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はじめに

『常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない』――アルベルト・アインシュタイン



 本エッセイは筆者がゲーム、ネットに書物、論文まで様々な媒体から得た知識を整頓し、備忘録を兼ねた資料集とするものですが、“世間に蔓延(はびこ)る過去への偏見”を破壊する事も目的としています。


 専門どころか大学にも通っていない人間が書いている事なので、詳しい方から「これは違うよ」と思われる情報も書いてしまうかもしれません。言ってみればWi○ipediaみたいなもんです(実際Wi○iの記述も参考にしていますし)

 その程度のニワカが書く代物ですが、“その程度”でも世間一般に存在している歴史に対するイメージは割と簡単に壊せてしまいます。それほど世間と専門知にはズレというか壁が生じています。

(今もなお根強く存在する“中世=暗黒の時代”との一般認識は、百年以上も前に生まれてしまった古めかしい偏見。など)

 自分も書物などで研究に基づく歴史情報を知った時には、如何に“古代や中世”(更には石器時代)に対して偏見を抱えていたかを思い知らされ、衝撃を受けました。


 “(いにしえ)の人間”は物を知らぬ迷信深い愚鈍な人々などでは決してありません。


 それどころか我々“現代の人間”と同じかそれ以上に思考し、努力し、工夫し、発明していました。

 噂やデマに対する情報精査という点では、肝心の精度はともかく(情報取得手段がかなり限られている以上仕方ない事)現代人より中世人の方が意識がしっかりしていた印象すらあります。


 彼らが地道に重ね続けた試行錯誤による“経験の蓄積”という巨大な土台の上に、それら過去の遺産を貪り食って成り立った我々現代文明がちょこんと存在しているに過ぎないのだというのが、『人間の全ての知識は我々(人類全体)の経験(つまり歴史)に由来する』とする経験主義(empiricism)を支持する私の持論です。


 そのしばしば忘れ去られ、時に誤解され挙句馬鹿にされてすらいる“先人の努力と挑戦”の一部を、ニワカでしかない歴史好きが語るのは酷く厚かましいことを自覚しつつも、それを承知で紹介していきたいと思います。


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