表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/49

中世の食事①【中世ヨーロッパの食卓】中世人「フォーク? 何それ? ナイフだけで充分じゃん」


 中世の食事といえばどういったものを想像するでしょうか?


 パンとスープは鉄板として、味付けは塩ぐらい、香辛料なんてもってのほか、酒場では泡立つビールと肉が飛び交って夜を盛り上げ、城や屋敷ではナイフとフォークで上品な料理の数々に口を付ける……。


 こんな感じですかね。はい、本エッセイではいつもの通りですが、これらは史実と異なります。


 中世といっても長ーい期間なので、細かく見ると結構変遷はありますが、いくつか確実に言える事はあります。例えば題名通り、フォークはほとんど使われなかったとか。


 今回から《中世の食事》と題し複数回に分けて、中世の食事事情を解説したいと思います。



 まず、食器についてから。


 先に書いたように、中世の食卓にフォークはほとんどありませんでした。

 中世にフォークがあったのは現在のギリシャからトルコ辺りに存在したビザンツ(東ローマ)帝国やその影響を受けたイタリアぐらいです。


 フォークそのものは古代ギリシャやローマから存在し、中東にも広まってはいたようですが、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでは長い間かなりマイナーな食器のままでした。


 というのも当時の物は現在と違って刺すだけしかできず、形も二又で真っ直ぐという、(すく)ったり麺を絡めたりして口に運ぶのに向かないものだったようです。

 また、そもそも肉などを切り分ける時ぐらいにしか使わないという使用機会の少なさもあって、メジャーな食器にはなり得なかったとか。


 イタリア語wikiによれば、フォークは1003年、ヴェネツィア元首へ嫁入りしたビザンツ皇女マリアと共に初めてイタリアへ渡ったものの、広まったのは300年も後の14世紀になってからだそう。

 また当初はフォークの使用に宗教的批判もあったそうで、これも普及が遅れた理由のようです。


 ではフォークが一般的に使われる以前はどうやって食べていたのかというと、手掴みもしくはナイフで突き刺して口に運んでいました。


 フォークが普及した中世イタリアでも、使っていたのは富裕層ぐらいで、一般庶民は手掴みのままな状況が長く続いています。

 イタリアの国民食であるパスタも中世盛期にはもう現在の形になったそうですが、庶民の間では近代になっても手で摘み上げてぶら下がる麺の先から食べるという、現代視点からすればみっともなく見える食べ方でした。


 イタリア以外ではフォークの広まりは数百年も遅く、しかも最初は宮廷や貴族、富裕層という限られた人々にしか浸透していません。


 【ダンピアのおいしい冒険】1巻のおまけ四コマでも17世紀英国のフォーク事情に触れていてますが、ここでもフォークに対する上流階級とそれ以外の人の温度差があります。


 大学を卒業した“身分ある家の子弟”は卒業旅行(グランドツアー)で大陸を旅するのですが、古くから文化、芸術の町で知られるローマを訪れて憧憬(しょうけい)の念を抱く者も多かったのか、イタリアからヨーロッパの富裕層に広まったフォークも憧れの品と見なされました。

 それと同時に『大多数の英国人をイラっとさせる品だった』そうです。裕福でない人達の目には「貴族や金持ちが使う気障(きざ)ったらしい道具」と映ったんでしょうか。


 そして、一般人への本格的な普及や現在の形のフォークが誕生したのは、18、19世紀と歴史的にはつい最近の事です。


 中世ファンタジーに三又や四つ又のフォークが登場するのは、過去の“転移者”や“転生者”が広めたと考えるのが自然でしょうかね。


 ちなみに漫画【竜と勇者と配達人】では、中世ファンタジー世界に敢えてアメリカ大陸原産のトマトやジャガイモに加え、二又フォークが登場させられています。果てには“スシ”まで。(※作者のグレゴリウス山田先生は、鎧や盾を収集するレベルの中世ガチ勢)


 というのも漫画作中には『考証局』という辻褄(つじつま)合わせのプロがおり、中世には普及していない筈の物が、謎の技術を持つ彼らによって広められているという裏話が単行本おまけとして、中世ファンタジーにありがちな“トマト、ジャガイモ問題”を逆手に取ったネタになっています。

 また“カレー”もしれっと登場していますが、こちらは遠方の料理を再現しようとしたスライム料理という設定だそうで。


 中世ファンタジーで中世に無かった物を登場させるなら、そういった一捻りを加えれば違和感を生じさせることは無くなるのではないでしょうか?



 なおスプーンはどうだったのかというと、フォークより遥かに広まってはいたものの、意外にも使用されることは多くなかったそうです。

 フォークよりは需要が高そうにも思えますが、やはり手掴みや直接器に口を付けたりしていたのだとか。他にもちぎったパンで(すく)うという事も。


 スプーンはフォークと同じく、紀元前から存在はしていましたが、こちらも中世においては「神から与えられた手指で食べないのは自然の摂理に反する」といった宗教的批判があったようです。

 中世後期にもなれば上流階級の間で普通に使用され始めたものの、庶民への普及は17世紀頃……完全に中世通り過ぎてますがな……。


 なおスプーンを使う上流階級では食事に招かれた際、基本的にスプーンは持参する物でした。(ナイフも同様)

 スプーンの材質でその人の財力が見られたので、上流階級の人間はたとえ懐が厳しくても、見栄を張って銀製のスプーンを揃えていたとか。


 中にはケチって白目(ピューター) ((スズ)に鉛を加えた合金)製の食器を使う者もいたようですが。


 ちなみに、戦国時代の日本を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスの著書の中に、「ヨーロッパ人は手掴みで食べるが、日本人は箸を使う」といった内容の記述があるそうです。

 更に、「太陽王」と称されたフランス国王“ルイ14世”の食事も、古代ローマの作法に(なら)って手掴みで行われていたと言われています。


 やはり17世紀(1600年代、日本でいう江戸時代)にならないと、食器(カトラリー)はあまり使われなかったようですね。


 ……拙作【魔王の庶子】の中で当たり前の様にスプーン登場させてしまったなぁ。

 執筆当時、中世にフォークがほぼ無いのは知っていたんですが、スプーンは普通にあるだろうと碌に調べないまま書いちゃいました……。


 いや、舞台モデルにしたグルジア王国は、食器を使ってたビザンツ帝国と浅はかならぬ関係だったし、スプーンが一般普及していてもおかしくない!

 という後付け設定で押し通します。時には開き直りも創作活動では重要なのです。


 まあ普及してないって言っても全く無いわけでもなく、庶民でも使うことはあるにはあったようですが。



 フォーク、スプーンに続いては皿の話。


 中世ヨーロッパの宮廷などでは専ら平たくて堅い()()が皿として使われていたそうです。これは“トレッチャー”と呼ばれる皿の一種で、中世後期には木製となりました。

 平パンを皿として使用することはローマ以前の古代でもあったそうです。古代では使い捨て皿として廃棄されてしまう事もありましたが、中世では使用済みトレッチャーが召使などの(まかな)いとなったとか。


 中世日本でも武家などの間で“かわらけ”という素焼きの土皿が使い捨てで使用されていますが、洋の東西を問わず、宴など大人数での食事の際はこういった使い捨て食器が多用されたようです。

 現代での紙皿に近い感覚ですね。当時は今よりもずっと洗う手間は大きかったでしょうから、このやり方は合理的かつ衛生的と言えます。


 そして、宮廷だろうが店だろうが民家であろうが、中世ヨーロッパの食卓に共通していたのは、料理が常に大皿の上にあったという事です。


 中世の食事は基本的に取り分けが前提だったらしく、特に肉を客人に切り分けるのはホストの重要な役目でした。

 店でも料理は大皿で出され、複数人で同じ料理を分け合う事はよくあったそうです。


 現代日本の感覚だと盛り合わせや鍋などが近いかもしれません。取り皿があったのかどうかは不明ですが。

 しかし、当時の食卓には現代にもあるトラブルが当然存在した様です。


 【竜と勇者と配達人】のおまけコラムにも、『恐らく「食事を共にする」事が今よりずっと重視された当時故の慣習でしょうが、しかしそれ故に食べ物を取り合い対立する事もあったようです。食卓の上は弱肉強食なのです。』とあり、こういった事情を元に食事関係の滑稽噺(こっけいばなし)も作られたとか。

 14世紀のフィレンツェ人フランコ・サケッティがそういう小咄(こばなし)を纏めていて、日本語書籍としては【ルネッサンス巷談集】があるそうです。

 検索したら岩波文庫で出されてますね。流石、歴史に強い岩波さんやでぇ。



 さて食器の次は、人々の食卓の状況について触れて終わります。食材の詳細はまた今度、別の項で。


 農村では一般的に想像される通り、自給自足ができてはいましたが貧しい食生活でした。

 麦は税として納めなければならない上に、現金に換えたり来年の種もみを確保しなければならず、自分達で消費する分はそう多くはありません。

 彼らが口にできたのは雑穀や根菜が中心でした。


 農民のパンは大抵ライ麦などの黒パンでしたが、保存性を高めるために堅く焼き締められているのでスープに浸して柔らかくする必要がありました。

 しかも薪を節約する目的で一度に大量に焼いておくため、保存分は日が経つに連れ(しな)びて、更に堅くなってしまいます。


 しかも製粉所である水車小屋や風車小屋は、設置における初期費用から自然と領主の所有ばかりで、持ち込んだ麦の一部が利用料として取られ、それが一種の税として機能していました。


 このため役人でもあった水車番などは「領主の手先」として農民から嫌われていました。

 麦を製粉すると見た目上は元の量から一気に減る事も、「渡した麦の一部を税とは別にちょろまかしている」と横領を疑われ、更に嫌われる要因となっています。


 こうした製粉に伴う徴収を嫌ったり、製粉所を利用できる程の余裕のない人は(かゆ)を常食していました。


 よく最近の異世界ファンタジーで「お粥」が東洋の料理として登場する事がありますが、実際には世界各地にあります。「ポリッジ」や「カーシャ」などですね。

 ヨーロッパにおいても粥は古くから存在しており、古代ギリシャやローマでも一般的でした。

 逆にパン作りが盛んだった古代エジプトの人々を「パン食い人」と呼んでいた事もあったほどです。


 農村でも家畜の肉を食べる事もありましたが、牛は農耕用、豚は出荷用である事が多いので、冬場の保存食以外ではほとんど口にされる事はありません。


 このため豆類が貴重なタンパク源となっていました。

 が、聖職者などの間では「エンドウ豆を何度も食べると頭が鈍くなる」と言われており、「常に豆を食べているから農民は愚鈍なのだ」という認識が存在していたそうです。


 都市では自給自足の農村と違い、基本的に食料品店や行商人から食材を買ったり、パン屋へパン種を持ち込んで焼いてもらったり既にできている品物を購入してしました。

 専門の料理人や屋台が登場するのは中世盛期からで、その内容は串焼きやパイなど多岐に渡り、ファンタジーの中でイメージされているものとそう離れてはいません。


 これら食料品店や料理店は都市の自治を担う参事会によって管理され、値段や質が保たれるようにしていましたが、こっそり質や量を誤魔化し、差額を儲けようとする悪徳商売人は常に存在したようです。

 近世18世紀になっても普通にワインに混ぜ物がされてる有様ですしね。(水で薄めるのは勿論、化学反応で甘みが増す鉛を添加する事も多かった)

 現代でもたまーに食品の問題はありますが、当時はその比ではありませんでした。


 また漫画【乙女戦争外伝:1 赤い瞳のヴィクトルカ】序盤で、主人公のヴィクトルカが貧民向けの安いパンを買っているのですが、これは質の悪い麦が使われており、“麦角菌”に侵された麦(毒麦)も含まれていたとか。

 結果、都市内の貧しい人々の間で“麦角中毒”(当時は原因不明の病とされ、「聖アントニウスの火」と呼ばれ恐れられた)が度々発生していました。

 (漫画作中でもヤン・ジシュカが「貧民の病」と言っており、ヴィクトルカの母は麦角中毒を患って亡くなった上、ヴィクトルカ自身も中毒症状が現れてしまう)


 一方で都市の富裕層は貴族を真似て宴会を好んで開き、様々な料理を楽しんだそうです。

 プティングやソーセージといった内臓料理を始め、ローストやパイ包み(パテ)※にされた肉料理やウナギ(ヨーロッパウナギ)やナマズを含む魚料理も数多くありました。

 ただ野菜、特に新鮮な生野菜や果物は当時の物流の都合上、やや貴重だった様です。


 ※(「ハフペースト」と呼ばれる当時のパイ生地は、かなり堅くて食べにくく、内部の保存性を高めたり、灰汁(あく)と同様に扱われた肉汁を吸わせるための物とされ、パン製トレッチャーと同じく後で使用人の食事になる物だった)


 最後に、城での食事。


 城では昼の正餐(せいさん)と夕食となる午餐の二度に分けられ、正餐は豪勢に、午餐は軽くが普通だったそうです。

 また、大広間に折り畳みの机や椅子を並べて、大勢での食事を頻繁に行いました。食堂などの食事用の部屋なんてものは無かったみたいですね。

 (日本の“国替え”のように、ヨーロッパの城主は引っ越しを命じられる場合がある事や、上下の距離が離れすぎないようにする事情から、折り畳みの家具や大広間の活用が多かったそう)


 その大広間の床には(わら)や香草などを撒いて、靴の泥や食べこぼしの掃除を楽にできるようにしつつ、香りを演出していたのだとか。

 茶殻を撒いてから箒で掃くときれいにゴミが取れるみたいな知恵が、中世ヨーロッパにもあったんですね。ついでに香りを楽しめるようにするのもセンスが感じられます。


 そして、味付けに欠かせない塩は需要の高さもあってまあまあ贅沢な品だったので、宴席の際には主賓から順に塩の器が回され、これが「above the salt」(上座)「below the salt」(下座)の語源になったそうです。

 

 料理の内容は家畜や狩りで得た肉がメインで、川沿いでなかったり港を持たない都市もそうでしたが魚はあまり食べられなかったとか。


 そのため近代に保存技術が向上するまで、港町で保存加工された魚は内陸での需要が非常に高く、これが後にオランダ勃興の要因となりました。

 ニシン漁が盛んだったオランダでは、獲った魚を塩漬けや干物にしての輸出で多大な利益を上げており、やがて船上で保存加工を行う技術(工船)を開発して大量生産を実現し、莫大な富を手にしたのです。


 ただ中には養殖池を設けて、いつでも魚が食べられる状況にしていた城や都市もあった様です。(コイの養殖は13世紀から16世紀にかけてヨーロッパに広まり、養殖技術が確立したのは15世紀初頭らしい)


 城の食卓は先に解説した通り、堅い平パンをトレッチャーという皿にして料理を盛り付ける事が多かったのですが、客を招いての宴では味よりも見た目のインパクトや食材の珍しさが優先されがちだったとか。

 (むし)った羽を再利用して元の野鳥を実物大に再現した料理や、巨大なパイをナイフで開けると中から生きた鳥が飛び出す珍妙な物まであったそうです。



 以上、中世の食卓をざっと解説させて頂きました。

 随分とファンタジーとは違った様相ですが、まだまだこんなものではありません。


 《中世の食事》では、当時食べられていた食材についてや香辛料(スパイス)にまつわる誤解などを、複数回に分けて解説をしていきたいと思います。

 特に香辛料に関しては教科書にもケンカを売りますよ!(※筆者の世代とそれ以前の教科書。最近の教科書では修正されてるのかは把握してません)



主な参考資料


【図解 中世の暮らし】池上正太


Wikipedia


漫画

【ダンピアのおいしい冒険】トマトスープ

【竜と勇者と配達人】グレゴリウス山田

【騎士譚は城壁の中に花ひらく】ゆづか正成

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ