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ヨーロッパの軍服 後編【近世、近代の軍服】近世兵士「え、来年まで替えの服無いんすか」


 中世の軍服(というか軍衣)の次は17〜19世紀の軍服について。

 火器が主力となった17世紀になると、現代に繋がる「軍服」が本格的に登場します。


 まずは16世紀に登場し、17世紀に軍服や猟師服、乗馬服として流行した「Buff coat(バフコート)」。

 水牛や牛の揉み革(Buff)から作られた淡い黄褐色(バフ色。日本の黄土色に近い)の丈夫な上衣で、内側のホックによって留める半前開きの服でした。

 腰からややスカート状に広がる布地が膝近くまで伸びているため、足も動きを邪魔せずにある程度防御できています。


『バフコートには獣の皮を何層も縫い合わせて作ったものもあり、しばしば黄色に染められた。このコートは剣で斬りかかられた場合の衝撃を吸収し、刃の貫通を防ぐことができた』(【戦闘技術の歴史 近世編】121P)


 バフコートは以前の「Jerkin(ジャーキン)」に由来するとされ、革製なのである程度斬撃に対する防御力があり、騎兵はほとんどの場合その上に胸甲(キュイラス)や「Munition(ミューニション) armour(アーマー)」※などの防具を装備していました。


※(直訳すると「弾薬鎧」となる。全身防御は諦め、防御面積を節約した重量分、胴体と要所の装甲の厚みを増加させて防弾性を得ようとした鎧。半装甲(ハーフアーマー)とも呼ばれる)


 とはいえスウェーデンの拳銃騎兵(ライター)など、鎧を装備せずバフコートのみの身軽で勇敢な騎兵もいましたが。

 “三十年戦争”(1618~1648年)や“イングランド内戦”(1642~1651年。清教徒革命に伴う内戦)の頃が全盛期でしょうか。画像検索もこの辺りを調べれば出やすい(はず)です。


 しかしながらバフコートは正式な官給品とは言えず、自前で用意することが多い防具で、17世紀はまだ軍服が一般的ではない時代でした。


 その後の17世紀後半になると、「Justau(ジュスト)corps(コル)」(直訳すると「軍団服」といった意味になる)というボタン留めの膝丈コートが出現しました。

 18世紀の内に「アビ」という名前で呼ばれるようになったそうですが、本項では「ジュストコル」で統一します。

 このジュストコルは元々は(えり)の無い服でしたが、18世紀に折り返しの襟が付け加えられました。


 これはファンタジーでも度々登場する軍服の元ネタの一つと言えるでしょう。


 フランス国王ルイ13世(1601~1643年)の時代に流行していた腰丈のマント「カザク」※から発展したとされていますが、ペルシア(イラン)のコートがモデルになったともいわれているそうです。


 ※ (前部、後部、肩部分が別々になっていた軍用あるいは旅行用の外套(がいとう)。有名な【三銃士】で知られるフランスの銃士隊も華やかなカザクを着用していた)


 カザクは風雨から身を守るための外套(がいとう)でしたが、次第に前装銃(マスケット)や剣を取り扱うには不都合だということが分かり、ボタン留めによって胴体にフィットした動きやすい形へと改良された結果、「ジュストコル」が生まれたようです。


 ペルシア(イラン)のコートをモデルにしたという話は、おそらくデザイン面のことと思われます。

 事実初期の頃のジュストコルは、貴族などが着用したものには華やかな刺繍が施され、サファヴィー朝イランの衣服のようにブレード(テープ状の飾り紐)が並んでいます。


 何故急にフランスで中東の服の影響が現れたのかというと、フランスは16世紀にオスマン帝国と同盟を結んでおり、17世紀にはルイ13世時代からサファヴィー朝と通商面での交流が進んでいたためです。


 ちなみに、ジュストコル登場前からロシアにもよく似た「カフタン」という服があり、銃兵隊(ストレリツィ)の軍服としても使われました。


 このジュストコルは初めて正式かつ一般化した軍服といえます。

 また18世紀に前を留めずに羽織るだけになり、ボタンと留め具は事実上の装飾と化しています。


『一七世紀末から一八世紀初頭には、拡大の一途をたどる軍隊に制服が支給されるようになる。兵卒の制服は比較的地味だったが、将校や下士官はそれよりもやや派手な服装をしていた。派手な制服は、戦闘時の隊列のなかで目立つからだ。パイピング(縫い目に沿ってつけるひも飾り)が将校の階級や担当部署を表すことが多かった』(【戦闘技術の歴史 近世編】216P)


 軍服として使われたジュストコルでしたが、ルイ14世の時代(在位: 1643~1715年)には軍人以外も着用し、民間にも流行していきます。(漫画【ダンピアのおいしい冒険】でも船長が着用している)

 なおロシアのカフタンもそうですが、近代以前は軍服と民間服との間に厳格な線引きが無く、普通に民間人もファッションとして「軍服」を着たりしていました。


 一応、軍用と民間とではデザインにある程度の差があった(軍用は体にフィットする細身仕立てが多い)ものの、退役した軍人・兵士が軍服を着たまま民間へ戻っていた(現代と違って官給品を返却する義務がない)ので、「軍服を着ている=現役軍人」という式は成り立たなかったのです。

 (第一次世界大戦でも、一度退役したドイツのヒンデンブルク将軍が、持っていた普仏戦争時代の古い軍服を着て現役復帰した事例がある)


 軍・民の見分けた方としては軍が採用している揃いの色(例:イギリス軍の赤。革命前のフランス軍のライトグレー。プロイセン軍の紺青など)がありますが、ややこしい事に部隊ごとで軍の主要色とは違う色を使う場合もあり、一概には言えなかったりします。

 (どうも各連隊を率いる大佐が、それぞれ適切と判断した色に統一させることがあったらしい。ただ砲兵だけは、どの国でも軍服の色が青系に定められている事が多かった)


 また装飾も軍・民の見分けになったでしょう。


『一八世紀にはすでに軍服の着用が一般的になっていたが、当初は個人の社会的地位や軍での階級を示すものとして装飾が許されていた』(【戦闘技術の歴史 近世編】220P)


※(18世紀前半は派手な装飾も許されていたが、その後あまりに派手なものは規制されていったようである。英国では特に“アメリカ独立戦争”で、目立つ格好の将校が何度も狙撃されたため、その反省からほとんどの装飾は廃止されたらしい)


 なお当時の軍服は先述の通り、赤や青などの目立つ色が使われましたが、その最大の理由は敵味方の識別です。

 というのも当時の火器に使用される黒色火薬は、発砲の際に出る煙の量が非常に多く、視界不良になるレベルの煙が戦場に(ただよ)う事がよくあったためでした。



 そして「軍服」を語る上で外せないことが“軍服は中東の服飾の影響を大きく受けている”ことです。つまりヨーロッパ地域だけでは我々の知る軍服は成立し得なかったのです。

 オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズの【オスマン・トルコの軍隊: 1300-1774大帝国の興亡 】を見ても、ヨーロッパの軍服に影響を与えただろう衣服を複数確認できます。


 故にファンタジー世界でも、近代的な軍服を登場させるにはアラブ・トルコ的地域が存在していなければ、軍服を広めた過去の転移・転生者が必要になります。


 オスマン帝国による2度の“ウィーン包囲”の衝撃を受けたヨーロッパでは、中東の文化を取り入れる動きが起こり、一つの流行に発展しました。

 いわゆる東洋趣味(オリエンタリズム)ですね。


 その一つである「トルコ趣味(テュルクリ)」が当時大流行し、ファッションにも多大な影響を与えています。

 17世紀頃から、それ以前のヨーロッパにはほとんど無かった完全前開きの服が主流となったのも、おそらく中東文化の影響でしょう。

 ジュストコルも、先述したようにイラン文化の影響を受けていますしね。


 軍服への中東文化の影響として、まず挙げられるのは「サッシュ」です。腹部に巻く飾り帯で、元はトルコの服飾でした。


 15、16世紀頃からリブリーの「ベンド」のようにサッシュを右肩から襷掛(たすきが)けすることが導入され、高位の軍人の印としてや敵味方の識別などの意味として使われました。

 アニメ【葬送のフリーレン】のダンスシーンで、シュタルクが付けていた帯も「サッシュ」の一種です。

 18世紀からは元のトルコの服飾と同じく、ベルトを隠すように腹部に巻くようにもなりました。現在でも軍将校の礼服などに使われています。


 ジュストコルに続く形でヨーロッパに広まった軍服の一つに「ドルマン」(Dolman)があり、これは日本語ではよく「肋骨服」と呼ばれるものです。


 主に軽騎兵の軍服として使われたドルマンは、ハンガリーの軽騎兵からヨーロッパ各国へ広まったとされていますが、更にそのハンガリー軽騎兵の元は、オスマン帝国でした。

 「ドルマン」という名称自体がトルコ語由来で、16世紀にハンガリーへ伝わり、「ペリース」(Pelisse)というジャケットと共に18、19世紀にヨーロッパ中で使用されています。


 ドルマンもペリースも編み込みのブレードで装飾された華やかなジャケットで、ブレードを留める金具も相まって、軍服の中でもトップクラスの(きら)びやかさを(そな)えたものでした。

 なお装飾に使われた金具や革によって、一定の斬撃耐性があったらしく、意外と見た目だけでない機能的な面もあったようです。


 毛皮の縁取りがされたジャケットであるペリースは、ドルマンの上に羽織るものでしたが、左袖のみに腕を通して左肩に掛けた形にするのが普通でした。

 これがまた洒落(しゃれ)ているとして女性に人気だったそうです。


 騎兵の軍服としては、もう一つ代表的なものとして、「ダブルブレスト」つまり前合わせのボタンが縦に2列並んだ上着があります。


 その起源は諸説あるものの一般的に18世紀ポーランドの槍騎兵(ウーラン)の服とされ、18世紀半ば頃からヨーロッパ各国へと広まったそうです。

 ボタンが2列になった理由は、馬上では風を受けやすく前合わせの隙間から風が入り込むため、防風の意味で二つ揃えのボタンで留めるようになったからだとか。


 19世紀初頭のナポレオン戦争では、将校の間でダブルブレストの「フロックコート」が使われ、歩兵もジュストコルから進化した「コーティ」(Coatee)などの軍服の上に「グレートコート」と呼ばれる外套を使う様に。

 そしてナポレオン戦争の後では、軍服以外でもダブルブレストの外套(コート)が使われるようになりました。


 つまりファンタジーなどで2列ボタンのコートが登場した場合、その世界は最低でも近代前半レベルの文化を持っていることになりますね。

 (【葬送のフリーレン】でも、ダブルブレストのコートに、「サッシュ」や後述する「エポーレット」などの軍装もあるので、間違いなく文化レベルは近代19世紀。まほうのちからってすげー!)


 軍で使用された服飾であり、ファンタジーでお馴染みのものとして「エポーレット」も外せません。エポーレットは軍服の肩に付けられた黄色いモップみたいな紐が下がるアレです。


 17世紀末に肩へリボン飾りを付けた事が起源とされ、元々は肩に掛けた弾帯(いくつもの弾薬を下げたベルト)の滑り止めを兼ねた装飾だったそうです。

 1700年代には一度廃れてしまったようですが、その後新たな形で復活しました。


 まずフランスが1759年1月12日付けで、一部の将校(指揮官)の階級を示す飾り「肩章」を初めて制定。この時にエポーレットも同時に正式化したと思われます。

 1762年から1769年に掛けて(軽騎兵を除く)全ての兵科の将校の肩章が定められると、徐々に各国もそれを取り入れていきました。

 この頃の肩章は、現代と異なって色や刺繍などの違いではなく、右肩に付くか左肩に付くかもしくは両肩かで、階級の違いを表していたそうです。


 18世紀後半に少しずつ広がったエポーレットは、19世紀に全盛期を迎えました。

 金属製の肩当てに紐を付けたファンタジーでお馴染みのエポーレットは、高い人気を誇っていましたが、戦場で着用されることはほとんど無かったそうです。

 (絵画を見るに、ナポレオン戦争期は実戦でも着用されたかもしれない。が、施条銃(ライフル)一般化以降での実戦着用は無かったと見るべきか)


 以上のように現代人の知る軍人の肩飾り「エポーレット」は18世紀末、つまり近代からの代物で、中世ヨーロッパにはありませんでした。


 ただエポーレットに似たものとして古代の肩防具「Pteruges(プテルゲス)」があり、中世の東ローマ帝国も似た防具を使用していました。

 時代が離れていることを考えるにエポーレットとの関係性は無いとは思いますが……。


 現代に繋がるエポーレットの起源は先述した17世紀末のリボン飾りですが、個人的に気になる点として、エポーレットに似た飾りが付いたマントが中世14世紀にもあったみたいなのです。(後書きに画像URL有り)

 しかし、これは王の結婚式での服装という極端な例なので、後のエポーレットとの関係はまず無いと見るべきでしょう。

 (文化的繋がりがあったなら、14世紀以降の服装にも同じような肩飾りが残っている筈)


 軍服の服飾として最後に「飾緒(しょくしょ)」(しょくちょ、かざりお、とも)について。飾緒とは肩から前部に垂れ下がる紐飾り(モール)です。


 基本的に飾り紐(モール)が片方の肩から首元などの前部に吊るされ、その先端には針に似た金具が付いています。

 飾緒は欧米では「エギュイエット」と呼ばれていますが、飾り紐の材質に金銀糸が使われているため、単に「モール」と呼ばれることも多いようです。


 起源は諸説あるものの、鎧の板金(プレート)を体に固定するための紐であったとされ、鎧の実用性が低下すると、次第にその紐もただの装飾と化した後に「飾緒」となったのだとか。

 なお日本語Wikipedia記事にある「地図への書き込みや伝令のメモを取るために、紐の先に鉛筆などの筆記具を付けて吊るしていたのが起源」という説は、英語Wikipedia記事によれば、『歴史的根拠がない』そうです。


 時折エポーレットと共にファンタジーで登場することがある「飾緒」ですが、あくまで広く見られるのがナポレオン戦争の頃からなので、こちらも文化レベルが近代でないと無理そうですね。

 そもそも鎧を固定する紐が装飾化したものなので、まず甲冑(かっちゅう)(すた)れていないと誕生することが出来ません。

 ファンタジー漫画などでは、たまに鎧が使われてるのに軍服も飾緒も存在している場合がありますが、一体どういう経緯があればそんな矛盾状態が成立するのか……間違いなく転移・転生者が持ち込んでますね、間違いない。


 現代でイメージされる軍服は、長く様々な歴史的経緯を経て近代19世紀に成り立ったものであり、とても中世的世界に登場させられるものではありません。

 やはりそれを持ち込む転生・転移者か、19世紀レベルにまで文化レベルを押し上げる魔法技術は必要でしょう。


 ……というか、戦争・戦闘メインの作品でなければ普通に19世紀モデルの世界でいいのでは? その方が文化や技術とか色々都合が良い筈です。

 実際に【屋根裏部屋の公爵夫人】【貴族から庶民になったので、婚約を解消されました!】などの19世紀風人気作品ありますし。

 近代感を抑えたいなら地方を舞台にすればいいでしょう。(蒸気機関車や蒸気船も19世紀の後半までは極少数に過ぎなかった)



 続いては兵士の軍服事情について。


 中世の兵士は、自分で着た衣服も領主から与えられたリブリーも、基本綺麗な物で揃えられていました。


 下級の兵士だって見栄を張るぐらいのプライドはありますし、たとえ死ぬにしてもどうせなら良い格好で死にたいとおもっていたでしょう。

 領主も自分の兵がみすぼらしい格好をしていることで、「あそこの領主は兵にまともな服も着せられないのか」と思われることは(しゃく)だったに違いありません。


『兵士が一般的にぼろぼろで汚い身なりをしていたと思ってはいけない。裕福な主人に従った者たちは疑う余地なく、良い身なりをしていたし、男たちにかかしのようにみすぼらしい身なりをさせた軍隊など稀だった。──中略──宿営地の女性たちは「応急修理」をしたし、商人やよろず修繕屋は活発に宿営地に入って来て、兵士たちに必需品やぜいたく品を売った』(【中世兵士の服装】35P)


『公爵の兵隊はあざやかな紋章入りの陣羽織と精巧な模様のホースを着用していた。──中略──1451年のナポリの傭兵は50%の前払いがあったので、赤、青、緑、白、紫の衣服を着ていた。──中略──15世紀にフローレンスの400人の兵士を率いた司令官は、白いダブレット、赤と白のホース、白い帽子、靴、鎧、矛を一人一人の兵士のために注文した(一部の者にはハンドガン〈小銃〉も)。これが、フローレンスで注文された物の中で最も美しかった』(【中世兵士の服装】43P)


※ホース(タイツによく似た中世の長靴下)


 しかし、中世末期からルネサンス期の頃に、ヨーロッパ軍の服装事情は、財政を理由に大きく変わっていったようです。


『少数の騎士軍から大量の歩兵軍の時代に突入した中世末期、君主の国家独占はまだ先の話であった。君主には金がない。だからこそ、その場限りの傭兵を使うのだ。その傭兵にお仕着せの制服を与えるのは金をどぶに捨てるのと同じである。軍隊に制服が導入されたのは近代以降のことだ。つまり傭兵たちは皆てんでばらばらの格好をしている。つぎはぎだらけのみすぼらしい者もいれば、少し金回りのよい者は派手に着飾っている』(【傭兵の二千年史】93P)


『──前略──。だが、一六世紀の後半期の間、軍隊の増大は各国政府の財政力をはるかに超えていた。──中略──三〇年戦争の時まで、オランダを除いてはヨーロッパのいかなる主要国も、軍隊に給料を支払う余裕はなかった』(【補給戦──何が勝敗を決定するのか】21P)


 特に近世〜近代は、中世よりずっと規模の大きい軍隊への兵站(へいたん)(補給を始めとする後方支援)の負担が大きく、そのせいか軍服は着古してボロボロなことが多かったみたいです。


『アルバ公がオランダに引きつれて行ったこぎれいでよく組織された軍とは違って、一七世紀初期のヨーロッパ軍は巨大であり、ぶざまな集団であった』(【補給戦──何が勝敗を決定するのか】17P)


 18世紀においては、年に1回新品の軍服を支給していた英国軍など、高い頻度(ひんど)で新しい制服が支給されていました。

 が、兵士が着ていたのはそれ1着だけであり、毎日同じ軍服で何十km(キロ)も行進し、戦い、一切着替えないまま地べたで寝ることも珍しくありません。


 当時の軍では「洗濯女」と呼ばれる外部から雇った女性労働者に洗濯を委託していたので、服に付いた汚れはある程度落とせていたでしょう。

 (※ヨーロッパは日本より湿度が低いため、急な洗濯をしても衣服は乾かしやすい。ドイツ在住者の体験談曰く、一日中雨の日だった部屋干しでも乾くらしい)


 しかし、一年中着回していれば、洗濯(十分な洗剤があったとは考えにくい)では落とし切れない黄ばみなどの汚れが蓄積していき、布地も擦れてボロボロになっていった筈です。

 これは19世紀に入っても同じでした。


『ナポレオン軍の遠征中の兵士は、平時の不適切な服装がすぐに劣化するか、地元で入手可能な代替品に置き換えられるため、みすぼらしくて特徴のない外観を呈する可能性がありました。』(【軍服】の英語Wikipedia記事より)


 産業革命による紡績の急速な効率化や、それによる布の大量生産を経るまで、近世・近代の兵士は大体着古した小汚い格好を強いられていたのです。



 最後に、ファンタジーなど創作においての軍装を考える際、頭に置いておくべきであろうことを。

 自分の言葉よりぴったりな文が【中世兵士の服装】の後書きにあったので、抜粋させていただきます。


『想像してほしい、あなたはその服を夜も昼も、屋外や雨天、直射日光の下で着ないといけないのだ。そしてその時間の大半は必要な装備を全て背負った状態で、険しい道を行軍しないといけないのだ。もしあなたが兵士を再現しようとしているなら、あなたは走り、跳び、ころげまわり、そして戦ってみる必要がある。

 あなたは作った衣装や道具が現実のものだとまだ思っているだろうか? 最低でもテストに耐えられるように見えるだろうか?』(【中世兵士の服装】95P)


 この文は実際に衣装を再現 (いわばコスプレ)することを前提とした内容ですが、創作においても頭に置いておくべきものでしょう。


 自分が創造(想像)した服や鎧が実際に着用され、その格好で動き回り、戦い、時に飲み食いや横になったりするのを想定してみた時、全く問題はないのでしょうか?


 寒冷な土地なのに薄着だったり、逆に日差しが厳しいのに素肌や板金(プレート)(さら)したり通気性の無い装備をしたりしていませんか?

 鎧の装飾が動きの邪魔になったり、そもそも座ったり寝転がったりすることができない構造になっていないでしょうか?(よくあるトゲ付きの肩当てとか、横になって休息しにくいだろと毎度思う)

 長時間着用して行動できるような装備なのでしょうか? 戦闘以外では外しておくにしても、収納や運搬はどうなるのか?


 その辺りを考えた時、便利な魔法や魔物素材、特殊技術があるならばともかく、そういったファンタジー要素が薄い世界の場合は、ファンタジーを創作する以上に想像を働かせるか色々調べなければ、リアリティや世界の奥行きが出ないでしょう。


 キャラクター達を作者のお人形ではなく、一人一人の人間として描くためにも、服装の物理的リアリティや文化的リアリティは必要であると、筆者は常々考えています。

 何より、それらに頭を巡らせるのも、創作ネタに昇華させて読者に楽しんでもらうのも、創作の醍醐味(だいごみ)ですからね!


『あなたが正確さを追及することに喜びを感じるかどうか分からないが、どちらにせよ常に覚えておいてほしい。歴史をよみがえらせる手助けをする方法は数多くある。そしてそれらの方法全てに、そこから学べる何かがあるのだ。新しい考えを受け入れる偏見のない心を持ち続けよう。学んだことを共有しよう。そして自分がした間違いを認め、訂正することを恐れてはいけない。皆を助け励まそう。そして何よりも、楽しもうではないか!』(【中世兵士の服装】95P)

主な参考資料


Wikipedia


【戦闘技術の歴史 近世編】共著 クリステル・ヨルゲンセン、マイケル・F. パヴコヴィック、ロブ・S. ライス、フレデリック・C. シュネイ、クリス・L. スコット


【中世兵士の服装──中世ヨーロッパを完全再現!──】ゲーリー・エンブルトン


参考になりそうなイラスト、動画


・カザク

【Tercio 16th c.】ArmedShipyard

(16世紀のスペイン軍、“テルシオ”のイラスト。火縄銃手の左がカザク、右がバフコートの一種を着ている)

https://www.pixiv.net/artworks/111089016


【スウェーデン王国マスケッター】都

(カザクを纏った銃兵のイラスト)

https://www.pixiv.net/artworks/89106660


【1627年 “戦う枢機卿”】Legionarius

(【三銃士】で知られるフランスの銃士とリュシュリュー枢機卿。銃士は華やかなカザクを着ている)

https://www.pixiv.net/artworks/67946366


動画【Les Trois Mousquetaires - Extrait - Mousquetaires !】Mais Encore

(リシュリュー枢機卿と銃士隊)

https://www.youtube.com/watch?v=aI5qpKF0fik&list=PLA3arfbiHT77bh0eRtxX_m2u5NaIAbGpV&index=49


【Sabaton - Gott Mit Uns [Battle of Breitenfeld - 1631]】Gripen

(メタルグループ「Sabaton」の曲【Gott Mit Uns】のMAD。背景画像が17世紀の装備の参考になる。しばしばミューニションアーマーやバフコートも見える)

https://m.youtube.com/watch?v=R54jwb21vVU


・ジュストコル

動画

【The Admiral's Regiment - British March】Patriotic Archive

(画像は初期のジュストコルの一種の絵。たすき掛けにしているのは火縄銃の弾帯で、筒には一発分の火薬と弾丸が入っている)

https://www.youtube.com/watch?v=qxzsgSu__2k


【Blue Bonnets Over the Border - Quick March of the King's Own Scottish Borderers】Patriotic Archive

(画像は18世紀イギリス軍の絵。槍を持っているのは、首にゴルゲットを下げていることからも間違いなく士官だろう。「ゴルゲット」は元々喉を守る防具だったが、後に階級や任務中であることを示す装飾となった)

https://www.youtube.com/watch?v=rkDgHD4-rXk


【Finska rytteriets marsch】Nattygsbord

(18世紀前半のスウェーデン軍。青い軍服の裏地を黄色にする事で、襟や袖などの折り返しだけでもコントラストを出せる工夫により、布地や装飾を節約しつつ見栄えを良くした。この裏地を活用するやり方は各国も真似していく)

https://www.youtube.com/watch?v=QRObcONleBg


【Pirates of the Caribbean -Battle of Pirate island】Shotgun BomBom

(海賊ドラマ【black sails】の戦闘シーン。18世紀初頭の軍用ジュストコルや当時の戦闘がよく分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=C5PHj0imA3U


【Lilliburlero March - British Grenadiers - Barry Lyndon】Paul Riet

(映画【Barry Lyndon】の英軍行進シーン。18世紀の軍用ジュストコルの一例が分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=SISjSXsb1xU


【extrait fanfan la tulipe début la guerre】jean claude Fulcrand

(七年戦争のフランス軍とルイ15世。最後の恐らく王の趣味であろう古臭え兵隊は何だ……装備が他の兵より100年ぐらい古いぞ)

https://www.youtube.com/watch?v=O-PFTmcZ7w8


【18世紀の戦争】Totalwar Battle Clips

(PCゲーム【Empire Total War】のショート動画。各国の軍服としてのジュストコルが見れる)

https://www.youtube.com/shorts/U7v8reSiHJ0


【British Empire Infantry Uniforms 1660 - 1897】mpc12345678

(17世紀後半から19世紀末までの200年以上に渡る英国軍服の変遷。槍を持っているのは下士官で、槍は兵を整列させたり逃亡兵をその場で始末するのに使用した。なおprivateは二等兵を指すらしい)

https://www.youtube.com/watch?v=qtCpC_N9C6s


【The Evolution of military uniforms in Europe - (1701 - 1901)】The Romanian Monarchist

(18世紀初頭から20世紀初頭までの各国の軍服)

https://www.youtube.com/watch?v=dEgZOEyXE8E&list=WL&index=7


【Gewehrexerzieren】Volker Schobeß

(18世紀プロイセン王国のポツダム巨人連隊の再現。士官と兵卒それぞれのジュストコルが分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=v0R8W1FjBcQ


【The Different British Army Uniforms of the American Revolution (1775)】His Majesty's 10th Regiment of Foot

(18世紀後半、アメリカ独立戦争時の英国陸軍の制服を再現した動画)

https://www.youtube.com/watch?v=MRyOs9gCIQE&list=WL&index=8


ジュストコルのイラスト

【Hessian Leib-Regiment Officer】LC

https://www.pixiv.net/artworks/102700389

【マリア・テレジアの軍隊】AK-Santa

https://www.pixiv.net/artworks/2934376

【ドイツ義勇軍】東提

https://www.pixiv.net/artworks/92355477

【いぎりすとふらんすの服飾の歴史まとめ】そよご

(貴族服としての、ジュストコルこと「アビ」については5枚目)

https://www.pixiv.net/artworks/55641801


・ドルマン(肋骨服)とペリース

【17c Hungarian cavalry】Gulyás

(17世紀のハンガリー騎兵のイラスト。初期のドルマンかペリースを羽織っている。また足の防御を捨てて胴体に装甲が集中していることにも注目)

https://www.pixiv.net/artworks/109795400

【ユサール】渡辺 シンゴ

https://www.pixiv.net/artworks/15310744

【軽騎兵】渡辺 シンゴ

https://www.pixiv.net/artworks/25868206

【Husaren】Klamol

https://www.pixiv.net/artworks/104696111

【Hussar】亞山

https://www.pixiv.net/artworks/14698053

【連隊長殿下は17歳】とげいぬ

https://www.pixiv.net/artworks/31606293


・ヨーロッパに影響を与えた中東服飾

サファヴィー朝イラン

【クズルバシュ】のWikipedia記事画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%BA%E3%83%AB%E3%83%90%E3%82%B7%E3%83%A5#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:QIZILBASH.jpg


【イスマーイール2世】のWikipedia記事画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB2%E4%B8%96#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Shah_Ismayil_I.jpg


Wikipedia記事【ロバート・シャーリー】の画像。ロバートはイングランド人でありながら、サファヴィー朝の使節としてヨーロッパを歴訪した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3ARobert_Shirley_at_the_Quirinale.jpg


オスマン帝国

【Ömrünü Fatih Olmaya Adayan Şehzade Mehmed! | Kızılelma: Bir Fetih Öyküsü 8. Bölüm】tabii resmi

(皇太子時代の“征服者”メフメト2世。ヨーロッパの軍服に影響を与えたタイプの服を着ている)

https://www.youtube.com/watch?v=gDxS4iqGZPU&list=WL&index=5


・エポーレット

【肩章】の英語Wikipediaより「ルイ14世の肖像」

(近世17世紀末のルイ14世の肖像。エポーレットの原型と思われるリボン飾りを付けている)

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Epaulette#/media/File%3ALouis_XIV%2C_King_of_France%2C_after_Lefebvre_-_Les_collections_du_ch%C3%A2teau_de_Versailles.jpg


【肩章】のドイツ語Wikipedia記事より「1790年頃のフランス国家憲兵」

(右肩にエポーレット、左肩に肩章)

https://de.m.wikipedia.org/wiki/Epaulette#/media/Datei%3AOfficier_de_gendarmerie_sous_la_r%C3%A9volution.jpg


アレクシオス5世ドゥーカス(?~1204年)とヴァラング親衛隊のイメージ画像

(肩にエポレットに似た防具「Pteruges」の類いがある)

https://www.the-ninth-age.com/community/index.php?thread/32394-the-varangian-guard/


Wikipedia記事【西欧の服飾(14世紀)】より。王の結婚式

(エポーレットに似た飾り付きのマントが確認できる。しかしエポーレットとの関係はおそらく無いだろう)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AC%A7%E3%81%AE%E6%9C%8D%E9%A3%BE_(14%E4%B8%96%E7%B4%80)#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MariaofBrabantMarriage.jpg


【飾緒】の英語Wikipedia記事より「1562年の武装用ダブレットを着たリンカーン伯エドワード・クリントン」

(まだ飾りではなく鎧を固定する実用紐だった頃のエギュイエット。後の飾緒と違って肩からぶら下がっているだけだったようだ)

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Aiguillette#/media/File%3AEdward_Fiennes_de_Clinton%2C_Earl_of_Lincoln.jpg


Wikipedia記事【アントワーヌ=アンリ・ジョミニ】の画像

(近代の飾緒。肩から首元に伸びるモールが飾緒)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%8C%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%9F%E3%83%8B#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3AJomini_Antoine-Henri.jpg


・近代の軍服

18、19世紀のフランス近衛兵の画像

(左の2人が18世紀前半と後半。中央2人が19世紀の士官と将校で、右2人が兵士か)

https://www.gettyimages.co.jp/detail/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/french-army-uniforms-kings-bodyguards-18-19th-century-engraving-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E5%86%99%E7%9C%9F/89867231


【Napoleon: Total War - Imperial Eagle and Heroes of the Napoleonic War unit packs trailer】

(PCゲーム【Napoleon: Total War】のトレーラー動画。19世紀初頭の軍服が分かる)

https://www.youtube.com/watch?v=VAEJD1RF-Bc


【Holdfast: Nations At War - Linebattle 2.0! Customisation & Progression】

(ナポレオン戦争のゲーム【Holdfast: Nations At War】のPV)

https://www.youtube.com/watch?v=v9Mc8MUiCCw&list=PLA3arfbiHT77bh0eRtxX_m2u5NaIAbGpV&index=56


【Napoleonic song - Pas Cadencé】Marshal

https://www.youtube.com/watch?v=_1wc7Olh8FU


【1848】Gulyás

(19世紀半ばの1848年に蜂起したハンガリー独立軍のイラスト)

https://www.pixiv.net/artworks/110005553


【Hussar and Dragoon】Fuura Xen

(19世紀後期プロイセンの軽騎兵と竜騎兵のイラスト。フサール=軽騎兵。ドラグーン=竜騎兵)

https://www.pixiv.net/artworks/71635784


【Prussia 4 Horseman】Fuura Xen

(プロイセンの騎兵4種。左端・フサール=軽騎兵。奥・ドラグーン=竜騎兵。手前・ウーラン=槍騎兵。右端・キュラシエ=胸甲騎兵)

https://www.pixiv.net/artworks/73967585


X(旧Twitter)

【ロシア皇帝ニコライ2世の娘達がロシア帝国陸軍名誉連隊長を務める連隊のまとめ】ラ公

(20世紀初頭頃と思われる礼装姿の写真と皇女達が着用した軍服の実物)

https://twitter.com/PrinzvHannover/status/987122527322324992/photo/1

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