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6.不意をつく

(……弱いのは私だ)


 遠のく三人組に小走りで近づきながら、珪己は先ほどの空也の姿に自分自身を重ねていた。


(弱いのは……私だ!)


 きつく唇をかみしめながら、わき目もふらずに突進していく。


(また思ってしまった!)

(また護ってもらえるって……思ってしまった……!)


 最初にこの棒を掴んだ時には覚悟を決めていたのだ。決めることができていたのだ。あの姉弟のために闘う、と。なのに空也と目が合った瞬間――『この役割』を譲ってしまってもいいと思ってしまった。


 その結果――空也を不必要に追い詰めてしまった。


(……きっとあの時、助けを求めるような視線を私が送ってしまったんだ)


 自分の顔を自分で観ることはできないし、いまさら過去を検証し真実を見いだすことも不可能だ。けれど珪己には確信があった。それこそが空也に棒を奪われた直後に覚えた安堵の気持ちの源なのだ、と。


(あの子達を助けたいって思ったのは私なんだから)

(だったら私が闘うべきなんだ……!)


 ようやく男達に追いつくや、珪己は足を止め、丹田に力を込めた。


「待ちなさいっ!」


 これに男達が意外にも素直に立ち止まった。


 姉である少女が力なく珪己を見上げる。


「なんだお前は」


 男の一人が億劫そうに珪己の全身を眺め、その手に持つ棒を認めると、「お前みたいな女には用はないぞ」と凄んだ。


「痛い思いをしたくなければさっさと消えろや」


 ほとんどの群衆が立ち去っていたこの場で、珪己と男達の間に生じた新たなもめごとを感知した者達の間にざわめきが生じた。


「おいおい……やべえぞ」

「あの考えなしの娘っ子は何をやらかそうってんだ?」


 ざわめきは緩やかに、やがて急速に波紋を広げていった。だがそこには正義の味方が現れたと歓迎し応援する雰囲気はない。それどころか、また面倒事が起こりそうだと着火人の珪己を非難する空気すらある。


「どうせかないっこないのによ」


 自分達の生活領域を無意味に引っ掻き回すなと、誰もが冷めた目で珪己の方を観察している。


 しかし珪己は引かなかった。


 それどころか、腰をやや落とし、両脚を肩幅に広げ、正面から男達に向かい合った。


 臨戦態勢にあることを示したのだ。


 これに男達が嘲笑を浮かべだ。


「おいおい。そんなに俺達に遊んでほしいのか?」


 これに珪己は無言で棒を構えた。


 棒の先端がまっすぐに向いた先は――。


 だがそれを確認できた者は誰もいなかった。


「……ぐあっ!」


 何が起こったのかすら、ほとんどの者にはすぐに理解できなかった。


「いでえっ!」


 男の一人がみっともなく叫ぶや、右の手首を押さえながら膝を落とした。


 その手に捕らわれていたはずの少女――姉の方は、今は珪己の背後に隠れている。


 相当な俊敏さだ。


「てめえ……!」


 歯を食いしばらないと耐えられないほどの痛みを堪えながら、男が血走った目で珪己を見上げた。


「おい、何しやがった!」


 だが珪己はこたえない。


 男の手首を打った瞬間、棒の先端から伝わってきた振動は今も珪己の手の内で響いている。だが余韻に浸る暇はない。すかさず少女をかばいながらすり足で後方に下がっていく。


「大丈夫?」

「は、はい」


 でも弟が、と涙目で訴えられ、珪己はにこりと笑ってみせた。


「分かってる。私が助ける」


 だからあなたは離れてて。そう言うや珪己は男達のいる場へと戻っていった。そこに迷いや雑念は一切なかった。


(そうだ……これなんだ!)

(私が剣を握ってきたのは、武芸者になりたかったのは……!)


 珪己はあらためて男三人と向き合った。


 一人は不意打ちをついて倒せたが、残る男二人は完全に警戒しており隙がなくなってしまっている。そんな二人に交互に視線をやりながら、構えた棒でけん制しつつ戦略を練る。


 だがなぜだろう――これほどまでに緊迫した状況だというのに、珪己は過去のいくつかの出来事と現状とを比較しはじめていた。


 先程の男は手首を棒で撃たれた瞬間あっけにとられていた。だがすぐに憎悪の炎をその目に宿し珪己のことを睨みつけてきた。それほどの憎しみを他者から受けることなど、普通の生活を送っていればあり得ないことだ。しかし――珪己には覚えがあった。


 早春、後宮で王美人とその従者である果鈴から。


 晩春、鄭古亥の家でイムルの従者である芯国人から。


 前者で珪己は『殺されるかもしれない』という恐怖をはじめて覚えた。

 後者で珪己は同質の恐怖を乗り越え、敵を倒すことに成功した。


 だが……珪己はこの時、初めて人を殺めてしまったのである。


 そして、今――。


 この街で最悪最凶と名高い十番隊の武官三人を相手に、身重の体で珪己はたった一人で闘っている。


 さっき手首を打った男も痛みが抜けたのか、すでに臨戦態勢になっている。こきこきと首を動かしながら珪己を眺める様は発狂寸前だ。


「この野郎、ぜってえゆるさねえ……っ!」


 状況は振り出しに戻るどころか、悪化している。


(さっきは不意をつけたからよかったけれど……もう二度とあんなことは無理だ)


 自らの願いと意志に従ってこの場に立つことを選んだ珪己だったが、その実、勝つ見込みも策も何もなかった。そこは空也の推察したとおりだ。


 だが焦りは見せない。あくまで冷静に敵と対峙しなくてはならない。誰かにそう教わったわけではないが、そうすべきだということは分かっていた。


(隙を見せたら――そこで終わりだ)


 丹田にあらためて力を込めようとした瞬間、ずくん、と重い腹の下の方に一筋の痛みが走った。


 と、最も背の高い男が、ずっと首根っこを掴んでいた幼子から手を離した。


 解放されたことで、優に自分の身長を超える高さから幼子が落下していく。


丁淵ちょうえん!」


 間一髪、姉である少女が飛び出てきて少年をひしと抱きしめた。


「もう大丈夫よ、大丈夫だから!」


 姉の胸に飛び込んだ瞬間、丁淵と呼ばれた幼子が号泣しだした。元気に走り、元気に泣けているから大きな怪我はしていなさそうだと、姉の方も安堵で涙腺が緩んで泣きだした。


「よかった……。ほんとによかった……」


 まだ今はそんな風に心を緩めていい状況ではない。だが男達はこの姉弟への興味を失ってしまったようだった。そちらをちらとも見ようとしない。それどころか、三人そろって珪己との距離をじりじりと詰めていくではないか。


 男達はこの国のほとんどの民と同様で、これまで武芸に通じる女人を見たことがなかった。だが先ほど珪己が見せた業の正確さと威力に、そのような常識は当に捨て去っていた。もとが粗暴な彼らだ、規則とか慣習とか、そういったことに縛られることはないのである。

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