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その気の緩みが。

あれから更に1月半が過ぎた。熊のようなものについての新事実は相変わらず無いものの、感染者が倒れ始めており、それは鈍足ながらも確実に数を減らしていた。


そして毎日ではないが、この近所でも夜中に熊のようなものがひっそりと来ては、初期症状のうちに処理され、やむを得ず外に置いておかれていた感染者と、徘徊していて倒れて動かなくなった感染者をザリザリと引きずっては消えていく。


そうしてそれを、カーテンの小さな隙間から覗いては、息を潜めて様子を伺い、少しでも何か分かる事はないかと観察を続けていた。だがしかし現実は言わずもがな、情報を得る事は出来ずに、闇に消えて行く姿をただ見ているだけであるが。


こうしてパンデミック発生から4ヶ月半が経過した。そしてここにきて、やはり深刻な問題が発生している。それは当然、食糧問題だ。かなり細々と計画的に食べていたが、それでも数は減り続け、今では生鮮食品と冷凍していた根菜類やお肉は無くなった。残ったのは30kgで買っていたお米が半分と調味料類、そして小麦粉や片栗粉、ホットケーキミックス等の粉類と、いざとなれば愛犬と食べようと思っていたドライフルーツ入りのシリアル。そして試供品として貰っていた海外製の新商品らしいシリアルが1袋。


こうして見ると意外と残っているような気がするが、現実問題この篭城生活がいつまで続くか分からない今、決して安心など出来ない。それに、愛犬のごはんもあと数日で無くなるだろう。


私一人でもこの状態なんだから、それは他の人達もそうだった。助けてくださいと呼びかけの投稿を何度もしている人もたくさんいるし、スーパーやショッピングセンターに立て篭もっている人達は、人数が多く深刻化しているため、こちらに避難してくるのは申し訳ないが遠慮してほしいとSNSに投稿されていた。


「ごまちゃん、どうしたらいいんだろうねえ。」


座椅子に座って読んでいたSNS画面をそのままに、テーブルにスマホを伏せ置いてから、愛犬を抱っこして後頭部を吸う。最悪、私は何も食べなくてもいい。でもこの子がひもじい思いをするのは、自分がつらいよりも耐えられる事ではなかった。


そうして今度は感染者に加え、非感染者の間で、食料についての暴動が起きてしまいそうな不安と暗雲立ち込める日々が、表向きは静かに過ぎていったのだった。


それから数日、遂に愛犬のごはんが底を突き、絶望した気持ちになりつつも、カロリーは高いのでたくさんはあげられないが、甘くて美味しいドライフルーツ入りのシリアルに替える事で、喜んでくれる姿を想像すると気持ちが上がってきた。それをお湯でふやかし、待ちきれなくて近寄ってきていた愛犬のごはんテーブルにお皿を乗せると、合図をしてから食べさせた。案の定喜んでいて、おやつが切れてからはドッグフードのみだったし、喜びも大きいんだろうなと思って私もすごく嬉しくなった。


「すんごく美味しかったよ!!」という顔をして巻き尾をピコピコ振る愛犬が尊すぎて、「おやつもあげられなくてごめんね。」と言いながら頭を撫でた。それから私は、昔々に祖母が作ってくれた思い出のおやつを作り始める。片栗粉と砂糖を掻き混ぜながら少しづつお湯を加え、いい硬さになった所でスプーンを止めた。


居間のテーブルに持って行って、座椅子に腰を下ろしてから、一口食べて目を閉じる。思い出されるのは、この純朴なおやつが子どもの頃すごく好きで、祖父母の家に行くたびに、作って作ってと催促した事。今、皆どうしているんだろう。祖父母や両親、義理の両親も無事でいるんだろうか。パンデミック発生時に、数回連絡を取ったきりこちらも音信不通で。きっといつか、また皆に会いたい。また一緒におやつを食べたい、たくさん話をしたい。友達にも会いたい。会って、話したい人がたくさんいる。もちろん夫だってそう。だから私は生き延びる、ごまちゃんと生き延びてみせる。思い出のおやつは気持ちをセンチメンタルに浸らせてくれたが、それと同時に強い気持ちも抱けた。


それから一人と一匹で食後に少し遊んでいたら、SNSの相互さんがすごい勢いで盛り上がっているのにマナーモードの振動で気付いた。何事かと緊張しつつも慌ててスクロールすると、関東を中心とした大きな施設や住宅街などに、アメリカの大手食品メーカーの日本支店が、倉庫に大量に残っていたというシリアルをヘリコプターで運んでくれているというのだ。


拡散されてきた日本支店の投稿によると、アメリカの本社が試供品を多く作りすぎた事が原因で倉庫を大幅に圧迫していたため、支持を受けて各国の支店が配り始める事にしたとあった。


これは確かに朗報である。在庫がどれ程の量なのか不明でなんとも言えないけど、もしかしたらこっちにも来るのかもしれない。そしたらきっと争奪戦になる可能性があるし、パンデミック発生時より感染者は減ってきているとはいえ、いないわけではないから、群がる人達に気付いて寄ってくる事もあるだろう。しかし食料が手に入る可能性があるという事実は、気持ちが上を向くには十分の朗報に違いないのであった。


「それにしても、ヘリ動かして運んでくれるなんてすごいねえ。内緒にしたまま、自分達でせしめる事だって出来ただろうに。」


そこまで言って愛犬を抱っこしつつ、ふと疑問を抱く。知識が無いから調べないと分からないが、ヘリの燃料とかどうしてるんだろう。しかも一機だけじゃなく、数機動かして配っていると言うから驚きだ。


「深く考えると不安になってくるな。でもまあ、万が一この田舎にも届いて、取りに行けそうならお母さん頑張るからね!」


そんな日が来るかもしれないと、日課の運動とストレッチをもう少し増やすしかないなと思いながら、抱っこしている愛犬を少し上げたり下げたりして二の腕を鍛えた。




こうして世界が喜びを溢れさせているこの瞬間にも、主に全ての情報源となっているSNSが使えなくなり始めている事に、気付いているのはまだそんなに多くはいなかったのである。それはもちろん私も。


ここまでの日々で疲れていたんだろう、ポジティブなくせに慎重な思考の私が気付く事に遅れたのは。重要な投稿がされ、それが何者かにすぐ消された後、SNSが鈍くなって見逃したのは。でもそれは言い訳に過ぎない。もっとちゃんと、常に気を張っているべきだった。きっと、ここが私の運命の分かれ道だったのだろう。


それにようやく気付いたのは、ほとんど動くことは無いながらも、縋りたくて開き続けていたSNSを見つつ一人ぼっちの年越しを終え、1月も終わろうとしていた時である。


この田舎にも本当にヘリコプターは来てくれた。そして意外にも多くの人に行き届いたらしい。私はまだ取りに行けていないが、次のチャンスには行動してみよう。そう思いながら、家にもともとあった試供品のシリアルを開け、水を飲みつつポリポリと食べていた。


「なんか味が微妙だなあ。」と呟きながら少量食べて、すぐに袋を輪ゴムで閉じた時。暫く震えることの無かったマナーモードのままのスマホが振動した。


あまりに驚いてシリアルの袋を落としたけれど、そんなの気にせずにスマホに飛びつく。そこに表示されていたのは、毎日毎日無事を祈り、欠かさずにメッセージを送り続け、既読だけでも付けてほしいと願っていた夫からだった。


「ああ……!!生きててくれた!!!」


スマホを持つ手が震えて安定しないためにまだ開けない、夫からのショートメール。それでも嬉しい気持ちが、あまりにも大きすぎる喜びが溢れてきて、放流されたかのような、いやむしろ決壊してしまったダムのような涙が、嗚咽と共にこぼれ落ちていく。


胸を押さえつつ、力の抜けた身体はその場に蹲り、生きてきた中で一番ではないかと思われる程の大声を上げて泣いた。それは止まることはなく、やがて過呼吸になった頃、心配して飛んできていた愛犬の前足パンチを数発喰らってから、ようやく落ち着きを取り戻したのである。


「ごまちゃん、ありがとう。」


まだ少し荒い呼吸で、ずっと心配してくれている愛犬を撫でる。そうしてそっと抱き寄せてから、震える指でショートメールを開く。ドキドキして、過呼吸が再発しそうになりつつも、込み上げる涙を堪えて読んだ内容は。




『蘭、シリアルを食べるな。』




という、たったそれだけだった。何度も何度も目で読み、声に出して読み、そうして酸欠の脳が理解した時には、別の意味で震え始めていた。爪先から光の速さで突き抜ける不安が全身を支配し、それと共にどうしようもない程の恐怖が、嫌でも気付かせる。



私は既に、手遅れなのだと。


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