中世の食事②【中世の食材】Q「中世ヨーロッパの人って何食べてたの?」A「ソバとか食べてたよ」
今回は中世ヨーロッパで食べられていた食材について。
中世ファンタジーに登場する食材は、基本的に肉や小麦などが多い印象を受けます。
魔物やそれらを討伐する冒険者の存在を考えれば、まあ肉が目立つのは自然ですが、上流階級から下層階級まで小麦(時にはライ麦)のパンを常に口にしているのは、史実と大きく違う点だと言えます。
中世ヨーロッパで食べられていた穀物は、麦以外にもありましたし、野菜も十字軍以降に種類が増えて、食卓の彩りは十分変化に富んでいました。
古代から存在したヨーロッパの野菜としては、内政チートの常連である“テンサイ”(サトウダイコン。砂糖の原料になるが製法は18世紀に発見された)を含む“ビート”類 (ビーツとも)が知られています。
なおビート類は主に葉菜として扱われますが、テービルビート(ビーツといえば、大抵これを指す)はその赤い根が美味である事で知られ、ボルシチなどでは欠かせない食材でもあります。(ボルシチの赤はビーツによるもの)
ただ、中世初期は野菜よりハーブの栽培、利用が盛んだったようです。
過去にTwitterで見かけ、メモしたものがあったのでここに載せます。
『野菜類は、にら、人参、アザミ、かぶら、大根、チシャ、キャベツ、レタス、クレッソン、アスパラガス、パセリ、玉ねぎ、エシャロット等が知られていたがあまり栽培されていず、シャルルマーニュ時代には、ヘンルーダ、エゾヨモギキク、マルバトウキ、アキギリ、トウバナ、イヌゴマ等が栽培され食された』
本項を執筆する際に軽く調べてみると、“大根”はラディッシュの事で、“クレッソン(クレソン)”は和名をオランダガラシといい、独特な香りとほのかな苦味、ピリッとする辛味があるそうです。
“チシャ”はキク科の野菜で、レタスの仲間。一緒くたにレタスそのものを指す事も(平安時代以降日本にも定着した。現代日本で一般的な玉レタスではなく、サニーレタスなどのいわゆる葉レタス)
そして“エシャロット”は玉ねぎの一種です。
カール大帝の時代に栽培されていたとある物については以下の通り。
・ヘンルーダ
種はお粥に、苦みのある葉は卵、チーズ、魚に加えて使ったり、プラムやワインと混ぜてミートソースにしたりする。
・エゾヨモギキク(タンジー)
魚料理、ソーセージ、リキュールの味付けに使用されオムレツの風味付けにも使われた。
・マルバトウキ
セリ科の植物で、生で食べることもセロリのように調理することもできる。
・アキギリ(セージ)
香ばしく、ややコショウのような味わいで香辛料として使用された。乾燥させた葉をハーブティーとして飲用したり、肉の臭み消しに利用する。
ソーセージや加工食品の香辛料としても使用され、アヒルや豚などの肉料理、ウナギ料理にも使われた。ソーセージの語源になったという俗説も。
・トウバナ
ハーブティーの材料になる。香り付けとして料理にも使われた。
・イヌゴマ属 (スタキス)
薬草として利用されたが、ジャガイモのように塊茎が食用になる。(ただし、日本のイヌゴマは食用にならない)
このように、当初は野菜よりハーブなどが優勢な状況だったみたいです。
中世盛期になると十字軍遠征を通じて、それまでヨーロッパには無かった作物が持ち込まれ、当時の食卓にも野菜などが見られるようになりました。
ただ物流の問題で、都市部では野菜や果物が高級品になってしまい、一般的だったとは言い難いですが。
(【ロシア・ビヨンド】曰く、中世を過ぎた17世紀ロシアでも、モスクワに新鮮な果物は見当たらず、皇帝一族であってもビタミン類の栄養を摂取する事は困難だったらしい。この為、くる病を患う皇子も多かったとか)
また、普及しなかったり広まるのに時間が掛かった物も多かったようです。
9世紀にアラブからシチリア島(イタリア半島の爪先にある島)へ持ち込まれたホウレンソウは、12世紀後半にスペインへ渡り、中欧でも13世紀にアルベルトゥス・マグヌスよって初めて言及されていましたが、イギリスやフランスに伝わったのは14世紀と大分遅れました。
また、14世紀の写本【健康全書】ではホウレンソウは野菜というより薬草として扱われていたようです。
ナスに至っては気候が合わなかったり、見た目から毒を持つと思われたことで普及しませんでした。(イタリアでは食べ過ぎると狂気を齎すとされた。実際、花や葉は大量に摂取するとソラニン中毒になる可能性有)
ヒマラヤ東部原産のレモンも、2世紀には南イタリア辺りに到来して、ホウレンソウと同じく9世紀にシチリア島がイスラム帝国に征服されたことをきっかけにレモン栽培が行われたものの、ヨーロッパの他の地域での栽培は上手くいかなかったようです。
このため、輸入に頼ったレモンと柑橘類は、中世ヨーロッパにおいて富の象徴とされたのだとか。
ヨーロッパで最初のレモンの実質的な栽培は、渡欧から随分遅れて15世紀半ばにジェノヴァで始まり、以後はイタリアやスペインで盛んに生産されるようになりました。
ですが、十字軍をきっかけにヨーロッパへ渡った作物で最も重要なのは“ソバ”です。
はい、日本人にも馴染み深いあの“ソバ”です。
ソバというと日本人はつい麺料理である“蕎麦”を想起してしまいますが、これは本来「蕎麦切り」と呼ばれる物で、江戸時代に広まった料理でした。(誕生は恐らく戦国時代の信濃)
それ以前のソバは「蕎麦がき」という“すいとん”に似た料理にして食べられ、更に鎌倉時代より古くは粒のまま粥にしていたとか。
ヨーロッパでも粒のまま粥にしたり、そば粉を多様に使っています。
フランス北西部のブルターニュ地方では、12世紀には既に存在していた事が考古学的に分かっていて、ソバ粥にして食されていたそうです。
ところがある時、火にかけていた粥をうっかり落としてしまい、それが熱せられていた石の上でパンケーキのように焼けた事がきっかけで、“ガレット”や“クレープ”(ブルターニュ・クレープ)が作られる様になったとか。
そば粉の生地を薄焼きにしたガレット(ガレット・ブルトンヌ)は、気候上小麦が育ちにくいブルターニュにおいてパンの代わりを果たし、現在も愛される伝統料理となりました。(当時は塩味のみ)
クレープも、13世紀にブルターニュのランデヴェネック修道院で作られていたことが判明しており、ソバは上で書いた他の作物と違って早くに一般化していた様です。
一方の東欧では、ロシア、ウクライナを中心にモンゴルの支配下にあった時代 (タタールのくびき。13~15世紀)にソバが齎された可能性が高いらしいです。
東欧のお粥、“カーシャ”も古くから現在までソバを使った物が愛されています。
このように、十字軍などを機にヨーロッパへ持ち込まれたソバは、小麦が生育しにくい痩せた土地でも育つ作物として重宝され、農民や労働者といった庶民の強い味方としてヨーロッパでも広く食されていました。
翻って富裕層に好まれた食材は何だったのか?
牛肉も勿論そうでしたが、実は“ナマズ”が富裕層のステータスになっていたそうです。
ナマズは日本においても縄文時代から食べられており、室町時代には贈答品にもなっていたとか。
ヨーロッパでも紀元前からナマズは広く食べられていたようですが、古代においては食材としてだけでなく薬の材料としても見られていたようです。
中世においても滋養のある食材として「病人の食用にも適している」とされ、古代と同じく食材としても薬用としても利用されていました。
一方で古代から“ナマズ”は文化的ステータスシンボルとしても扱われていたらしく、【食卓の賢人たち】(アテナイオス著。2世紀の書物)で『真っ先にシルロスを出すとは文化的だな』という台詞があるのだとか。
中世を過ぎてしまいますが、近世初期である16世紀の資料でも、“ナマズ”は王侯貴族が食する魚とされているそうです。
『若い個体の肉は美味であり好ましく食する事ができ、王国の食卓にも出る。年老いた大きなものは食べるに不快である』(16世紀の博物学者コンラート・ゲスラー著【動物誌】より。出典【世界のナマズ食文化とその歴史】)
古代における扱いと16世紀における扱いを見るに、その間にある中世でも“ナマズ”の食材としての地位は高かったと容易に想像できます。(状況証拠だけで確かとは言えませんが)
しかし、17世紀には、味は良くてもヒキガエルに似た見た目から女性に調理を嫌がられるといった記述が見られるなど、徐々にナマズ食文化は下火になっていったようです。
ナマズの他に、貴族などの間ではカレイやコイも好まれ、クジラやチョウザメ(キャビアの材料がこの魚の卵)は王の食べる魚とされたとか。
肉に関しても現代と同じく、豚よりは牛の方が食材としての地位が高いとされましたが、中世では牛より鳥の方が地位が高かったようです。その理由が「最も天に近いから」だそうで。
空を飛ぶ鳥は天、つまり他の動物より神に近いとして上流階級に好まれたのでした。
これには王侯貴族の娯楽でもあった鷹狩の存在も少し関係しているかもしれません。(そもそも空を行く鳥を仕留められる技術を持つ人間が限られている)
同じように、根菜など地中で育つ作物や可食部が地面に接する葉野菜よりも、地面の上で育つ作物の方が上位とされ、地面から離れて実が成る果樹は更に高位ともされたそうです。
上流階級の人間が低位とされた食材を口にしたり、逆に下層階級の人間が高位の物を食べると世界の秩序に反したとして健康を害する、なんて考えもあったとか。
そして、意外にも富裕層に不評だったのは“バター”です。
古くから一般的な食材でしたが「貧しい者や野蛮人の食べ物」と見られがちで、英語版やドイツ語版などのWikipedia記事によれば、消費者は主に農民でした。
上流階級に受け入れられたのは、16世紀初頭(もしくは1491年)にローマカトリック教会が四旬節での消費を許可したときからだそう。
つまり中世の間は宗教的都合(四旬節などの時期は肉食を禁じる事に抵触)からあまり受け入れられていなかったみたいです。
古代でも上流階級の間ではオリーブオイルが圧倒的だったそうで、この事も関係していたようです。(古代ローマなどでのバター利用は薬用や化粧品、ランプの燃料ぐらい)
最後に、日本人を含むアジア人に欠かせない“米”。
アジアのイメージが強く、ヨーロッパには無いと思われがちですが、実はありました。
といっても、地域は限定されますが。
中世の北イタリアで、米が薬草として少量が生産されていたことはある程度知られていますが、イベリア半島(スペイン、ポルトガル)に進出したムーア人(北西アフリカ人。主にアマジグ人を指す)によって10世紀には稲作が行われました。(スペイン料理に米を使った物があるのはこの影響?)
また、古代でもアレクサンドロス大王の東征によってギリシャ辺りに持ち込まれ、以後バルカン半島で稲作が行われています。
東ローマ帝国の料理にも米を使用したものがあり、蛸や烏賊の中に米を詰めて調理したものもあったとか。
(正教会で定められた斎日は、血肉を食する事が禁じられている為、戒律に引っ掛からないタコやイカ、貝が重宝された。現在もギリシャ辺りでは魚以外のシーフードも多い)
このように地中海地域では米が生産され食されていましたが、やはり食文化において麦の存在には勝てず、穀物としては脇役に過ぎなかったようです。
ですが、確かにヨーロッパでも米は存在し利用されていたのでした。
なお、地中海地域以外でも一応米作りがされていたそうです。
ジョージア語wiki記事によれば、拙作【魔王の庶子】の舞台のモデルである南コーカサスでも、イラン経由で米が伝わり、クヴェモ・カルトリ地域、イオリ川、アラザニ川、アジャリアなどジョージア南部に稲作が広がった様です。
1900年代以降作付面積が激減して、今ではもう米作りは見られないそうですが。
以上の様に、トマトやジャガイモを始めとするアメリカ大陸から渡って来た作物が無くとも、中世ヨーロッパには十分多様な食材がありました。
ジャガイモやテンサイによる内政チートは定番ですが、ファンタジー世界へ転移或いは転生した主人公が地中海沿岸的な地域で米を見つけて感涙するとか、未知の穀物だと思ってたらソバだった事に驚くとか、ナマズ料理にぎょっとするとかも、小説ネタとしてアリではないでしょうか?
主な参考資料
【図解 中世の生活】池上正太
Wikipedia
論文
【世界のナマズ食文化とその歴史】寺嶋昌代・萩生田憲昭
Watanabe
@nabe1975
(中世ヨーロッパについて造詣が深い)