はとても鋭いようだ。



 ふわふわのパンケーキにバターたっぷりのトロトロのオムレツを絡めて、立ちのぼる湯気ごと頬張るヴァンの表情は幸せそのものだった。それを横目にお茶を飲んだわたくしは、途中になっていた話を蒸し返すことにする。

「先ほどのお話ですが」

「もういいだろ。魔物討伐についてはあんたがババアに聞いたのがほとんど全部だよ。怪しまれるようなこと言ったのは悪かったよ。もうオレが話すことなんて痛っ! ……な、い、で、す!」

 マルクさんにげんこつを落とされたばかりの頭をさすりながら、不満げな表情でエドさんが話を切り上げようとするのを、わたくしはどうにか引き留めた。

「わたくしは、そのお話をどうにか、ロビン殿下からお聞きしたいのです」

「え」

「気づくだけなら、もっと早くに気づけたはずなんです。……ロビン殿下が本当にただの道楽息子であるのなら、すっぱり勘当をするほうが国にとっても、国王陛下御自身にとっても、得になるはずなんですから!」

 それなのに貴族だけでなく、国民にまで広まっているほど外聞の悪い第二王子殿下が、有力な貴族だけでなく、体裁を重んじる第一王子殿下にまで見逃されていられたのはどうしてなのか。ショーン殿下の婚約者であった10年以上の間、毎日のように王宮に通うことを許される立場に身をおいていて、疑問に思う機会はいくらでもあったのに、わたくしは考えることをしていなかった。あらゆる責任を放棄してまで自分の趣味に興じているお方だとは思えないほど、こまめに、実直さが伝わるお手紙をいただくまで、違和感すら感じていなかった。それが今でも悔しくて情けない。

「……エドさんが仰っていたとおり、わたくしは何も知りませんでした。ロビン殿下に秘密を打ち明けていただけるような立場に、自分がいないのもわかっているつもりです。でも……教えていただけないままでいるのは、どうにも……寂しくて」

 こらえていた気持ちを、つい上ずってしまう声と共に吐きだして、ようやくわたくしは息をついた。

「……エドさんご自身は、魔物討伐隊ではいらっしゃらないご様子でしたから、わたくしと違って、家族ですら教えていただけない秘密を打ち明けていただける方法をご存じなのではないかと考えたのです」


 うつむいたわたくしを見て、エドさんは力が抜けたように肩をすくめた。

「やっと合点がいった。……でもあんたとは状況が違いすぎるから、オレの話は全然参考になんないよ。」

「え」

「オレは魔物に襲われて消えかけた国境の村の生き残りなんだ。」

「……!」

 初めて耳にする話に、わたくしは息をのむ。


「……おととしの冬、生まれ育った村に、なんの前触れもなく魔物が現れてさ、ランツルリザーっていう……頭はトカゲで身体はでっけー猿みたいなやつが何頭も。畑仕事の手伝いをしてる時、急に頭を掴まれて、見えるもの全部が真っ赤になって、あちこちで叫び声がしたと思ったら耳が熱くなって、でけえ口が目の前にあって、絶対死ぬもんだと思っていたけど。……討伐隊に助けてもらってピンピンしてる。」

「まあ……」

 エドさんの頬の傷を見たとき、漠然と“彼は討伐隊に助けられたのではないか”と考えていたものの、想像をした以上にむごい状況を彼の口から聞かされ、わたくしは相槌を打つのがやっとだった。

「……魔物に殺されたオレの家族は『流行り病』で死んだことにされた。討伐隊に救ってもらった村の奴らも、真相に気づいたとしても人に打ち明けてはいけなくて、まだ包帯も取れないし熱もさがらないってのに、国の偉い役人が持ってきた契約書にサインさせられたんだ。目をつぶされた大人でも、まだ文字が読めないガキでも関係ない。“ボウ国は安心で安全な国だ”って、魔物に襲われるまで国民を信じさせて出ていかないようにするために、破ったら今度は国に殺される契約を結ばされた。……生き残りのほとんどがロビンさん以外の王家や貴族を嫌ってる。オレたちが危険にさらされているってことを何も教えてくれなかったからだ。」

 彼は顔に走る傷を手で抑えるようにしながら、黙ったままのマルクさんにちらっと視線を投げてから先をつづけた。

「……でも討伐隊には心から感謝をしてる。治療や介抱をしてくれて、村の復興も、家族の墓を作るのも、別の村への移住まで手を尽くしてくれて……このレストランだって、建てたのはそういう生き残りの奴らだよ。感謝の気持ちを形にしたくて」

「……まあなんだ、エドも俺の足になってくれてるしな。」

 照れ臭そうに笑みを浮かべたマルクさんに安心したように、エドさんはようやく笑みを浮かべた。年相応の少し幼い笑顔に、わたくしもつられた。

 エドさんが自分の頬の傷をわざわざ隠さないのは、何も知らないでいる人へ向けた対抗心、あるいは魔物に襲われても助けてくれた人がいるということを証明しようとする気持ちの表れなのかもしれない。そこまで想像したわたくしは、自分の考えなさに息をついた。

(……魔物がどこに現れるのかわからないとなると、状況証拠を得るためにわざと討伐隊の方に助けていただこうにも準備もできませんわね。……なにより、こんなに被害があったというのに浅慮すぎますわ)

 彼の話を聞く前だったとはいえ、ロビン殿下に本当のことを教えてほしいあまり、一瞬でも頭をかすめたことのある不謹慎な考えをあわてて振り切ったわたくしの表情を、エドさんとマルクさんがじっと見て口をひらいた。

「……マルクから、ロビンさんに言ってやった方がいいんじゃねえの」

「え?」

「お嬢さん、目を離している隙にとんでもないことしそうだもんなあ」

「いたしません! ……どうかロビン殿下には、今日のことはなにも言わないでくださいませ」

 わたくしはマルクさんとエドさんの心配、というか不安げな顔色に少し居心地わるくなりながら、一向にフォローをしてくれないヴァンに勧められた、ふわふわのパンケーキにフォークをたてた。



 レストランを後にし、馬車に乗り込んだところにエドさんが見送りに来てくれた。

「言い忘れたことがあって」

「はい」

「回りくどいことしないで、直接聞いてみた方がいいと思う」

「! でも……わたくし、まだロビン殿下の婚約者でいたいのです」

 意図的に秘められている国家機密を知っていると気づかれたら、婚約破棄も免れない。情けない表情を浮かべているであろうわたくしに、首を横に振ってから、エドさんは肩をすくめた。

「あんたになら話すと思うよ。だって“それ”、」

 エドさんが自分の胸元をとん、と指先で軽く叩いた。自分のネックレスのことを言っているのだと気づいたわたくしは、ネックレストップにそっと触れて首をかしげる。

「リクラドラゴンの鱗石だろ。」

「え? リク……?」

「またな」

「あの、どういうことですか? エドさん……!!」

 いくら呼びかけてもそれ以上のことを教えてくれずに、さっさと元の道を戻ってしまったエドさんの後ろ姿をしばらく眺めてから頭をさげて、わたくしは家路についたのだった。



“タイコバゾウが現れたというコソフ樹林に到着。足跡のみで姿は見えず。野営のたびにマルクの料理の話で盛り上がる。”

 家で夕食を終え、届いたばかりのロビン殿下からのお手紙を読み終え、返事を書き、ようやくひと段落ついた気になれたわたくしは、マッサージをしてくれたリンを下げたあと、枕元でもう一度魔物辞典を開いた。

「リクラ……リクラ……あった! 

『リクラドラゴン……体長10メートル、翼を広げると20メートル。翼以外ほとんどを硬く青い鱗に覆われる。赤い目の周りと背の一部に灰色の鱗がまだらにある方がメス。素材は、他のドラゴン種と同じく尾、翼、牙、爪。固有の素材としては鱗石がある。オスのみ、首の上にクルミ大の塊で採取されるが、温度変化に弱く、ほとんどが輸送の段階で砕けて消失するため、非常に希少。特殊な保管方法により乳白色から、澄んだペリドット色に変化するという言い伝えがあり、対魔力の守護効果が高い』……どう特殊なのかしら……」

 名前にドラゴンと付く魔物のページを手あたり次第めくった後、ヒントすら見つからないうちに、窓から見える空が白んできたので一旦諦め、地図のページを開いた。そして殿下からの最新の手紙に記されていた地名を指でたどり、息をつく。馬を走らせ続けたとしても、ここからはひと月以上かかる距離だ。

 魔物について深まる知識とは裏腹に、ロビン殿下との距離は縮まらないままなのがひたすらもどかしい。わたくしはベッドから降りて、扉近くのドレッサーまで音を立てないように近づいた。引き出しを開け、ロビン殿下から頂いたネックレスを手に取り、殿下の瞳と同じ色であるそれを両手で包んで祈るように額に当てる。

「……お怪我されていませんように」

 今、自分に他にできることがみつからない。




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