闇夜に紛れるのは。
少しの光明が見えたとはいえ、根本的な事は相変わらず不明なまま、更に半月程が経過した。
私はいろいろと買い溜めをする癖がある。だから冷蔵庫の長期保存や冷凍できるものは処理をして、1日1食でも意外と大丈夫なお陰で大分食料はまだ残っている。愛犬のごはんもまだ一ヶ月ぐらいは持ちそうだ。
そうは言っても、当たり前だが毎日食料は確実に減っていく。外には相変わらず感染者が数人徘徊しているし、スーパーやショッピングセンターは入口にバリケードを作っているらしく、奇跡的に近付けたとしても入られないだろう。
どうにしかしなければ。いずれ全て底を突いたら、家から出る事は難しいし、どうしたらいいんだろう。こういう時、映画や漫画ではどうしていたっけ。食料を求めて、危険を冒してでも移動していたような気がする。全員で武装して、協力しながら移動してたな、とそこまで考えて、意味無いなと気付いて考える事をやめた。結局外に出なきゃじゃん。
「はーぁ。」とひとつ溜め息を吐いて立ち上がると台所に向かい、ひっつみを作るためにボウルに小麦粉を適量いれると、少しづつ水を混ぜながら捏ねていく。そして生地が耳たぶぐらいの硬さになったら一つにまとめ、濡れ布巾を掛けて少し寝かせる。その間に細かく切って冷凍保存していた根菜を水と一緒に鍋にいれて火にかけると、目を上げて居間で寝ている愛犬をボンヤリと見た。
先程まで私の運動を兼ねながら一緒に遊びちらかしていたのに、今はお気に入りの座椅子の上で気持ち良さそうによく寝ているその姿が、なんだかあまりにも尊くて自然と口角が上がった。いつだって私に生きる気力をくれる。
気落ちしていたのか、あまり空腹感を抱いていなかったのに急に食欲が出てきた。数日はこれを食べようと思って多めに小麦粉を捏ねたために、鍋にちぎり入れるのが一苦労だった。無心でちぎちぎ鍋に入れ続け、終わる頃に「茹で上がりにムラがあるんじゃね?」と気付いたけど、まあいいかと開き直ると味を整えてどんぶりによそった。
居間のテーブルに持って行って、愛犬の寝顔を見ながら食べ始める。ふぅふぅする度にいい匂いがするのか、たまにスピスピ鼻を動かす姿がまたかわいくて、フフッと笑いながら美味しく食べた。
「ちゃんとごはん食べてるんだろうか…。」
思わずポツリと口から出た言葉は、どんぶりから立ち上る湯気に混ざって、誰の耳に届く事も無く空気中に霧散した。
食後は出来るだけ急いでシャワーを浴びると、2つ並んだ歯ブラシの片方を取って磨く。丁度交換したばかりだったために、夫の歯ブラシはまだ新しいままだけど、私のは数回取り替えた。なんか昔こういう歌があったな、とふと思い出しながら、改めて戸締りを全て確認すると、愛犬を抱えて布団に包まった。11月も後半になり、そろそろ厚手の布団が必要になる。一人だと余計に寒く感じるなあと思いながらSNSをチェックして、日課となった夫へのメッセージ送信と、お祈りをしてから目を閉じた。
そうしてウトウトと夢現をさ迷っていたのに、外で聞き慣れない音がして意識が急浮上した。ゴトゴトという音と、何かを這いずるようなザリザリ音。ゴトゴトザリザリ、ゴトゴトザリザリ。声も出せず、息が無意識に止まり、警戒している愛犬を宥めるように撫でながら抱え直す。音は決して大きくない。でも遠くで鳴っているわけじゃない、おそらく比較的近い。
得体の知れない恐怖がつま先から這い上がり、光の速さで脳天を突き抜ける。そうして無意識に止めていた息を「ハッ…」と吐き出すと、ゆっくりと深呼吸してメインウェポンを手に取った。
使うことが無ければいい、ただの懐中電灯としてのみ使用出来たらいい。そう思っていたのに、本当にウェポンとしての出番がきたのかもしれない。
上がり始める呼吸を、意識してゆっくりにすると、未だ警戒状態の愛犬を、そっとケージに入れると頭を撫でる。そうして飛び出しそうな心臓をそのままに、足音を立てないように窓に近付くと、ほんの少しの隙間から外を見た。
我が家から30m程離れた道路。そこにいたのは、黒い大きな塊のようなもの。街灯に照らされているそれを目を凝らして見ると、分厚い毛皮のようで、まるで熊が動いているように見える。
田舎育ちだから分かる、あれは熊ではない。正確には熊だったもの、というところだろうか。言うなれば、毛皮を被った人間のようだ。ひっそりとしてはいるが、堂々と動いているのに感染者が来ない。それを不思議に思っているうちに、それらが放置されてしまっていた被害者2人を、ザリザリと引きずりながらどこかへ消えてしまった。
ーーなんだ、なんだ今のは。
張り詰めていた呼吸が一気に溢れ出す。壁伝いにズルズルと滑って座った床で、崩れるように蹲って呼吸と汗が落ち着くのを待った。
数分ほどそうしていて、水を飲んでようやく落ち着いたために愛犬をケージから出し、震える手で抱き上げると、不安そうにしているその後頭部を吸わせてもらう。心が落ち着く魅惑の香りを、満足するまで堪能した。
今日はもう考えられないから寝よう、と決めて布団に包まる。他にも誰か見た人がいるかもしれない。起きたらSNSを細かく確認して、外も隙間からしっかり見て。何も考えられないと思いつつも、勝手に脳は思考を始めてしまう。それでもやっぱり疲れた私は、諦めて愛犬とメインウェポンを抱え直すと、今度こそ目を瞑り、意識を闇の中へ落としていった。