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ヨーロッパの軍服 番外編【軍帽と敬礼】敬礼にも歴史の順序あり。ʊヽ(・・)脱帽敬礼から∠(・・)挙手敬礼へ


 今回は《ヨーロッパの軍服》で、あえて取り扱わなかった「軍帽」について。

 何故わざわざそうしたのかというと、「敬礼」と共に解説したかったからです。

 敬礼と軍帽は切っても切り離せない歴史がありますからね。


 我々現代人がイメージする軍帽は、一般的に「制帽」と呼ばれますが、これは軍に限らず警察などの組織で制式に定められた制服としての総称的呼び方で、帽子の種類そのものは「官帽」と言います。


 官帽は18世紀後半から19世紀初頭(江戸時代後期。“寛政の改革”の頃)の北欧で生まれた労働者の帽子で、ナポレオン戦争後半の1811年のロシア帝国軍を皮切りに軍帽としても使われ始めました。

 とはいえ正規軍の間で広く使用されるようになったのは19世紀半ば以降で、当初はロシアの“1812年のゼムストヴォ軍(Земское ополчение 1812 года)”やドイツ地域諸国(特にロシアと同盟を結んでいたプロイセン)の“ラントヴェーア”といった、志願兵を中心とした義勇軍・郷土防衛隊的な予備軍組織の間で採用されたようです。


 ざっくり言えば、現代人の想像する軍帽はイギリス以外の国も産業革命を果たした時代に一般化したもので、近世どころか近代前半にも無かった帽子でした。


 では、それ以前の軍帽はどのようなものだったのかが、本項の前半となります。


 まず軍服が生まれ始めた近世17世紀、当時のヨーロッパでは、つば広帽子が軍民関係なく流行していました。


 16世紀末から「Capotain(カポテイン)」という帽子(シルクハットの遠い先祖ともされる)が、イギリスを中心に北西ヨーロッパで17世紀半ばまで一般ファッションの一つとなっています。

 この帽子は特にプロテスタントの一派である清教徒(ピューリタン)の帽子として定着し、“清教徒革命”とそれによる“イングランド内戦”(1642~1651年)においては、ある種の軍帽のような帽子にもなっていました。


 また、これによく似た「Cavalier(キャバリア) hat(ハット)」も18世紀までヨーロッパ全土で広く流行しています。

 イングランド内戦においてキャバリアハットは、清教徒(議会派)の帽子であるカポテインと対照的に、騎士党(キャバリア)(王党派)の帽子でした。


 キャバリアハットは基本フェルト製で、カポテインより広いつばとダチョウなどの羽飾りが特徴です。

 また頭部を守るため、この下に中世の半球型兜「Cervelliere」(サーベリア)から発展した「Secrete」というヘルメットを被ることもあったようです。(16世紀から既に帽子の下に被られていたらしい。検索する際は「Secrete helmet」で探す方が良い)


 そしてしばしば帽子のつばの前面か片方の側面が折り上げられることもあったのだとか。

 つばを折る理由としては視界を確保したり、槊杖(カルカ)という棒で銃口から弾薬を押し込む必要がある前装銃(マスケット)の装填時や、長槍(パイク)(かつ)いだりする際の邪魔になることを防ぐ意味がありました。


 ※(16、17世紀のヨーロッパでは「Pike(パイク) and(アンド) shot(ショット)」と呼ばれる長槍と火縄銃を組み合わせた歩兵戦術が一般的だった。スペインの“テルシオ”編成やオランダの“オランダ式大隊”が有名)


 見た目が映えることで人気だったキャバリアハットでしたが、広いつばは上述のように動作の邪魔になりかねず、更に雨天時にはつばから雨水がぼたぼた落ちるという不便な要素がありました。

 (民間では傘代わりになるが、軍用としては視界や動きが(さえぎ)られる不利益が大きかった)

 そこで17世紀後半頃、フランドル地域に駐屯するスペイン軍で、つばの三か所を折り上げて固定するという工夫がされるようになります。その結果、上から見るとつばが三角形を描く形に。


 「三角帽(トリコーン)」(仏語では「バイコルヌ」)の誕生です。

 映画【パイレーツオブカリビアン】などでも被られているやつですね。


 つばが三角形になると、その尖ったつば先からそれぞれ雨水が逃げる(一般的に前面と肩の辺りに落ちる形になった)ので、以前よりずっと視界や動作の都合が良くなりました。

 後に海賊を始め船乗りにも愛用されましたが、その最大の理由は雨や波を被った際の水を逃がす利便性でしょう。


 この新しい形の帽子は、スペインとフランスが衝突した“ネーデルラント継承戦争”(1667~68年。“フランドル戦争”とも)をきっかけに、フランスにも伝わり、軍帽として取り入れられます。

 やがて狩猟帽としても、更に一般男性ファッションとしても流行。その後ヨーロッパ各地にも波及していきました。


 18世紀へ入るまでにヨーロッパ全域に普及した三角帽ですが、当時は「Cocked(コックド) hat(ハット)」(鶏冠(とさか)帽子の意)と呼ばれています。

 その後18世紀末に「二角帽(バイコーン)」(仏語では「ビコルヌ」)が登場すると、今度はこちらを「コックドハット」と呼ぶようになり、区別するために19世紀半ば以降「三角帽(トリコーン)」という呼称が付けられたとか。

 本項では「三角帽(トリコーン)」と「二角帽(バイコーン)」で統一します。


 三角帽は18世紀のヨーロッパで絶大な人気を誇り、王侯貴族、軍、民間問わず、男性の帽子として被られました。

 帽子のつばを留めるピンや編み込み、ボタンなどを利用して装飾を付けることで社会的地位を誇示できるという点や、尖ったつば先を持っての着脱がしやすい点。

 更にコンパクトな形のおかげで、帽子を脱がなければならない場所では簡単に脇に抱えることができる、などの利便性が高く評価されていたそうです。


 当然軍隊でも民間に先んじて、前装銃(マスケット)の装填や射撃、担え(つつ)(銃を肩に担ぐこと)などの動作の邪魔にならない便利な帽子として、正式な軍帽になっています。

 ただ時代が進むと、つば前面の角は短くなって正三角形から底面が大きい二等辺三角形になったようです。


『──前略──しかし、これでも邪魔だ、ということが出てきた。銃の精度が上がって、小銃をしっかり頬にあてて照準する必要が出てきたのである。そこで、三角帽の三つの角のうち、額の部分の角が後退して小さくなっていった。十八世紀半ば、フリードリヒ大王の時代のプロイセンの軍帽はすでに相当に前の角が消えてしまっている。同時代のフランス王国の軍帽もしかりであった。』(note【『スーツ=軍服⁉︎』(改訂版)第105回】)


 なお防水性を求めてビーバーの革やビーバー毛のフェルトを使用することが多く、ヨーロッパのみならず北米のビーバーも狩り尽くされる勢いで毛皮市場が過熱したそうです。

 (ビーバーの毛皮需要は“ビーバー戦争”、“ウィリアム王戦争”、“フレンチ・インディアン戦争”といった北米での諸戦争やロシアの東シベリア進出の要因の一つにもなった)



 一方の「二角帽」は、三角帽の前面のつば先を短くしていくうちにとうとう「もう前面の角要らなくね?」となったのか、1780年代に三つ折りから前後の二つ折りになって登場。

 革命後のフランスで新時代の帽子として持て(はや)され(国民衛兵の制帽から始まったか?)、1790年代に欧米各国で将軍や参謀が被る制帽となっています。

 とはいえナポレオンのように角を左右横向きにするのはやや古い被り方で、ナポレオン戦争当時には角を前後にした被り方がスタンダードでしたが。ナポレオンは割と懐古趣味だったそうで。

 (二角帽を縦向きで被ることは後の時代でも正装として受け継がれた。ティルピッツや東郷平八郎など20世紀の海軍重鎮を画像検索してみるとよく分かる)


『十九世紀に入る頃から、二角帽は二つの角を横にして被るのでなく、顔の前後に角があるように縦に被るように変わった。従来の被り方だと、どうしても正面面積が大きくなり、風に飛ばされやすいからである。英国陸軍はナポレオン戦争のさなかに、縦に被るのを正式と定めた。以後、二角帽は基本的に縦被りが普通となり、ナポレオンのように横被りするのは古式となった』(note【『スーツ=軍服⁉︎』(改訂版)第105回】)


 さて、18世紀の軍帽であった三角帽(トリコーン)ですが、これ以外にも、歩兵の軍帽として「司教帽」や「ベアスキン」などがありました。


 この二つはどちらも“擲弾兵(てきだんへい)”という精鋭歩兵が被る軍帽です。

 擲弾兵は、手投げ爆弾(擲弾)を持つ兵士で、より遠くまで擲弾を投げられるよう長身で屈強、かつ銃弾を恐れずに敵前へ出られる勇敢な兵でもありました。

 そのため、しばしば精鋭が配置される側面(奇襲などで真っ先に矢面に立つ事が多い)を任せられています。


 その擲弾兵の軍帽「司教帽(ミトラ)」はその名の通り、司教が被るつば無しの帽子を元にしていて、正面から見ると長く伸ばした爪のような形をしています。

 布製であるか、その上に金属の前板を付けたものが多く、現代に至る歴代の軍帽の中でも背が高く派手な帽子でもありました。

 三角帽ではなく司教帽が使われたのは、単純に擲弾を投げる動作やその前に素早く銃を背負う際に、三角帽のつば先が邪魔になってしまうからです。

 ただ、フランス軍では何故か司教帽を採用しなかったそうで。(革命後も司教帽は採用されなかったようだ)


 またこれに似たものとして、プロイセン(北ドイツ)などでは、「Füsiliermütze」(フュージリア帽の意)という司教帽を少し低くしたような軍帽もありました。


 ※フュージリア(火縄銃が一般的だった時代、燧石式(フリントロック)前装銃(マスケット)は「フュージル」と呼ばれ、それを装備した銃兵は「小銃兵(フュージリアー)」と呼ばれていた。

 フリントロック式が普及した18世紀には、国によって軽歩兵を指したり、単なる歩兵の名誉呼称になっていた)


 一方の「ベアスキン」も同様に、投擲(とうてき)動作の邪魔にならない、司教帽に似たつば無し毛皮帽子です。名称通り熊の毛皮で作られていました。

 18世紀後半から司教帽に代わって採用する国が増えたそうで、代表的なのはイギリス軍のベアスキンです。現在でもイギリスのあの衛兵が被っているやつですね。(現在の形は19世紀に出来たもので、その頃には実戦装備ではなく(もっぱ)らパレード用だった)


 そして1800年を超えると、大半の歩兵の軍帽は「シャコー帽」に更新されます。


 これは短い前庇(まえびさし)が付いた筒形の背が高い帽子で、誰でも分かりそうな例としては「クルミ割り人形」の一例でしょうか。

 漫画では【軍靴のバルツァー】や【マスケットガールズ! 転生参謀と戦列乙女たち】ですかね。ああ、それに【みつばものがたり 呪いの少女と死の輪舞ロンド】も。


 シャコー帽には司教帽のように前面へ真鍮などの金属板装飾が付けられており、丈夫なフェルトや革で作られていることもあって、騎兵による頭上からの斬撃からある程度頭を守ることができました。

 ただその分重量があり、大雨に弱かったようです。そういった時は油布(防水布)のカバーを被せたとか。


 防具としてだけでなく、背の高いシャコー帽(フランス軍では18、19㎝あった)は敵の目を騙す効果も期待できました。

 遠目からは実際の身長より高く見せられるので、敵の目測を少し狂わせての早発(そうはつ)、つまり射程外の時点で発砲させる無駄撃ちを誘う効果があったのです。


 なお本項におけるもう一つの主題である「敬礼」が、我々現代人が知る形になっていったのも、このシャコー帽の時代でした。



 額に伸ばした右手を当てる“敬礼”は、しばしば「甲冑の面頬(バイザー)を上げて顔を見せたり、右手に武器を持っていないことを示して、敵意が無いと相手に伝える動作」が元になったとされ、Wikipediaでもそのように解説されています。


 が、自分はその説明に全く納得できず、俗説に過ぎないのではないかと考えています。その最大の理由は「当時の絵画、版画で挙手の敬礼が確認できない」からです。

 (18世紀後半と思われる絵画で一例のみ確認できたが、それ以外では確認できない。もし他にご存知の方がいればぜひ感想で教えていただきたい)


 なお【敬礼】の英語Wikipedia記事には、バイザーを上げて武器を持っていないことを示した動作が起源とする記述は[要出典]、つまり典拠無しとあり、オランダ語版には『この手のジェスチャーは現代の敬礼に非常に似ていますが、その類似性と関連性は証明されていません』とあります。


 もし「バイザーを上げる動作」が敬礼の元になったというのなら、ルネサンス期の絵画や17、18世紀の近世絵画などで確認できる筈です。

 17世紀には「ロブスター・テイル・ポッド」(Lobster-tailed pot helmet)というバイザーを簡略化した兜が存在していたので、バイザーを上げる動作を元にした敬礼があるのなら、そういった光景なども絵画で描写されるでしょう。

 しかし、実際に戦場を描いた絵画などにそのような動作は見られず、“()()()()”が確認できるだけです。

 映像作品でも19世紀以前を舞台にしているもので、「バイザーを上げる動作を元にした敬礼」はとんと見えませんね。敬礼の“中世起源説”は映画業界などでも採用されていないようです。


 では現在の手を頭に当てる「挙手敬礼」の元は何だったのか? それは「帽子を脱ぐ動作」でしょう。


『兵士への敬礼の起源は、上官への敬意を示すために帽子を短時間脱ぐことにあります。擲弾兵は帽子ではなく制帽をかぶっていたため、帽子を脱ぐ必要はなく、右手で帽子を軽くたたくだけで十分でした。この単純な敬礼の形式はその後、すべての兵士に一般的になりました。』(【敬礼】のオランダ語Wikipedia機械翻訳)


『兵士に対する個別の指示は数多くありましたが、中には非常にわかりにくいものもあり、その指示は「帽子を脱いで、またかぶりなさい」という言葉で終わっていました。 1774年の「バイエルン教令」では、選帝侯にのみ「帽子を脱ぐ」と定められていた』(【敬礼】のドイツ語Wikipedia記事より)


 そもそも軍隊に限らず、ヨーロッパでは中世の頃より被り物を脱ぐ行為は、目上の人間へする“挨拶(あいさつ)”であり当然の儀礼でした。

 「bow(ボウ) and(アンド) scrape(スクレープ)」という貴族の礼でも、まず帽子を外してから行います。

 スペインやポルトガルの王宮では「グランデ」という、一部の貴族にのみ与えられる“王の御前でも帽子を脱がなくてもよい”(女性は起立しなくてよい)特権がある通り、脱帽は貴族にとっても重要な礼儀だったのです。

 (他にも【ドラキュラ】のモデルとして知られるワラキア(ルーマニア)公“ヴラド3世”が、オスマン帝国の使者と面会した際、使者が被り物(ターバン)を外さなかったことを(とが)めて処刑してしまった逸話からも、脱帽が儀礼の基本だったことが分かる)


 軍隊においてもこの儀礼はそのまま使われたようで、戦場を描いた絵画や版画に帽子を脱いで腕を軽く伸ばす礼が確認できます。

 つば広帽、その後の三角帽の時代はそういった「脱帽敬礼」が一般的であったと考えられます。


 ところがシャコー帽が使われるようになると、重量がある上にあご紐で固定する場合があったので、脱帽は大きな手間になってしまいました。

 それが要因なのか、19世紀初頭のシャコー帽の時代から帽子を脱がずに「帽子を脱ごうとつばを掴む動作、あるいは手を当てる動作」が、つまり“挙手敬礼”が行われるようになりました。


 ただシャコー帽以前から、司教帽やベアスキンなどのあご紐で固定する軍帽では既に、脱帽敬礼に代わって帽子に片手を置く特例の敬礼があったそうです。


 またイギリス軍では1745年に「兵士らは将校とすれ違うときも帽子を脱ぐことも、話しかけることもせず、通り過ぎるときに帽子に手をたたきお辞儀をすることだけを命じられている」(【敬礼】の英語Wikipedia記事機械翻訳)のだとか。


 厳密にいつ頃から挙手敬礼が行われるようになったのかは不明ですが、一般的になったのは19世紀に入ってからと考えた方が良いでしょう。


 中世ファンタジーで騎士が現代的な敬礼をしていることがありますが、本項で解説したように、挙手敬礼は近代的な軍事儀礼であり、史実的にはちぐはぐになってしまいます。

 その辺りをどう考慮すべきかは、次回に回すこととしましょう。


 鎧も軍服、軍帽もそして敬礼も、どれもというか何事もそうですが、最初からその形があったのではなく、時代と共に変化して出来ていったものです。

 ファンタジーであろうと、そのことは決して無視されるべきではありません。



 最後におまけとして、書き込むタイミングを(いっ)した騎兵の軍帽をいくつか挙げて今回は終わりとします。


・「Flügelmütze」(Mirliton(ミルリトン)とも)

 18世紀にハンガリーの軽騎兵から各国に広まった背の高い円柱形の帽子。フェルト製で60㎝までの高さがあったらしい。

 つばは無いが、飾り帯が巻かれることはあった。シャコー帽の元となった帽子とされている。


・ドラグーンヘルメット(Dragoon helmet)

 竜騎兵(ドラグーン)と呼ばれる“騎馬銃兵”が被っていた兜。18世紀前半の竜騎兵は三角帽や専用の帽子を被っていたが、1762年のフランス軍で、モヒカン形の羽飾り(または馬毛)が付いた古代ギリシャ・ローマ風の鋼鉄製兜が採用された。

 その後各国の竜騎兵でも使われ、1798年にはオーストリア軍で羊毛の(くし)形飾りが付いた革製のものが竜騎兵以外でも採用された。


・「Busby(バズビー)」(Colback(コルバック)とも)

 トルコ起源の毛皮帽子。ミルリトンに似ている。ハンガリーの軽騎兵の帽子だったが、ナポレオンの時代からエリート騎兵の帽子としても使われるようになった。

 イギリス軍のものはアライグマの毛皮を使っていたらしい。


・「Rogatywka(ロガティウカ)

 ポーランドの騎兵帽。ポーランド帽とも呼ばれる。四角い板を天辺を持つ特徴的な帽子で、少しシャコー帽にも似ている。18世紀後半に人気を博し、槍騎兵(ウーラン)の軍帽として定着した。

 20世紀にはポーランド軍の官帽を指す言葉になったようだ。


・「Tschapka(チャプカ)

 ロガティウカをモデルにした軍帽。ナポレオン戦争を期にロガティウカを各国が槍騎兵(ウーラン)の制帽として取り入れ、「チャプカ」と呼ばれるようになった。

 19世紀の半ばには革製のヘルメットの上に四角形の板を付けた形になっていったようである。


主な参考資料


Wikipedia


note【『スーツ=軍服⁉︎』(改訂版)第105回】辻元よしふみ


参考になりそうなイラスト、画像、動画。


・つば広帽


【Wir zogen in das Feld (Deutsches Landsknecht Lied)+(English translation)】Total Epische Geschichte

(つば広帽子“キャバリアハット”とロブスター・テイル・ポット・ヘルメット)

https://www.youtube.com/watch?v=XXNLGeST1g4


pixivイラスト【Tricorn】tomoboshi

(雨天での“つば広帽”と“三角帽”のイラスト。何故つば広帽から三角帽が生まれたのかがよく分かる)

https://www.pixiv.net/artworks/64121083


・三角帽


X(旧Twitter)トマトスープ 2021年12月17日「最近の気づき」

(海賊帽子の正体。大元はデフォルメされた三角帽の描写ミスだったのだろうか)

https://twitter.com/Tsoup2/status/1471847152817414146


【Lilliburlero - British March】Imperial Glory

(軍帽としての三角帽、擲弾兵の司教帽やベアスキンが分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=sU_XRHKo_HY


【Tribute to Austrian Grenadier Österreicher Grenadiermarsch 1805】Sam Orca

(19世紀初頭のオーストリア軍擲弾兵。18世紀式の司教帽型ベアスキンを被っている)

https://www.youtube.com/watch?v=m-q6Ch8mbdI


・二角帽


【国民衛兵】のフランス語Wikipedia記事より「パリの戦い(1814年)クリシー関門の防衛:オラース・ヴェルネ」

(中央から右側、国民衛兵隊の将校と兵士たち。二角帽を横向きに被っている)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5c/Horace_Vernet_-_La_Barri%C3%A8re_de_Clichy.jpg?uselang=fr


【サラマンカの戦い】の英語Wikipedia記事より「サラマンカの戦いにおけるウェリントン」

(ウェリントン公アーサー・ウェルズリーとその将校が二角帽を縦に被っている)

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Salamanca#/media/File:Wellington_a_Salamanca.jpg


・シャコー帽


【Waterloo ~ Gordons Highlanders and Pictons Death 1080p】Floofy Minari

(映画【ワーテルロー】より。0:54からナポレオン・フランス軍のシャコー帽がよく分かる)

https://m.youtube.com/watch?v=wd0M1IBwpyM


【Men of Waterloo Teaser Trailer】historymakingltd

(ナポレオン最後の戦いである“ワーテルローの戦い”の再現イベント。油布カバーを付けた英軍のシャコー帽がよく分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=g70DMovB0Jk


・敬礼


Wikipedia記事【砂丘の戦い (1658年)】より「砂丘の戦い、シャルル=フィリップ・ラリヴィエール作、1837年」

(19世紀に描かれたものだが、左側に脱帽敬礼が分かりやすく描写されている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E4%B8%98%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1658%E5%B9%B4)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:LariviereBatailleDunes.jpg


Wikipedia記事【ドゥーエー包囲戦 (1667年)】より「1667年7月のドゥーエー包囲戦におけるルイ14世、アダム・フランス・ファン・デル・メーレン作、1672年頃」

(1672年頃の版画。中央に脱帽敬礼を行う人物がいる)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%BC%E5%8C%85%E5%9B%B2%E6%88%A6_(1667%E5%B9%B4)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Sieg_douai1.jpg


Wikipedia記事【トルハウスの戦い】より「ロビトでライン川を渡るルイ14世、アダム・フランス・ファン・デル・メーレン作、1690年」

(1672年の戦闘を18年後に描いた絵。中央の2人がルイ14世へ脱帽敬礼を行っている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Louis_XIV_crosses_the_Rhine_at_Lobith_-_Lodewijk_XIV_trekt_bij_het_Tolhuis_bij_Lobith_de_Rijn_over,_12_juni_1672_(Adam_Frans_van_der_Meulen).jpg


Wikipedia記事【フォントノワの戦い (1745年)】より「勝利を祝うフランス軍将兵と国王、およびサックス。騎乗の兵が獲得した軍旗を掲げ、その横に赤服の捕虜たちがいる。オラース・ヴェルネ画。」

(戦いから100年ほど後の19世紀に描かれた戦争画。中央手前と奥に国王へ向けて脱帽するフランス兵士)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4b/The_Battle_of_Fontenoy%2C_11th_May_1745.png


Wikipedia記事【ヨークタウン方面作戦】より「オーガスト・クーダーが描いたワシントンとロシャンボー、ヨークタウン包囲戦の指示を与えている。」の画像

(後代の19世紀に描かれた戦争画。左端と真ん中に三角帽を脱ぐ動作をする人物がいる)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Bataille_de_Yorktown_by_Auguste_Couder.jpg

Wikipedia記事【ヨークタウン方面作戦】より「降伏の儀式を描いたフランスの版画」の画像

(両軍の指揮官と思しき二人が互いに帽子を脱いで敬意を示している)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/22/Reddition_de_Cornwalis_1781_french_engraving_1784_avec_texte.jpg


【Abschreiten der Front 1763】Goldelse

(1942年のドイツ映画【Der große König】のショート動画。脱帽敬礼が見て取れる)

https://www.youtube.com/shorts/DtVe96o5LBE


【The great king (Der große König) - Seven Year's War/7년 전쟁】Elon Musket

(【Der große König】より。5:48から帽子を脱いで腕を横に伸ばす脱帽敬礼がよく分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=JuoZR9R6-08


【Negotiation Scene - The Last of the Mohicans (Peaceful surrender)】Adrian Piñon

(映画【 The Last of the Mohicans】のワンシーン。優雅なフランス式と質実剛健なイギリス式の、それぞれの脱帽礼が対照的)

https://www.youtube.com/watch?v=xWsVZuxoLIQ


【The Girl I Left Behind Me - British March】Patriotic Archive

(画像は1745年の英軍教令以降と思われるイギリスの絵画。擲弾兵が挙手敬礼を行い、士官が答礼している。挙手敬礼を描写した近世絵画として、筆者が知る唯一のもの)

https://www.youtube.com/watch?v=Oexmv3RSb-A


・官帽

【Prussian drum parademarsch】Володимир Моргулевський

(画像はプロイセンの義勇兵組織“ラントヴェーア”。現代の「官帽」の元となった帽子を被っている)

https://www.youtube.com/watch?v=AybXcoXoIL4


騎兵の軍帽


18世紀

ポーランド語Wikipedia記事【Mirliton (czapka)】より「ミルリトンを着たプロイセンの軽騎兵」

https://pl.wikipedia.org/wiki/Mirliton_(czapka)#/media/Plik:Knoe11_51.jpg


【竜騎兵】のポルトガル語Wikipedia記事より「竜騎兵連隊の兵士。ブラジル1770年代、カルロス フリアンの絵画」

(ポルトガル植民地のブラジルに派遣された18世紀の竜騎兵)

https://pt.wikipedia.org/wiki/Ficheiro:Dag%C3%A3o_de_Cavalaria.jpg


ドイツ語Wikipedia【Konfederatka】より

(18世紀末頃と思われるポーランドのロガティウカ)

https://de.m.wikipedia.org/wiki/Konfederatka#/media/Datei%3ARittmesiter_of_the_Polish_National_Cavalry_in_1792_1.PNG


19世紀


pixivイラスト【皇妃竜騎兵】長門三笠

(ナポレオン軍の近衛竜騎兵。華麗な出で立ちだが、戦闘より儀礼で活躍した)

https://www.pixiv.net/artworks/24387045


【竜騎兵】のポルトガル語Wikipedia記事より「フランス陸軍第12竜騎兵連隊のエリート兵士を描いたエドゥアール・デテールによる1870年の絵画」

https://pt.wikipedia.org/wiki/Drag%C3%A3o_(militar)#/media/Ficheiro:%C3%89douard_Detaille_-_Dragon.jpg


【Die Glocken stürmten vom Bernwardsturm (Landsknecht Lied) + (English translation)】Total Epische Geschichte

(シャプカを被ったウーラン)

https://www.youtube.com/watch?v=6py4YCre8u4


【Battle of the Alma 1854 - Crimean War】LANCERS IN BATTLE

(“黒船来航”の翌年に勃発したクリミア戦争の“アルマの戦い”。19世紀半ばの英軍の軍服、軍帽の目白押し。軽騎兵が被った毛羽立った背の高い円柱系帽子がバズビー。歩兵の毛羽立った帽子がベアスキン。5:00で数秒映るのがシャプカを被ったウーラン)

https://www.youtube.com/watch?v=6Ut3pCL0FTs

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