石器時代の時点で人類は既に工業を始めていた
※2022年3月25日 一部追記
石器時代には既に工場が存在していた、と言ったら皆さんはどう思いますか?
何を言ってるんだ、オカルトか何かか、某有名ジャ〇プ漫画じゃあるまいしそんなのあるわけがないだろうと思うでしょうか?
しかし、現実として石器時代の人類は工業を興していました。
たとえばモロッコでは130万年前(北アフリカ最古)の石斧製造所が発見されています。
複数種類の石器を作っていたのではなく、石斧のみを専門的にしかも大量に製造していたという点で、明らかに工業の萌芽と見てもよいのではないでしょうか?
石器(特に打製石器)というとその辺の石を拾って適当に加工したというイメージも強いかもしれません。
ですが実際には石の特性を理解した上で、思考と技術を凝らして作られていたことが分かっています。
『――前略――中でも下茂内遺跡のガラス質黒色安山岩の「接合資料№9」は、幅約50センチ、重さ約23キロ超で、他に類を見ない規模だ。現存しない部分を考えると元の岩石は更にもう一回り大きく、重量は50キロ近くあったと推測できる。――中略――観察すると、岩の目に沿って計画的に4分割し、それぞれの塊から15センチ、厚さ3センチ前後の大きな石片を連続的に取り出している』
『石槍作りでは、石辺の縁辺から時に100回以上も打撃を加えて打ち割り、同時に厚さも1センチ以下に仕上げる必要があった。下茂内遺跡に残された約300点の石槍のほとんどが、打ち割る時の打撃に耐え切れずに折れていた。ガラス質黒色安山岩の性質を熟知していた当時の人々にとって、製作途中で折れることは想定内だったのかもしれない。打撃による振動に最後まで耐えに耐え抜いた強靭な石槍のみが、完成品として実際に使われたのだろう。』(2022年3月25日の信濃毎日新聞記事より)
石器時代で語るに欠かせないのは黒曜石です。ガラス質の火山岩の一種であるこの石は、教科書でもお馴染みな上に、時たま漫画などで登場することもあるので、特性を含めてご存知の方も多いでしょう。
黒曜石は割れ口が非常に鋭いのでナイフや鏃、穂先など狩猟具や武器の材料として重宝されましたが、産地がかなり限定されるため、輸出入が激しかったとか。
ちなみに、石器時代の次の時代である青銅器時代の世界や縄文人の交易ルートも現代と同じくグローバルなものでした。どちらも東南アジアと交易してたそうです。
世界的に見て黒曜石の一大産地であった日本列島でも一部地域に偏在していたので、国内では黒曜石は産地ごとにブランド化していたらしく、諏訪産の黒曜石が東北など遠方でも結構な数が見つかったりしています。
ナショナルジオグラフィックの記事によれば、アルメニア北部にあるアルテニ山には黒曜石の“武器工場”が存在し、前期旧石器時代のネアンデルタール人職人を始め、様々な人々が紀元前1000年までアルテニ山で黒曜石を採取し武器を製造していたそうです。
しかも、ヨーロッパや西アジアでは黒曜石は一部を除いてほとんど産出しないためにこの地の黒曜石はかなり需要が高かったようで、ウクライナや約2500キロ離れたエーゲ海にまでアルテニ山産の黒曜石武器が見つかっているとか。
石器時代から軍需産業と武器商人が存在していたとは、業が深いというかなんというか……
余談ながら黒曜石の性能は決して侮れません。人類が青銅や鉄へと移行していったのは、黒曜石より加工が容易かつ生産性に優れるからであって、黒曜石の威力が金属に劣っていたからではありませんでした。
マヤ文明やアステカ帝国などのメソアメリカにおいて、マクアウィトルと呼ばれる、木の板に黒曜石の刃をいくつも差し込んだ鋸の様な剣が戦士の主要武器として使われましたが、人間の手足をすっぱり切断できる威力を誇ったそうです。
黒曜石以外の石器にも、先史人類の工業の足跡は存在します。
長野県にある弥生時代中期の遺跡には、分業体制による石器の大量生産の形跡があるそうです。
榎田遺跡で採取した石材を粗く加工し、未成品を中俣遺跡、松原遺跡で磨き上げて完成させるという集落ごとの分業が行われていたとか。
そしてもう一つ、興味深い事実があります。
『製作は千曲川と犀川を挟む10キロ四方の範囲内で行われ、そこでつくられたとみられる石斧が栗林式の文化圏内に100%に近い割合で行き渡った―中略―さらに重要な特徴は、榎田遺跡でつくられた石斧未成品と磨き上げ用の砥石の出土が、中俣遺跡と松原遺跡にしかないこと。このことは栗林式文化圏内の諸遺跡(集落)が、個別に榎田遺跡から未成品を入手し完成させたものではないことを示す』
(2020年10月の信濃毎日新聞記事より抜粋)
※栗林式(長野県中野市の栗林遺跡を標式遺跡とした、「栗林式土器」を始めとする弥生時代中期の文化)
つまり、三つの遺跡は同文化圏の共同体における石器製造を一手に引き受けた工業集落だったのです。
分業のシステムが理論的に定式化されたのは18世紀でしたが、分業による大量生産自体は古くから行われてはいました(例:中世ヴェネツィアのガレー船建造。一つの船渠に分業化された複数の工房が付き、それぞれの工房で作られた部品や備品が組み合わせられ、当時の常識から外れた速度で船が仕上がった)
ですが、遅くとも石器時代末期には既に分業による効率化が始まっていたのです。
このように、現代人より「原始人」と若干蔑みを含めて呼ばれている人類の祖先は、文明を興すより遥かに前から、立派な工業を行っていたのでした。
最後に蛇足をば。
弥生時代、鉄器が普及していく過程で最初に鉄が使用された道具は、斧や槍などではなく木工用ナイフだったとか。
理由は石製ナイフより細かい彫りなどの加工を施す事が可能だったからで、金属製のナイフじゃないとできない細工が代替えできない付加価値として持て囃されたのか、依然として多くの石器が使用されていた集落でも、木工用ナイフだけは積極的に鉄器へ更新されていったようです。
その後、木工用ナイフを通じて鉄器の持つ有用性が広く理解され、更なる鉄器普及に発展していきました。
何時の時代も、いきなり新技術がぽんっと現れるわけでも、都合よく受け入れられて電波のように広がっていくわけでもないのですね。
必ず順序がある。小説のネタに使えそうです。
主な参考文献
信濃毎日新聞 文化面【しなの歴史再見】
【130万年前の手斧製造所遺跡を発見 モロッコ】AFPBBニュース
【石器時代の大規模な「武器工場」を発掘】ナショナルジオグラフィック
画面の前の皆さんの脳内から「大昔の人」=“現代人より頭悪い”という図式を少しは壊せたでしょうか?
次は需要が高いであろう「中世の騎士」を扱っていきます!