8話 バブみを感じておギャりはしない
長い長い廊下を歩きぬけて、ドアの前までやって来た。
コンコン、ノックの音を響かせてから「ちょっといいですか」と大きな声を出してみる。
部屋の中から、女性の声がしたのでドアを開けた。
ベッドが二つ、あった。
トイレもあった。
男側の寝室と、女性用の寝室はベットの数以外変わらないみたいだ。
ベッドに腰かけているのは妊婦の人だ。
長くて綺麗な黒髪をしていて、堂々としたピンクの花が描かれたエプロンをつけてる。
清楚という言葉で飾るべき見た目をしている美人だった。
もしもアイドルやモデルになれば顔だけで売れっ子になれるんじゃないかという程の容姿。
でもそういう仕事をするのは大変そうだ。
お腹には動きを制限されるくらいに膨らみがある、赤ちゃんがいると見ればすぐわかる。
「あの長い廊下、歩いて大丈夫なのかよ……?」
「私が缶詰持ってってあげてたり手助けしてるっス」
なずなさんが俺の独り言に反応してくれた。
あぁ、なるほど。
「来ないのかい?何か用がアンだろ?」
妊婦の人は、ベッドをぽんぽん叩きつつ俺を呼んだ。
俺がそっちにいこうとすると、なずなさんは立ち止まっている。
「……なずなさん?どうしたんですか」
「あ――、私は外で待ってるっス、加福さんと仲良くしたいわけでもないから」
仲良くしたくない理由を聞くよりも、妊婦の人は加福という名前なのかという事を頭で咀嚼する事に手間取った。
だから聞くより早くなずなさんは部屋からでてドアを閉めた。
なんだろ。
まぁ、追って聞きに行くのも変か。
だって、妊婦の……加福さんはもう俺を見ている
ここでどっか行ったら逃げたみたいで失礼だ。
「……座らないのかい?」
意外と結構、距離を詰めてくる人みたいだ。
人付き合いに消極的そうな表情を浮かべながらも、わりと積極的なようだ。
とにかく、誘われたのでベットの隣に腰かけた。
「……たしか君は八女だったね、何の用?」
「加福さんに聞きたいことがありまして」
「うん」
「さっき、喧嘩してたそうですけど、なにがあったんですかっていうのを、ホントに審判にまでなる前に調べたくて」
加福さんは不思議そうにしていた。
なんだ、なぜだ。
「……君が調べる意味はあるのかい?」
「それは、はい」
だって、俺は誰にも死んでほしくないから。
ふむ、と頷いて、それから加福さんは。ウ――ン、と唸った。
「そうだね、あれは単なる些細な喧嘩さ、こんなストレスだらけの状況じゃバカみたいにちょっとしたことが大事になる」
「……そのちょっとした事って?」
「さぁね、他の男と私が話すのを邪魔しようとしたから文句を言ったんだ」
え、なにそれ。
「恋人として付き合いでもしてるんですか?」
加福さんは、首を軽く横に振った。
なにそれ。こわ。
恋人だったとしても“他の男と喋るな”なんて彼女に言うのは結構拘束が激しい方だろうに、恋人ですらないとは。
まぁでも、その話をうのみにするならサラリーマンの人の方に問題がありそうだ。
となれば審判を未然に防ぐにはそっち方面からアプローチをかけるか。
でも、この人を完全に信じていいものかはまだわかんないし。
とにかくサラリーマンの人の方も行ってみなきゃいけないか。
「しかし意外だよ」
考え込んでいると、穏やかな声が耳に入って来て落ち着いた。
「なにがですか」
加福さんに聞き返す。
「あたしに甘えに来る男は多いから君もそうかと思ってね」
そうなのか。
美人だからだろうか。
「ほら」
加福さんが俺を手で軽く押して、そんな事想像もしてなかった俺はベットに倒された。
「何をするんですか?」
加福さんは微笑とともに俺を見下す。
影を得たその表情は繊細で、消えてしまうような不安を煽るがとても綺麗だった。
「油断がすぎるじゃないか」
「そんな事してくると、思わないじゃないですか」
加福さんはくしゃりと笑った。今度は”微”笑ではなく完璧な笑顔だ。
どきりと、心臓が跳ねたような気がした。
可愛いなぁ、と自然と思っていた。
ここにいると、なぜか心が安らぐ。
ずっとここから動きたくないと、寒い中暖かい布団にくるまってる時のような感覚があった。
でも、俺にはやる事があるから安寧に浸るわけにはいかない。
とりあえず、寝っ転がったままだと落ち着きすぎて寝そうだから再び体勢を戻す。
加福さんが、自分自身の赤ちゃんのため膨れ上がったお腹を見ていた。
「……その子が生まれる前に、アライブゲーム終わらせたいですね」
「もう、いつ生まれてもおかしくは無いから多分ムリだろう」
出来たら今は生まれてきてほしくはない。
だって、ここに赤ちゃんを育てるための道具は一切無いから、大変だろう。
それにここの衛生環境もそこまでいいと思えない。
変な菌をくらって赤ちゃんが死んじゃったりしたら本当に嫌だなぁ、と眺めていると。
「……触ってみるかい?」
誘われた。加福さんは服をたくしあげてお腹を見せている。
ドキリとした。
綺麗な肌だ。
「いいんですか?」
触っていいなら触ってみるけど、女性のというか人の肌に触れるのはちゃんと許可を取らねばならないくらいに重たい行為だ。
そういう価値観が俺の中にはそこそこあるっぽい、だからか気が引ける。
「私がいいと言っているじゃないか」
それもそうなので、少し震える手でお腹を撫でてみる。
相手が加福さんだからかいけないことをしているような気分になる、心臓がバクバクと跳ねていた。
落ち着け俺。
「意外と硬い……のか?」
中に赤ちゃんがいるので、悪影響を与えぬようソフトタッチだ。
それゆえいまいちどんな感触かわからない。
とはいえ赤ちゃんがいる。
そう思うと心臓の激しい鼓動は収まりなんだか自然と庇護欲がかきたてられる。
年下を守ろうとするのは人間の本能かもしれない。
いや、俺は妹がいるからその影響か?
ふと気づく……よく考えたらこんな事してる場合じゃねぇや俺。
まだ加福さんの話しか聞いてない、喧嘩になったというサラリーマンの人の調査もしなきゃ。
「あの、俺ちょっとまだ用事あるんで、ありがとうございました」
俺はゆっくりと手を離して立ち上がって。
加福さんに何か言われたら立ち止まってしまうので、ドアに走り外へ出た。
廊下では壁になずなさんが背を預けて俺を待っていた。
「ずっとここにいたんですか」
「……あの人のこと嫌悪してるっスか?」
俺の質問には答えず急になずなさんがそんな事を言い出した。
「あの人の何をです?」
俺の質問を流してつい返答してしまった。まぁ多分ずっとここにいたんだろう。
「さっき八女君といちゃつきやがったじゃないっスかあの人、男の人相手なら誰にでもやってるみたいっスよ、たぶらかして」
え……へ――、そうなのか。
たしかに違和感があるくらい一気に距離感を詰められた。
自分が美人である事を活かして、人をたぶらかしてるのか。
とはいえ、そんな事している理由がちゃんとあるかもしれない。
「死にたくないからそういう事をしてるんじゃないんですか?赤ちゃんのためにも死ねないじゃないですか」
「どういう事っス」
「周りに殺したくないって思わせるのが多分このゲームのコツでしょうから、そういう色仕掛けというかそんな感じの事をしてるのかもしれないじゃないですか」
審判では、だいたいの人が自分にとって有益な人は殺したくないと思うだろう、だから有益と何が何でも思わせるため、努力しているんじゃないかと思う。
あの人が死ねばお腹の中の赤ちゃんも死ぬのだ、それを防ぐためなら何でもやる気がする。
先程、たた腹の上から触っただけの俺に生まれた庇護欲を考えると、加福さんは恥だとか外聞だとか自分のプライドや自尊心も投げ捨ててしまえる気がする。
まぁ、これはあくまで俺の想像だ。
あの人が実際に赤ちゃんをどう思っているかはわからない。
でも、生きるために多少礼節みたいなものを捨てるのはある意味では極限までに正しいんじゃないのか。
だけど、なずなさんは。正しいとは思わないらしい。
「こんな状況で恋愛だとかを人間関係に絡ませたら、トラブルのもとになるっスよ」
なんて言った。
まぁたしかに野座さんと加福さんの関係は……痴情のもつれってよく聞くやつなのだろう。多分。
それは俺にとって実感が湧かない事だった。
恋愛アドベンチャーゲームの中以外で彼女出来たこと無いし。
思考が横道にそれそうだったから俺は歩き出した、サラリーマンの人の方にも話を聞かねばならない。
審判になる火種は今のうちに潰したい。
だが、呼び止められる。
なので立ち止った。
「ついてくっすよ」
なずなさんが、そんな事を言っていただ。
「え、なんで」
「待ってる間考えてたんっスけど、アライブゲームの中ってめっちゃ暇っスから」
なずなさんは無表情で、本当に暇そうで退屈そうでつまらなそうだった。
けど、俺と一緒に来てくれるのを否定する理由は無い。
むしろ嬉しいんだ、孤独じゃないってことは。
俺となずなさんは共に行動を開始した。