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歴史上における敵国との取引や交流について


 戦争が起きたら交戦している当事国同士の交流は一切絶たれる。

 そう現代では思われていますし、確かにある程度は事実です。


 国と国を行き交う交易も、戦争時には中断されるというのが一般的な認識でしょう。


 しかし、歴史を見てみると戦争が起きたら交流が絶たれるというのは割と最近になってからで、長い人類の歴史の中では、交易を始めとする交流が戦争“程度”で断絶することは少なかったようです。


 今回は前回の内容に地続きな話として、古代〜近世辺りの戦時下における商取引を始め、敵国との交流について扱いましょう。


 まず、古代世界では軍隊が敵国内で物資を調達する際、略奪だけでなく市場に寄って普通に購入することもよくありました。

 中世においてもそういうことはあったそうです。


 また軍隊側から購入する場合よりも圧倒的に多かったのは、商人の方から売り込みに来る事でした。

 軍隊に雇われたり或いは勝手に付いて来る、酒保商人や従軍商人といった存在も大きいですが、地元の商人や農民などが物資を売りに来る事も多かったとか。


 戦国時代の日本でも、地元民が敵味方関係無く足軽相手に野菜などを売っていたそうです。(幕末、薩英戦争で斬り込み隊がスイカ売りに変装したのも、そういうことから思い付いたのかもしれない)

 支給される兵糧米と手持ちの味噌以外はほとんど口に出来ない足軽にとって、多少割高でも野菜などはありがたかったでしょうし、地元民側も高値で売り付けられるwin-winの状態だったと想像できますね。


 【ダンピアのおいしい冒険】でもスペインの植民地や船を襲撃する私掠船相手に、地元の、つまり私掠船の敵であるスペイン側の人々が食料を売りにくる時がある事を示唆されています。


 近代以前の世界では民間の人間にとって、国家間の戦争など、どうでもよかったのでしょう。あくまで“国”同士の問題であって自分達には大して関係ない、と。


 それどころか、国が敵との商売に関わることも珍しくありません。

 我が国でいえば「日元貿易」が思いっきりその一列です。


 モンゴル帝国の後裔(こうえい)国家である“大元”、日本では古くは「蒙古」江戸時代以降は「(げん)朝」或いは単に「元」の名で知られ、対馬、壱岐、博多湾に元軍が襲来した「元寇」(蒙古襲来)は、教科書に必ず載っていることもあって、歴史に明るくなくとも知っている方は多いでしょう。

 一方で、元との貿易についてはほとんど知られていません。自分も数年前にYou〇ubeで古い大河ドラマ【北条時宗】の動画を見掛けるまで知りませんでした。


 日元貿易は民間での交易の他に、鎌倉幕府主体の公的な貿易も少なくなかったそうで、特に寺社建設や改修の資金を賄う目的で取引が盛んに行われています。

 この貿易は「元寇」の真っ最中を除き、日本と元朝が戦争状態にある時も商船が普通に両国を行き交っていました。


 むしろ、第一次侵攻である“文永の役”(1274年)から第二次侵攻の“弘安の役”(1281年)までの間、戦争状態だけれど戦闘は起きていない緊迫した外交状況の時こそ、日元貿易の最盛期を迎えていたそうです。

 これは両国ともに相手国への関心が最も高まった時期でもある事が大きく関係しています。


 自分達が戦っている相手は一体どういう者達なのか?

 そういう疑問、関心が情報を求める強い欲求となり、それが敵国との交流を進める原動力となって貿易が盛んになったのでしょう。


 似たような有名事例として1683年の“第二次ウィーン包囲”があります。

 オーストリアの首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国軍がオーストリアから撃退されると、急激にヨーロッパでトルコ系やアラブ系の文化を取り入れる動きが強まり、【トルコ行進曲】を始めとして、トルコをイメージした音楽やオスマン帝国由来の金管楽器と打楽器を取り入れた音楽も流行しています。

 現代人が想起する軍服も中東やトルコの服飾を取り入れた事で成立していますが、それもこの時の異国文化流行が大きく影響しています。


 また第二次世界大戦においても、英米で日本語学習が本格的に行われるようになったのは、日本との関係が悪化してからのことでした。

 仮想敵国(戦争を想定した相手国)の言語を学び、情報収集や戦時下での捕虜尋問を円滑に行えるようにという目的で、軍を中心に日本語学習へ力が入れられるようになったのです。開戦後は更にその拡充が図られました。


 一方の日本も士官学校では英語が必須科目だったのですが、民間からいわゆる「敵性言語」「敵性文化」の排除運動が起こってしまいます。

 一般的な印象と異なり、軍はこの排除運動と距離があったようで、普通に「ボルト」「ナット」だとか「メインタンクブロー」と英語を使っている上に、戦闘中「チャンス」と叫んだ人もいたとか。(軍歌でも【露営の歌】の「タンク(戦車)」【加藤隼戦闘隊】の「エンジン」と英単語は使われている)

 東条英機すら国会で「英語教育は戦争において必要である」と発言しています。


 しかし「魔女狩り」と同じく民間から自然発生した排除運動は厄介なもので、政府による統制もあまり効かず(むしろ世論を気にして迎合するポーズを出す場合が多い)、同調圧力を通してどんどん広がってしまいます。

 日本でも英米でも、政府や軍が敵国の言語を学ぶことの必要性をどれだけ認識していても、「敵性語」を学んだり使用することへの強い排外行為はどうして起きていました。


 これは現在進行形でも残念ながら起きていますね……。

 そもそも文化や言語が戦争や敵意を引き起こすわけでもないのに、それらを敵視して何になるっていうんでしょう。むしろ相互理解を阻害し和平を遠ざけるだけなのは自明の理です。


 閑話休題、次は異文化の流入や交流から離れて、商取引に注目していきましょう。


 敵国との商取引については本エッセイの【中世の香辛料 後編】で扱った、十字軍の敵であったエジプトとイタリア諸国との貿易が代表的ですが、近世オランダも負けてはいません。


 16世紀以降、スペインの支配から独立したオランダの商船が、スペイン船を頻繁(ひんぱん)に襲撃していたのは前回で触れました。

 その一方で、オランダ商船はバルト海からスペインへの運輸業を担い、スペインが求める軍艦用の木材など海軍用品すらオランダ人の手によって運ばれたそうです。(オランダは航行が効率的な船を大量に運用する事によって、安い運賃と確実な定期便を実現し、北海における海運のシェアをほとんど独占していた)


『スペインがこれらの海軍用品を必要としたのは、オランダ人の攻撃から自国の通商を護衛する艦隊を維持するためであった。また、オランダ人はこのことによって、スペイン陸軍からその国境を守る軍隊に支払う金を、稼いでいたのである。これは、当時の人びとにも後の人々にも訳のわからない措置であったが、実際すべての人びとを満足させるように働いた』(【ヨーロッパ史における戦争】82P)


 つまりこういう事です。


 ①スペインがオランダ商船による襲撃に対応するため海軍用品を求める。

 ↓

 ②オランダがスペイン向け物資の輸送を行い、その儲けでスペインから自衛するための陸軍費用を(まかな)う。

 ↓

 ③スペインがオランダ侵攻の戦力を調(ととの)える費用を確保するためにも、植民地などとの通商を活発化させる。

 ↓

 ④それをオランダ商船が襲撃する。

 ↓

 ①に戻る。


 うーん、カオス。

 しかしこれは海軍用品だけに収まりません。


 オランダではスペインに対する独立戦争の最中、敵であるはずのスペインに食料や武器を売っている商人がいたそうです。


 アントワープがスペイン軍に攻撃されていた時、その敵軍に武器を売っていたアムステルダムの商人は次のように語ったとか。


「商業は自由でなければならぬ、戦争行為などで妨げられるべきものではない。アムステルダムの商人は何処に向かって取り引きしようと自由であり、アントワープの代理商も何百とアムステルダムにはいる。もし商売によって利益を得るために地獄へ行かねばならぬなら、帆が燃えるくらいは何でもない」


 現代人からすれば困惑するしかない話ですが、当時のスペインは戦争の影響で食料不足になっており、ポーランドの穀物をスペインに運ぶ貿易は必ず大きな利益が見込める商売でオランダの主要な貿易の一つだったそうです。(直接売り込んでいたわけではなく、イタリア商人などスペインと関係が深い第三者を挟んでいたらしい)

 そして建前上は食料のみだったのですが、実際には海軍用品や武器といった軍事物資も平気で売っていたのでした。


 「だって儲かるし、薄利の国債をわざわざ買ってあげてるんだから別にいいじゃん」というのがオランダ商人の本音だったようです。(当時のオランダの国債は国防費に()てるもので、利率はかなり低く国への寄付同然と思われてたらしい。愛国心=金というわけである)


 一応擁護(ようご)すると、オランダは長らく土地が貧しく牛や商品作物(染色材料など)を育てるか貿易をする以外に何も出来なかったので、利益が出るならどこにでも取引へ向かうというのが、古くからオランダ商人の気質だったようです。

 そしてケチであることが有名(品質の良いチーズは全て輸出に回して自国消費分は粗悪品なんてことも)でしたが、事細かく帳簿に記録したり荷物や客が少なくても定期便を定刻通りに出すなど、几帳面であることも最大の特徴でした。(オランダに雇われた傭兵は“給料が滞りなくきっちり満額支給される事”に「杓子定規的で厳しすぎる」と不満に思ったのだとか)


 それに敵へ物資を売るというのは近現代でもありました。


 第一次世界大戦時のドイツ帝国では、軍に利益度外視の公定価格を強いられる事に不満を持つ企業、資本家が、軍需物資の一部を外国に横流しして大きな利益を上げています。

 その横流し先に敵である協商国(英仏露など)が含まれる場合もあったそうです。


 連続テレビ小説【まんぷく】の中でも、本来取り締まる側の憲兵が、戦時中に軍需品の横流しを行った挙句、顔馴染みに濡れ衣を着せるというのがありましたね。


 結局のところ、国だの何だの言ってようが人間は金が一番なわけです。日本の技術者などが海外に流出する最大の理由でもありますし。


 なお話が変わりますが、近代~現代でも仲が悪い国の間でも軍人同士の交流を続けるのが普通で、その際に出来る人脈や友人関係は、突発的な衝突が全面戦争にならないよう、誤解を解き合い情報を共有する連絡に大変重要な役割を果たすそうです。

 日中戦争も当初は“盧溝橋事件”(1937年)の際、日中両軍の現地指揮官が顔見知りだったこともあって、停戦協定が早いうちに現地で結ばれ一度は全面戦争が回避されていました。(なお世論と政府や軍の方針がそれを台無しにした模様)

 中世においてもテンプル騎士団などの宗教騎士団や十字軍国家、ビザンツ帝国などのキリスト教勢力は、イスラーム勢力との外交に余念がなく、イスラム教徒(ムスリム)の民を抱えたり敵将と個人的関係を築いたりすることもよくありました。



 ファンタジー世界では人間対魔族といった感じで単純な対立が目立ちますが、敵とも平然と交流や取引が行われていた史実を見るに、交易もしくは物資の横流しや密輸などの形で物の行き来は普通にあるかもしれません。

 敵との繋がりも内通だとか操られてるとか大層なものではなく、「単に利潤が良い商売相手だから」「政治や外交的都合」「そもそも対立は国単位の話で、現地ではただの御近所さんだし」といった場合が圧倒的多数だったりするのかも。


 そもそも世界というものは、コインの裏表のようにはっきりはしておらず、白と黒、善と悪といった分かりやすい二極化した対立など、実のところ存在しません。〇〇が悪い、〇〇が元凶などといった「分かりやすい」単純な考えで計れるものではないのです。


 “対立”を描く際は、「分かりやすい単純な対立構造」など存在しないことを念頭に置けば、色々な方向へ話を膨らませ、リアリティが自然と重なってくる……かも。まずは自分が書けって話ですね。新作の執筆進めなきゃ……。



主な参考資料


【中世ヨーロッパの騎士】フランシス・ギース

【ヨーロッパ史における戦争】マイケル・ハワード

【交易の世界史 上】ウィリアム・バーンスタイン


 Wikipedia


漫画

【ダンピアのおいしい冒険】トマトスープ


ニコニコ静画【オランダ共和国】シリーズ yokohama


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