【中世のトイレと水道事情】ヨーロッパ「これが中世の水洗トイレだ!」日本「いやこれ“かわや”じゃん」
前回は風呂屋とついでに石鹸を扱ったので、衛生繋がりでトイレと水道という生活インフラの話です。
中世のトイレと言うとどんなものをイメージするでしょうか。多くの人は、穴が空いているだけの、いわゆるボットン式を思い浮かべますかね。
事実、日本を含む世界中では、野外やボットン式の汲み取り便所が長い間普通ではありました。
しかし、水洗トイレもちゃんと古代から存在しています。
まず古代ローマ帝国には、文化的先祖のエトルリア人から受け継いだ水道技術と、中東の小国ナバテアから取り入れた陶器製水道管を改良した、高度な水道技術がありました。
これを利用して、専用の水路の上に穴の空いた台座を設置したトイレが作られています。常に水路へ水が流れているものもあれば、バルブで流水が手動制御されたトイレもあったとか。
なお、バルブの仕組みは古代ローマから現代まで、基本的な部分は変わっていないそうです。(捻ると弁の穴が水道管と並行になって水が流れ、締めると穴が水道管と垂直になって水を止める)
ローマ式の水道は、ローマ帝国崩壊後の中世ヨーロッパでも一部で受け継がれました。
その一部とは、修道院のことです。
キリスト教の修道院はローマの水道技術を受け継ぎ、院内には水道管が巡らせられ、修道士は蛇口から出る水で手と顔を洗っていたそうです。
(当時の蛇口のバルブは現代で一般的な十字型ではなく、横に捻るレバー式タイプやガスコンロに使われる様なツマミ型だったらしい)
『中世の人びとは、水道や排水管のシステムをまったく知らなかったわけではないが、そんなシステムがあるのは、主に修道院の敷地内に限られていた。カンタベリー大聖堂付属修道院には、水を地下パイプで医療棟、食堂、厨房、風呂場、院長の居室などへ運ぶシステムがあった。使った水は下水管に流し、「共同の厠」を洗い流すのに使った』(【大聖堂・製鉄・水車】245P)
とはいえそれでも、ローマ式の水洗トイレは一部の修道院にのみ設置された珍しいものでした。
大抵の修道院にあった水道設備も、何故か外に広がることはなく、ヨーロッパでは長い間、ローマ式水道は忘れられたも同然の状況だったそうです。
この辺りは何だか漫画【ドリフターズ】の通信水晶を想起させますね。
術師達は無線機代わりになる水晶の真の価値に気付いておらず、ただの「日々の連絡が少し楽になる物」程度の認識だけで、軍事など様々な活用を全く考えもしないという。
修道士は社会における水道の重要性、画期性に気付くことなく、修道院の建設に関わった大工も同様に、修道士から言われるがままに水道を設置するだけだったのでしょう。(当時は修道士が設計や現場監督を担う事が多かった)
水洗トイレに話を戻すと、修道院以外でローマの様なしっかりとしたトイレはありませんでしたが、水洗トイレ自体は中世ヨーロッパ全般にも一応存在していました。
川の上に床穴の空いた小屋を建てるというものです。構造はローマ式以上にボットン式と変わりないものの、確かに水洗ではあるトイレでした。
まあ日本の“厠”と変わらない代物なんですがね。
ただし、日本の場合は糞尿が肥料として利用されたので、川に流してしまうのはヨーロッパと違って割と例外的だったそう。(そのため、日本は農作物が雑菌や寄生虫に侵される問題があり、ヨーロッパでは河川の汚染による衛生問題を抱えていた)
イギリス、テムズ川の支流フリート川では中世の共同便所の便座が発見され、その後研究者によって利用者まで判明しています。
『12世紀半ばに職人がナラの木で作ったとみられるこの板は、あちこち割れて失われた部分があるものの、もともとは長い板で人のお尻を乗せたとされる穴が3つ開いていたという』(カラパイア記事【中世のトイレって・・・イギリスで発見された12世紀のトイレを詳しく分析したところ、利用者が特定できた!】より)
修道院のトイレも【図解 中世の生活】の修道院の図を見るに、上記のローマ式を採用しようがしていまいが、川の上にせり出す形で設置されていたようです。
しかし、やはり当時は水洗トイレが一般的だったわけではなく、農村では家畜小屋の中か野外で済ませ、家畜の糞尿と混ぜて肥料にしており、都市部では汲み取り式トイレや“おまる”でした。
『汚水溜めは定期的に空にされたが、これには「当然のことながら高額の費用がかかった」(クリストファー・ダイヤー)。中世ロンドンのある便所は四五〇〇リットルの汚物を溜めていたという、考古学的発見もある』(【大聖堂・製鉄・水車】244P)
漫画【乙女戦争】に登場した宿屋のトイレは2階にあり、1階で排泄物を溜めるようになっています。城のトイレも城壁の高所に設置され、城壁の外へ落ちるようになっていました。
(時には攻城戦の際、侵入口にもなった。【乙女戦争】でもトイレ穴から兵を城内へ送り込む場面がある上に、史実では獅子心王リチャード1世が建設し「我が娘」と呼ぶほどお気に入りだった堅牢なガイヤール城が、彼の死後、トイレから攻め込んだ兵によって門を開けられ陥落している。【ブルターニュ花嫁異聞】では脱出口にもなっている)
ところでトイレに欠かせないのはトイレットペーパーです。
中国では古代から富裕層を中心に化粧紙が存在しており、庶民も藁を使ってお尻を拭いていました。
『六世紀の学者はトイレットペーパーについて「『五経の書』からの引用や注釈、あるいは賢者の名が記された紙を化粧紙として使うわけにはいかない」と書いている。八五一年、あるアラブ人旅行者は「用を足したあと水で洗わず、紙でぬぐうだけ」の中国人は清潔さに欠けると文句を言った。わらから作ったトイレットペーパーは安価で、柔らかであった』(【大聖堂・製鉄・水車】131P)
中東では手(左手を主とする、いわゆる「不浄な手」)を使って砂や水で洗う方法でした。
紙派な日本や中国からすると少し不潔な印象を受けますが、中東の方からすれば、引用文の様に「水で洗わないって汚くない?」という感覚だそう。(なお日本は江戸時代以前、便を拭う専用のヘラも使われていたらしい。もし当時イスラム教徒が訪れていたら、中国同様「清潔さに欠ける」と評されていたかも)
ヨーロッパでは、富裕層が麻や羊毛を使って拭い、農民などはボロ切れや鉋屑、葉や干し草など手頃なものを使ったり、川で用を足した後に川の水で洗うやり方でした。
なお古代ギリシャでは陶器の破片などを使っていたそうです。やりにくそう……一方ローマはずっと使い易そうな海綿を使ったとか。
王侯貴族(ヘンリー8世が有名)ともなると、“尻拭き専門の側近”がいたりしたそうで、「最も主君の信頼篤い人物」として大きな影響力を持てることもあったとか。(日本の大奥などでも人にやってもらったらしい。中には嫌がって自分で拭く者もいたが)
また【歴史系倉庫】によると、ポルトガルで馬車の座席の蓋を開くとボットン便所になるものが生まれ、スペイン国王フェリペ2世も使用したそうです。
※(トイレといっても汚物溜めもない、排泄物がそのまま馬車の下へ落ちるただの穴。つまり王の◯◯コが道に……)
そして中世ヨーロッパにおける排泄物といえば、豚の餌にされていたことと、窓からの投げ捨てです。ある程度有名な話ですね。
『都市や城には張り出し式の出窓状のトイレがあったが、出したものはおざなりに片付けるか、放し飼いの豚に食べさせた。また、おまるを使う場合もあり、内容物は明け方に道路に投げ捨てた』(【図解 中世の生活】22P)
『近世以前のヨーロッパの都市では、おまる(chamber pot)に溜まった排泄物を窓から路上に投棄することが日常的に行われていた。本来は定められた場所まで運ぶように定められていたが誰も守ろうとはせず、一応投げ捨てる前に「そら、水だ」と叫ぶことがマナーとされていた。』(Twitterより引用)
引用文の通り、窓から排泄物を捨てる行為は基本的にNGだったにも関わらず、構わず路上へ捨てられてしまい、マナーとされた「落とす前の警告」さえ、毎度の呼び掛けが面倒くさがられたらしくほとんど守られなかったとか。
1371年のロンドンでは、排泄物の投棄に4シリングの罰金を課す法律が成立し、ニュルンベルクでも夜間の投げ捨てを禁止したのですが、いずれも大きな効果はなかったようです。
『都市によっては、公営の道路サービス業者がゴミ処理を(たいてい土曜日に)行った。条例によっては各家庭にゴミの処理を義務づける町もあったが、これはおそらく効き目のない方法だったろう』(【大聖堂・製鉄・水車】245P)
しかしながら、これは特別中世の人々のマナーが悪かったとはいえません。
日本でも戦後しばらくまでゴミのポイ捨ては普通で、鉄道では駅弁の容器を走行中の窓から捨てるのが当たり前だったそうですし。(1613年の慶長遣欧使節団の武士も、鼻をかんだ塵紙を平然と道端に投げ捨てている)
というのもプラスチック登場以前の一般的なゴミは、基本的に生ゴミや植物性製品など有機物がほとんどで、ポイ捨てしても大きな環境問題にならなかったからです。
2000年代でもポリネシアなどでは、生ゴミを野外に捨てる昔の感覚でプラスチックなどがポイ捨てされて大きな問題になっており、官民挙げて国民の意識改革を進めています。
そして下水道も、19世紀までファンタジーなどで描かれるようなちゃんとしたものはまずありませんでした。(スライムやネズミ型の魔物等が現れるダンジョンとしても描かれたりするが、史実では人間が出入りできるトンネルレベルの大きいものは近代までほぼ存在していない)
『パリは最初の雨水溝を一五世紀に掘り、いくつかの都市がこれに続いた。しかし、中世の末期になっても、大方の都市には蓋のないどぶしかなかったから、大雨が降ると浸水が起きた。生活用水と工場汚水の両方を処理するシステムが考案されたのは、ようやく一九世紀になってからだ』(【大聖堂・製鉄・水車】244P)
上水道にしても、中世ヨーロッパの都市のインフラは明らかに不十分でした。
『都市の暮らしは高くついたが、それはあらゆるものを市外から買い入れていたからだ。水さえも市内の湧水や井戸や貯水槽だけでは足りず、町の外から買い入れた。水の価格には輸送費のほかに仲買人の利益分が上乗せさせれた』(【大聖堂・製鉄・水車】248P)
『水の供給は井戸や湧水や川などの身近な水源が頼りであった。「水運び屋」という専門職もいた。町の広場の泉や公共井戸の水を巻き上げ機などを使って汲み上げ、バケツで運ぶのだった。裕福な家には専用の井戸や貯水槽があったが、便所や汚水溜めに近いことが多く、常に汚染の危険に晒され、疫病の原因にもなった』(【大聖堂・製鉄・水車】244P)
人口密集地の飲水確保は日本も苦労していて、「水売り」は上水道が整備された江戸の町にも存在しています。
また平安京に定まるまで、京の都が幾度も遷都した理由の一つも、衛生面の問題でした。(平城京→平安京だけでなく、それ以前に藤原京、難波京、長岡京などと移っている)
平安時代の都は、屋敷の塀の外側が勝手に公衆便所扱いされ、行き倒れの遺体や牛馬の死体が側溝に放り込まれるという有様で、衛生インフラが全く追い付いていなかったそうです。漫画【応天の門】でも塀沿いに貧民が屯し、死体が放置されている描写があります。
京都のまま続いたのは、度々洪水によって亡骸や汚物が押し流されて衛生状態がリセットされたからだとか。
(【応天の門】内の解説コラムによると、賀茂川と桂川が合流する佐比の河原といった川辺では、庶民などの遺体が葬場とされた河原に捨てられ、死体の山が出来ていたらしい。増水した川がまとめて持っていってくれることを期待したのかもしれない)
そして上記引用文にあった、井戸の近くに便所が置かれてしまうという現代では考えられない衛生感覚ですが、これは近代19世紀まであまり変わっていません。
英国の医師ジョン・スノウ(1813~1858年)による、実地観察中心のコレラ感染の研究と主張をきっかけに、汚水による疫病感染が認識されて初めて、「不衛生な環境にある水」は感染症リスクが大きいという、現代では当たり前の感覚が一般に普及し始めています。
とはいえ、中世ヨーロッパには「清涼な水は健康に良い」という考えが存在しており、一応は中世ヨーロッパにも、なんとなく汚い水は避けた方がいいという感覚はあったようです。日本の様に人々から高く評価される「名水」もあったとか。
古代ギリシャのヒポクラテスが提唱した瘴気説も、病気は「悪い空気」瘴気が原因であり、瘴気は「悪い土地」の「悪い水」から発生すると考えるもので、中世の医療、衛生思想に影響を与えています。
以上のように、中世ヨーロッパには水洗トイレも水道も存在しましたが、それは一部の場所に限られ、下水道に至っては全く不十分でした。
「中世都市の道路は窓から捨てられた汚物塗れで、豚が放し飼いにされていた」という度々見られるイメージも、中世の人々が不潔だったというよりは、技術や資金の問題が大きかったと言えます。
近世になってしまいますが、ヴェルサイユ宮殿では、召使どころか貴族さえ中庭など外で用を足したという有名な話も、約4000人が住む巨大宮殿(大部分が一般公開されていたため、外部から出入りする人間が更に+数百〜数千)に対して、トイレの数が247個と全く足りていなかったのが実情ですしね。(野外排泄に抵抗がある者は“おまる”を持参した)
「昔の人=不潔だった」ではなく、当時の衛生システムの限界によって、結果的に不衛生な環境に人々が住む羽目になっただけなのです。(そして幸か不幸か、人間はどんな環境にも「慣れて」しまう。中世ヨーロッパの人間が、現代日本の自殺率を見たら「何という地獄だ」と卒倒するに違いない)
ファンタジーではあまり下の話は触れられませんが、生き物である以上、排便は不可欠です。
また最近では、人間に欠かせないものとして「衣食住」に「便」も加えて、社会を捉え直すべきだという意見も起こっています。
創作において便の事情も描写することは、物語にリアリティを与え、キャラクターもより人間味が感じられるようになるかもしれません。
そういえば自分が小説好きになったきっかけとなった作品、【ダレン・シャン】のバンパイア・マウンテンのトイレも急流の上に部屋を作って床に穴を空けただけのものでした。
【ダレン・シャン】原作小説第1巻の冒頭も、主人公ダレンがトイレに篭っていたところから始まりますし、ダレンがかなり身近な存在に感じられたものです。
転生・転移ファンタジーであれば、異世界のトイレに辟易した主人公が、亜麻布などでトイレットペーパーの代用品を作るというのも良いですね。
史実では、トイレットペーパーは度々「尻に紙のカスや便がこびりついたりして使いものにならない」と批判されるなど大変不評だったので、売って大儲けとはいかないでしょうが。
1857年に生まれた初の工業製トイレットペーパーも、読み終わった新聞などの古紙で済ましていた人々にとって、わざわざ購入する必要性を感じられず、中々広がらなかったそうですし。(このため当初は「痔の予防、治療になる」との誇大広告で売り出された。実際古紙で拭くと肌荒れで痔になりやすくなるので、ギリギリ詐欺ではない。当時の医学会はブチギレたそうだが)
それにスライムに便を処理させるファンタジー作品もありますし、トイレ事情は読者へ作品世界の技術や文化を示すのに有効なように思えます。
またファンタジーだけでなく、SFなどでも排泄物の処理がどうなっているのかを描くのも、中々面白いのではないでしょうか。
「便事情」は決して単なる汚い話ではなく、「衣食住」と並んで社会に欠かせない要素なのですから。
主な参考資料
【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース
【図解 中世の生活】池上正太
Wikipedia
Gigazin
【古代ローマの水道で使われていた「バルブ」はどのようなものだったのか?】
【かつては異端だった排せつのお供「トイレットペーパー」の歴史】
プレジデント・オンライン
【なぜ平城京以前は短命で、平安京は1000年も続いたのか…現代人には想像しづらい「糞尿処理」という衛生問題】
Watanabe(@nabe1975)
漫画
【応天の門】灰原薬