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ヨーロッパの軍服 前編【中世ヨーロッパの軍服】中世騎士「ぐんぷくって何?おいしいの?」


 今回は筆者にとって本エッセイの本命の一つとも言える「軍服」について。やっと解説できる……。


 中世ファンタジーにおいては当たり前に、騎士や貴族の服装として登場していますが、【中世ヨーロッパの衣服】の中で述べたように、史実からすると有り得ない光景です。いわば「ビジネススーツ姿の侍」ですね。


 まず中世に軍服というものは存在していません。

 軍用の衣類という事なら、日本の「鎧下」(鎧直垂(よろいひたたれ)など)やヨーロッパの「ギャンべゾン」などがそうと言えますが、これらは鎧を着用する前に着ておく衣服です。

 現代人が想定する軍服と呼べるものではないでしょう。(“軍衣”と言うべきか?)


 実際の中世の騎士は近代的な軍服ではなく、【中世ヨーロッパの衣服】で説明した通り、基本的に他の身分と同じく“チュニック”を着ていました。

 鎖帷子(くさりかたびら)などの防具を装備している時も同様です。


『暑い日光や冷たい空気に直接触れると鎖帷子はすぐに極めて不愉快な重荷になった。しかしそこに一枚でも衣類を着ておけば体感温度は全然違った。当初は単純なリネン類や色鮮やかな織物だった。13世紀になるとその服は着用者の役割を示すための物にもなった』(【中世兵士の服装】7P)


 こういった騎士の着用するチュニックは、馬に(またが)りやすいよう、(また)の辺りで前後に切れ込みが入っていました。

 騎士の軍用チュニックには、主に「サーコート」と「タバード」があり、日本語ではしばしば「陣羽織(じんばおり)」と訳されます。


 「Surcoat(サーコート)」は(そで)の無いことが多い丈長のチュニックで、12世紀後半から鎖帷子(メイル)の上に着用されました。14世紀に前部が膝丈まで短くなったことで、足の拍車に布が引っ掛からず動きやすくなっています。

 しかし14世紀半ばには「jupon(ジュポン)」という短い袖無し胴着に置き換わっていったようです。その後、板金鎧(プレートアーマー)が普及したこともあって15世紀の間に廃れたみたいです。


 一方の「Tabard(タバード)」は側面が開いた袖無し服で、元々は農民や修道士、歩兵が着用する簡素な上着だったそうです。15世紀には騎士の間でサーコートに代わる軍衣として使われました。

 中世のタバードに似た現存する衣服に、カトリックの修道服である「スカプラリオ」があり、現物の写真は十分創作の参考にできそうです。

 16世紀以降は形を変えて装飾を付け足したタバードが紋章官の制服として使われ、イギリスではなんと今なお“現役”です。凄いね。


 実は【ドラゴンクエスト】シリーズでも度々見られ、僧侶系が着ているのが「タバード」系列の服です。【ドラゴンクエストXI】の主人公が着ているものも「サーコート」の変形ですね。

 漫画では【ブルターニュ花嫁異聞】が分かりやすいでしょうか。


 これらは鎧の上から着る物でしたが、一方で「ギャンベゾン」などの鎧の下に着用する布鎧は、地味ながら絶対に必要な重要装備でした。

 (素肌の上に鎧を着ると擦れたり肉を挟んだりして痛い目に遭う。また布鎧は攻撃の衝撃を吸収するクッションにもなる。男性向けゲームとかにありがちな裸の上に鎧とか普通〇ぬど)


 ギャンべゾンなどの鎧下は、普段着としても使える(ルネサンス期には実際に鎧下の一種であるプールポワンが普段着として流行している)ので、戦時以外でも着用する事は多かったかもしれません。


『1444年に鎧の下に着る「6層の布地からできたプールポワン」と袖付きのファスティアンの記録がある。サー・ジョン・パストンが1473年の6月3日に新しい外衣として着て帰宅した』(【中世兵士の服装】64P)


 漫画【騎士王の食卓】では、盗賊対策として再建中の城に()めているという状況からか、城の騎士らは鎧下(ギャンベゾン)を常時着用しています。


 鎧の下に着る衣服というか布鎧は、「ギャンべゾン」「アクトン」「ジャック」「ダブレット」「プールポワン」などの名称があり、当時はそれぞれ形式ごとに使い分けられていたと思われます。

 しかし現代においてはその違いを探るのは難しく、詳細は不明です。

 ただ外国語Wikipedia記事や、中世の装備を再現した写真を中心に解説する【中世兵士の服装】などを参考にして自分なりに分類すると以下の通りになりました。


・「ギャンべゾン」(gambeson)

 中に綿や羊毛、馬の毛、布くずなどクッションとして詰めたキルティング生地や布を何層にも重ねたチュニック型の布鎧。

 これ単体でも防具になるため、甲冑(かっちゅう)が手に入らない兵士の唯一の鎧となった。


・「アクトン」(aketon)

 ギャンべゾンの別称。ゲームなどでは、腰丈で遠目だと縦セーターにも見える形のものを指していることが多い気がする。


・「ジャック」(Jack、padded jack)

 男性の上着を指す言葉だが、フェルトとキャンバス生地の層の間に鉄片を縫い付けた防具「Jack (ジャック) of (オブ) plate(プレート)」の通称でもあった。

 個人的にノースリーブの胸甲に近い形のギャンべゾンをジャックと呼称している印象を受ける。

 またパデットジャック(詰め物をした布鎧)というものもあるが、これはギャンべゾンの別名でもある。【ダンジョン飯】のチルチャックが身に付けているのも革製のパデットジャックと思われる。(格子状の筋はキルティングだろう)


・「ダブレット」(arming doublet)

 ギャンベゾンに代わって中世後期から17世紀まで使われた、首元から腰までを密着する形で覆う上着。

 時代によって様々な形があるが、キルティングや詰め物がされた生地と(そで)がある点は変わらない。

 15世紀の終わりまでガウンやマント、ウプランドなどの別の衣服の下に着用され、15世紀から16世紀にかけては、鎧の下に着る兵士の衣服として使用された。

 16、17世紀には「Jerkin(ジャーキン)」という袖無しの短い革製ジャケットの下に着る物だった。


・「プールポワン」(pourpoint)

 ダブレットの仏語呼称。イギリスのダブレットはプールポワンから発展したとされる。

 詰め物がされた袖のある衣服。14世紀後半から貴族が軍事だけでなくチュニックに代わる普段着にも使用していた。袖や腰を(しぼ)ったスリムな形によって、鎧の重量を肩から腰へ移動させることで重みを分散できる。


 これらの布鎧は打撃や斬撃に対し、一定の防御性能を見せましたが、刺突には弱かったようです。

 (再現実証の動画でも、ナイフは通さず剣や斧の斬撃にもある程度耐えたが、剣や槍の刺突はあっさり貫通している)

 また布鎧は柔らかいほど、剣や矢の衝撃を受け止められるので、国(王家)などが品質を保つ努力もされていたようです。


『製造には技術が必要であり、その質を守るために、1296年にパリで素材と製造を制定する厳しい規則が作られた。1322年、エドワード2世はロンドンの武器会社に「アケトン(鎧下)とギャンベゾン」を良い質の素材で作るよう注文し、アケトン(鎧下)は古い(柔らかい)リネンと綿と、新しい布で作るよう注文した』(【中世兵士の服装】64P)


『1470年のルイ11世の布告によって作られた最高のジャックの内部構造。18層のリネンからできている。布告の内容は以下のようなものだった。

 「まず、ジャックは30枚(少なくとも25枚)の折った布と一枚の雄鹿の皮から作り、柔軟性を持った最上の衣服でなければならない。身ごろは4枚はぎにすべきだ。袖も革の部分以外は身ごろと同じくらいの強度があり、袖ぐりは大きくなければならない。──以下略──」』(【中世兵士の服装】67P)


 なお余談ですが【中世兵士の服装】によると、現代人のイメージに反して、中世の人々が日常的に帯剣することは無く、身分の高い役人が何かの儀式の際に剣を()げる程度だったそうです。

 (しかし一方で、軍用ダブレットなどの中には剣を吊るす革紐を通すための2つのスリットを持つ物もあった)

 これまた蛇足ながら付け加えると、キルティング生地の布鎧はヨーロッパ以外でも広く使われていて、アフリカでも「Lifidi(リフィディ)」と呼ばれる布鎧が騎兵の装備となっていました。


 現代における狭義(きょうぎ)の軍服は中世ヨーロッパにありませんでしたが、揃いの“お仕着せの服”は存在していました。

 これは「リブリー」と呼ばれています。


 「リブリー」という言葉は、領主から配下へ与えられた物を意味していたそうです。日本語に意訳すると「支給品」といった感じでしょうか?

 となるとリブリーの服は、ある種の「制服」といえるわけですね。


『1295年、ノーフォーク出身のイングランド新兵は、1着3シリングの白いコート(上着)を着ていた。1300年、トゥールネーの男たちは銀の城が胸と背中に描かれた赤い服を着た。1385年、命令により、全てのスコットランドの兵士とフランス人の協力者は、聖アンドリューの白の十字が胸と背中に入った服(上着が白の場合は、黒の布でパッチワーク)を着ることになった。

 1416年、イングランドと戦うためにアミアンからアブヴィルに送られたクロスボウ兵は、緑と白の服を着ていた。17世紀の30年戦争の兵士のように、中世の兵士が制服のようなものを着ていたかは議論の余地がある』(【中世兵士の服装】45P)


 リブリーの服は色を揃えるだけでなく、紋章や印を付けることも行われ、英国王エドワード1世(1239~1307年)は歩兵に赤の聖ジョージ十字(イングランド国旗の赤十字)をつけた帯を身に付けるように指示しています。

 エドワード3世(1312~1377年)の時代には戦時中の規約として定められ、1355年の黒太子エドワードの軍や1385年のスコットランド遠征軍でも兵士全員が着用していたそうです。(その頃の日本は【逃げ上手の若君】の舞台である南北朝時代)


 こういったリブリーは敵味方の識別だけでなく、領主などが自らの存在や権威をアピールする意味合いもありました。


『ワーウィック公爵のように、政治的・軍事的に重要な指導者は、武装した家臣を背後に従えて力を示した。1458年1月に、公爵はウエストミンスターの会議に600人の男を連れて出席した。彼らは赤い刺繍の外套を着て、胸と背中に紋章を付けていた。「ワーウィックはここにいるぞ!」と宣言するのにこれ以上の方法があるだろうか?』(【中世兵士の服装】45P)


 15世紀にはリブリーの一種として、「ベンド」という肩に斜めで掛ける飾り帯があります。これはリブリーの服より安上がりで所属を一目で判別できる方法でした。


『例えば、リブリーの上着は隊長を示す色に染められ、ベンドはその上位の指揮官を示す色に染めることができる。1450年のヘンリー6世の統治下の文章には、「全ての領主の配下」は「全ての領主の区別がつくように」鎧の上に「ベンド」を着用すべし、と書いてある。そして、1461年には、全ての者は自分の領主のリブリーを着て、その上にダチョウの羽毛がついた緋色と黒のベンドを着けるべしと命令された』(【中世兵士の服装】47P)


 ただ質の良いベンドを大量に用意すると、かなりの出費になったようです。

 “タウトンの戦い”(1461年。英国史上最も血生臭い戦い)を前に、エドワード4世が騎士と従騎士(スクワイァ)のためのベンドを作らせたものの、ベンドに使った緋色の布の代金を滞納し、支払ったのが14年も後の1475年のことだったとか。

 (これは薔薇戦争という大内戦とその後の統治で余裕が無かったからと思われる)


 アニメなどでのリブリーの例としては【薔薇王の葬列】が挙げられますかね。(ただし、アニメで描かれるシンプルなものと違って、史実の薔薇戦争におけるリブリーはもっとカラフルだった)


 正直中世風ファンタジーを描く際、かなり参考になるのでは?

  舞台である“薔薇戦争”(1455~1487年)は、板金鎧(プレートアーマー)や弓(火縄銃は既にあったが、まだ低性能なマイナー武器)、大砲が揃った状況なので、大砲を魔法に置き換えればもう皆さんが想像する中世ファンタジーです。リブリーという制服もあるし。(史実もアニメもめっちゃドロドロしてるけど)


 それとリブリーは王侯貴族の軍だけでなく、都市などでも使用されたようです。


『フランスの町の守備隊は時々そろいの色を着るか、胸や腕に町や部隊の名前を刺繍していた』(【中世兵士の服装】48P)


 また、ベルギーのヘントで1180年代に自衛部隊として結成された『「白フード(頭巾)」隊』(1379年にはフランドルの伯爵に対する反乱軍として再結成された)のような、揃いの被り物をすることで所属を明らかにする場合もありました。


『色つきフードはギルドの一員であることや、町、領主、政治的グループへの忠誠を示す比較的安価な方法だった。青と赤はパリの町の色であり、常にその王の色と一致していたわけではない』(【中世兵士の服装】48P)


 こういった揃いの頭巾(フード)は降伏、恭順(きょうじゅん)の意味としても使われたようです。


『1426年1月、イングランドはブローウェルスハーフェンの戦いでブルゴーニュ人に完敗した。ブルゴーニュへの忠誠を表すために、フランドルのハーグとデルフト出身者は黒と白の頭巾、ドルドレヒト出身者は赤と白の頭巾をかぶっていた』(【中世兵士の服装】48P)


 ※(当時、イングランドのグロスター公とブルゴーニュ公国がネーデルランド(オランダ)を巡って争っており、グロスター公の軍が敗北するとネーデルランド西部のフランドル地方は、ほぼブルゴーニュ公国の支配下に置かれた)


 色を揃えたリブリーの服や、そこに刺繍した印は敵味方の判別に役立った一方で、それを逆手に敵を(だま)すこともあったようです。


『特有の紀章によって敵味方を見分けたが、似た印から起こる混乱や、敵の印を着けて身元を偽る兵士などの記録がいくつかある。ノイスの包囲(1475年)でケルンから来た600人の人々は、聖アンデレの十字をつけてブルゴーニュの包囲を通り、一人あたり40ポンドの火薬をそれぞれ町へ運んだ』(【中世兵士の服装】48P)


 ※(聖アンデレ十字はブルゴーニュ軍が度々使用していた紀章)


 敵軍の紀章を着けて変装するのは【薔薇王の葬列】でもありましたね。

 作中での薔薇戦争は互いに「赤薔薇」(ランカスター派)と「白薔薇」(ヨーク派)の紀章で陣営が別れていたので、変装は容易そうです。友軍に敵と間違えられてしまう危険も大きいでしょうが。

 (※史実の薔薇戦争では、領主ごとに違う紀章を使っている)



 以上のように、中世においては領主ごとに色や紀章を統一することがあったものの、それ以外は基本それぞれの自由になっていて、国が定めた制服というものはありませんでした。

 日本の戦国時代と似たようなものと考えてもいいでしょうか。(“北条五色備(ごしきぞなえ)”や“赤備(あかぞなえ)”など、旗や鎧の色を揃えることはあったが、制服とまではいかない)


 結局のところ軍服というものは、中世より200年ほど後、近世も半分以上過ぎた頃(日本は江戸時代前期)にならなければ現れなかったのです。


 そもそも銃火器の一般化とそれに伴う甲冑の衰退、そして国家の中央集権化(国レベルで服装を統一するには国家による統制が必要)を経なければ、軍服は登場し得ないでしょう。

 ファンタジーでは魔法による甲冑の意義減衰が必要ですかね。もしくは特殊繊維や防御魔法で鎧並みの防御力を持つ服が開発されてるとか。


 次回はその肝心の近世・近代の「軍服」について。皆様が想像する軍服は、史実において大分後の代物だったことをご紹介します。


主な参考史料


【中世兵士の服装──中世ヨーロッパを完全再現!──】ゲーリー・エンブルトン


Wikipedia


【Fabric Armor Tested - AKA: Why Dull Swords Fail】Skallagrim

(布鎧の実証実験動画。布鎧と言う言葉へのイメージに反して、意外に防御力がある)

https://www.youtube.com/watch?v=uP4wLMmp-8U


漫画【ブルターニュ花嫁異聞】

https://comic-ryu.jp/_bretagne/index.html


参考になりそうなイラスト、画像


【OC from @Wassnonnam】Ironlily

(鎧の上にギャンベゾンを着用した場合のイラスト)

https://www.pixiv.net/artworks/103738468


【Lady Lucerne arm-up】Ironlily (鎧の着用手順のイラスト。鎖帷子の上にも下にもギャンベゾンの類いを着ている)

https://www.pixiv.net/artworks/103739443


【日常時のスワロード】アレルティス

(アクトン?のイラスト)

https://www.pixiv.net/artworks/100001935


【13世紀ヨーロッパの甲冑】渡辺 シンゴ

https://www.pixiv.net/artworks/35622877#1


アフリカ騎兵の布鎧「Lifidi」(リフィディ)の例

①1911年に描かれたナイジェリアのヌペ族騎兵

https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:Nupe_Cavalry_wearing_lifidi.png

②現地で再現された、中世アフリカのハウサ諸国の騎兵

https://twitter.com/BlkHistStudies/status/1156250624180334592



【北へ。】Legionarius

(ドイツ騎士団のイラスト。リブリーとしての揃いのチュニックの例がよく分かる)

https://www.pixiv.net/artworks/73245314


【ブルゴーニュ公国の騎馬クロスボウ娘とクースティリエ娘】都

(右の騎兵は聖アンデレ十字を付けたブルゴーニュ軍のリブリーを着ている)

https://www.pixiv.net/artworks/111099337


【装甲兵とスコットランド人近衛兵】都

(勅令隊の装甲兵も“古い同盟”でフランスに派遣されたスコットランド兵も、近衛に相応しい華やかなリブリーを鎧の上に着用している)

https://www.pixiv.net/artworks/104024873


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