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朝いちばんに迎えに来た馬車へ乗り込み、昼前に着いたのは、王都に比べれば少ないものの、人や馬車の往来はそこそこある緑豊かな街だった。
「この先は道が細いので、この大きさの馬車だと進みにくい。降りましょう」
「はい」
先に馬車を降りたロビン殿下に、わたくしは手を取られたと思うと小さい子供のように持ち上げられ、ゆっくり降ろされる。婚約をした日から別荘でお茶をした帰りと今朝、そして今。わたくしは馬車周りで彼に持ち上げられるたびに驚いて思考が停止してしまい、結局文句を言えずにいる。
今日はロビン殿下の従者が怒ってくれたが、殿下の相槌の気のなさを見るに、帰るころには忘れられていそうだ。……彼が持ち上げようと思わないくらいに食べすぎるかもしれないけれど。アドバイスに従ってコルセットはつけずに臨んだ分、お腹周りの変化が目立たないよう、ウエスト辺りに大きなリボンがついているデザインのワンピースの裾を軽く撫でて、わたくしは気を引き締めた。
活気のある街の中を歩きながらそっと隣を窺うと、薄暗い馬車の中では確認できなかったロビン殿下の頬の傷がひっかき傷のようになっているのがわかった。そこまでひどい状態ではないのにホッと息をついたわたくしの方を見て、殿下はすぐはにかんだ。
「つけてくれてありがとう」
「え? ……あ! い、いえ、こちらこそありがとうございます。気に入っていて……」
喜ばれてからネックレスに無意識で触れていたのに気づいて、わたくしは慌てて手を下ろす。
店が並んでいる賑やかな通りを抜けて少し歩くと次第に喧騒が薄れ、森に迎えられた。一本道を囲む太い樹木の表面にはコケや地衣類が生え、ここが古くからある森であろうことがうかがえる。
「ずいぶん大きな木がたくさん……」
どこか厳かな気配がある空気の中でわたくしが思わずつぶやくと、ロビン殿下は視線を上に持っていきながら、樹冠を指した。
「葉が大きくてよく茂るから、強い雨でもタストロの木が近くにあれば濡れないんだ。切り倒すと強い風がどこからともなく吹いて、あちこちに飛び散る真っ黒な樹液に魅かれて魔物が増えるという言い伝えがあって、我々は道をふさがれていても、この木はできるだけ迂回しながら進むようにしてる。」
「……ここまで魔物が現れたことがあるのですか?」
足元に落ちるタストロの葉は馬の蹄の形に似ているな、と考えているとき不穏な単語が出てきたので思わず確かめると、ロビン殿下はあっけらかんと答えた。
「魔物は出ないが、たまに狼は見るかな」
「殿下」
「あ、いや、狼も人の気配があったら逃げていくし。あー……あなたを怖がらせたかったわけじゃないんだ。本当に……! あ、ほら、あの白い屋根だ」
「殿っ下っ!」
「す、すまない。ゆっくり行こう」
「はい……ありがとうございます」
彼の従者にすかさず釘をさすように呼ばれ、慌てたロビン殿下はわたくしを置いて先を急ぎそうになり、また従者にしかられた。その様子がなんだか微笑ましく、わたくしは同意を求めるように、一緒に来てくれた自分の護衛兼従者のヴァンを振り向いて笑みを向けると、いつもは表情の少ない彼も、わずかに肩をすくめて口角をあげてくれた。
白い屋根の建物の外観は一見すると、まるで倉庫のような丸太小屋だった。ロビン殿下がその扉を開けると、落ち着いた雰囲気の調度品と、食欲をそそるいい匂いが出迎えてくれ、お世辞にもそこまで良いとは言えない立地のレストランを、殿下がわざわざ貸し切ってくださった理由に早くも納得がいった。
「早かったか?」
「おうロビン! ちょうど仕込みが終わったところだ。」
そう言って奥から顔をのぞかせた赤髪の男性は、殿下の後ろで緊張しながらあちこち眺めているわたくしを見つけると、杖をつきながらこちらに来てくれた。
「ようこそ婚約者さん、こんな辺鄙なところまで足を運んでくださってありがとう。さあ一等席にどうぞ。外套はこちらが置きやすいかな」
「ありがとうございます。ケイティ・キッカーと申します。素敵なレストランですね。」
「そう言ってもらえてほっとしたよ、中に入る前に帰っちまう人もいるくらいだから。俺はマルク。」
差し出された手を軽く握り会釈すると、マルクさんはウインクを返してくれた。ロビン殿下よりも少し年上くらいだろうか。とちらりと殿下へ目線を投げると、殿下は親し気な笑みを浮かべたまま肩をすくめた。
「だから急いで扉を開けたんだ。食欲をそそるいい匂いがするだろう?」
「ええ、とても。……殿下の仰るとおりにしておいて本当によかったですわ」
わたくしがお腹のあたりを撫でてそっと空腹を抑えつつ、ロビン殿下のお言葉に正直に答えると、従者の分の席まで準備をし始めていたマルクさんは顎髭を撫でながら楽しそうに振り向いた。
「お口に合ったらぜひ明日の胃袋分まで食べてってくれ」
「はい!」
テーブル席に炭酸水の入ったコップを置くマルクさんに、殿下は店の中をきょろきょろしながら問う。
「ヒューは? 来るって言ってなかったか?」
「あいつがいると落ち着いて食えなくなりそうだから、お前たちが来る時間をちょっとずらして話してある、保険にエドをつけてな。今頃、店に飾る花を見に行ってるはずさ」
「ケイティ嬢、マルクは討伐隊にいたころから、料理がうまいだけじゃなくてこうやって気が利いたんだ」
「そうですのね……」
ヒューと呼ばれる方をロビン殿下のお手紙でしか存じ上げないわたくしは、二人のやりとりに相槌を打つだけにする。
「気が利くだけじゃねえ。足がこうなるまでは、俺はロビンよりも腕が立ったんだぜ。さ、前菜から持ってくる」
「この店に前菜なんて概念があったのか」
「ああ。別名、前菜“風”メインディッシュからな。」
ロビン殿下と軽口を交わしながら、マルクさんは奥に向かった。わたくしがどこまで聞いていい話なのかと考えながら殿下の方を見やると、目が合った。ご友人がいたときとは違い、相手が少し心配そうな表情を浮かべているのに軽く首をかしげて返す。
「……今のうちに一つだけ、いいかな」
「? はい」
「ヒューの奴はまあどうでもいいんだけど、この店の手伝いをしているエドって奴が少し気難しいところがあってね。もし、彼に何か言われたら、僕にだけ教えて。マルクには何も言わないでやってほしい」
「……? わかりましたわ」
「ありがとう。あ、来た来た……」
マルクさんがお皿を持って現れると、殿下はパッと明るい表情になった。わたくしも不自然にならないように、ほほ笑みながら居ずまいを正した。
それからすぐにテーブルいっぱいに並べられた料理の数々は、間違いなく、わたくしが生きてきた19年間で培ってきた好物の上位ほとんどを塗り替えた。
「はあ、僕ももう満腹だ。今日はここで寝てもいいかな」
「お作法なんて、こんなにおいしいお料理の前には無意味ですわね……」
「あっはっは、料理人冥利につきるねえ」
マルクさんだけでなくロビン殿下まで嬉しそうにしてくださるから、と人のせいにして、スープをおかわりまでしてしまったわたくしは、明日以降家のドレスすべてが着られなくなっているかもしれない恐怖におびえながら食後の紅茶に口をつけた。ただ、幸せな満腹感のあまり、いくらかだらしない姿勢になっているわたくしたちに、従者から文句が少しも出てこないことから、彼らも同じ状態であることは確かなようだ。
そこへ、建物の外で人が駆ける足音が聞こえてきた。わたくしよりも先に姿勢を整えたロビン殿下がこちらにはにかんでうなずくと、大きい音を立てて開いた扉から、黒いマントを羽織った男性二人が入ってきた。そのうち、ブラウンの髪を後ろで束ねた小柄な方が大きな声で文句をいった。
「ちょっとマルクどういうことよ~? この俺が直々にお迎えするって言っといたじゃ~ん!!」
「うっかりしてた、すまん」
「全くも~! あっ、君だね!! ロビンが言ってた新しい婚約者さんて!! はあ、話に聞いてた通りの別嬪さんだ! 5年前の4月28日に会った、サト……ミトなんとかさんもかわいかったけどね! この俺はヒュー・ギャザー! こっちの目つきが悪いのっぽはエド! 10月1日にはいい毛布をありがとね!! 軽くて大きすぎなくて、重宝してる!!」
飛びつくようにテーブルに身を乗り出したヒューさんの勢いに圧倒されつつ、わたくしは椅子から立って差し出された両手のうち、右手を軽く握った。
「ケイティ・キッカーです。お役にたてたなら良かったです! ……ご挨拶の前にお先にご馳走をいただいてしまいまして、大変失礼いたしました」
「いいよいいよ、気にしないで! マルクの料理をお預けさせとくなんて拷問受けさせないでよかった! いっぱい食べた? 美味しかったでしょ!」
「はい、とっても!」
ニコニコとした人好きのする笑みにつられて笑みを返すと、ロビン殿下の声がかかるまで、わたくしはヒューさんに両手で握りしめられた自分の右手がそのまま上下に振られているのをしばらく眺めることになった。
それから二時間ほどのあいだ、続々と魔物討伐隊の方々がレストランへ訪ねてきて、毛布のお礼という名目でわたくしに挨拶をしてくださった。その間に交わされるざっくばらんな言葉の応酬や、時には無言でなされる親し気なやりとりから、ロビン殿下と討伐隊の方とが強い信頼関係にあること、マルクさんのレストランが討伐隊の方々の憩いの場であることがよく分かった。そして、彼らがわたくしには見せないようにとさりげなく隠すようにしてくださる腕や額には生々しい傷跡があり、魔物討伐がかなり過酷なものであることもわかった。
好ましく感じているからかもしれないと思いつつ、楽しいひと時を過ごす自分の中に微かにわいていた疑問が形になったのは、わざわざお土産まで準備してくれたというマルクさんと殿下がレストランの奥でお話をしていて、他の討伐隊の方々は美味しいお料理と美味しいお酒で楽しく歓談しているときだった。
「ここは何も知らないあんたみたいな貴族が、来ていい店じゃない」
はっと顔を向けた先には、エドと呼ばれていた背の高い少年がいた。初めてしっかり向かい合った彼は蔑むような表情を浮かべていて、唇の端から、髪と同じ明るい金色の右眉にかけて、ロビン殿下が髭をあてていた時の何十倍も深い傷が三本走っていた。
「――それは、どういう……」
「さあケイティ嬢、たんまり土産をせしめてきたから、そろそろ出よう」
「ロビンの分は無いから安心してくれ」
「あ、それじゃあオレ、マルクがこっそり用意してたロビンさんの分も持ってきます」
わたくしが緊張しながら口を開きかけたところに、大きな籠を持ったロビン殿下とマルクさんが戻ってきて、エドさんは入れ替わりに奥に引っ込んでしまった。
馬車に乗り込むときに、やはり持ち上げられてしまったわたくしは、殿下に心配そうな声をかけられるまでぼんやりとしていた。
「その……荒っぽい男連中で囲んでしまって嫌じゃなかったか?」
「え、いえ! とても美味しくて、とても楽しかったですわ。それに、……みなさまにあたたかく歓迎していただけてとっても嬉しかったです。ただ本当に、明日からドレスが着れるか不安で……」
声をあげて笑った殿下は、拗ねた表情のわたくしにますます目を細めた。
「そうしたら、僕が責任を持って新しいドレスを送るから、遠慮なく言ってくれ」
「! 言えませんわ、そんなこと!!」
「今度は川魚の旬の時期に行こう、新しいドレスで」
「……言えません」
「少し迷ったな」
淑女として恥ずかしいことは口にできてしまったのに、はにかむ殿下に、わたくしは結局エドさんのことをいえないまま家路についた。
心なしか行きよりもふっくらしたお腹をさすりながら「またお招きいただけるときには必ず私がご一緒いたします。狼が出るといけませんので」と言った従者のヴァンが、エドさんとのやりとりをなにも聞いていないようでホッとしていたわたくしは、部屋の支度をしてくれていたリンとセネスに迎えられるなり眉を寄せられた。
「なにか悲しいことでもありました? 脳筋な男連中に意地悪されたとか?」
途端、目の前がにじんだ。リンに目配せをされて、セネスが部屋を出ると、わたくしは震える声をそのままに口を開いた。
「……みなさんとても良くしてくださったし、食事会はとても楽しかったわ、本当に。……なにが悲しいのか、まだわかっていないの。いま……考えてるところで」
「そうですか……」
エドさんのおっしゃっていたとおり、魔物討伐隊と、きっと殿下ご自身にも関わることで、自分の知らないことがある。あれだけ快活なひとがわたくしに進んで話そうとはしないなら、つまりは知らなくてよいことなんだろう。物分かりよくわきまえていよう、と思ったのに、もやもやする。
そのせいで大勢に迷惑をかけてきた自覚があるのに、相変わらず出すぎたことを考えてしまう自分自身が情けないのか、優しい人たちに仲間外れにされているように感じるのか、話すに値しない存在だと、ロビン殿下に思われているのが悲しいのか。悲しいというより……。
何も言わず、ずっと冷えた手を握っていてくれたリンに、ようやく気持ちが固まったわたくしはゆっくりと口を開く。
「知りたいことがあるの」
「はい」
「わたくしが知ったら、もしかしたら色々な方に迷惑をおかけすることかもしれないの。でも、」
「知りたいんですねっ?」
嬉しそうなリンにつられて、わたくしは自分の声が明るくなるのに気づいた。
「手伝ってもらえるかしら」
「もちろん!」