まずは深呼吸。
「は……?これは現実……?」
呆然とテレビを観ていた私たちはそのまま固まり、しばらく無言だったけれども夫の言葉で現実に戻された。
「昨日の映画の続き……とか…?」
ホラー映画好きの私たちは、よくサブスクでゾンビ系のパニック映画を観るし、そんな事はありえないと思いつつも口から言葉が出てしまった。
「いや、さすがに違うだろ……。気持ちは分かるけど。」
とにかく落ち着いてシリアルを食べよう、という意見にまとまって、食欲が急激に減退していたけど頑張って食べた。そしていそいそと準備を進めていた夫のスマホに電話が鳴り、急いで来いという上司からの呼び出しで準備もそこそこに出勤する事になってしまった。
「気をつけて。絶対に無理しないで。きっと生きて戻るって、私たちを迎えに来るって約束して。」
本当は行ってほしくなんてないし、ここにいてほしいという思いをひた隠して、せめて泣かないように強い気持ちでお弁当を渡しつつ告げる。こちらを振り返り、まっすぐに見つめて無言で受け取る夫も手が震えていた。
「分かってる、分かってるよ。俺も行きたくない。お前たちといたい、守りたい。」
グッとお弁当ごと私を引き寄せて、苦しいくらいに抱きしめてくれながら、夫は目に涙をためて言う。
「ごめんな、そばにいられなくて。一番守りたいお前たちを守れなくて。……必ず戻る。だからお前も無事でいてくれ、無理な事はするな。」
ポロポロと涙がこぼれるのは、私ではなく夫。昔から意外と泣き虫で、甘えん坊で私の事がだいすきで、愛犬と私を取り合うかわいい夫。ああ、泣かないで。そんな風に泣かないで。私まで涙が出てしまう。
「バカね。泣くのは、無事に戻ってきてからにしてよ。ちゃんと待ってるから、この子と一緒に、ずっと待ってるから。」
お弁当を持ってない方の手で、強く夫を抱きしめ返す。全てを言葉にせずとも伝わるように、私の想いが伝わるように、我慢出来ずに溢れ出てしまった涙をそのままに腕に力を込める。
やがて再び鳴り響いた夫のスマホに急かされるようにして、私たちは体を離す。これが最後でないように、必ずまた会えるように、二人とも泣きながら唇を合わせた。
夫が出て行ったドアを静かに見つめ、言われた通りに直ぐに鍵を掛ける。歩いて行ける距離に職場があるから夫はきっと走って行っただろう。念の為に車は私が使うようにって言ってくれたけど、私は家から出ないつもり。ここで愛犬と一緒に夫の無事を祈りながら帰りを待とう、きっと大丈夫、今私が出来ること、すべき事をしっかりやろう。
さっきまでボロボロ泣いていた私は、エプロンの裾で乱暴に涙を拭いて、2階建てアパートの2階、角部屋の我が家の窓の鍵を全て確認すると、少々重いけど世界で一番愛しい黒柴の愛犬を抱っこしてその尊い後頭部を吸った。
「大丈夫、私が守るからね。何があっても、あなただけは私が守ってみせるからね!」
きょとんとした顔の愛犬に、後頭部を吸わせてもらいつつ笑顔で宣言した。