2.さらなる感謝
「駄目だろ。部外者に余計なことをしゃべったら」
狐を彷彿させる鋭い目は、まず珪己に、続いて二人の兄弟に向いた。
「あのさ。この子のことでは随分世話になったし感謝はしているけど、それとこれとは別だからね」
「晃飛さんっ!」
気色ばんだ珪己を「君は黙ってて」と晃飛が制した。
夜に二人で縁側で会話をした際には気がつかなかったが、明るいところで見ると晃飛の状態は全快からは程遠いものだった。添え木をされた足は布で巻かれて丸太のように太いし、常のごとく緩くひらかれた胸元にも幾重にも布が巻かれている。首から上には布は巻かれていないが、かさぶたが額や頬、耳にまで張りついているし、片目の周囲は内出血の痕でどす黒い。
それでも――目力の強さも強固な意志も、晃飛は何も失っていない。
一時期操られていたことすら、すでに夢の世界のこととなっているかのようだ。
「俺達について余計な詮索はするな。君はついて来て」
「は、はい」
迫力に押され、問答無用で晃飛の部屋に連れて行かれた珪己は、そこで晃飛の考えを理解した。
つまりは――。
「君の件も仁兄の件も超がつくほどの極秘事項でしょ? 何でぺらぺら喋るのかなあ」
寝台に座った途端、無意識に肩が下がるほどに晃飛の容態はよくない。一日前まで自力で起き上がることすらできなかったのは嘘ではないのだ。
なのに晃飛は腕を組むと懇々と諭してきた。
「君や仁兄、俺のことだけじゃないよ。これは『知ってしまった』人間すべての人生を左右しかねない危険な話なんだよ。分かってる?」
「……すみません」
「今度からは、話すべき時かどうかよく考えてからにするんだね」
正論にうなだれた珪己は気づいていないが、晃飛のいら立ちにはちょっとした嫉妬が含まれている。昨夜の打ち明け話は自分相手だからゆるされることで、それ以外の人間にも同じように暴露する現場を見てしまえば……晃飛が不愉快になるのも仕方がなかった。他人にめったに心をひらくことがないゆえの幼稚な嫉妬心ともいえるが、同情の余地はある。
とにかく、この秘密は特別な人間同士でのみ共有したいと晃飛は思っていた。それはつまり自分達三兄弟のことだ。
「じゃ、食事に戻っていいよ」
不承不承うなずき部屋を出ようとした珪己は「食事が終わったらすぐ寝るんだよ」と追い打ちをかけるように告げられて驚いた。
「ええっ? また寝るんですか?」
まだ起きたばかりだというのに。
だが珪己の反抗的な態度こそが心外らしく、
「ええっ、じゃない! 昨日戻ってきたばかりだろ? 今日一日はゆっくり休むんだ」
晃飛がきつく言い含めた。
「分かった?」と重ねるように問いかけられれば――うなずくしかない。
だが――何かが気になる。
心の琴線に引っかかる。
(……あれ?)
「こういう会話、前にもしたことありました……よね?」
「はあ?」
胡乱気な声をあげた晃飛だったが、次の瞬間、むずがゆそうな、複雑な表情になった。そう、晃飛もまた思い出したのだ。こんなふうに過保護にふるまっていた自分のことを。
「……そういう余分なことは思い出さなくていいから」
「ええー」
「うるさい! 俺はもう寝るから出てけっ!」
珪己に背を向けた晃飛は、掛布を頭からかぶって動かなくなってしまった。
*
そうして、晃飛の言う通りおとなしく眠りについた珪己が目を覚ましたのは、すでに斜陽も姿を隠した遅い時分のことだった。年明け早々、すでに一日は終幕へと近づいている。
目覚めると朝方よりも随分体が軽くなっていて、けだるさも頭痛もだいぶ軽減していることに珪己は驚いた。ひどく爽快な気分だ。どうやら晃飛の懸念は当たっていたようで、珪己は心の中でこの義兄に感謝した。口は悪いが、やっぱり晃飛はいい人、いい兄なのである。昨日の強硬下山によってどれほど心身を消耗してしまったかを、珪己は回復する過程においてようやく自覚したというわけだ。
と、すぐそばに見慣れぬ老婆がいることに珪己は気づいた。
「あの……?」
まだ横になったままで呼びかけると、その老婆は談笑していた相手、氾兄弟から珪己の方へと体ごと向けてきた。
「おお、おお。娘さんが目を覚ましたぞお」
失礼ながら、老婆を正面から見た瞬間、珪己は物の怪に遭遇したかのような驚きを感じてしまった。成長過程にある子供のような体躯はもちろん、目も鼻も口も――老婆を構成する何もかもが小さかったからだ。発した高い声にも幼児を彷彿させられた。
記憶がいまだ混沌としている珪己は、この唯一無二の存在感を示す老婆の正体をすぐに思い出すことができなかった。それは不可解な表情をしていることからも読み取れたようで、老婆の方から自己紹介をしてきた。
「儂は豪雨渓。産婆だよお」
「あ……!」
言われてみれば――確かに会ったことがある。
「お会いしたのは一度だけ……ですよね?」
おそるおそる確認すると、老婆――雨渓は皺だらけの顔に笑みを深めた。
「ああ、そうだよお。よく戻ってきたなあ。お疲れさん」
「あ、ありがとうございます」
よく分からないながらもねぎらわれたことに礼を述べると、
「じゃ、ちょっくら診せてもらうよお」
言うや、雨渓が手首に触れてきた。
つづけて首に触れ、目を覗き、舌を出させ、最後に衣服ごしに腹に触れ――それらの一連の行為を終えると、雨渓が満足そうにうんうんとうなずいた。
「問題なさそうだあね。月が巡り終えたら産まれるだろうよ」
ざっくりいうと、あと三十日と立たずに産み月に入る、と告げたことになる。
「もう正気を取り戻しているみたいだし、心も落ち着いたようだなあ。よかった、よかった」
ひゃひゃひゃと雨渓が笑う。
「この二人に聞いたがなあ、娘さん、あんた山に行ってたんだって?」
「は、はい。どうしてなのかは分からないんですけど……」
つい正直に語ったところ、
「あのあたりは神聖な場所なんだよお」
雨渓が突拍子もないことを言い出した。
「神聖、ですか?」
「んだ。昔、凰が住んでいたんだな」
「……鳳凰、の凰ですか?」
「んだんだ」
これに珪己は黙り込んでしまった。
いや、言葉を失ったというのが正しいか。
凰とは皇妃の象徴だからだ。




