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西洋風味のファンタジー世界、展開早めのラブコメです。よかったらお読みいただけると嬉しいです!
約200年前、長らく続いた国同士の戦争が終結してから、緩やかながら順調に経済発展を続けているボウ国において、民衆に次期国王陛下とも呼ばれる第一王子殿下より王宮へ呼び出されたわたくしは、見覚えのある馬車とすれ違ったときから予感があった。
街の人も歩く狭い道なのだから、わざわざこちらの馬車を抜かそうとしないで王宮の前まで続いてくれば良いものを。わたくしは一言目に口を出そうになった文句をしっかり飲み込むと、馬車を降り、隣の薄ピンク色の馬車から降りてきた令嬢に声をかけた。
白いドレスは淡いピンクのフリルとグリーンの飾りがたくさんあしらわれた、少し幼いデザインのものだけれど、数々のご令嬢に事あるごとに自慢話で口喧嘩を吹っかける逞しい性根に反した、ふわふわとゆるくカールしたローズブロンドの髪と、あどけなく見える彼女の顔立ちにとてもよく似合っている。
「パトリシア様、ごきげんよう。今日のお召し物もとてもお似合いですわ」
「あら、ケイティ様ごきげんよう。あなたのドレスも素敵だわ。ねえそれより見てくださる? このドレスにあしらわれた飾り、ガラス玉じゃなくて本物のエメラルドなの。素敵でしょう? ……」
いつもと違って一言でも誉め言葉を返してくださるパトリシア様の表情で、予感は確信に変わる。揃って応接室へと案内される間、上機嫌に自分のドレスについた宝石の価値を語るパトリシア様に相槌をうちながら、わたくしは自分の将来について考えた。
「よく来てくれたケイティ、そしてパトリシア嬢」
部屋でわたくしとパトリシア様を迎えたのは、現時点ではわたくしの婚約者であるショーン・ドットアール・ボウ第一王子殿下と、パトリシア様の婚約者であるロビン・ドットアール・ボウ第二王子殿下だった。揃って艶のあるダークブロンドで、肩ほどの長さをおろしているショーン殿下のお顔立ちは王妃殿下似、短い髪全体を後ろに流したロビン殿下は国王陛下似で、ショーン殿下の方がやや身長が高いが、四歳年下のロビン殿下の方が肩幅ががっちりして、程よく陽に焼けている。ひとまず、目の保養になるほど麗しいお二方がこうして並んでいるお姿を拝見するのは数年ぶりだ。そもそも、ロビン殿下は普段ご公務の場にはいらっしゃらない方が多い。
ひと月ぶりにお会いしたショーン殿下は、わたくしとパトリシア様を向かい側に座らせると、床まで沈みそうな柔らかいソファの背もたれから身体を起こし、「んんっ」と気取った様子で咳ばらいをしてすぐに、本題に入った。
「……急なことだが、ケイティ、君との婚約を破棄させてもらう。そして私の婚約者はランズマン家のパトリシア嬢となり、君の婚約者は第二王子である、ロビンになる」
「えっ」
声を上げたのはわたくしではなく、隣に座っているパトリシア様である。食い気味だったのは、ショーン殿下の話を今か今かと待っていたせいだろう。
「兄上、一体どういう……」
国王陛下と同じエメラルドの瞳を細め芝居がかった調子で、ショーン殿下はロビン殿下へ目配せをした。それは何も言うな、という意思のこもった視線だった。いくら血のつながった弟とはいえ、形式で秩序を保つ王家の人間相手に何も相談していないのはあり得ないだろう、と思いながらわたくしは話の展開を待った。
「これは将来を見据えて、宰相たちと話し合った結果なんだ。ロビンにも急な話となってすまない……今このときをもって、両家に手紙が届けられたはずだ。」
大きな机に置かれていたティーカップが一旦下げられ、代わりにわたくしとパトリシア様の前へそれぞれ古い婚約を破棄する内容の誓約書と、新しく婚約を結ぶための誓約書が置かれた。
「サインを」
ショーン殿下がまるで憐れむように眉を下げたままこちらを見たので、わたくしは口元だけで微笑みを返し、差し出されたペンを手に取った。ここでわたくしがごねたところで何かが変わるわけではないことを、第一王子殿下と長い付き合いのわたくしは身に染みて悟っていたのだ。
次期国王陛下とその婚約者でもって早速打ち合わせをするとのことで、サインを終えたわたくしは早々に部屋を追い出された。なんとまああっけないものだと思いつつ、閉まる前の扉へ向けてカーテシーを終え顔をあげると、見栄えだけは麗しいショーン殿下がいつのまにか目の前に立っていた。ずいぶん長くこちらの顔を見ていたので、わたくしが目を潤ませているのを期待していたのだろうと察する。
「……」
「……」
どうやらただ相手を見返したわたくしの反応は期待はずれだったようで、ショーン殿下の声のトーンがあからさまに落ちていたが、わたくしは婚約者でもない相手に愛想を良くするつもりはなかった。
「こんなことになって、本当に残念だよ……ケイティ」
「13年、大変お世話になりましたわ。これからよろしくお願いいたします、ロビン殿下」
「ああ。馬車まで送っていくよ」
扉が閉まる直前、ロビン殿下の背中とわたくしへ向けて、パトリシア様が満面の笑みを浮かべているのが見えた。
「……兄上と喧嘩でもしたのか?」
ロビン殿下と一対一で話をするのは幼いころ以来、本当に久しぶりだったが、わたくしの一つ年下の彼はショーン殿下と違って気取った印象がないので、こちらもあまり気を張らずに返事をできた。
「わたくしが出しゃばりすぎたのでしょう。ショーン殿下はご自分の考えに水を注されるのが死ぬほどお嫌いでいらっしゃるので」
「きっとすんなり覆らないんだろうな……」
わたくしは王宮の広い廊下を歩きながら、歩く速さをすぐ落とし、こちらを気遣う視線を投げてくださるロビン殿下に申し訳なくなった。次期王妃の立場に抜擢され大喜びのパトリシア様は既に話が通っていた様子だからいいとして、わたくしと同じく何も聞いていなかったらしいロビン殿下は被害者であるから。
ひと月前、次期国王の立場で新燃料開発事業に取り組む領地へ出向いたとき、「君はどう思う?」と話を振ったわたくしに、ショーン殿下はご自分が直前まで絶賛していた事業の問題点をつらつら挙げられたことがよほど腹に据えかねたのだろう。しかし、件の新燃料とやらはいたるところの山を切り崩す必要があると聞いてしまったからには、それによって現れる可能性のある動物や魔物の対策や、かかる費用について採算が取れる確証もないのに国費をそこまでかける価値があるか疑問がわいたのだから仕方ない。
そういったことは、わたくしが6歳でショーン殿下と婚約したときから、幾度も繰り返されてきたことだ。わたくしも一応出すぎないよう気を付けていたし、そもそもショーン殿下がいたるところで「婚約者相手に心の広い自分」を装おうとさえしなければ起きなかった問題とは思うものの、結局のところ、殿下へ何を問われても、「殿下の深いお考えに感服いたします」と口を閉じてただほほ笑んでいられなかったわたくしに、ショーン殿下がいよいよ我慢ができなくなったということだろう。
「……巻き込んでしまって、本当に申し訳ございません。」
「え? 僕は構わないよ。頭のいい兄上と違って今までと変わらず、のんきに魔物相手に剣を振るっているだけだし、あの感じだとパトリシア嬢も……。まあ、急なことだったから今日はお互いゆっくり休もう。」
「ひっ!?」
罪悪感といたたまれなさで落ち込むわたくしの様子に軽く笑み、スマートな仕草でこちらへ手を伸ばしたロビン殿下は、断りもせずわたくしの肩に手を入れて軽々持ち上げ馬車に乗せると、首を少し傾げてはにかんだ。身長はショーン殿下とさほど変わらないのに、さすがにずいぶん鍛えられているらしい。驚きのあまりすっかり文句を言いそびれたわたくしは、やっとのことで礼を言う。そこでロビン殿下の浮かべた満足そうな表情に、前の婚約者の幼いころの面影を見た気がしたが、昔のことすぎて自信はなかった。
「……ありがとうございます」
「これからよろしく。兄上に比べたらあまりに頼りないと思うけど、一応血筋はいい方だから、なにか困ったらいつでも呼んでくれ。あーでも、明日から討伐で……すぐに駆け付けられなくても、呼んでくれたら必ず行くから。ええと……、僕になにか出来ることがあるかな?」
「え! そんな、あの……。……それではお手紙をお送りします。ご迷惑でなかったら、お元気なとき、お返事をいただけませんか。一言でも、言伝でも。魔物退治でお忙しいとは思うのですが……お気をつけて」
申し訳なさそう言われて咄嗟に口をついたわたくしの言葉に、ロビン殿下は目を丸くしてから、またはにかんだ。
「ありがとう、待ってる。僕も、生きている間は毎日手紙を送るね」
自分の乗った馬車が動き出してしばらくして、わたくしは深く息をついた。10年以上足を運んで慣れているとはいえ、王宮という場はやっぱり気づまりがする。新しい婚約者とのやり取りでわずかに緊張が紛れたかと思ったけれど、いつも通り手が冷たくなっていた。
「お嬢様……」
向かいに座っていた侍女のリンが涙ぐんでこちらを見ていたので、思わず笑みがこぼれた。
「どうしたの」
「お嬢様がおいたわしくて……だってお嬢様は、うつくしくて、優しくて、賢くて、誰よりも王妃にふさわしくて、王妃になるべく、ずっとたゆまぬ努力を重ねて……っ。どうして第二王子殿下なんて脳筋に……っ」
しゃくりあげながら鼻をかむリンに、わたくしがハンカチを差し出した手で彼女の手を包むと、彼女はますますしゃくりあげた。
そう。世間の評価は侍女と同じだ。才知溢れるショーン第一王子殿下に比べ、ロビン第二王子殿下は腕力があるだけの筋肉馬鹿で、国王陛下ご自身も第二王子殿下が国政に関わることにまったく期待をしていない。だから鳥や鹿狩りの延長である“娯楽としての魔物討伐”に第二王子殿下は当たり前のように毎度参加することが許されるのだ、と。
わたくしは馬車の窓から夕焼けをながめつつ、本人の趣味のせいでいつ喪うかわからない、王族の一人としては評判のいまいちな第二王子殿下に嫁がされるかもしれないというのに、自分がちっともショックを受けていないことに驚いていた。出会った当初、絵本に出てくる王子様のようなお姿で洗練された立ち居振る舞いをするショーン殿下へ淡い恋心を抱いたことはあったが、6歳のころから10年以上も近くで見ていて、くだらないほどのプライド高さからくる器の小さなふるまいの数々に、9年ほどはうんざりすることの方が多かったからだろうか。
第一王子殿下からの知らせを受けて、お父様とお母様は今頃怒っているだろうか、泣いているだろうか。娘の王妃への道を断たれたと打ちひしがれているだろうか。
(もしも……もしも家によっぽど居づらくなったらロビン殿下をお呼びしようかしら……家に権力に飢えた魔物がいます、退治してくださいませんかって)
自分の前途が多難になったらしいことよりも、ロビン殿下がどうやって駆けつけてくれるのか想像する方が楽しくて、申し訳ないけれども、わたくしは自分のかわいい侍女の話を半分に聞いて家に向かった。