砂漠の服装②【肌を見せない理由】中東「露出多め? おバカ! 日射に〇されるぞ!」
『長期にわたって常に行われてきた慣習は決して気まぐれや奇矯をねらった結果ではない。いわば気候がそれら慣習を間違いなくつくりあげたのであり、また人びとの流儀、おそらくは彼らの習俗においても、私が飽かず観察しているような一見奇妙とうつるすべてのものの原因は気候なのである』──【ペルシア見聞記】より、ジャン・シャルダン(1643~1713年。フランス出身のユグノー商人)
前回はターバンを始めとする中東、北アフリカ等の被り物でしたが、今回は中東などの地域における露出度を焦点に当てた服飾文化について。
ファンタジーでは砂漠地域の服装は半袖短パン、踊り子を始めとするビキニ形式など肌の露出が激しい格好が多いですが、実際にはまずあり得ません。
それは何故か。イスラム教の禁欲主義? いいえ、単純に陽射しがキツイからです。(なおイスラム教の禁欲的イメージは、律法主義なユダヤ教が土台にあることと、戒律が法律を兼ねていたことから生じている)
イスラム教スンニ派においては、男性はへそから膝までを覆うのが伝統的考え方(へそと膝まで覆うのか、その間だけ、つまり股間辺りさえ覆っていればいいのかは意見が分かれているらしい)で、女性は髪やうなじを隠す「ヒジャブ」などでよく知られているように、手と顔を除く体のほとんどを覆うことが伝統的に奨励されています。
が、実はイスラム教の啓典に、「女性は肌や髪を見せるな」といったことは、はっきりとは書かれていません。
『信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表してはならない』(日本ムスリム協会「聖クルアーン」御光章31節)
『結婚を望めない,産児期の過ぎた女は,その装飾をこれ見よがしに示さない限り,外衣を脱いでも罪ではない。だが控え目にするのは,かの女らのために良い。アッラーは全聴にして全知であられる。』(サイト【Way to Allah】聖クルアーン:24. 御光 (アソ・ヌール) 60節)
『かの女たちが(ヴェールをとっても)罪ではないのは,かの女らの父または息子,それから兄弟,兄弟の息子または姉妹の息子,または同信の女たちとかの女たちの右手が所有する者たちである。(婦人たちよ。)アッラーを畏れなさい。アッラーは本当に凡てのことの立証者であられる』(33. 部族連合 (アル・アハザーブ)55節)
『 預言者よ,あなたの妻,娘たちまた信者の女たちにも,かの女らに長衣を纒うよう告げなさい。それで認められ易く,悩まされなくて済むであろう。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる』(33. 部族連合 (アル・アハザーブ)59節)
※(クルアーンにある「女の美、装飾」は、美しく魅力的な部分のことで、顔と両手を除く身体全体と伝統的に解釈されている)
このように、クルアーンにある教義の中で「肌や髪を露出させてはならない」とは明言されていません。
なお預言者ムハンマドの言動を記録した言行録 には「成人に達した女性は、ここを除きどの部分も見られてはならない、と言って預言者は顔と手を示された」とあるそうです。
が、あくまでムハンマドの考えであり、ハディースにこだわらない考えを持つ人(スンニ派以外に多い傾向がある)はまた別の解釈をする場合もあります。
編んだ長髪を帽子の外に垂らしたりしていた中央アジアなどがそうですね。
また、女性の肌を隠す伝統的価値観は、イスラームが生んだものではありません。イスラム教よりもはるか昔から存在していたことが分かっています。
貴人女性を中心に既婚女性の顔をベールで隠す文化が古代中東にあったそうで。
日本でも既婚女性は眉を抜いたりお歯黒をして、明確に分かるようにする文化がありましたが、それと似たようなものでしょうか。
一説にはアケメネス朝初代キュロス大王の時代(紀元前6世紀。2500年以上前)にベールで顔を隠すことが始まり※、その後のセレコウス朝に伝わり、更には後代の東ローマ帝国に受け継がれ、最終的にアラブの「ヒジャブ」となってイスラーム世界に広まったのだとか。
※(漫画【ネオ・エヌマ・エリシュ】によると、アケメネス朝以前、2600年以上前の新アッシリア帝国では、貴婦人や既婚女性など男性の庇護下に置かれている女性はベールを着用していて、ベールの無い女性は法的保護も受けられなかったらしい。
そういえば中国や日本の貴人女性などは御簾や扇で素顔を直接見られないようにしていたが、その大元はシルクロードを通じて西方からやってきたのかもしれない)
いきなりやや脱線しましたが話を戻すと、砂漠地域で肌を晒さない衣装が多いのは、日差しが強いからという単純な理由です。
ただ空気が乾燥しているので、日差しさえ遮れば風や日陰が涼しいのだそう。(だから布で日光を防ぎつつ、ゆったりした服装で風を通す)
エッセイ風漫画【サトコとナダ】2巻の後書きには、作者がサウジアラビアを訪れた際の体験談が書かれています。
その中で「サウジでは観光客も含めて女性はニカブやアバヤ※の着用が義務付けられている」ことに触れていますが、実際にサウジで過ごした作者は『これがないと日光で死ぬ…!』と思ったそうです。
※(「ニカブ」はイスラム教徒女性が着用するベールのこと。「アバヤ」は長衣。構造としては着物にファスナーが付いたようなもの)
女性の権利云々以前に、ヘルメットやシートベルトのような「安全措置」的な意味合いで義務付けられていると考えた方が良いのかもしれません。(なおサウジアラビアでは、昼間暑過ぎるので朝方と夕方以外は店が閉まるらしい)
とはいえ女子学校の中ではニカブもアバヤも脱いで、制服で過ごすそうですが。(【サトコとナダ】では、Yシャツの上に長いスカートの付いたエプロンを着た感じ。学校以外でも男性のいない空間では普通にニカブとアバヤを脱いで会話や遊びを楽しむ)
そして、湿気の多い日本では蒸し暑い中でも過ごせる着物が正統な衣服とされてきたように、日差しが強く乾燥したサウジアラビアにおいて、男女共に全身を覆う長衣が『礼儀正しくちゃんとした服装』と見なされています。(ゆったりとした長衣はサウジアラビア人のアイデンティであり、決して「強制されているから着る」ものではない)
なおサウジアラビアで上下に分かれた服は、もっぱら出稼ぎ労働者の格好だそう。(【サトコとナダ】曰く首都リヤドの人口半分ぐらいが出稼ぎ労働者らしい)
なお、中東や北アフリカなどの伝統的な服は白や黒が多いのですが、どちらも砂漠の環境に適応した色であるそうです。
日光を反射する白に対して、黒は日光やその熱を吸収することは広く知られており、黒い服よりそうでない服の方が涼しいと考えられがちです。
しかし、黒い服は着用者が発する熱も吸収してくれるのに対し、逆に白い服は体熱も反射してしまうのだとか。
『つまり白い服で暑さをしのげるかもしれないが、ゆったりとした服のように常に効果が期待できるかどうかは分からない。その証拠のひとつが、1980年に学術誌「ネイチャー」に発表された「灼熱の砂漠でベドウィン族がなぜ黒いローブを着ているのか」という研究結果だ』
『この研究では、黒い生地が太陽の熱を余計に吸収していても、ゆったりとした黒いローブでは服の内側でより対流が起こるおかげで、皮膚の部分の温度は白も黒も変わらないことが明らかになった。むしろ、黒いローブのほうが対流が強い分、快適かもしれないという。また、黒のほうが白より有害な紫外線を通しにくいという一面もある』(【科学が教える猛暑対策、灼熱の砂漠の民がなぜ黒い服を着るのか他】ナショナルジオグラフィックス)
しかし、17世紀イランにおいては黒い服は無かったようです。
『オリエント、殊にペルシアでは黒地はまったく着ない。これは目にするも忌まわしい不吉な色で、これを「悪魔の色」と呼んでいる。彼らは年齢に構わずあらゆる色を無差別に着るが、散歩のときや公共の場で、大勢の人びとが鮮やかな彩・黄金色・光沢に映える服を着て雑多な様相を呈する──それを眺めるのはまことに愉快なものである』(【ペルシア見聞記】175P)
人々の文化・服装は、本項の前書きで引用した【ペルシア見聞記】の記述のように、気候によって左右されるものです。
日本は湿潤な気候であり、「暑い=蒸し暑い=風で涼むために肌を出す(半袖など)」と考えがちなのか、アラビアン系イメージは大体肌の露出が多いです。
しかし実際の乾燥気候は、直射日光が肌を容赦なく炙り、汗も出る前から蒸発していく危険な暑さである一方、夜は逆に暖を取らねば低体温症で死にかねない程の極寒に。半袖やヘソ出しなど論外です。
そんな厳しい環境ですが、陽射しを凌ぎさえすれば、風や日陰で十分涼めるのだとか。(蒸し暑い日本と違って、乾燥した地域では日陰や屋内はそれだけでかなり涼しいらしい)
【土耳古畫観】の中にも著者の“山田寅次郎”(1866~1957年)が“エルトゥールル号遭難事件”(1890年9月16日)の慰問のためトルコへ向かう途上、エジプトのカイロに数日滞在した時の記述に『当時、室外の暑さは金をも溶かすようであったが、室内は涼しい風が入り、冷気が肌で感じられた』(【土耳古畫観】現代語 全訳 五七)とあります。
だからこそ、砂漠の人々は陽射しから身を守りつつ、通気性を確保するためにゆったりとした長衣を着ているのです。
また、前回紹介した「リサム」など覆面風に顔を覆うのも、陽射しの他に砂ぼこりから守る意味合いがあるようです。
『──前略──降雨が少なく日照りがつづき、ほこりっぽく住居の手当もよくないせいか、「眼病を煩い候者多く、故に盲目許多あり」(益頭駿次郎『欧行記』五)。
ついでにいうと、現代でもエジプトの医術ではとくに眼科学の水準が高いと聞いたことがある。これが本当ならば、理由は風土と無関係ではないだろう』(【近代イスラームの挑戦】213P)
露出の激しい踊り子や男に傅くハーレムなどのエキゾチックな美女達……。
19世紀、ヨーロッパにおいて「オリエンタリズム」を中心に、イスラム圏に対する認識は「退廃的で官能的」「保守的で反知性的」といった偏見に塗れていました。
それは今も日本を含め、まだ残っているでしょう。事実ファンタジーでそう描かれがちです。
『複数の記事によると、西側諸国による完全に覆われたアラブ女性に対するフェチ化は、アラブ女性やイスラム世界の女性は抑圧されており、したがって従順であるという固定観念を生み出している。フランス軍がアルジェリアに侵攻したとき、フランス軍はアルジェリア人女性が性的関係にあり、水タバコを吸うことを予期していた』
しかし、現実は全く別でした。
『驚いたことに、アルジェリア人女性は実際にはもっと控えめな服装で、頭からつま先まで全身を覆っていたようでした。多くのフランス人写真家は、フランスのポストカードを作るためにアルジェリア人女性に宗教衣装の一部を脱いでポーズをとって写真を撮ってもらった。ジョセフ・マサドは著書『欲望するアラブ人』の中で、 アラブ文化に対する西側の解釈がいかにしてアラブ女性がエキゾチックで魅力的であるという固定観念を描いてきたかについて語っている。』(英語Wikipedia記事【Race and sexuality】の項目【Arab and Middle Eastern】)
『頭はしっかりくるみ、その上から、肩までおちて喉と胸をおおうヴェールをかける。外出のときは、その上から大きな白布をかぶって頭から足まで体や顔を隠し、いくつかの地域でただ眸だけを覗かせているところもある』(【ペルシア見聞記】176P)
一般的に流布されるイメージとは違う実態として【サトコとナダ】でも、屋外では大人しめなのに女性だけの部屋の中ではパーリーピーポー化したり、別に屋外でも身振り手振りが激しい上に距離が近いムスリマの姿が描かれ、【土耳古畫観】では夕食時などに女性陣が踊りや歌に興じて、しばしば深夜まで家族の夕食会が楽し気に続くことが記されています。
更にはこんな記述も。
『──前略──しかし妙齢の美女が美少年を見るのを楽しみ、青年たちが美人に遭遇したいという気持ちは、宗教上の掟にも打ち勝つものなのであろう。道端で見かけると、なかなか立ち去ることができず、見つめようとする願望は、他国の少年少女たちよりもずっと強いように見える』(【土耳古畫観】現代語 全訳 二四)
『女性(原文は婦人)は、内庭 (ハレム)に閉居して、全く外界との往来が閉ざされているように見えるが、女性たちの間の交際は円滑に行われていて、相互の訪問の往来は常に絶えることがない。またそれを制限するようなことは決してない。そのため貴族の邸宅には、女性たちのみが出入りできる門戸があり、──中略──訪問したり、贈り物を進呈したり、門が開かない日はほとんどない。また外国人女性と交際する女性たちも少なくなく、したがってフランス語、英語、ギリシア語などに通じている女性たちも多い』(【土耳古畫観】現代語 全訳 二四)
『トルコの女性たちは社会の表面に出てこないために、その真価が一般的に知られるに至らないが、交際の術は非常に巧みであり、話術巧みで悠然とした態度は、パリ出身の婦人たちもしばしば舌を巻くほどである。──中略──また最近は匿名で新聞に、小説、詩歌あるいは文学に関する記事を投稿する女性たちもいる。その文才は時として男性を上回ることもある』(【土耳古畫観】現代語 全訳 二五)
アラブを始めとするイスラム圏の女性は決して、妖艶でもただただ従順な人々でもなく、いくらでも個人差があり、我々と変わらない普通の人達なのです。
今回はこの辺りで。本来は砂漠地域の衣服の詳細を解説するつもりでしたが、文量が予想を大きく上回りそうなので、ここで区切らせて頂きます。
次回は砂漠地域で着用される主な服飾について解説します。
余談ですが、ファンタジーでお馴染みの踊り子の衣装は、現実には近現代の欧米によって作られた部分が多分にあり、中東での伝統的な踊り子衣装はビキニ形式ではなくもっと肌の露出が少ない格好だったようです。
それでも歴史上では度々「公序良俗に反する」との批判に晒されており、「女性がやるのが問題なら男がやれば文句はねえだろ」と言わんばかりに、少年による踊り子 (ハワルス)も広まっていました。
以上のように砂漠地域の人々は、厳しい陽射しと夜の寒さから身を守るために長衣や布で身を包んでおり、肌を露出させることはまずありませんでした。むしろ肌を出すのは気候的に危険な行為になりかねません。
《 ヨーロッパの軍服 後編【近世、近代の軍服】》でも書きましたが、ファンタジーであろうと都合の良い魔法技術でもない限り、「物理的リアリティや文化的リアリティ」に考えを巡らせる必要はあるでしょう。
でないとキャラクター達を地獄へ放り込むことになりかねません。砂漠ではローブ形の長衣を着せてあげましょう。
主な参考資料
Wikipedia
漫画【サトコとナダ】ユペチカ
【ペルシア見聞記】ジャン・シャルダン
【土耳古畫観】山田寅次郎
【科学が教える猛暑対策、灼熱の砂漠の民がなぜ黒い服を着るのか他】ナショナルジオグラフィックス
動画【アラジン登場人物のドレスを専門家がファッションチェック。| Would They Wear That | VOGUE JAPAN】VOGUE JAPAN
https://www.youtube.com/watch?v=r2Ietvf_WPE