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4.大丈夫

「そこになぜか陛下が現れたんです。その時、私は街外れの小さな寺に匿われていたんですが、突然現れた陛下は私の話を聞くと、どんなことをしてでも護ってみせると……そうおっしゃってくださったんです」


 まるで夢物語だ――それが晃飛の抱いた感想だった。


 天上人である皇帝の登場の仕方にも、枢密使の娘とはいえ一介の少女でしかない珪己への心の寄せ方も、聞けば聞くほど理解が追い付かない。この国の底辺に位置する者から上位者まで、誰もが有する常識とは相反する展開の連続だ。


「私を救いたい、護りたいと、陛下は何度もおっしゃってくださいました。やがてその表情や声音の変化に……気づいたんです」

「気づいたって?」

「陛下が私を好いてくださっていることに」


 それが二つ目の理由です、と珪己が言い添える。


「君は皇帝陛下のことを……その、好きだったの?」

「……好意はありました」


 考えつつ、答えていく。


「でもそれは人として、という意味合いの方が近かったのかなと思います。でも……それでもよかったんです」

「どうして?」

「あの時の私には他に選択肢がなかったから……。芯国に連れていかれるか陛下の腕の中に飛び込むか、その二つのうちどちらかしか選べなかったんです。少なくとも当時の私はそう思っていました」


 はああ、と珪己が夜気の中に白いため息をついた。


 だがそのため息には後悔と懺悔の色が混じっていた。


「窮地に陥っていたからこそ、家族も故郷も――夢も心も、何もかも失う寸前だったからこそ……。私を癒したいと、心を分かち合いたいとおっしゃってくださった陛下の胸にすがりついてしまったんです……」


 長い沈黙の後、今度は晃飛が深々と息を吐いた。


「よく分かったよ。君の当時の状況も……選択の理由も」


 晃飛は楊珪己ではない。女でもないし上級官吏の家の出でもない。けれど珪己の説明を聞き、受け止め、咀嚼しようと試み――ある程度のことは理解できた。少なくとも晃飛自身はそう思ったのであった。


 なにも当時の珪己が突飛な行動をとったわけはないのだ。


 様々な偶然、奇跡、事故、幸運と不運、そんなものが重ね合わさった結果だったのだ。


 それにたとえ理解できない話だとしても、晃飛には妹の過去の決断を否定するつもりは最初からなかった。個々の人生は個々が選び取るものであり、他人がとやかく言う権利などはなからない。


 こういうところは人との縁――他人どころか家族とも――が薄い晃飛らしい。


 教えてくれてありがとう、と晃飛が付け加えると、「でも……」と珪己が震える声でさらに語り出した。


「結局次の日には開陽を出て行かざるを得なくなってしまったんです。王子の従者に見つかってしまって、捕まりそうになって……その人を殺してしまったせいで」


 この日もっとも衝撃的な発言が飛び出し、晃飛は思わず息をのんだ。


「……殺した? 君が?」

「は……い」


 今度は認めるまでに幾分か時間がかかった。


「その時、私は武芸の師匠と一緒にいたんですが、師匠は私のせいで重傷を負っていて……。王子が師匠の腕を折ったんです」


 珪己の師匠であるならそれなりの強者のはずが……と、晃飛は無言で推測を重ねていった。


「王子の従者も見るからに腕の立つ武芸者でした。闘わずに逃げることは不可能でしたし、手加減をする余裕もこれっぽっちもありませんでした。……気づけば終わっていたんです。わ、私が殺したんです……」


 珪己は自らの胸の上で交差する晃飛の腕をきつく掴んだ。


「晃飛さん……。私、本当にいいんでしょうか……? 人を殺した私が子供を産んでも本当にいいんでしょうか……?」


 指に込められた力の強さが、荒れだした珪己の情動を直に晃飛に伝えてくる。


「人の命を奪っておいて命を生み出すなんてことが……本当にできるんでしょうか。ゆるされるんでしょうか……?」


 語りながら、話は珪己の胸の奥の方にくすぶっていた最大の疑問にたどり着いた。


「私に親になる資格はあるんでしょうか……?」


 寒さだけが理由ではなく、珪己の言葉の端々が震えている。


 教えて――そう願う珪己の切なる声が聴こえるかのようだった。


「大丈夫」


 ずっと黙っていた晃飛が口を開いた。


「どんなまぬけな人間だって、赤ん坊が生まれれば親になるんだ。子供が君を親にしてくれる、そういうものなんだよ。……って、韓さんが言ってた」

「韓さん?」

「君の診察をしていたもぐりの医者のことさ。ちなみにこれは俺が韓さんに言われたことをそのまま言ってみただけだからね」


 にやりと晃飛が笑った。


「俺が赤ん坊の父親だと勘違いされてただけなんだけど」

「あ、ああ……」


 思い出せるような、思い出せないような。


 記憶をたぐりかけた珪己のことを、晃飛があらためて抱きしめ直した。


「つまりさ、成るようにしか成らないってことじゃないかな」

「成るようにしか、成らない?」

「うん。でもって、人間って意外なくらい順応性があるものなんだよ。君ならきっと大丈夫さ」


 大丈夫――なんの裏付けもないその一言に、珪己の強張った体からゆるゆると力が抜けていった。


 その言葉が欲しかったのだと――言われた瞬間に気づいた。


「あとさ。これは今言ったことと真逆だけど、どうしても解けない課題や乗り越えられない壁っていうものもあるよね。でもそれって普通のことなんじゃないかな」

「ふ、つう?」

「うん。だからさ、どうしてもっていう時は楽したっていいんだよ。いいや、楽した方がいいんだよ。楽観的に考えるとか、逃げるとか、無視するとか。そういうことをしたっていいんだよ。じゃないと圧がかかりすぎて心がやられてしまうでしょ」

「そう……ですよね」

「でも言うのは簡単だけど、俺も君と同じだから気持ちは分かる。俺もつい考えすぎちゃうことがあるから」


 ふいに「仁兄もそうだよね」と晃飛がその名を口にした。


「仁兄のことだからこの街を出てからもしょっちゅう考え込んでると思うんだよね」


 晃飛が腕を解いたので珪己が振り返ると、


「今度会ったらまず眉間を見るべきだね。皺が刻まれて痕になっちゃってるんじゃないかな」


 と、当の晃飛が極端なくらいに眉をひそめてみせていたから、珪己はたまらず吹き出してしまった。


 これに晃飛が満足気な表情になった。


「そうそう。そうやって笑ってこうよ。明日も、あさっても、ずっとずっと」

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