中世、近世の海②【帆船の舵、帆、錨】大航海時代の船に舵輪(ハンドル)は無い
帆船には進行方向を制御する舵や帆、そして船を停めるための錨が欠かせません。
しかし、これらもまた、歴史上のものと現代における一般イメージは異なっていました。
船尾舵は中国において早くも1世紀に登場しており、8世紀以後は日本でも使用されていました。これは元々東アジアの船は船尾が角張っており、舵を付ける都合が最初から良かったからです。
しかし、船尾が長らく細かったり丸かったりしたヨーロッパの船では、舵ではなく、操舵櫂という専用の櫂で船の進行方向を制御していました。
(日本を含むアジアでも、艪という類似のものが長く使われている。ただし艪は方向転換以外にスクリューのような推進もできた)
ヨーロッパの操舵櫂は、北海側では船尾の右側に、地中海側では両側に設置されており、川下りの船の舵取りの様に操作していました。しかしながら、北海式には一つ問題が。
『右舷一本だけの舵だと、右側から風を受けた時、舵が効きにくい欠点があった。』(エッセイ漫画【軍艦無駄話】収録、舵の進化論)
右側から風を受けると船体が左に傾いて、操舵櫂が水面から出てしまい、舵の効きが悪くなってしまうのです。また、前回で紹介した船の大型化も、操舵櫂から船尾舵への切り替えを促進しました。
『少なくともヨーロッパでは、古くから使われていた舵取りオールが十分な役目を果たしていたから、船尾舵が採用されたのは、より優れた舵取り装置が必要だったからではないようだ。しかし、背の高いコグ船が登場すると、船によっては非常に長いオールが必要になり、舵取りが難しくなった。』(【大聖堂・製鉄・水車】204P)
ただ船尾舵登場から数百年経っても、依然として操舵櫂を使用した船は少なくなかったらしく、14世紀に地中海を航行したコグ船にも旧式の舵取りオールが付けられていたそうです。
さて、船の舵というと舵輪、いわゆる船のハンドルを想起する人は多いでしょう。実際、錨と並んで船の象徴でもあります。
しかしこの舵輪、実は登場したのは18世紀(1700年代)に入って少し経ってからとされています。つまり、中世どころか大航海時代(15世紀中頃~17世紀中頃)にも、帆船にハンドルは無かったのでした。
舵輪登場以前の舵は、完全なる人力操作でした。
最初は川下りの船と同じく船の外側にありましたが、船が大型化すると四角い穴を通して舵柄が船体内に引き込まれ、巨大な門の開閉のように数人掛かりで操作していたそうです。
また前回の冒頭で触れた15世紀のキャラック船では、レバーによる操舵の仕組みとなっていたとか。
『船尾舵は、甲板の接続口を通ってウィップスタッフと呼ばれる垂直レバーとつながっている長い舵柄で操作した。』(【大聖堂・製鉄・水車】350P)
漫画【ワンピース】の「ゴーイングメリー号」(ちなみに船の形式はキャラベル)が舵輪ではなく船内のレバーによる操舵なのも、こういう史実背景があったからです。
近世に入って更に船が大きくなり舵も大型化すると、舵柄を数人掛かりで押したり引いたりするだけでは、嵐の際に舵が制御できなくなるので、別の方法も導入されます。
それが、舵柄に左右の滑車を通じた二本のロープを繋げ、それを大勢で引っ張って操舵するというものでした。(面舵の時は船尾から見て左のロープを引っ張り、取舵では右側を引っ張った)
なお、操舵員は船内に居るので外の状況を全く把握できず、船長が甲板のハッチから報せる情報や命令を頼りに舵を操作しなければなりませんでした。
指示の聞き間違えや聞き逃し、タイミングのズレなどによる重大なミスもあったでしょうね……。
当然ながら、なんとか甲板上で操舵できるようにしたいと考えられたのでしょう。舵を制御するロープを上部まで持ってきて、それらを操作できる装置が求められました。
『そこで恐らく十八世紀始めの英国に於て、上部甲板から操舵する装置が生まれた。最初は単なる巻上機が…やがて舵輪へと進化した。操舵員は艦長の近くで、帆の状況を見ながら操舵できる事となったのである』(【軍艦無駄話】舵の進化論)
このように、舵輪という船のハンドルは近世後期の18世紀になってから登場した物でした。
映画【パイレーツ・オブ・カリビアン】の舞台も「海賊の黄金時代」終盤である18世紀始めなので、作中では最新装備だった事になります。
中世どころか大航海時代の帆船も、甲板の上ではなく、船内で舵柄を直接操作する難儀な操舵法であり、船員は大変な思いをしながら船の針路を定めていたのでした。
舵に続いては帆に関しての話。
一般的に船の帆は長方形だと思われていますが、これは「横帆」と呼ばれるもので、追い風を最大限生かせる上に操作が簡単という利点がありました。しかし、向かい風には弱いという欠点があります。
北海で多用された横帆に対して、風向きが複雑な地中海では「大三角帆」という文字通り三角形の帆を使用しました。こういった三角形で船の中心線に沿った方向に張る帆の事を「縦帆」と言います。
横帆でもジグザクに航行することで逆風下でも前進する事が出来ましたが、向かい風に強い「縦帆」は横帆よりスムーズに進むことが出来ました。ただ、横帆より操作が難しいそうです。
また帆布は、早い時期から木綿が使用されることもありましたが、近代まで一般的ではなく、専ら亜麻布などを使っていたそうです。(ロングシップの帆には羊毛も使われていたらしい)
日本も木綿製帆布が一般的になったのは江戸時代で、それ以前はほとんどの場合、筵を帆としていたとか。
ヨーロッパでは北海を中心に「横帆」が主流で、地中海や中東、アフリカ、インドなど世界的には「縦帆」が一般的でしたが、アジアでは特殊な帆が見られました。
「ジャンク」と呼ばれる中国の帆船で使われた、「網代帆」(笹帆とも)という竹を薄く剝いで編んだ網代で作られた帆です。(近世以降は「伸子帆」という横向きの竹の骨を入れられた布の帆が使用された)
この帆の特殊な点は、その素材だけではなく、一枚の帆に複数の帆桁(帆を張るための棒材)を持つことで、蛇腹の様に畳めるところです。(構造はブラインドに近い)
複数の帆桁によって強度が増すだけでなく、帆を素早く巻き上げたり下ろせたりできるという利点がありました。
ただ、その構造上、ヨーロッパ船の様に帆桁を臨時のクレーンとすることが出来ず、迅速な荷や大砲の積み下ろしは設備の整った港でしか出来ないのが欠点だったそうです。
帆には他にも「バウスプリットセイル」「ジブ」などの、船首に張ったり船首と帆柱の間に張る「船首帆」や、「ガフ」「スパンカー」といった船尾側に付け足す「船尾帆」、更には帆柱と帆柱の間などに張る補助的な帆もあるのですが、種類が多く解説し切れないので割愛させていただきます。
解説できる程の知識も資料も自分には無いのです…。
なお、帆柱は一本の丸太から作られていると思っている方も居られるでしょうが、実際には複数の木材を縛って繋げています。
個人的に一番分かりやすかったのはPCゲーム【Empire total war】や【Napoleon total war】での海戦ターンの描写ですね。複数の丸太が繋がって一本の高い帆柱になっているのがはっきり見えます。(大体は、帆の数=使用される棒材の数 になっている)
このため、近世後期や近代などでは「トガンマスト」などの、帆柱の頂点にちょい足しされる形で小型の帆柱が増設されることもありました。
なので帆柱が完全な直線で上に伸びているのは小型帆船に限られ、大半の帆柱は近くで見ると、少しデコボコで帆と帆の間からは何重もの縄が見える歪な形をしていたのです。
そして、舵輪に並ぶ船の象徴、錨。
錨は船が流されないよう停める為の錘であり、車でいうサイドブレーキに当たる重要な物です。
考古学的に判明している最も初期の錨は、穴を空けた石に縄を繋いだだけの物で「ストーンウェイトアンカー」と呼ばれています。その後、縄を通す穴とは別に空けた穴へ木の杭を挿し込み、錨が海流に流されても海底に引っ掛かるようにした「ストーンコンポジットアンカー」という物へ改良されました。
これら石を使用した単純な錨は、地中海では青銅器時代から中世中期頃までという、数千年は優にある途方もない長期間、小型船が使う物として主流であり続けたそうです。
紀元前7世紀、つまり鉄器時代であり、かの「ローマ」がまだ帝国どころか共和制ですらない、「ローマ王国」だった時代。この頃に、現代に繋がる下矢印(↓)の様な形の錨が使用されるようになりました。
“レ”の形をした木製のフック二本で、重しとなる石のストック(水中でのバランスを取る為の棒)を“ル”の形で挟み込んだ木製の錨がまず登場しました。(正面の形は“↓”で横から見ると十の字になる)
その後徐々に石造ストックから、木製ストックの内部に鉛を流し込んで重しとした物へと移行していきます。
紀元前2世紀までには、ストックが完全に鉛製となりましたが、帝政ローマの時代までは未だ錨の大部分は木製でした。
帝政ローマの時代以降に、“T”をひっくり返した様な形の金属錨が使用されるようになります。
10世紀、つまり中世前期が終わる頃に、“T”の形から“Y”に近い形へ改良され、13世紀からはよりカーブが大きくなって、現代人もよく知る形になりました。
しかし、鉄の錨が主流となったのは鍛造技術が向上した13世紀以降のことで、それまでは木製錨との併用が基本だったそうです。
その理由は製鉄や鍛造などの技術的問題から小型の錨しか作れなかったからでした。(13世紀に形の改良だけでなく大型化も果たされた)
なので長らく、メインに大型の木製錨、補助的な物として複数の金属錨という使い分けが行われていたとか。
これはアジアでも同じだったようで、長崎県松浦市沖で発見された元寇船の錨も、大部分が木製で重しに石が使われたものです。
以上の事から、中世後期(1300~1500年代。南北朝時代~戦国時代の始まり頃)以降レベルの世界では金属製の錨を普通に登場させられます。
ですが、中世盛期(11世紀~13世紀頃。平安時代後期~鎌倉時代中期頃)やそれ以前では、石や鉛の重しを持つ木製錨が普通という描写にすれば、リアリティがかなり上がることでしょう。
まあ古代はともかく、中世盛期や前期をモデルにファンタジーが書かれることはほとんど無いでしょうが……。中世後期以前じゃ板金鎧もほぼ登場させられないですし。
とりあえず本項のまとめとしては、近世後期~近代前期、つまりマリーアントワネットの時代より前なら、舵輪は無いということだけ覚えていれば、帆船の描写のリアリティは確実に増すと思います。
やはり舵輪が無いと……という場合は、帆船に詳しい転生者なり転移者なりが過去に導入させたという設定をぶちこむ必要はあるでしょうね。
技術には必ず、前提となる技術や新技術を必要とする課題が存在するという、順序があるのですから。
主な参考資料
【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース
Wikipedia
漫画【軍艦無駄話】黒井緑
サイト【Hi-Story of the Seven Seas】の【錨の考古学】
PCゲーム【Empire total war】海戦画像
https://www.google.com/search?q=empire+total+war+naval+battle&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=2ahUKEwjg-dP11fT3AhWZmFYBHet7BT0Q_AUoAnoECAEQBA&biw=1920&bih=937&dpr=1#imgrc=rYhMBfcKhs-RSM
PCゲーム【Napoleon total war】海戦画像
https://www.google.com/search?q=napoleon+totalwar+naval+battle&tbm=isch&ved=2ahUKEwioleb_1_T3AhUxLqYKHfm5BmoQ2-cCegQIABAA&oq=napoleon+totalwar+naval+battle&gs_lcp=CgNpbWcQDFAAWABggAZoAHAAeACAAT-IAT-SAQExmAEAqgELZ3dzLXdpei1pbWfAAQE&sclient=img&ei=eQCLYuj0DLHcmAX585rQBg&bih=937&biw=1920