現実の騎士の姿⑥【騎士道の実態。生身の騎士の実情】彼らは所詮、人間だった
『私に言わせれば、それは軍人ではなく悪人だ』
――クレルヴォーのベルナルドゥス(1090~1153年。フランスの神学者。聖人“聖ベルナルド”)
今回で《現実の騎士の姿》シリーズは一旦区切りとなりますが、本項では“騎士”の精神性や暮らしを中心とした実態に迫っていきます。
正直、この部分を最後に回さず他の項目より先に書いとくべきでしたね。
騎士というと「誠実で忠義に篤い」というイメージが先行しますが、実際のところ彼らも我々と同じ人間に過ぎず、無条件に他人へ奉仕できる機械でも物語のヒーローの様な浮世離れした存在でもありません。
騎士も所詮は人間です。
表面的には気高く立派に振る舞っても、人間である以上は感情や欲望に従って生きていたのです。
まず騎士の“忠誠心”から触れましょう。
騎士というとやはり忠誠心が強いイメージが根強いですが、江戸時代以前の武士と同じように騎士もまた、主君への忠誠は打算的なものでした。
そして武士の“郎党”と同じように、己の意思で仕える主君を変えたり、複数の主君と掛け持ちの主従契約を結んだりと、忠義よりまず利益を優先することが多い存在だったのです。
彼らと主君の主従関係は、基本的にビジネスライクな冷めたものでしかありません。
現代的に言えば大企業とその下請け、もしくは仕事上の上司と部下です。
たとえ信頼関係を築けたとしてもそれは個人間のものでしかなく、“家”や“一族”の利害や都合に合わなくなれば、繋がりはあっさり崩壊してしまう。
君主と騎士はそんな契約的主従関係でした。
ただ、時代が下ると“騎士道精神”の盛り上がりと共に、無私の忠誠を示す事も意識されるようにもなります。
……騎士道が持て囃されたのは、本エッセイで何度か説明したように、自分達は特別な存在なんだと強調し、矜持を慰めることで、戦場での騎士の価値が低下したことに目を背けたかったからですが。
また、主君から戦への参陣を求められても、自費による軍備の自弁という重い負担故に、その従軍期間は1年につき40〜60日と定められており、定められた奉仕義務以上の従軍を騎士は嫌がりました。
略奪や捕虜の身代金で得たせっかくの稼ぎが、軍役負担の増加で帳消しになってしまうのは御免だったのです。(特に冬季の戦闘は、単純に寒いのと、薪の費用が嵩む点で騎士に嫌がられた)
君主が騎士達をそれ以上の期間を戦わせるには、来年以降の軍役を前借りしなければなりませんでした。
漫画【乙女戦争】でも、3年分の軍役を前倒しで負担した事を理由に、スティボルツ卿が皇帝ジギスムントの下から戦線離脱するシーンがあります。
さて、【騎士の地位と役割】にもあった様に「騎士」は元来“騎馬戦士”であり、その存在意義は正しく戦う事でした。
その彼らに「飛び道具は下賤」などといった誇り高いゲルマン部族戦士としての精神はあっても、「弱者を慮る騎士道精神」は元々持っていませんでした。
初期の騎士はヴァイキング同様、神の家である筈の教会堂を、金目の物や避難してきた女子供が詰まった“宝物庫”としか認識しておらず、丸腰の教会は優先的に略奪されたそうです。
以前にも書きましたが、これにうんざりしたカトリック教会による介入(「神の平和」、「神の休戦」)という形で騎士の“キリスト教化”を経て、キリスト教的倫理観を植え付けられると同時に、キリスト教社会で重要な立ち位置を与えられました。
当然、それに相応しい立ち振る舞いが求められます。
騎士道は元来、騎士がキリスト教化される以前よりあった礼儀作法であり生き方でもありました。(騎士道という言葉はまだ無かったと思われるが、不文律として共通の理念はあったと考えられる)
ですが、教会に是認されていく過程で、教会儀式やキリスト教的観念が随分と加えられていきます。
『パルシファル(Parsifal)やガラハッド(Galahad)という神話的人物においては、司祭と騎士とは、中世キリスト教世界が理想として憧れたように、等しく献身的で、同じように信心深くて、見分けのつかないものとなったのであった。』(【ヨーロッパ史における戦争】20P)
加えて、宮廷吟遊詩人達が描いた騎士道文学による理想的な騎士像も、騎士達の心持ちに大きな影響を与えました。
だがしかし、これらの事象にも関わらず、騎士は好戦的であり続けました。戦闘や略奪を好んで行ったのです。
カトリック教会は彼らの好戦性を理解していたので、当然それの抑制を図りました。
教会や丸腰の聖職者、農夫や貧しい者といった非戦闘員や聖域に略奪や暴力を働く事を禁じた“神の平和”に加え、“神の休戦”で『悔悛者が特定の日々に断食をしなくてはいけないのと同様に、騎士は日曜日と聖日に戦う楽しみをあきらめる』(【中世ヨーロッパの騎士】31P)などの事を求めています。
また“異教徒との戦い”や“反乱の鎮圧”などの『正当な理由により合法的な優越者の権威に基づいて行われる戦争は正しい』と認め、ガス抜きとしての抜け道を用意しつつも、暴力を制限しコントロールしようと試みました。
『それにも関わらず、そして驚くにあたらないが、何世代もの間戦闘をするために育て上げられたある階級の人々は、外敵がいなくなると(いないわけではなかったときでさえ)、互いの間で戦うようになった。』(【ヨーロッパ史における戦争】22P)
また封建制度によって、西ローマ帝国崩壊に伴う中世初期の混乱はある程度抑えられましたが、一方で封建社会が数え切れない紛争の火種を孕んでいた事も大きいでしょう。
『封建的保有権にからんだ権利と義務、本分と忠誠の網は、果てのない紛争を引き起こしたし、明瞭な法体系と法の強制力がないため、人々は戦闘によって権利を主張するようになった。』(【ヨーロッパ史における戦争】22P)
一応、教会による統制とローマ法を基にした法整備の影響によって、個人間による「私戦」と国による「公戦」が次第に分けられ、「私戦」にはかなりの制限が課せられていき、中世後期にはついに違法と定められるようになります。
公戦では略奪や焼き討ちなどに大きな制限はありませんでしたが、私戦においては『戦闘で相手を殺すことはかまわないが、その財産を焼いたり略奪することはできなかった』そうです。
法の強制力があまりなかった時代に、どこまでそれが守られていたのか、法が正しく運用されていたのかはかなり怪しいところですが……。
例えば、聖職者とその農民は略奪を免れる事になっていましたが、それも“戦争に「援助と支持」で関わっている場合”(つまり戦っている何れかの勢力に何らかの形で肩入れしている場合)は免除されません。
そして大抵の場合、関わっていると疑われました。本当に無関係でも、無理矢理こじつけられて略奪されたことでしょう。
ここまで騎士の野蛮な面を大まかに説明しましたが、騎士の方にも事情がありました。
彼らが戦争や略奪を好んだ背景には、生活が懸かっているという切実な理由があったのです。
【騎士の地位と役割】で解説したように、騎士は軍役の負担や、地位に相応しい格好と従者、生活によって財政を圧迫されていました。
その多大な支出を領地収入だけでは賄えない者達にとって、戦争は臨時ボーナスを獲得できる大きな好機。
戦場に栄光や栄達を夢見るだけではなく、戦利品と捕虜の身代金で赤字財政を強引に黒字へと変えるために、騎士は喜び勇んで戦場に向かったのです。
装備や軍資金のための借金をしてまで。
騎士にとって戦争で他者から富を奪う事が、領地からの収入に並ぶ重要な収入源である以上、いくら教会や騎士道物語が理想を説いても、略奪に歯止めが掛かる事はありませんでした。
他者から奪わなければ破産しかねないという厳しい騎士の懐事情は、騎士譚でも十分に伺えます。
【ギョーム・ル・マレシャル伝】の主人公、ウィリアム・マーシャル(1146~1219年。【中世ヨーロッパの騎士】によると1144年生まれ)。
彼は1156年に家を出されて、ノルマンディ公の侍従長を務めるいとこのタンカーヴィル卿の下で教育を受けましたが、12歳或いは10歳という若さで家から離された理由は経済的事情です。
父ジョンは、ヘンリー2世から“無政府時代”(イングランドのノルマン朝断絶による後継争いの内乱)における「王母マティルダへの貢献」への褒賞として、生涯収入を保証する荘園を与えられました。
これに加えて、相続した土地や他に所有する荘園を合わせると中々の資産となりましたが、『それでも息子たちを養えるほどではなかった』(【中世ヨーロッパの騎士】128P)そうで、資産と役職(王室の厩役)を継いだ長男以外は、自分で生計を立てねばならず、父の再婚相手の次男だったウィリアムも自立に向けて、いとこの世話になったのです。
ウィリアムは20歳の時に騎士へと叙任され、フランス西部のドランクールへの救援で初陣を飾りました。
『住民が窓からはやし立てるなか、街路の接近戦に身を投じた』(【中世ヨーロッパの騎士】131P)彼の活躍もあって戦闘は勝利に終わります。
しかし、ここでウィリアムは騎士の現実にぶつかりました。
『勝利を祝うその晩の宴で、ひとりの騎士がウィリアムの働きについて言った――ウィリアムの戦いは町を解放する役には立ったが、身代金をとれる捕虜も確保していないし、馬も装備も奪っていない。つまり、生身の騎士でなく理想の騎士も同然で、立派だがそれだけだ。エセックス伯は、騎士に戦利品を潔しとしない余裕はないとウィリアムに念を押した。』(【中世ヨーロッパの騎士】131P)
ウィリアムはこの後、参陣前よりもずっと困窮してしまい(戦傷が元で馬が死に、帰る足として手に入れた安い荷馬も所持品を売り払ってようやくという有様)、「理想は理想に過ぎない」のだと反省するに十分な経験をしたようです。
【中世ヨーロッパの騎士】では「現実的な騎士の生き方」を覚えた彼の逸話が紹介されています。
ある馬上槍試合での晩餐会で、相手方の騎士が通りで転んで骨折してしまったのを見たウィリアムは、迷わず倒れた騎士に駆け寄るや否や、彼と鎧装備一式を抱えるとそのまま宿屋に運び入れたそうです。
「流石は騎士」ですって? いいえ、いいえ。決して誠実とか優しさからではありません。
『騎士を助けるためではなく、仲間に人質として差し出すためであった。ウィリアムはこう言葉をかけた。「さあ、これで支払いを済ますがよい」。伝記はウィリアムのこの行為を、いつもながら気前がよく、騎士にふさわしいと称賛し、「素晴らしい贈り物と馬と、そしてドゥニエ硬貨を差し出した」と評している。』(【中世ヨーロッパの騎士】 134P)
またある時、かつての仲間と合流するべく目的地に向かう途中で、男女二人と出会った時の話。
ウィリアムが何の連れ立ちなのか男女に問い掛けると、男の方は修道僧でなんと二人は駆け落ちしてきたのだと分かります。
しかも48ポンドもの現金(当時の物価で牛や軍馬を何十頭も買える大金)を持ち合わせていて、この金を他人に貸して利子生活をするつもりだとも打ち明けられました。(※キリスト教において高利貸しは禁じられている)
『ウィリアムは駆け落ちよりも高利貸しに度肝を抜かれた。「神の剣の名にかけて! 構うものか――断じて許されないのだから!」ウィリアムは従者に命じて金を奪い、ふたりの仲間と山分けした。』(【中世ヨーロッパの騎士】 142P)
どちらの逸話も、「騎士として称賛される行為」だとして伝記に記されていますが、共通しているのは「気前の良さ」です。
“良い騎士”とは仲間に惜しげもなく戦利品を分け与える太っ腹な者とされていたのでした。“戦利品”がどのように獲得されたかは関係なく。
略奪品も仲間や配下に大盤振る舞いで分ければ、それは美徳、美談として称えられたのです。
他にもウィリアム・マーシャルは、参加した馬上槍試合で『マーシャル、名馬を用意しろ』(マーシャルは元々“厩役”の意味)と即興歌で囃し立てた大道芸人に、落馬させた相手から手に入れた馬を与えるという粋な事もしています。
こちらも「気前の良さ」を示すエピソードですね。
ところで、テンプル騎士団創設に深く関わった12世紀の神学者、“クレルヴォーのベルナルドゥス”は世俗騎士について次のように批判しています。
『世俗の騎士は女のように身を飾った。――絹の衣を馬に着せ、ホ-バークにも外衣を羽織る。彩色した槍、盾、そして鞍。金銀貴石で飾った手綱に拍車。「そんな虚飾に身を包み、浅ましい激情にかられ、考えなしの愚かさで死に急ぐ」。すべては「あまりに薄っぺらで良心を戦慄させる」ひとつの大義のためだった。』(【中世ヨーロッパの騎士】163P)
金銀やそのメッキで作られる拍車はともかく『金銀貴石で飾った手綱』は流石に誇張でしょうが、騎士が「気前の良さ」を美徳とした事も踏まえると、この見た目に拘る騎士の心理は、“見栄っ張り”の一言に尽きるでしょう。
中世封建社会には「舐められたら終わり」というヤクザチックな空気があり、騎士が“見栄っ張り”なのも配下や周囲に自分を大きく見せる必要があったからです。
もし“弱い”と侮られてしまうと、「虐めても反撃されない」または「こいつに従っていても、いざという時に守ってくれなそう」と思われてしまい、余計な敵を増やす事になりかねませんでした。
戦利品を仲間に分けて器量を見せるという、山賊の頭領のような振る舞いも、太っ腹な印象を与えて“舐められにくく”したり、「この人に付いていきたい」と思わせるためだったのでしょう。
ファンタジーでも歴史ものでも、騎士や武士が安い挑発に乗ってしまい考え無しに突撃する描写がありますが、それには「侮辱されても黙っているダサい奴」という誹りを受けたくない心理がありました。
たとえそれで戦死したとしても、「あの者は誇り高くて勇敢だ。一族も同じような者なのだろう」「あの一族を侮辱したら断固として反撃される」という周囲へのアピール、牽制となって一族を将来的に守る要素となったのです。
見栄や矜持のために破滅してどうするんだと、つい現代人は思ってしまいますが、「舐められたら終わり」な社会では“見栄も張れない人間は生きていけなかった”のです。
現実に存在した騎士は結局ただの人間であり、生活のためにも理想より利益を追求しなければなりませんでした。
しかしだからといって、騎士に幻滅する資格は現代人にないでしょう。
彼らだって、我々と全く同じ現実を生きていたのですから。
主な参考資料
【ヨーロッパ史における戦争】マイケル・ハワード
【中世ヨーロッパの騎士】フランシス・ギース
Wikipedia
漫画
【乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ】大西巷一
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(ヴァイキング時代を中心に北欧の歴史や文化に造詣が深い。力が優先される「舐められたら終わり」な社会について大いに参考にさせてもらった)