中世、近世の海③【近世の船】ファンタジーでお馴染みの帆船達 「海戦は火力だよ兄貴!」ネルソン「せやろか?」
中世の船に続き、今回は「近世」の船について。
ファンタジーなどに登場する帆船の大半は、この時代のものが元になっているでしょう。
複数の帆柱に加えて、軍艦や海賊船は舷側に火砲を搭載しているという一般的イメージに正しく合致しますからね。
実際の中世帆船にはあまり見られなかったこれらの特徴は、近世において一般化します。
火砲そのものは14世紀(1300年代、日本では南北朝時代)に、陸戦で使用されるだけでなく船にも装備されました。(海戦で火砲が使用された最古の記録があるのは1338年の“アルネマイデンの戦い”)
ですが、これは戦国日本で「国崩し」とも呼ばれた“仏狼機砲”と同じタイプの後装式小型砲がほとんどでした。
それらは、発射ガスが漏れる粗雑な作りの薬室に装填された小さな石の砲弾を、質の悪い火薬(まだ原料である硫黄、硝石、木炭の比率が試行錯誤段階)で撃ち出すといった、コストの割に頼りない代物でしかなく、海上での主装備は弩や弓という状態が長く続いています。
『しかし、次の十五世紀には、大砲が登場してきた。真鍮で一個に鋳られ、はるかに高度の爆発物を装填した、さらに重い砲弾を発射できた。――中略―― それは重すぎて、櫓の上に搭載できなかった。しかし、その火力によって敵が近づき乗り込むことを阻止できるのであれば、櫓の必要はまったくなかったわけである。』(【ヨーロッパ史における戦争】77、78P)
丁度同じ頃に帆船の大型化が果たされているので、重いがその分強力である大砲との相性はばっちりだったことでしょう。
『当時の最も効率的なばら積み貨物船であったキャラックは、広い船倉に小麦や塩や材木を一〇〇〇トンまで入れることができた』(【大聖堂・製鉄・水車】351P)
※(おそらく1500トン級の大型キャラックの話。一方、同時期に誕生したキャラベルは細い船体を持ち、50トン以上は積めないこじんまりとした船だった。だが、三角帆と横帆の両方を備えていたため向かい風でも帆走できる上に、少ない人員でも問題ないので航行の効率が良かった。そのため、探検などの長距離航海に適していた)
こうして、ファンタジー世界でもよく見られる、砲で武装した大型帆船がヨーロッパの海に現れました。
なお《中世、近世の海①》で紹介した櫓が皆様の知る帆船に見られないのも、上記の様に大砲との相性が悪かった事と、この頃から櫓が“船首楼”や“船尾楼”へ発展していったからです。
また、それまで軍船と商船の違いといえば、ガレー船(兵を多く乗せられる、風や潮に関係なく自在に動き回れる)であるか帆船(帆頼りで動きが鈍いが、少ない人員で荷物を多く運べる)であるかがほとんどでしたが、大砲の登場は軍船の定義や戦術に変化を齎しました。
1503年のカリカットの戦いで、初めて移乗攻撃(敵の船に乗り込む白兵戦)ではなく、砲撃戦で相手を打ち負かした事例が起こるなど、少しずつ陸戦でも海戦でも白兵戦から火力戦に変容していったのです。
この流れからか、移乗攻撃の前に敵を弱らせるための補助的な武装に過ぎなかった艦砲を本格的に搭載し、砲弾に対する防御も考慮された、“戦艦”の元祖とも言ってよい軍艦も、16世紀に登場しています。
船首楼や舷側に大砲をずらりと並べた大型ガレー“ガレアス”や皆大好き“ガレオン”などです。
ガレアスは商用大型ガレーを改装して造られた軍船だったそうですが、通常のガレー船の2、3倍の火力を誇り、砲弾に備えた装甲(木製)まで持つ、正に“戦艦”でした。
初の実戦は16世紀屈指の大海戦“レパントの海戦”(1571年)で、ヴェネツィアが建造した4隻が投入されています。
強力な火力でレパント海戦の勝利に“浮き砲台”として大きく貢献したガレアスですが、その武装からあまりに鈍重で、始動や急旋回の時には他のガレー船に引っ張ってもらわなければいけなかったとか。
この鈍重さとガレー船の構造上、大砲を多く搭載することが難しい点や、実戦を重ねる内に帆船と櫂船の折衷は上手くいかないと認識され始めたことで、ヨーロッパでは早々にガレオンに取って代わられてしまいました。
スペインの“無敵艦隊”やオスマン海軍などではしばらく運用され続けたものの、主力艦というより、見た目による威光アピールといった政治宣伝的な意味が強かったようです。(第二次世界大戦前の「多砲塔戦車」も、明らかに失敗だったと認識された一方で、見た目のインパクトからプロパガンダにはよく使われた)
しかしそうは言っても、依然として当時の海軍は、櫂による機動力を捨て切る事が出来なかったとか。
帆船は風が凪いでしまえば身動きが取れなくなります。その間にガレー船が接近してきて一方的に攻撃される可能性を、各国の海軍は大いに恐れていたのです。
実際にそういった事例がレパントの海戦から間もない時にも発生していました。
一方で“ガレオン”という新型帆走軍艦の立場は時と共に上昇しました。
ガレオンがヨーロッパ海軍の主力艦となった背景には、火力の重要性が認識されただけでなく、ガレー船の機動力に対抗できると証明されていったこともあります。
ガレオンの前に主要な帆走軍艦として運用された“キャラック”。多数の大砲を装備したキャラック船は、強力な火力を備えており、大型なものでは100門前後の大砲を搭載しています。
1510年建造の英国艦「メアリー・ローズ」は78門、38年の改装で91門に。1512年建造のポルトガル海軍旗艦「サンタ・カタリナ・ド・モンテ・シナイ」は140門ものカノン砲を装備していました。(なお時代参考までに、織田信長は1534年生まれである)
しかし、一門でも多く載せようと舷側だけでなく船首楼や船尾楼にも砲門を設置していった果てに、バランスがどんどん悪くなっていってしまいました。
特に巨大化した船首楼は、船のバランスを悪くさせる上、船首が波を切り裂けずにぶつかって水の抵抗をモロに受けるなど、機動性を著しく悪化させる原因となっています。中にはバランスの悪さが原因で転覆事故を起こした軍艦も。
こうした欠点を“ガレオン”は船首楼を大胆なほどに低くする(本によっては「廃止した」とまである)ことで解決。キャラック船よりも快速で、なおかつ火力も引けを取らないという、優良な船として華々しい航海へと滑り出しました。
『ガレオン船は強靭で航海に適した船であり、最悪の天気でも、大西洋を横断することができる。これは、何十年にもわたってキャラベル船とキャラック船を造ってきた知識に基づく、造船業者の方法論と技術の賜物である。ガレオン船の系統は中世の遺産につながるもので、型は初期の船に類似しているが、高い船首楼はない。ガレオン船は高い船尾楼を保持しているが、主な戦闘能力は砲列甲板にある。この変化は、ガレオン船が、軍が船内で戦う平底船ではなく、デミカルバリン砲の片舷斉射で戦う船であることを意味していた』(【Empire total war】ガレオン船)
『船首楼は波に叩かれるので、小型化し、一方船尾楼はさらに大きく高くなっていった。この形式をガレオンと云い、小さい方の代表が十六世紀末、英国の私掠船長フランシス・ドレークの指揮したゴールデン・ハインドであり――大きくて派手な方の代表がソヴリン・オブ・ザ・シーズである』(【軍艦無駄話】収録、軍艦見るなら後ろから)
※ゴールデン・ハインド(1577年進水、3本マストの100トン級軽ガレオン。甲板長31m。船首砲4、船尾砲4、舷側砲14の計22門装備。キャラックからガレオンに進化する過度期の船とされる)
ソヴリン・オブ・ザ・シーズ(1637年進水、約1500トンの1等戦列艦。甲板長約56m。102門の青銅砲を装備。英国王チャールズ1世により増税してまで建造され、圧倒的火力と船尾楼の豪華絢爛な金箔装飾から、オランダより「黄金の悪魔」と恐れられた)
高火力と機動性を両立させたガレオンが近世ヨーロッパでの主流帆船となっていくと、同じような形の船も広まっていき、「フリュート」や「スループ」(2本マストの快速船)といった船も誕生しました。
オランダで生まれた「フリュート」は、甲板が狭い一方で船体が下に膨れる形をしているため、高い安定性と多くの積載量を具えた上に、少人数でも航行できる優秀な船です。
が、その形になった理由はなんと節税でした。
『フリュートは、横断面で見ると、「船底が膨らんだ」特殊な構造をしていた。これは、デンマーク人が、ノルウェー、スウェーデン間の海峡を出入りする通行料を甲板の範囲に基づいて課す慣習があったので、税金と通行料を逃れようと巧妙に企てたからである。甲板が狭ければ(船底の船荷は数に入らなかった)税金も低くなった!』(【Empire total war】フリュート)
理由は何とも不純でしたが、結果としてフリュートはガレオンに並ぶ名帆船として名を馳せました。
その後、帆走軍艦が主流となり砲撃戦の重要度が増すに連れて、「ship of the line」日本語で「戦列艦」と呼ばれる分類が生まれます。
戦列艦はその名の通り、“戦列”を組んで戦うことを前提とした軍艦です。
ガレー船が主流だった頃の海戦では、船首に取り付けられた衝角での体当たりや移乗攻撃が基本だったので、単横陣や三日月陣といった船が横に並んだ陣形で戦いました。
しかし、帆走軍艦や砲撃戦が重視されてくると、舷側砲をより活用できるように縦一列に並んだ“単縦陣”が採られていきます。
単縦陣の一般化は船首の火力や衝角の必要性を減じさせました。また、今まで以上に舷側砲の強化が重要となり、大小問わず軍艦は砲撃戦に特化した形へと変化します。
こうして17世紀の内に単縦陣に適応し、戦列を組んで戦う“戦列艦”が生まれたのでした。
なお、戦列艦の時代は砲門数を用いて呼称することになっています。(例1:50門艦。 例2:38門フリゲート。といった具合)
戦列艦に分類される条件は、砲列甲板を2層以上持つ事でした。
砲列甲板とは、船内に設けられた大砲を配置するための甲板です。船体の砲門から顔を覗かせる大砲の居るところですね。
キャラックやガレオンなど砲で武装するのが当たり前の頃になると、操船する船員が動き回る上部甲板を天井とした、二階建てや三階建ての構造を持つ船も増えていきました。
そして戦列艦は最低でも二階建て、つまり最上部の甲板だけでなく、船内に2列の大砲群が並んでいなければ、戦列艦と名乗れなかったのでした。
なお、時たまファンタジーに登場する帆船の「フリゲート」は、史実では単層の砲甲板を持つ、英国の等級制度で5等艦や6等艦に分類される中小軍艦を指します。(専ら偵察や哨戒、襲撃任務などに従事した)
18世紀頃からは完全にそういった戦列艦やそれに準じるフリゲートなどの時代となり、かつては傑作であったガレオンも紛れもない旧式と成り下がります。
特に装備できる砲の大きさに差がつきました。
ガレオンは9ポンド(約4㎏)の砲弾を撃ち出すデミ・カルバリン砲などの小口径砲が中心でしたが、戦列艦は下膨れの船体に、大砲そのものを重しとしてバランスが取れるよう搭載することで、ガレオンより大口径の艦砲を効率よく搭載できたのです。
※(74門艦の場合、上部甲板に9ポンド砲、2層目に18ポンド砲、最下層に32ポンド砲が配置された。なお陸軍だと9ポンドクラスは騎兵砲、18ポンドは野戦砲、32ポンドは要塞砲や攻城砲として運用される事が多い)
また、ガレオンの高い船尾楼は機動力を阻害する要因となっており、船首楼も船尾楼も低くして平面的な設計となった戦列艦は、機動性においても先を行ったのでした。
ただ……いくら戦列艦が優れていても、人間の方には問題があったようですが。
『歴史上、フランス人が18世紀半ばに74門艦という概念を生み出した。その設計が非常に優れていたので、他国の海軍も直ちにこれを模倣したり、フランス船を拿捕したりした。フランス船は設計に優れていたものの、生木から作られることが多かったため、荒海で継ぎ目がゆるんで浸水した。――中略――英国の74門艦もうまく作られていたが、残念なことに、木材をリサイクルして経費を節約する傾向があった。古い船の、腐った部分がある木材を使っていたのである』(【Empire total war】3等戦列艦)
『乾燥方法とは、造船目的で伐採して自然乾燥させた生材を蓄える方法である。――中略――英国海軍は、お金と木材と節約するため、古い船舶の一部を再利用する方針をとっていた(立派に現在の環境活動である)。しかし、古い腐食を新しい建造物に持ち込む結果となってしまった。フランス海軍は、柔軟性を持つ船舶は「航行」が順調だと主張し、未乾燥の木材で造船することを好んだのである』(【Empire total war】乾燥方法)
他にも英国海軍は「寸法規定」という戦列艦の規格を統一する決まりを制定しましたが、規格統一の代償として設計の自由度が制限されてしまう欠点がありました。
これは建造思想の保守化、硬直化を促してしまい、英国の軍艦の進歩が一時停滞する原因となっています。
優れたものが作られても、人間がそれを上手く運用し切れず発展させられないことは、歴史上よくある事で、現在でも反面教師として見習うべき点は多いのではないでしょうか。
ともかくも、18世紀には海戦も陸戦もほぼ完全に火力戦へと移行していました。こうなると以降の海戦は大方、数字の対決となります。
つまり砲口径、砲門数、速力、防御性能などといったカタログスペックの優越が絶対的となっていったのでした。
……全体的に見ればその筈なんですが……。
『スループ船の船長は攻撃的である。トマス・コクランは、船長に昇格する前は、英国海軍の14門砲艦スピーディー号を指揮し、自分の船より5倍も大きな、32門ジーベックである「エル・ガモ」とその船員を拿捕した!』(【Empire total war】スループ)
『歴史的には、東インド貿易船は、全体的な形状と塗装面で、戦列艦に似ていた。1804年のPuloAuraの戦いでは、紛らわしい外観をした英国のインド貿易船の船団が、攻撃的な操縦で威嚇し、フランスのチャールズ・アレクサンドル・リノワ提督を完全にペテンにかけた。彼は「より優れた」軍事力に直面して退却したのである』(【Empire total war】インド貿易船)
『Abordageは速度が肝要である。敵の用意の為る以前に昇降口を押さえるのである。我が仏軍では、五十人の切込隊で三百人の乗る敵艦を降伏させた事があるのである』(漫画【ユトラント沖海戦】収録、宮古湾大海戦)
※Abordage(アボルダージュ。フランス語で移乗攻撃のこと)
以上の様に、ちょいちょい士気や戦術、状況次第で、移乗攻撃や威嚇でより強大な敵艦を撃破する事例が起きています。
世界で最も有名な海軍提督の一人、ナポレオン戦争における英国の大英雄“ホレイショ・ネルソン”も、移乗攻撃や艦隊を突撃させることを好み(有名な「ネルソンタッチ」も敵艦隊に割り込んで近接射撃を叩きこむもの)、数々の勝利を掴んでいます。(生涯を通して海戦では1回を除いて全勝)
しかも、相手の方が巨艦だったのに突撃し、移乗攻撃で圧倒した事もありました。
その時は接近して撃ち合う内に倒れた帆柱やその索具が敵艦と絡み合って、なし崩しに白兵戦となったそうですが、彼の指揮が突撃に偏っていたのは事実なようです。
……あれ、火力戦どこいった?
とはいえ、こうなるのにもちゃんと理由があります。
実は砲撃戦が主流になっても、砲撃のみで敵艦を沈めることは困難だったという実情がありました。
当時の船と艦砲の構造上、大砲を下に向けることが出来ず、砲弾は基本的に水平に飛ぶばかりで、どれだけ砲弾を撃ち込んでも、水面下の船体に命中することはほとんど無かったのです。
水面より上ならいくら穴を空けられても、浸水することはありません。沈まないのも当然です。
風向きや波による揺れを利用して、一時的に海中から浮いて現れた喫水線下の船体を狙うこともありましたが、実際に命中させることは難しかったでしょうし、たとえ当たっても数発程度なら応急修理で対応されてしまいます。
(故に多くの場合は、大砲を破壊したり、船員を殺傷したり、帆柱を折ったりして無力化することに努めた。ネルソンの突撃も、敵艦の船首や船尾側に撃ち込むことで船内を効率よく破壊することを狙ってのもの)
なので砲撃で敵艦を無力化することは出来ても、沈めることは余りなく、大抵はぼろぼろにして降伏に追い込むか、白兵戦で止めを指すのが普通でした。
ネルソンの時代には移乗攻撃は時代遅れになりつつあったものの、依然として当時の砲撃戦の限界から、白兵戦は十分選択肢の一つであり続けたというわけです。
大半のファンタジーに登場する帆船達は、近世ヨーロッパのものであって、中世の船ではありません。
剣と魔法の世界に近世の船が存在する理由を考えると、やはりファンタジー世界は中世ではなく、近世に相当する時代であるという点に行き着きます。
なので、世界を創造する際に、その世界の時代レベルは中世なのか近世なのか、はっきりさせて登場させる物を選別しておくべきと個人的には考えていますが、皆様からすれば、まあどうでもいいことでしょう。
とりあえず、登場させる船をガレオンやフリゲートではなく、キャラック船やキャラベル船にしておけば、中世終期とも近世前期とも思えるので、無難なのではないでしょうか?
主な参考資料
【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース
【ヨーロッパ史における戦争】マイケル・ハワード
【戦闘技術の歴史 近世編】共著 クリステル ヨルゲンセン、マイケル・F. パヴコヴィック、ロブ・S. ライス、フレデリック・C. シュネイ、クリス・L. スコット
Wikipedia
漫画【軍艦無駄話】【ユトラント沖海戦】黒井緑
PCゲーム【Empire total war】
動画【-ゆっくり海戦史-】シリーズ PzFr「ぱんふろ」 ※(ニコ〇コからのゆっくり実況古株の一人)
【ゆっくり解説#1】-ゆっくり海戦史Ⅰ- 世界最強の帆船とスペイン海軍の夢
https://www.youtube.com/watch?v=dYxqzfMwazQ
ネルソン提督の突撃っぷりについては、【-ゆっくり海戦史Ⅱ-】以降を参照