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中世の食事④【中世の香辛料 後編】コショウ以外の“香辛料”と香辛料の裏の顔


 前編では主にコショウを扱いましたが、後編ではコショウ以外の香辛料(スパイス)や、それらが持つ一般的には知られていない一面を解説します。



 古代、中世ヨーロッパで最高級とされた香辛料(スパイス)丁子(クローブ)やナツメグ、メース。そしてこれらとコショウの間に位置する桂皮(シナモン)

 これらがコショウより高級な香辛料とされたのは、産地が限定され流通量が少ないというだけでなく、その神秘性が理由でした。


 コショウとシナモンはインドやスリランカからやって来ていることを、ヨーロッパの知識人は古代の頃からある程度知っていました。

 しかし、クローブやナツメグ、メースを産出する“スパイス諸島”(インドネシアのモルッカ諸島)については、古代ローマ人も中世の知識人も一切把握していません。

 ヨーロッパと中東を結ぶ貿易をほぼ独占していた、つまりヨーロッパ勢力で香辛料を唯一買い付けていたヴェネツィアの商人でさえも、香辛料がどこからやって来るのか知りませんでした。

 ですが消費者である中世ヨーロッパ人にとって、そんなことは重要ではありませんでした。


 彼らにとって「未知なる東方から渡来してきた」ことが何よりも大事だったのです。


 当時、ヨーロッパやその近辺には、既に「サフラン」や「コリアンダー」「クミン」といった食欲を(そそ)らせる香辛料や「タイム」「ローズマリー」などのハーブが身近に存在していた上、「マスタード」を始めとする農民でも確保できる調味料は数多くありました。


『14世紀末の上流市民階級のメナジエ・ド・パリ(パリの家長)と名乗る人物が、その幼妻に伝えたフリュメンティという卵料理には、花ハッカ、ヘンルーダー、ヨモギギク、ミント、セージ、マジョラム、フェンネル、パセリ、ビーツ、スミレの花、ホウレンソウ、レタス、ジンジャーがみじん切りにされて入れられていた。おそらく、個性的な味わいだったに違いない。』(【図解 中世の生活】102P)


 味に変化や刺激を加えるだけなら、わざわざ大枚(はた)いて遠方の品々を取り寄せる必要は大してなかったのです。

 にも関わらず、インドや東南アジアの香辛料に中世ヨーロッパの人々が惹かれたのは、「東洋の神秘」が最大の要因でした。


 【交易の世界史 上】では、中世におけるスパイスの重要性について、分かりやすくするために『グッチの靴』で例えて説明しています。


『生産地を少しばかり曖昧にすることで商品に神秘的な雰囲気を纏わせてみよう。たとえばそのすばらしい履き物について知っているのは、どこか東のほうから港に運ばれてくるということだけとする。こうした状況では、グッチの販売店は格好のビジネスチャンスを得るどころか、紙幣を印刷する免許を持っているのも同然である。――中略――この例における架空の消費者が、グッチの靴がフィレンツェのどこにでもあるような普通の工場からやってくると知ったらどうなるだろうか?』(【交易の世界史 上】202P)


 古代、中世ヨーロッパの人々は香辛料(スパイス)の刺激的な風味よりも、その神秘性を口にすることに熱を入れ上げたのです。


『希少で、高価で、なによりも神秘的だった。その芳香と風味が伝えるメッセージとくらべれば、味覚的な魅力などどうでもよかった。』(【交易の世界史 上】202P)


 前編で書いた、コショウが一般的になるに連れてイメージが低下したというのも、ありふれてしまったことで“神秘性”が損なわれたからでした。


 全くの未知なる地から来るクローブ、ナツメグ、メースは勿論のことでしたが、産地やその地の事がある程度分かっているシナモンも、詳細が分からないが故の神秘性を備えており、これがコショウよりも高額な理由の一つとなっています。

 産地であるスリランカは『ローマ人の知りうる世界の東端』であり、シナモンはぎりぎり既知な世界と未知の世界の間に位置する香辛料だったのです。

 現世と異界の間で採取される産物と考えたら、十二分に神秘的ですね。


 また逆に中国ではヨーロッパで持て(はや)された香辛料が地理的に身近だった為、クローブが宮廷での口臭消しに使われるなど気軽に使用された一方、ヨーロッパで身近だった象牙などが珍重されています。


『象牙や香料といったヨーロッパでは比較的ありふれた品物が中国では珍重されたが、それらの産地であるアフリカやアラビアは距離という神秘のベールに包まれていたのだ。』(【交易の世界史 上】209P)


 そして、そういった特別な物には特別な力があるに違いないとも考えられていました。


『中世の人々が「香辛料」と呼んだものにはさまざまな用途があった。鍋のなかに放り込まれたのはそのほんの一部である。ロバート・ロペスによれば香辛料は「風味づけ、香水、染料、医薬品」として使われた。』(【大聖堂・製鉄・水車】356P)


 ※ロバート・ロペス(検索すると作曲家の方が出るが、恐らく歴史家ロバート・S・ロペスの事と思われる)


『フィレンツェの商人フランチェスコ・バルドゥッチが記した『商業の実践』には、一四世紀に商品として扱われた二八八種の「香辛料」が列挙されている――アニス、シナモン、クミン、ジンジャー、クローブ、ナッツメグ、コショウ、砂糖、ウイキョウ、シトロンに加えて、さまざまな薬剤や染料、工業用添加剤、それにショウノウ、蝋、ミョウバン、ローズウォーター、綿糸、ダマスカスの紙、糊、象牙、インディゴ、乳香、シェラック、麝香(じゃこう)、亜麻仁油、硝石、ソーダ灰、石鹸、テレビン油、ヴェネツィアの絹、マチン、金箔などである。』(【大聖堂・製鉄・水車】356P)


 つまり中世において、香辛料(スパイス)は単なる調味料ではなく、“薬品”として扱われていたのです。

 これは東西問わず共通しており、日本でも漢方薬の材料などとして扱われました。


 このように遠方から運ばれた珍しい物や希少な物には、何か特別な力、効能があるに違いないと考えるのは世界中で見られました。

 現代でも、欧米でヨガだとか茶だとかで健康に!というブームが起きた根底にも「東洋の神秘」が透けて見えることがありますし、日本もパワースポットといった“神秘性”に惹かれる感性は根強く残っています。

 (これは宗教にも言える事で、哲学的な宗派より密教のように“不思議パワー”的な宗派の方が、一般ウケしやすい歴史がある)


 古代や中世の人々も現代人と同じかそれ以上に“神秘性”の魅力には抗えなかったのでしょう。


 これはファンタジーにおいても同じことが言えるかもしれません。


 ドラゴンやユニコーンなどの幻獣の血肉や牙、角などに、不老不死や万病の治癒といった絶大な効能があるとされるのも、実は史実中世の人々が考えたように、「希少で神秘的だから特別な力が宿っている筈だ」というただの思い込みである可能性が否定できません。

 (幸か不幸か“プラシーボ効果”というものが、迷信を補強してしまう)


 ファンタジー世界でも、後世には「なんでこんなものを昔の人は妙薬だと考えたんだ。迷信深いにもほどがある」と言われてるのかも。


『迷信は不死身だ。こんにちサイが絶滅に瀕するほど殺されているのは、その角からつくられた粉末に催淫性があると信じられているからだ。希少な動植物からの生成物が持つとされる魔術的効果は、バイアグラの出現が人類を救うという話と同じくらいあやしげなものである。』(【交易の世界史 上】204P)



 ちなみに海洋貿易によって香辛料が大量に持ち込まれるようになった理由は、需要の高さから来る高利益だけでなく、軽くて腐りにくい事、単体が小さいために量が多くてもスペースを取らない事だそうです。


『たいていの貨物船がせいぜい一〇〇~二〇〇トンしか運べない時代に、これは決定的に重要な特性であった。』(【大聖堂・製鉄・水車】355P)


 過熱した中世の香辛料貿易ですが、その裏には前編での“砂糖”と同じく、黒い歴史が潜んでいました。


 古代ローマは広大な領土内にある鉱山や巨大経済圏である勢力圏そのものから得る財をもって、香辛料を買い付けていましたが、産業が貧弱であった中世ヨーロッパに大量の香辛料を輸入するほどの経済力はありません。


『ヨーロッパは輸入品の支払いにあてる貨幣が足りずに苦しんでいた。そのうえ西洋人は、東洋人が欲しがるような新商品をほとんどつくりだせなかった。』(【交易の世界史 上】200P)


 では、中世ヨーロッパの国々はどうやって高価な香辛料を手に入れるための資金を(まかな)ったのか?


『もちろん、ヨーロッパ人は喉から手が出るほどほしいスパイスと引き換えに、アレクサンドリアやカイロで差しだせるほかの商品を生みだしていた。イスラム軍の飽くなき兵士需要を満たすための商品が奴隷だったのだ。だいたい一二〇〇年から一五〇〇年にかけて、イタリア人は世界で最も成功した奴隷商人となり、黒海の東岸で奴隷を仕入れるとエジプトやレヴァントで売った。』(【交易の世界史 上】 201P)


 そう、奴隷軍人(マムルーク)を始めとする奴隷の需要があった中東やアンダルス(イスラム王朝支配下のスペイン)に、貧しいスラヴ人(スラヴという呼称と奴隷(スレイヴ)という言葉は無関係ではない)などが、外貨獲得のため奴隷として輸出されたのです。

 ヨーロッパから輸出された奴隷について詳しくは「サカーリバ」で調べてみると良いでしょう。


※(一応、ヨーロッパでもガラスなど輸出できる商品はあったが、貿易赤字を埋めるには到底足りなかった。主要産業の織物に至っては、暖かい毛織物は中東やアジアに需要は無く、亜麻布(リネン)はインド綿に敵わず市場競争すら出来なかった。結果、外貨獲得には奴隷の輸出に依存する事に)


『歴史上きわめてゆゆしき取引の舞台が整った。ヨーロッパ人はスパイスに夢中だった。イスラム教徒はモンゴル人や十字軍と戦うための兵を徴収しようと躍起になっていた。そして、イタリアはいまや大切な貨物である人間が運ばれてくる海峡を実効支配していた。』(【交易の世界史 上】217P)


 中世ヨーロッパが香辛料で盛り上がる裏で、歴史上悪名高い「三角貿易」に並ぶ貿易形態が地中海で繰り広げられたのです。


 そして、ヨーロッパの香辛料(スパイス)への渇望は、奴隷貿易だけでなく、あの大遠征を招く要因の一つにもなってしまいました。


『キリスト教世界の熱狂的な愛国主義者たちは東洋の香辛料をますます好きになるにつれ、スパイスあるところに異教徒ありというおもしろくもない事実に気づかされた。』(【交易の世界史 上】211P)


『一〇九九年、第一回十字軍がエルサレムを陥落させ、城門内にいたイスラム教徒、ユダヤ人、アルメニア人の男女、子どものほぼ全員を虐殺して聖なる任務を完遂した。』(【交易の世界史 上】212P)


 中世の大事件である十字軍の動機は様々でしたが、香辛料もその一因だったのです。


 更に第4回十字軍は、ヨーロッパと中東を結ぶ貿易を支配し、香辛料の取引も一手に担っていたヴェネツィアの思惑に大きく左右されました。

 教皇インノケンティウス3世による呼び掛けで始まったこの十字軍は、攻撃目標を戦略的理由から聖地(エルサレム)ではなくエジプトのカイロと秘密裏に定めたものの、軍の輸送を請け負ったヴェネツィアにとっては大変不都合な事態でした。


 エジプト(アイユーブ朝)は最大の貿易相手国だったからです。(香辛料の仕入先も主にエジプト)

 しかもヴェネツィアはエジプトと「エジプトにおけるヴェネツィア船の自由な入港と援助を保障する代わりに、ヴェネツィアはエジプトに対する遠征に協力しない」という協定を結んでいました。


 ヴェネツィア元首(ドージェ)エンリコ・ダンドロ(当時御年90歳近く!)はエジプトとの香辛料貿易を守るため、第4回十字軍を中止に追い込もうとします。

 が、それは案外簡単な事でした。


 十字軍に参加しようとする諸侯や騎士らに「目的地が聖地(エルサレム)ではない」ことを暴露するだけで事足りたのです。

 失望した諸侯と騎士は次々と国許へ帰り、ヴェネツィアの港に集まったのは予定の三分の一およそ一万。しかも船賃に()てる資金が諸侯と共に消え去った事で十字軍は支払いに困ってしまい、ヴェネツィアも内心ほくそ笑みつつ「前払い無しでは一隻も出さない」と突っぱねました。


 あっさりと十字軍のエジプト攻撃を中断させた老元首(ドージェ)ダンドロの前に、今度は何とも都合の良い話が転がり込みます。

 ビザンツ(東ローマ)帝国の帝位を追われたイサキオス2世の息子アンゲロスが、「幽閉された父の救出と自分を玉座に就ける手助けをしてくれるなら、義理の息子であるシュヴァーベン公フィリップがエジプト遠征休止の補償金を支払う」という要請を送ってきたのです。


 これはエジプト遠征をうやむやにするだけでなく、ヴェネツィア最大の商売敵であるビザンツ帝国を叩き潰す絶好の好機でした。

 ヨーロッパ・中東間の通商ルートはほぼヴェネツィア人の物でしたが、ビザンツ帝国勢力圏内はその例外だった上に、帝国の膝元であるダーダネルスとボスポラスの海峡は、地中海と黒海を繋ぐ唯一の出入り口。

 つまり主要な奴隷の供給地である黒海沿岸と中東を結ぶ海路は、商売敵の手中を通っており、ヴェネツィアにとっていつ封鎖されるか気が気ではない状況が続いていたのです。


 降って湧いたチャンスを逃さず、ダンドロは自ら十字軍に同行して『キリスト教世界で最も裕福な都市』たる帝都コンスタンティノープルを攻撃し、略奪。

 十字軍を利用して富と領土を奪っただけでなく、ヴェネツィア商人のビザンツ帝国領内(無論ダーダネルス=ボスポラス海峡も含む)での自由通行権を得た挙句、イタリア半島におけるライバル、ジェノヴァやピサを帝国との貿易から追い払うという大戦果を収めたのでした。


 莫大な富を生む香辛料を巡る貿易が、戦争や国際情勢にも大きな影響を与えたのです。


 しかし、第4回十字軍によって旧ビザンツ帝国を塗り替える形で建てられた“ラテン帝国”が、ビザンツの亡命政権の一つニカイア帝国に倒され正統なる帝国が復活すると、ヴェネツィアの天下は崩れます。

 代わってジェノヴァが復権を果たし、地中海での香辛料と奴隷の取引を支配しました。


 が、中東の一大勢力だったモンゴルの地方政権イルハン朝が衰えると、エジプトなどで奴隷軍人(マムルーク)の需要が低下した上に、古くから使われていた内陸の奴隷供給ルートが復活。

 中東の情勢変化によってイタリア諸国などによる奴隷輸出は急速に落ち込み、ジェノヴァの天下も長続きしませんでした。


 その後、貿易赤字の悪化を何とかしようともがいた(中東やアジアへの銃などの武器輸出もその一つ)ヨーロッパは、「大航海時代」の到来によってインドや東南アジアとの直接貿易を果たし、中東諸国の関税もイタリア商人による価格の吊り上げもない、自由な香辛料貿易が始まりました。

 しかし、ヨーロッパがその利益を享受する一方、東南アジアはヨーロッパ勢力の進出にやがて酷く苦しむこととなります。

 また、外洋貿易が主流になるに連れて地中海での交易は下火となり、イタリア諸国の凋落(ちょうらく)は勿論、エジプトやオスマン帝国の経済も徐々に衰退へ向かい始めました。

 この影響は近代以降、数多くの悲劇を生む事となります。



 中世が過ぎて大航海時代による香辛料の大量流入が起こると、香辛料への熱意は少しずつ落ち着いていったものの、その過程で獲得、形成された利権や領土、ノウハウなどは受け継がれ拡大していきます。

 それはやがて大きな野心を育んでいきました。


 香辛料を求めるヨーロッパの尽きることなき欲望は、植民地主義の土台を構成する一つの要素へと最悪の変貌を遂げていったのです。


※本項はあくまで「中世の香辛料」を主としているので、コロンブスの西インド諸島到達以降にヨーロッパへ持ち込まれた、バニラやオールスパイスなどの新たな香辛料については省略しています。ご了承ください。



主な参考資料


【交易の世界史 上】ウィリアム・バーンスタイン


【大聖堂・製鉄・水車】ジョセフ・ギース、フランシス・ギース


【図解 中世の生活】池上 正太


Wikipedia


サイト

【コインの散歩道】項目【雑木林】より【胡椒の値段】

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/Z052.htm


【GIGAZINE】中世ヨーロッパの物価をまとめたリスト

https://gigazine.net/news/20191202-medieval-price-list/


論文

【ヨーロッパ中世における食物のイメージ】池上 俊一

https://www.urakamizaidan.or.jp/research/jisseki/1994/vol05urakamif-16ikegami.pdf

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