中世ファンタジーの敬礼を考えてみる
今回は、前回の【軍帽と敬礼】で後回しとした「中世ファンタジーで騎士が現代的な敬礼をするのは、史実的にちぐはぐだから、その辺をどうするか」です。
額の辺りに手を置く“挙手敬礼”は前回で説明した通り、19世紀初頭1800年代になってから一般化したもので、そのまま中世ファンタジーの敬礼とするには無理があります。
過去の転移・転生者が広める必要があるでしょう。(もしくは主人公自身が近代軍を立ち上げるか)
しかし前回ではあえて扱いませんでしたが、実のところ近代以前にも「挙手敬礼」に似た儀礼は存在していました。
「シュヴーアハンド」(Schwurhand)です。
これは開いた手の薬指と小指のみ握り、人差し指・中指・親指による「三指の敬礼」(親指も握る場合がある)で、三本の指はキリスト教における「父なる神、神の子、聖霊は唯一神として一致している」とする“三位一体”を表すジェスチャーでした。
『1671年のルツェルンの誓いのリマインダーによると、親指は父なる神を表し、人差し指は神の子を、中指は聖霊を表しています。さらに、曲がった薬指は魂を象徴し、曲がった小指は肉体を象徴し、手のひらは正義を象徴します』(【シュヴーアハンド】のドイツ語Wikipedia記事より)
ただ、「三指の敬礼」といっても軍事的な儀礼ではなく、“宣誓の敬礼”です。
現在でも、バチカンでは1572年以降の毎年5月6日の式典で、スイス衛兵がローマ教皇への忠誠を示すためにシュヴーアハンドを掲げる敬礼を行い、欧米の裁判所などでの証言でも行われています。軍隊などでも国家への忠誠を宣誓する入隊儀礼があり、そこでもよくシュヴーアハンドが使われます。
というのも三指で三位一体を、つまり創造主を表現することで「主に誓って」という意味合いになる儀礼だからです。
中世にはシュヴーアハンドで宣誓しておきながら、それが偽証だったと判明した場合、誓いを破ったその手を切り落とす処罰があったのだとか。
【シュヴーアハンド】のドイツ語Wikipedia記事によると、シュヴァーベン公ルドルフ・フォン・ラインフェルデン(1025年頃~1080年)が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に対し反乱を起こして敗北した際、戦闘で右手(過去に宣誓したはずの手)を切り落とされたことが、人々の間で「忠誠の宣誓が虚偽だったことへの天罰」だと言われたのだそうです。
※(ミイラ化したその手が、メルゼブルク大聖堂に安置されているらしい。また「宣誓の手を切り落とされたのは天罰」と噂されたのは、ハインリヒ4世陣営の情報操作によるものだったようだ)
このように誓いを示すシュヴーアハンドは、ファンタジーにおいて、忠誠を誓ったり盟約を宣誓するジェスチャーのモデルにはなりますが、敬礼とは言えません。
一方、より“らしい”ものは存在していました。
「刀の礼」です。
「刀の礼」は、「Present arms」(日本語で「捧げ銃」)という銃を身体の前に保持する敬礼の一部として、現在でも行われています。
抜き身の刀剣をまず肩に当てて持ち、その後顔の前に鍔の辺りを持っていってから、右斜めに振る、というのが近代的「刀の礼」です。
これは旧日本軍の映像でもよく確認できます。また現代の日本でも、自衛隊の儀仗隊による栄誉礼(国家元首や高官を迎える際の儀礼)などで行われています。
この「刀礼」の起源は十字軍にあるとされているそうです。
戦いを前に剣の刃や柄に口付けたのが元なのですが、これは十字架へ口付けて主への敬意、忠誠を示す祈りの儀式の代わりでした。
剣を十字架に見立てて代用したわけですね。
また最後に剣を右斜めへ下げるのは、剣先を地面に向けて服従を示す行為が元になったそうです。
剣を十字架に見立てた戦闘前の祈りが、いつ頃から「刀の礼」となっていったのかは不明ですが、似たような儀礼に関してはある程度記録があります。
刀礼に似た儀礼は「Reverse arms」といって、武器を逆さまに持って待機、あるいは後ろ向きに持って行進するものでした。
(銃の場合、待機時は銃口を地面に着ける形で持つ。行進時は銃口を後方下に、銃床を前方上にして脇に抱える。何も持たずに後ろ手を組むことも)
これは追悼の礼で、16世紀の軍葬が記録上最古の例だそうです。エリザベス1世(1533〜1603年)の葬儀を描いた絵では、儀礼用らしき矛を逆さに持って行進する貴族達が確認できます。
また英国王チャールズ1世(1600〜1649年)が“清教徒革命”で議会派に破れて処刑された際、議会派の軍(ニューモデル軍)の兵士が、斬首される国王へ向けてリバース・アームを行ったために、共和国政府から処罰された記録もあるとか。
リバース・アームは残っている最も古い記録が16世紀(1500年代。日本は戦国時代真っ最中)ですが、起源は古代ギリシャに遡れるとも言われているので、中世ファンタジーでも槍の類いや魔法の杖を逆さに持つなど、そのまま応用できますね。
ただ日本語への意訳は……どうしましょう? 「逆装礼」? 「逆さ銃」? 「武装喪礼」……うーん、難しい。
とりあえず史実を鑑みて、ファンタジー世界での敬礼を考えてみると、剣や魔法の杖を身体の前に掲げるなど、武器を使うのが無難ですかね。
一方史実に拘らず、完全オリジナルの敬礼を考えるのもアリでしょう。
【進撃の巨人】の拳を左胸に当てる敬礼とか。(ただ左胸辺りに腕を水平にして手をやるものは、20世紀アルバニアの「ゾグー式敬礼」がある)
筆者がなろう作品内で見かけたものとしては「剣を鞘に収めたまま鞘を握り、その握り拳で胸を叩く」があります。近代的な“挙手敬礼”よりずっとファンタジーらしいですね。
やはり武器を使ったオリジナル敬礼を作り出すのが、ファンタジー作品には合いそうです。武器無しの場合は、前回でも扱った「脱帽敬礼」か、普通にお辞儀が良いですかね。
前回でも書きましたが、何事も最初からその形が決まったのではなく、時代による変化があって成り立っています。
何かの動作から次第に、その動作を元にした動作が生まれたり、簡略化したりしていく。
元からあったものに異国文化や新しい発想が加わったり、外国から取り入れたものを自己流にアレンジしたりしていく。
そういった時代による「変化・発展」が、あらゆるものに存在していたのです。剣と魔法のファンタジー世界にだって、時代に伴う変化は当然あるでしょう。
人形ではなく、人が紡ぐ世界である以上は。
主な参考資料
Wikipedia
参考になりそうな画像、動画
・シュヴーアハンド
【"O Nederland, let op u saeck" Dutch Nationalistic Song (Lyrics)】Herrworth
(序盤画像に二指でのシュヴーアハンド)
https://www.youtube.com/watch?v=vAzb2r-WCiA
・リバース・アーム
英語Wikipedia記事【Reverse arms】より「1603年、エリザベス1世の国葬で棺の横を歩く、矛を逆さにした年金受給者の紳士たち」
(エリザベス1世の葬儀で、女王の亡骸と共にリバース・アームの行進を行う人々)
https://en.m.wikipedia.org/w/index.php?title=Reverse_arms&wprov=rarw1#/media/File%3AFuneral_Elisabeth_(cropped).jpg
・刀礼
【Kingdom Of Heaven - Saladin's troops advances Kerak】Debjyoti's Gaming
(映画【キングダムオブヘブン】より。0:17に剣への口付け)
https://www.youtube.com/watch?v=OleTR8dwr08
pixiv【大西洋戦記12】chiko より右側に近代式刀礼と捧げ銃
https://www.pixiv.net/artworks/70800891#3