池波正太郎の文体模写で「ヤマノケ」
日野屋文吉が[そいつ]をはじめて見たのは一週間ほど前のことだ。
その日。
朝食をとりながら、文吉が妻女のおきぬへ、
「今日はこれから、しのぶと、久しぶりでドライブに出かけてみようと思う」
「あ、それがよろしゅうございます。さいわいに、今日は涼しげな……」
妻女は一も二もなく賛成をした。
ドライブの最中、ドライブインに入り、
「天麩羅をもらおうか」
腹もへっていた文吉は娘のしのぶと入れこみの八畳へ上がった。
天麩羅そばが江戸のそば屋であつかわれるようになったのは寛政のころのことである。そのころは天麩羅そばが大流行のかたちとなり、それぞれの趣向をこらし、どこのそば屋も力を入れていたようであった。
はこばれて来た貝柱の[かき揚げ]を浮かべたそばをやり、
(む……うまい)
おもわず、ひとりうなずいたほどにうまかったのである。
そして文吉はそのまま山の中に、
「どんどんと……」
進んでいったのである。
「ち、父上、おやめくださいませ」
「ふ、ふふ……」
「これ以上進むのは危のうございます」
しのぶの制止がおもしろく、文吉は車を進めていたが、急に、エンジンが止まってしまったのであった。
「あっ……」
山奥のことであり、携帯電話は通じぬ。
「む!!」
途方に暮れた文吉はしのぶと車中泊をすることとした。
夜を迎え、しのぶはすでに眠り、文吉は昼間に食ったそばの味を思い出し、
(うむ、あれは……うむ、うまかった)
そう考えながら、うとうととしているとなにかが聞こえてきたのである。
気味の悪い声で、
「テン……ソウ……メツ……」
と言いながら[そいつ]がやってきたのである。
白い、のっぺりとした[それ]は片足で飛び跳ねながら、両手をめちゃくちゃに振り回し、身体全体をぶれさせながらやってきたのだった。