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1.二人の枢密院事の不満

この章は首都・開陽を舞台としています。

 さて、晴れて貴青きせい十一年となったわけだが――。


 年明けの様子は、首都である開陽と地方都市である零央とでは多くの相違点が見られた。


 まず、開陽では日が変わった瞬間に盛大に花火が打ち上げられ、見守る大勢の人間が歓喜の声を張り上げたところから春節の祝いが始まった。そして新年になったこの瞬間から、昼夜かまわずいたるところで祝祭が執り行われた。今年もすでに十日たったが、今だに祝いの勢いが衰える気配はない。


 貴賤を問わず、職種を問わず――誰もが春の訪れを心から祝い、賑々しく喜んでいる。この街を囲む四方の壁の内側、狭い区画に立ち並ぶ建屋や家屋には、零央など比較にならないほどの華美な飾りがわんさと取り付けられているし、屋内外で絶えず打ち鳴らされる太鼓や笛の音は騒々しいほどだ。


 国内外からの訪問者も多いこの時期、開陽の街は無尽蔵の活気に満ちあふれる。それは今年も同様で、混雑する通りではたぎる商人の姿を数え切れないほど見かけるし、彼らの客となる人々の往来はその何倍も見られた。


 荷物の往来も常以上で、蒸れる人々の間を牛車や馬車、駱駝らくだがなんとかすり抜けていく光景に出くわすのもしょっちゅうだ。昨年国交を開いたばかりの芯国人の姿もちらほらとではあるが見かけられる。


 こういう時は事件や事故が起こりやすいものだから、街のいたる場所に黒い鉢巻をした警備隊所属の武官を見かける。これもまた新年恒例の光景だった。高貴な人間の出入りもとかく多く、警備隊の面々にとっては一年でもっとも多忙で緊張を強いられるのがこの時期なのである。


 ただ、古来の名残りで年明けのこの期間を春節と呼べど、季節がいまだ冬なことには変わりはなかった。風は冷たいし、雪は三日とあけずに降るし、朝起きれば水がめの中の水が凍っているのも零央と同じだ。そこはやはり同じ国、ここ最近の天候を正確に表すならば厳冬の二文字こそがふさわしかったのである。それでも、新しい年を迎えれば人々の心にも一つの区切りがつくもので、すぐそこに待ち受ける本物の春の存在を確かに実感できるのだった。


 そんなふうに年が明けた開陽であったが、超英龍が三代皇帝となり今に至るまでの年月をあらためて噛み締める者にとっては、なんとも消化しにくい出来事が、この国の中枢ともいえる宮城で起こっていた。


 なんと――公の場に主役たる英龍が一切その姿を見せずにいるのだ。


 それでも、この国はすでに成熟期にあり――それゆえ英龍不在でもすべてのことはつつがなく進行していた。



 *


 

 冬は日が沈むのが早い。


 夏であればまだ明るい時分、もはや夜と例えた方がいいほどにあたりが薄暗い中を、二人の青年が早足で歩いている。一人は恰幅のいい男、もう一人はすらりとした体躯の男だ。どちらも中級官吏の証である緋色の袍衣をまとっていて、腰帯からは枢密院所属であることを示す青玉を下げている。


 彼らは枢密院事の呉隼平と高良季だった。


 先ほどまでこの二人は祝事の一つに参加していた。一つ、と述べたのは、この時期、大小様々な催しがここ宮城でも執り行われるからだ。中級官吏の最上位にある枢密院事とはいえ、中書省所属の官吏に比べれば出席義務のある催しは少ないほうなのだが……今、二人は市井の民のように心から新年を祝っているとは言い難い表情をしていた。


 二人は今、慶楼――祭事を行う楼閣――から枢密院のある武殿へと戻る最中だった。


 ここ開陽は国内においてもそれなりに北に位置するため、厳冬ともなれば降雪が地面に太い根のように張り付き、踏んでも踏んでも溶けることはない。だからこの街の人間は、普通、雪道は慎重に歩く。滑って転ばないように。なのに二人はさくさくと雪道を歩いていくのだった。


じょ承賢しょうけんの野郎……! くそっ、ふざけるなよ!」


 肩を怒らせる隼平は明らかに憤っている。


「あいつは完全に俺達のことを馬鹿にしてやがる!」


 その後ろを追従するように歩く良季も、表立った感情こそ押し殺しているが、内心はこの幼馴染でもある男と同調していた。


「まさかあのような人間が俺達の上司となろうとはな……」

「中書省の奴らってみんな徐承賢みたいな奴らなのか? あんなふうになめた態度をとられるいわれは俺達にはないのにさ!」

 

 二人はつい数日前まで侑生ゆうせいの部下だった。だが今は違う。侑生は枢密院から中書省へと異動してしまったからだ。


 なのに――。


 つい先日から二人の新しい上司になった男が最悪なのだ。


「あいつ、まじで最悪だよ!」


 温厚さに定評のある隼平にここまで言わしめる徐承賢とは、中書省の吏部りぶ侍郎じろうだった男だ。


 そろそろ齢五十に手が届くかどうかといった彼は、その官吏としての半生すべてを吏部に捧げて生きてきた、いわゆる忠臣だ。


 なのに徐は枢密院に異動となるや、その主義をあっさりと投げ捨てた。


 今の彼は一言でいうと害だった。


 なぜこのようなことになったのか――それは徐が忠臣たるがゆえの矜持を傷つけられたからだ。


 李侑生を枢密院から中書省に異動させることは、中書省長官、中書令ちゅうしょれいであるりゅう公蘭こうらんの発案によるものだった。そして公蘭はまずは侑生一人の異動を実現することを望んでいた。


 しかし「やはり中書省からも誰か枢密院に異動させた方がいいのではないか」と、中書省所属の官吏にとっては嬉しくもない意見が予想以上に多く聞かれ――それゆえ徐は人材交換の名目に沿って侑生と職種を交換させられる羽目になったのである。


 何がよろしくないかというと、表向きは同列である二人の地位に、実は格段に差があることだった。


 まず、中書省の官吏には枢密院よりも格上だという自負がある。


 次に、人事を司る吏部は中書省五部の中でも格上の立ち位置にあった。


 だから枢密副史と吏部侍郎の交換は、一方にとっては破格の出世であり、もう一方にとっては左遷と捉えられても仕方がなかったのである。


 それゆえ徐は着任早々、自らの保身のために「偉そうに」「無礼に」「居丈高に」ふるまうようになってしまい、直属の部下である隼平と良季の反感を買ってしまった……というわけだ。


 たかが数日のことで、と思われそうだが、二人にしてみれば「数日我慢してやった」のである。


 今日などは地方から訪れた貴族や知州ちしゅう――各州の長――が一同に会する場に出向いたのだが、徐はさっそく中書省の面々が集う一角へと去ってしまい、部下である隼平や良季には何の気遣いも見せなかった。


 しかも離れた場所からでも聞こえたのが、枢密院に対する批判だった。


「あのような野蛮な仕事をするだけあって、枢密院とは大したことのない組織だよ」


 ははっと鼻で笑う徐に、周囲が合わせるように笑っていて、その中で李侑生もまた微笑みを浮かべていた。……侑生は明らかに空気を読んでいた。いや、『読まされて』いた。


「ああもう、むかつくっ!」


 何度目からも分からない悪態をつく隼平は、一向に怒りが収まる様子がない。


 こんな時、侑生のことが――最愛の元上司のことが恋しくなって仕方がない。


 自分達よりも五つ年下の上司に、さすがに当初は抵抗を覚えた。それは本当だ。しかし、侑生の能力の高さは疑いようのないものだったし、実直な性格も、時に見せる人としての弱さも、何もかもが二人には好ましかった。だから打ち解けるのは早かったし、本当の兄弟のようだと言われるくらいには深い関係になっていた。


 正直、侑生との別れは二人にとって辛いものだった。


 だが侑生は新天地での活躍を期待されるほどの優秀な男だし、そこはまだ若い二人、であれば俺達も心機一転頑張るか、と心を立て直したのだ。年末、別れる最後の瞬間も笑顔で締めくくることができたのだ。


 なのに――。


「なあ、良季ちゃん。どっかで飲み直さない?」

「飲み直すって……。昼間から何を言っているんだ」

「ええーっ。もう夜ってことでいいじゃん」


 空を見てよ、と隼平が足を止めて促すものだから、良季も頭上を見上げると、確かにもう昼なのか夜なのか分からないような、微妙な色合いに空は染まっていた。


 雪が額や頬に触れ、見上げる二人の顔をしっとりと濡らしていく。


 二人は揃って歩き出した。だがその足取りは明らかに遅くなっている。向かう先にはあまり心惹かれない仕事がいくつか待っているだけだからだ。


「しかしお前のことだ、飲むとなればしこたま飲むつもりなんだろう?」


 基本真面目な良季がこんなことを言い出すあたり、仕事をする気が失せてしまっているのだろう。


「当ったり前じゃん! こういう時のために酒があるんだから。あ、もしかして良季は今日も清照さんに会いにいくつもりだったのか?」

「いや。しばらく行くつもりはない」

「あれれ? どうして? もしかして喧嘩した?」

「そういうことではないんだがな」


 とはいえ、そこでため息をついてしまった良季に「ふーん」と物思う表情になった。


 そして満面の笑みを浮かべた。


「それじゃ、今日は一緒に愚痴ろっか」


 そうしよ、と良季の腕を掴んで歩き出す。


「さっさと仕事を終わらせようよ」


 前を向くその顔は浮き立つ心を隠しておらず、良季は文句を言いかけたが……やめた。


「では今夜はお前のおごりだな」

「ええーっ!」



 *

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