【私見】何故、ファンタジーにある程度の歴史考証が必要なのか
今回は本エッセイの原点に立ち返り、「ファンタジーを描く際は一定の歴史的正確さが必要である」という自論を述べさせていただきます。
ファンタジー作品で度々見られる“中世への誤解”や中世を名乗りながら近世・近代のものが大量にぶち込まれた“時代の混同”。
こういった「歴史的に不正確」なものは、コメディであるか、きちんとした理由付けが無い限りは避けるべき、と自分は考えています。
何故なら、読者を納得させられる理由も無しにそれをやってしまうと、「作者は知識も無く描いてるんだな」と思われる可能性があるからです。
そう思われなかったとしても、読者から「軽過ぎる」「どこか安っぽい」と感じられてしまうかもしれません。
この自論の根拠の一つとなっているのが、漫画【四十七大戦】の作者一二三先生の体験談です。
高校演劇の漫画を連載していた時、取材として演劇大会を見学していると、審査員が必ず学生らに言っていた言葉が印象に残ったそうです。
『なんで会議室のシーンなのに舞台にあるのが教室の机なんですか?』
『長机を使うべきですよね、用意できませんでしたか?』
『観客は「用意できなかったんだな、仕方ない」とは思ってくれません。ただ「薄っぺらいなあ」と思うだけです』
『神は細部に宿ります。細かいところまで「なぜこうするのか」を問い続けなければ厚みのある作品を作ることはできません』
(一二三@四十七大戦+【本が売れない時代と言うけれど】より)
これを見た当時、自分がなろう内のファンタジー作品などを読む際に時々「なんかなぁ」と感じて読むのを打ち切っていた理由が言語化されて、かなり納得したのを覚えています。
明らかにいい加減な歴史的描写だけでなく、(2010年代頃の話ですが)ゲーム世界でもないのに、いきなり転生主人公が「ステータス!」と叫んでステータス表示してしまうなどの整合性無き描写も受け付けなかったのですが、これは「薄っぺらい」「雑だなぁ」と感じていたからだ、と。
しかし、そういった描写でも「ステータス表示できる特殊スキルによってステータスが見れる」「過去の転移・転生者が技術や文化を持ち込んだから、文明レベルがごちゃごちゃになっている」といった読者を納得させられる理由を用意すれば問題にはなりません。
例としては【魔王と勇者の戦いの裏で】の中で、お手洗いを済ませたゲーム内転生主人公が『ゲームではトイレなんて表現されてないから見つけた時は安心したな』と思いながら完備された上下水道をありがたがる場面があります。
『無から有を作り出せる魔法があれば、生活に欠かせない水やらインフラが研究されるのは、当然といえば当然なんだが…』(コミカライズ版【魔王と勇者の戦いの裏で】3巻より)
また単なる整合性だけでなく、ストーリーの重大要素に落とし込めれば、良い作品づくりに繋がることでしょう。
ファンタジーにおける歴史考証も同じです。「なぜそうなっているのか」を明示できないまま、歴史的には大きく間違っている描写をしてしまえば、「薄っぺらい」「雑」な描写と受け取られる可能性が高まります。
そしてもう一つ重要なのですが、「過去に敬意を払う」ことを忘れてはなりません。
異世界ファンタジーでありがちな、「転移・転生者が異世界人を現代知識で導く」という流れですが、これは「白人の救世主」と重なる部分があります。
これはラドヤード・キップリングの詩「白人の重荷」(1899年)に由来する概念で、“哀れな非白人を白人が助け導いてあげようとする”行為・表現などを指します。
20~21世紀には映画などで取り入れられ人気を博していて、そういった物語は「白人酋長モノ」とも呼ばれています。
『社会学教授であるマシュー・ヒューイは「白人の救世主」映画を、苦難に直面した非白人の集団を白人が救う物だと定義している。──中略──1990年代から2000年代初期の間で、白人の救世主の物語を利用する映画の爆発的な人気が見られた。ヒューイはさらに、この爆発的な人気を民族集団や異人種の人々との実体的な触れ合いが多くのアメリカ合衆国の白人アメリカ人に欠けているためであると主張する』(Wikipedia記事【白人の救世主】より抜粋)
この「白人の救世主」は日本人にも受けが良かったと言えるでしょう。異世界ファンタジーでよくある“現代知識チート”は「“野蛮で愚鈍な異世界人”を“文明的で賢い現代人”が導く」という白人の救世主とそっくりな構成を持つ事が多々あるからです。
特に転移・転生ものが隆盛し始めた頃の作品がその傾向にありました。今でもそのような作品を見掛けます。
その根底にあるのは、白人による非白人への差別意識に似た「過去への差別意識」だと自分は考えています。つまり「昔の人間は物を知らないバカな野蛮人に違いない」という偏見が、そのまま異世界人にぶち込まれているのだと。
これを読んでいる方の中には「そんなことはない」と思う人もいるでしょうが、差別というものは原則、する側は“無意識・無自覚”なものです。時には“良かれと思って”の言動が差別そのものだったりもします。
それを柱の一つとした漫画【カイニスの金の鳥】が分かりやすいですね。ヒロインに対して、善意であるかのように『この本は難しいよ』『きみには無理だよ』と言ってしまう男や、最終話での出版社で働く善良な少年の“ふつう”な言動がその最たる描写です。
中世風異世界ファンタジーなどにおいて、現代知識チートを際立たせようとして、異世界人の技術・文化を酷く遅れたものとして描いてしまうというケースも、自覚なき差別意識に基づいてしまっている可能性を決して否定することはできないのです。
では「異世界ファンタジーでの転移・転生主人公による知識チート」などが、白人の救世主にならないようにするにはどうすれば良いか?
まず差別は「無知」「無理解」が大きな要因なので、技術や思想など様々な事柄の歴史を知ることです。普通に創作のネタになりますしね。
かつ、その上で大事になってくるのが「過去に敬意を払う」ことを忘れないことです。
そもそも本エッセイで解説している通り、過去の人々は愚鈍でも何でもなく、石器時代から既に工業や数学を芽吹かせ発展を続けていました。
少なくない人が持つ「昔は何もなかっただろう」というイメージに反し、史実では数多くの技術が古くに開発されています。(例えば中世には“クレーン”もあったし、“ねじ”や“歯車”などは既に紀元前から使用されている)
更に言えば中世と現代は、手段が違うだけで、やっていることは実は大して変わっていません。
糸を紡ぐ(糸車→紡績機)。
金属を叩いて加工する鍛造(手作業、水力式跳ね上げ槌→蒸気ハンマー、機械によるプレス加工)。
素材を回転させて刃物を当てる(弓旋盤や竿旋盤などの人力式旋盤→機械旋盤)。
刃物を回転させて素材を当てる(手回しドリル、水車ドリル→蒸気、電動)。
etc……。
鋳造に至っては「溶かした金属を型に流し込む」点は紀元前から全く変わらず、農耕だって、牛馬に棃を引かせるかトラクターを走らせるか程度の変化しか無いのです。
どれも「人力→水車、風車→内燃機関→電動」というふうに動力と設備が変わっただけで、やっていること自体は変わっていません。(特に中世における水車の活用は凄まじく、ある中世史学者は「当時の川は現代における石油やウランのようなもの」と言っている)
情報関連も印刷(粘土板の時代から行われている)、通信の基本に変化はほとんど無いです。通運も「駄載・荷車、馬力船→トラック、鉄道」で手段以外の基本部分は大して変わってないですし。
かの“産業革命”だって、それまで水車でやっていたことを蒸気機関に置き換えただけとも言えますね。(十分な水量の川や水路が無くとも大規模な工業が可能になったことは画期的だったが)
つまり中世と現代の社会活動は時代によって効率化が進んだだけで、根本部分に目新しさは現代人が思っている程は多くないのです。原子力発電ですら、古代から変わらぬ「タービンを回してエネルギーや動力を得る」ことから脱却できてないですし。
また“人間として”も、古代だろうが中世だろうが現代であろうが変わらない部分は多くあります。
古代ギリシャ、アテナイの“正義の人”アリステイデスが“陶片追放”された話は「人気者にはアンチが湧く」ことはいつの時代も変わらないのだと教えてくれますし、「最近の若いもんは……」の決まり文句は古代エジプトでも確認されています。
(徒然草にも「最近の若者は間違った日本語を使っていて、嘆かわしいことだ」という記述があるとか。また室町時代の記録には「足利尊氏の頃から地方の言葉が流入して、若者を中心に京の言葉が乱れている」と嘆くものがあるらしい)
更に紀元前、古代メソポタミアの粘土板には、エアナーシル(Ea-nasir)という商人による詐欺的行為へのクレーム(世界最古の苦情申立書)があり、「何だあのクソ銅。しかも代金受け取っといて『銅を引き取るか、嫌なら手ぶらで帰れ』だと? ふざけんな、払い戻ししろや」(※意訳)というその内容は現代人でも大いに共感できるものでした。
(当時、銅の投機が流行っていたらしい。なおこの悪徳商人エアナーシルは、自宅にわざわざ苦情保管室を作って、自分に送り付けられた複数人分の粘土板をまるでトロフィーのように保管していたそう。性格ひねくれすぎだろ。お陰で1920~30年代に纏まった数が発見されることになったけど)
一方、中世ルーシの“白樺文書”には、『この手紙が届いたらすぐに、牡馬に乗った男を送ってください。ここには仕事がたくさんあるんです。それとシャツも送ってください。シャツを忘れてしまいました。』といった手紙を始め、ラブレターに浮気の言い訳、苦情や送金要求、トラブルへの助言など人々の営みが見て取れ、特にノヴゴロドの少年“オンフィーム”のものは、「いつの時代でも子供ってこういうもんなんだなぁ」とほっこりする内容となっています。(文字、文章の練習ノートが多いが、落書きも多数)
また漫画【竜と勇者と配達人】のコラムには、親に金を無心する中世の学生と金を出したくない親との手紙による攻防と、それを手助けした“定型文”の話もあります。(なおこの定型文集のせいで、学生の個々の顔が見え辛いと中世史研究者は嘆いているとか)
現代でも面接やビジネスなどで“定型文集”の本やサイトのお世話になる人は多いでしょう。それは中世の頃から変わらないのです。
このように人類は根本的には変わっておらず、中世の人々も手段や道具が違うだけで現代人と同じ生活を営んでいたのでした。
話を戻すと、「過去に敬意を払う」とは過去の人々を「我々と同じ人間として、当然の敬意を払う」ということです。あえて強い言葉を使わせてもらえば「野蛮人だと差別をするな、見下すな」です。
むしろ歴史を調べれば調べる程、過去の人々の知恵や発想に驚きと尊敬の念を抱きます。
ですが何も創作において歴史に「完全に忠実」である必要はありません。
歴史小説等であれば可能な限り忠実にするのが歴史に対する当然の誠意でしょうが、ファンタジー作品であれば、史実をある程度参考にする程度で十分だと自分は考えています。そこに“敬意”を忘れていなければ。
ファンタジー世界に住む人々も人間であり社会を築いている以上、我々と同じように工業も商業も運輸も何だって「あるを尽くして」活動しているはずなのですから。
要は、史実でもファンタジーでも“その世界に住む人々”を、碌に知ろうともせずバカにしてはいけないということです。
100年200年、あるいはもっと先の時代から「よく知らないけど、令和の人間ってWi-Fiの電波でウイルスが広まると思ったり、ワクチンの仕組みも理解できない、迷信深いバカで野蛮な連中なんでしょ」と思われたら、誰だって「それは違う」と言いたくなるでしょう?
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【中世パン図鑑 水車のメカニズム② カムによる垂直運動】tenpurasoba
https://x.com/tenpurasoba4/status/591830774988443648
【中世パン図鑑 水車のメカニズム③様々な機械】tenpurasoba
https://x.com/tenpurasoba4/status/562643055124045824
水車動力によるトリップハンマーの動画
【Water-powered Hammer at Saugus Iron Works National Historical Site】Alec Loudenback
https://www.youtube.com/watch?v=Jc5u9RcyQl0
(稼働は0:55~)
【Hammer - Hammer - Hammer (1933)】British Pathé
https://www.youtube.com/watch?v=EDdHxdttcuU
(無音。稼働は0:48~)
【The Water Mill】ahang1001
https://www.youtube.com/watch?v=x2qB0sR5IWA
(3:02~に鉱石破砕のスタンプミル、水力による自動ふいご)
【Why Knight's Armor Developed Only In Europe】Call of History
https://www.youtube.com/watch?v=ggRphWJAMHU&list=WL&index=9&t=8s
(10:45~にヨーロッパの鎧の発展に水車が欠かせなかった点が説明されている)
ファンタジー漫画でのトリップハンマー
【冒険には、武器が必要だ!~こだわりルディの鍛冶屋ぐらし~】第2話
https://comic-action.com/episode/10044607041234328615
【アリステイデス】亀 歴史系倉庫より 『人気者にはアンチが湧く。紀元前からのあるあるだね!』
https://rank119.gozaru.jp/img/gone/tebu2/0-177.html
英語サイト【Medievalists.net】白樺の樹皮の中世の日常生活
https://www.medievalists.net/2024/11/medieval-daily-life-on-birchbark/
※現在新作執筆に注力しているため本エッセイの更新は年に数回あるかどうかの状態になると思います。
ですが、今後も折を見て、まずはこれまでの項目内容を加筆修正するつもりです。そして中世ヨーロッパは水車であらゆる工業活動をしていたことや、日本でも奈良時代には原始的な旋盤加工(手挽き轆轤)が行われていたことなど、工業を中心とした史実解説をしていきたいと考えています。
今後も本エッセイが誰かの創作のお役に立てれば幸いです。