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砂漠の服装③【具体的にどんな服なのか】多種多様過ぎて解説しきれねぇ!


 今回は前回でやろうと思ったものの情報量が多すぎて出来なかった砂漠の服飾について。

 主な形だけ書き出そうとするだけでも、地域によって大分違うこともあり、結構な文章量になるので前回と切り離しました。



 17世紀(江戸時代前期)のイランを訪れた、フランス人宝石商ジャン・シャルダン。かの地で彼が見聞きしたことを記した【ペルシア見聞記】には、イランの人々の服飾の記述もあります。


 曰く、オリエント(中近東)の服装は『まったく流行に支配されず、つねにおなじ様式で作られている』そうで、宝物として保存された、ティムール朝を築いた覇者“ティムール”(1336〜1405年)の服を見たというシャルダンによれば、ティムールの衣服と300年後の17世紀イランの服装に、大した違いは見られないそうです。

 おそらく鎌倉〜江戸時代までの日本の和服のように、「歴史全体で見ると多々の違いはあるが、100年刻みぐらいでは様式に大きな変化が現れていないように見える」といった感じでしょうか。


 更には赤裸々(せきらら)にこんなことまで書かれています。


『男性は半ズボンではなく踝までくる裏付きの下袴をはくが、足は外に出る。この前部は開口なしだから、小用をたすには紐を解かなければいけない。この種の自然の要求をみたすためには、お分かり戴けるであろうが、男性も女性とおなじ姿勢になり、その格好で下袴を解いて多少下にずりおろし、用が済めば立ち上がって紐を結ぶのである』(【ペルシア見聞記】169、170P)


 この形式の下衣(ボトムス)は、今でいうサルエルパンツになります。

 中東のズボン(パンツ)は、基本的にだぼっとして足首を締めた形となっていました。日本にもよく似た軽衫(かるさ、かるさん)というポルトガル由来の着物(更にその大元はアラブとも)があります。


 現代のサルエルパンツの元となったのは、サルワール(سِرْوَال Sirwal。シャルワール、サルエルなどとも)というペルシア(イラン)由来とされる、中東の伝統的ズボンでした。

 12世紀以降トルコ人が勢力圏内に広め、13世紀には南アジア(パキスタン、インドなど)にも持ち込まれたそうです。(インドで最初にサルワールを履いたのはムガル帝国の貴族)

 後にオスマン帝国によって中東だけでなくポーランドやギリシャ、バルカン半島などにも広まりました。


 サルワールには長・短の2種があり、サウジアラビアではほとんどの男性が短いサルワールを着用するそうです。

 構造は横長の袋状で胴回りが2~6mと広く、足首までを覆う長さを持つ一方、股下の短いのが特徴。胴回りに通したひもを絞って着用します。

 胴回りがゆるやかで、床に座ったり騎乗する際にも動きやすいため、何世紀にも渡って兵士達にも好まれ、寒い時は袋状の形に足首だけ通る穴という構造を利用して、中に木の葉やぼろくずを詰めて暖かくしたそう。

 気候風土の差異から各地で形が変化し多様なサルワールが生まれており、中には西欧風のズボン(パンツ)に近いものあるのだとか。

 綿や麻、薄手のウール製で晴れ着に絹を使う場合もあり、現代ではポリエステル製も多いそうです。



 サルワールもそうですが、中東や北アフリカなどの衣服は伝統的に木綿や羊毛が多く、高級生地としてはヨーロッパやアジアと同じく絹が使われていました。(イランでは高度な養蚕・絹織物の技術を持つアルメニア人のおかげか、他国より絹は気安く使われていたようである)


『衣服の生地は絹と木綿である。シャツと下袴は絹。チョッキと上衣(カバー)は薄い目の粗い布を裏打ちして、保温のためあいだに綿がいれてある。裏地はその綿がずれないために麻の粗布のように薄くなければいけない』(【ペルシア見聞記】175P)


 中東の服装の特徴として、前回紹介した「日差しや砂から身を守るためのゆったりした格好」の他に、もう一つ「男女差が少ない」という点が挙げられます。(ただし女性は外出時にアバヤなど全身を覆う格好をする)


『男性はシャツの上に綿の(長い)チョッキを着て、それは胸元で左右とめられ膝までくる。その上から、女性のペティコートのように()()()()したカバーと呼ばれる上衣を着るが、その上部はかなり細身にできていて左右から胸を二度覆い、一度は左腕の下から上に捲きあげ、二度目はその上をわたって右腕の下から上に捲きあげる。』(【ペルシア見聞記】170P)


 【ペルシア見聞記】171Pにある図を見ると、男女共に上半身は細身でぴったりとしていますが、腰から下は(すね)まで伸びたスカートのように広がっています。

 オスマン帝国やイランなどでは騎馬民族による遊牧民王朝の影響によるものか、ゆったりとした服装とは別に、シャツの上にチョッキなどを着るなど動きやすい服を重ね着することで気温に適応することも多かったそうです。

 (重ね着は機能性以外に、高価な生地を多く身に着けることで富や地位を誇示する意味もあったらしい。またイスラーム美術においても、重ね合わせて調和させることは(アッラー)の秩序を表現することになった)

 遊牧民のスタイルも、結構頻繁(ひんぱん)に中東の絵画史料などでも見られますね。



 ここで前回に載せようとして諦めた中東の代表的な衣服一覧を並べます。様々な衣服がありますが、(おおむ)ね基本はシャツとサルワールの上に何を着るかという感じになりますね。


・カフタン(قفطان Kaftan)

 起源ははっきりとしていないが、古代メソポタミアで誕生したとされる。羊毛にカシミア、絹や綿などで作られ、帯で締める外套。形や用途が日本の羽織にも似ている。

 長い袖と足首まである丈があり、オスマン帝国などでは細部まで精巧なものが重要な客人に送られる贈答品にもなった。中東だけでなく、中央アジアやロシアなどでも着用され、そのスタイルや用途も様々。

 一部のスタイルはヨーロッパの軍服にも影響を与えている。


・クオバ(قبا ※アラビア語ではなくペルシア語)

 イランで最も伝統的とされる男女兼用の衣服。古代からイラン文化において一般的だったらしい。国王や高官、学者に商人、農民などあらゆる社会階級で使用された。イブン・バットゥータも言及しているとか。

 前開きの服で前部分の両側をボタンで留める、という現代に馴染みのある形をしている。

 (古代にボタン留めは無かったため、これは中世後期頃以降と思われる。しかし後述の引用文によれば、近世ではボタンが付いても、それで前を留めることはあまりなかったようだ)

 ローブにも似ているが、ローブと違って広めの襟があり、7の形に縫い付けられている。寒い時は皮の裏地を付けることも。


『コートのあるものには黒貂、他のものにはタタールかバクトリアの羊の毛皮が裏につけてあるが、この羊の毛は毛髪より細く巻き毛になっていて、スパンコール(布地などを飾る薄片)ほどの大きさもない。この羊の毛皮ほど美しく暖いものはない。毛皮コートには、裏地とおなじ毛皮で襟の折り返しがついていて、婦人用毛皮襟巻とちょうどおなじように襟元から胸をしめ、その下、左右があわさるところに一列にボタンがならんでいるが、これはボタンをかけるというよりは飾りのためで、コートのボタンをかける者はほとんどいない』(【ペルシア見聞記】172P)


・アルハリグ(Arkhalig)

 イランやコーカサス地方などで、1920年代に(すた)れるまで着用された伝統衣装。元はトルコの外衣だったらしい。

 伝統的に所有者の社会的地位に応じて、サテンなどの絹織物やカシミア、ベルベットなどの生地で作られた。

 身体にぴったりとした、ウエストがきつめの服で、前開きか胸部に大きなスリットが入った形をしており、ボタンで前を留めることができた。

 女性のアリハリグは手首に向かって広がる密着した長袖が付いており(男性の袖はややゆったり)、毛皮の襟やレースに飾り平紐(ブレード)、金の刺繍と言った装飾も施されることも。



・トーブ(ثوب Thawb)

 アラビア半島や湾岸アラブ諸国などの民族衣装の総称。アラブ首長国連邦とマグレブ諸国(北西アフリカ)では「カンドーラ(كندورة)」イラク、クウェート、レバント、オマーンでは「ディシュダーシャ(دشداشة)」と呼ばれる。

 アラビア語の口語では「ソーブ」と発音されるが、シリアやレバノンなどの方言では「トーブ」と呼ばれる。(元々は衣服を意味する言葉)

 長袖の足首まで届くチュニックのような衣服。現在でも湾岸アラブ諸国では日常的に着用され、政府機関の公式な制服でもある。

 伝統的に綿や羊毛(主に冬用)で作られていたが、現在はポリエステル製が一般的で、生地の多くが海外輸入。しかもトーブ用の生地は4割以上が日本製(高級品はほぼ全て日本製)。

 輸入に頼っている理由は、繊維業は水が不可欠であるがゆえに、人口が増大した現代において現地生産で(まかな)うのは物理的に難しいからだとか。


・ビシュト(بِشْت Bisht)

 トーブの上に着用されるゆったりとした外套。数千年もの歴史があるとされ、イエス・キリストの時代でもレバント地方の人々が同じようなローブを着ていたらしい。

 ラクダとヤギの毛を紡いで織った通気性のある生地で作られる。絹や金銀などの金属で作られた「ザリ」と呼ばれる装飾が施されているものも。

 部族の長、王族などの高位の人間やイマームなどの聖職者が、結婚式や祭り、金曜礼拝(アル・ジュムア)葬儀(サラートル)()礼拝(ジャナーザ)など特別な機会に威厳やその地位を示すため着用される事が多い。

 色は黒、茶色、ベージュ、クリーム色、灰色が普通だが、中には紅紫色(マゼンタ)、青、藍紫色(シアン)などもあるらしい。



 中央アジアやトルコなどの外套は和服のように前開きで帯を締める形が多い一方、北アフリカの伝統的な外套は、【ハリーポッター】シリーズのローブやスマホゲーム【ツイステッドワンダーランド】の式典ローブといった、典型的な魔法使いのフード付きローブによく似た形をしているようです。


・ジェラバ

 北アフリカで日常的に使われる男女兼用のゆったりとした長袖外套。「ガラベア」ともいうが、どちらもアラビア語由来のフランス語。アルジェリアでは「ケシュサバ」か「ケシュサビヤ」モロッコでは「タジェラビット」と呼ばれている。

 夏場は綿製や麻製のもの、冬場は粗い羊毛で作られたものを使うことが多い。(女性のものはシルクや綿)

 コブ(アラビア語:قب)と呼ばれるゆったりとしたフードが付いており、陽射しや砂混じりの風、雪雨(モロッコなどでも山間では雪も降る)から頭を守る重要なアイテム。

 暖かい時期はフードをポケット代わりにしており、食料品の袋を入れることが多いらしい。


・バーヌース(برنوس burnous)

 ジェラバのようなフードが付いた丈長の袖無し外套。主に北アフリカで着用される伝統衣装で、イブニングコートとして用いられる。粗い羊毛生地で白色が多いが、ラクダの毛を使った茶色のものもある。

 歴史的には重要な儀式の際に高位の男性が、白いバーヌースを使用していた。イスラーム以前から存在しており、ローマ帝国の『ディオクレティアヌス帝の勅令によって価格が定められた製品のリスト』(フランス語Wikipedia記事【Burnous】)にもその名が記されているとか。


・カシャビーヤ(القشابية Qashabiya)

 バーヌースに似た、アルジェリア発祥の防寒用外套。バーヌースとの違いは袖と前を留める留め具や、より幅広な形。ラクダの毛で作られるが、羊毛が混ぜ込まれる場合もある。北アフリカにおいて雨風や寒さを防ぐ重要な防寒着。



 中東の文化において、クルド人の存在も外すことは出来ません。彼らは様々な事情が絡んで現在自らの国を持てていない民族ですが、その文化は中東に大きな影響を与えています。

 (例えばトルコ料理とされるもの多くは、実際にはクルド料理かその影響を受けたものとされる)


 クルディスタン地域の北側(トルコ東部、アルメニアの一部)などの伝統的男性服は、漏斗(じょうご)形の付け袖があるシャツと、刺繍のされたベストが特徴で、縞模様も多かったようです。

一方の南クルディスタン(イラク北部)の服装は、刺繍の無い無地なジャケットの場合が多くシンプルめで、普遍的なクルド的衣装と受け入れられています。

 またクルド人の伝統衣装では、腰に「サッシュ」を巻き、頭飾りは半球形のつば無し帽子かそれに鮮やかな模様の布を巻いたターバンが一般的でした。


 女性服の方は、長い漏斗袖の付いた膝丈ドレスの上に長袖の外套(下のドレスが見えるよう透かしになったものも)を着て、男性と同じくサッシュを腰に着用しています。

 また女性も元々は地元で作られたターバンを着用していましたが、現在では輸入スカーフに置き換わってしまったそうです。

 Wikipedia記事や画像を見るに、クルド人の服も中東服飾の例に漏れず、男女差が少ないみたいですね。


 最後に衣服以外の服飾について軽く触れて終わりとします。


 【ペルシア見聞記】によれば、17世紀のイラン人は、男女ともに首飾りの(たぐ)いを身につけることは無かったそうです。

 そういえばオスマン帝国の人物画などでも首飾りは見られなかったような……ファンタジーでは砂漠の人々は装飾品をじゃらじゃら付けているイメージがありますが、実際にはそうでもないようです。どちらかというと頭飾りの方が多いでしょうか。

 (奴隷の場合は基本的に土地、家を持てないため、財産を常に身に付ける意味で首飾りをしていたかもしれない。ちなみにヴァイキングも、持ち運び可能でいつでも換金できる財産として金銀の腕輪をしていた)


 とはいえ襟を飾ることはあったようですが。


『シャツは長く、下袴の内側ではなく外にたらして膝までくる。シャツの右側は乳から胸元まで開いており、その下方で両脇へいく箇所は、われわれ男性のシャツのような縁飾りがなく、ヨーロッパの女性の下着とおなじくただ縫いとめただけである。裕福な女性、ときには男性も盛装時のシャツの襟飾りに幅一ドワの真珠刺繍をつける』(【ペルシア見聞記】170P)


 一方貴婦人は、頭飾りに宝石の付いた金銀の腕輪、そして指輪の数々など宝飾品で大いに飾ったようです。


『指輪は、ペルシアの女性くらいはめている国は他にない。彼女らは指に重荷をつけているのだといえばお分かり戴けよう』(【ペルシア見聞記】180P)


 また中央アジアなどの遊牧民は、首飾りを含む装飾品を多数持っている場合があります。(【豊饒なる埃及】や【鮮麗なる阿富汗一八四八】の展示品絵画で描かれた女性にも首飾りが見える。遊牧民やアフリカからの文化的影響か?)

 特にトルクメン人は銀細工で知られ、『トルクメン人の間では装身具が高い価値を持ち、20世紀に入っても貨幣は装身具に加工しない限り無価値なものと見なされる状態が長く続いていた』(Wikipedia記事【トルクメン人】)ほどでした。

 とはいえこちらは単なる財産というより、護符の意味が強いそうです。


 そして中東では、手袋が着用されることはほとんどなかったみたいです。細密画(ミニアチュール)などでも手袋はまず確認できませんね。


『女性も男性も手袋はしない。オリエントでは手袋をはめるというのがどんなことなのか誰も知らない』(【ペルシア見聞記】177P)


 中東の伝統的衣服にはポケットがありませんが、和服と同じように懐辺りがポケット代わりになったようです。


『──前略──二重帯を二巻き三巻きして腰を締めるから、上衣の腹部のところが大きなしっかりとしてポケットになり、われわれが半ズボンのポケットを用いるよりずっと安全に持物をそこにいれることができる』(【ペルシア見聞記】170P)


 靴については、「バルガ」(البلغة 女性のものは「シャーベル」الشربيلという)、「ユッティ」などサンダル・スリッパ型の革靴が多く、「ギベ」(گیوه)といった上履きに似た形の靴もあります。他に「ガレシュ」(گالش)など手編みの生地で作られた靴もあるようです。


 【ペルシア見聞記】にも、『どれにも耳(紐を通すところ)がなく、脇がすこしも開いていない』『女性のスリッパのようにできている。それは家に入ったとき、床に絨毯がしいてあるので直ぐに靴が脱げるようにとのためである』とあります。

 (※イスラム圏は日本と同じく靴を脱ぎ、床に座る文化。靴に付いた(けが)れを屋内に持ち込まないという考えがある)

 一方で「召使の靴」といわれる木綿糸で編んだぴったりとした靴(ガレシュのことか?)のことも書かれていて、こちらは靴ベラ無しに履けないため、召使は腰帯に鉄製か黄楊(つげ)の靴ベラを挟んでいたそうです。

 貧しい人は長持ちするラクダ革(ただし柔らかく湿気をよく吸う)の底を持つ靴や、ぼろと裁断屑布を()り合わせた分厚い底の靴を履いていたとか。



 今回はここまで。中近東、北アフリカなどの地域の服飾に、ある程度具体的に触れましたが、それまでのイメージとどれぐらい違ったでしょうか?

 (※これでも大分大雑把な解説かつ省略でスリム化を図った。詳細は専門の資料当たらないと多分無理)


 次はより誤ったイメージが多い「砂漠地域の鎧」を扱います。


主な参考資料


Wikipedia


【ペルシア見聞記】ジャン・シャルダン

【世界の歴史⑮ 成熟のイスラーム社会】永田雄三 羽田正


参考になりそうな画像など


アルハリグ

英語Wikipedia記事【Arkhalig】

https://en.wikipedia.org/wiki/Arkhalig


バーヌース

英語Wikipedia記事【Burnous】より「1853年にブルヌースをかぶったアルジェリアの軍事指導者アブド・エル・カデル」

https://en.wikipedia.org/wiki/Burnous#/media/File:%D8%A7%D9%84%D8%A3%D9%85%D9%8A%D8%B1_%D8%B9%D8%A8%D8%AF_%D8%A7%D9%84%D9%82%D8%A7%D8%AF%D8%B1.jpg


英語Wikipedia記事【Kurdish traditional clothing】(クルドの伝統衣装)

https://en.wikipedia.org/wiki/Kurdish_traditional_clothing


【Malik Ayaz マリク・アヤーズ】望之

(11世紀アフガニスタンのガズナ朝の宮廷奴隷“グラーム”のイラスト。遊牧民の服にターバンの一種を被っている)

https://www.pixiv.net/artworks/58076701


【ペルシアの少年】望之

(17世紀イランのサーキーのイラスト。サーキーは宴席で酌をする少年のことで、日本の小姓にも似ている)

https://www.pixiv.net/artworks/41466910


【ターラービーの叛乱】トマトスープ

(13世紀、モンゴル帝国支配下の中央アジアで起きた、スーフィーによる反モンゴル反乱を描いた漫画)

https://www.pixiv.net/artworks/54958261


【豊饒なる埃及】 エジプト学者プリス・ダヴェンヌが描いた19世紀エジプト

http://www.aa.tufs.ac.jp/egypt/index.html

【鮮麗なる阿富汗一八四八】 英陸軍中尉ジェームズ・ラットレーが描いた19世紀のアフガニスタン

http://www.aa.tufs.ac.jp/afghan/


動画

【Salahudin enters Jerusalem | 8K Ultra HD Cinematic | Kingdom of Heaven】Noot Noot

(映画【キングダム・オブ・ヘブン】エルサレムに入城した“イスラーム史上最高の英雄”サラーフッディーン)

https://www.youtube.com/watch?v=qv6zHJgmIR8

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