第45話:老いた天才剣士は重要人物 敵陣攻略(3)
翌朝、一つ目の陣に五十、二つ目の陣にも五十の兵士を残して、三つ目の陣に歩兵とフィナスン組、ナフティ組が集まった。荷車をひいてきた二十を超える馬と一緒に。
騎馬隊はアイラの指揮とノイハの指揮に分かれて、二つ目の陣から東と西へ、敵陣を大きく回り込むように移動している。馬には乗らず、できるだけ背の高い草の間を抜けて。
「騎馬隊、行ったわね」
「ああ、そうだな」
「ジッドもがんばって」
「クレアは治療を頼むぞ」
「任せておいて。フィナスン組とは長い付き合いなのよ」
クレアとおれはこつんと拳を合わせて分かれた。クレアはこの三つ目の陣の中に残り、後退した負傷兵に薬師として治療を行う。フィナスン組と協力して、だ。フィナスン組からは「姉御」なんて呼ばれている。
おれたちが敵陣を包囲して攻めようとしているように、あっちからは見えていることだろう。
馬に気づいたとしても、それが何かを知る者もいない。スレイン王国にはもともと馬がいないのだ。荷車を馬にひかせるのも、オーバは大森林から辺境都市までに制限させていた。今回、このリィブン平原まで荷車を馬にひかせてきたのは、スレイン王国内で初めてのことだった。
こうして考えると、はなっから辺境伯軍の方が優位なのだ。
軍の内容という意味では、だ。数では圧倒的に不利。
そもそも影響下にある町の数がちがう。辺境伯領は十の町をその支配下に置いている。シャンザ公の檄によって、その他のスレイン王国の町は全て敵だと考えると、支配下にある町の数では絶対に勝てない差がある。当然、集められる兵士の数も段違いだ。
ただ、敵兵の方が圧倒的に多いとしても、それをこういう感じで、ツァイホンの町の攻城戦、リィブン平原の会戦、リィブン平原の陣攻め、というように相手が小出しにしてくれているうちはその差は小さくて済む。
まあ、敵は、内部分裂しているのがその実態だ。こっちが内部分裂しないようにオーバがうまく調整してきたこともあって、戦う前からその差が大きく見える。
しかも、これまでの戦いで、勝てる、ということを辺境伯軍はずっと感じてきた。
兵士一人ひとりの士気の差はあまりにも大きい。
援軍の王都周辺の人々はもちろん、士気が低い。
それだけでなく、カイエン候の兵士たちも、士気が高いとはいえない。
カイエン候の南下はシャンザ公の檄に応じて行われたカイエン候の侵略だ。自領である北方地帯から辺境伯領までの間にあるいくつもの町を手中におさめて、さらには辺境伯領も、と企んでいた。それが辺境伯領に手を伸ばした途端、ツァイホンで敗れ、この平原でも負けた。
カイエン候の軍師はシャンザ公の檄に否定的で、カイエン候には辺境伯領に手を出さないよう何度も助言したらしい。それでもカイエン候を止められず、カイエン候の指示で別働隊を指揮していくつかの町を攻略し、その途中で軍師はオーバに会って、攻略した町からある程度の物を分捕ると別働隊を北方へと引上げた。
今、カイエン候とともにいる兵士たちは、軍師と反対の立場、つまり南下して辺境伯領を攻め取ろうという意見を持った者たちの兵士が中心で、大敗したこの前の会戦によって、戦う意欲が激減しているらしい。もういくつかの町を攻め落とし、奪える物は奪ったのだ。これ以上、辺境伯軍という手強い相手と戦って苦労しなくても、という感じになっているようだ。
カイエン候とすれば、どいつもこいつも勝手なことを言いおって、という感じで、現状に苛立ちを隠せない。奪い取って本当にうまい汁が吸えるのは、スレイン王国の内乱に巻き込まれた北部や中央部の町ではない。これまで内戦から一歩引いて、平和の中でうまくやってきた辺境伯領の町に、食糧から何から、豊かな物がそろっているのだ。ここから先が、一番、落としたい町、手に入れたい町なのだ。そうでなければ、シャンザ公のように王都を支配して権力を握った方がいい。
その豊かさの差が、今の戦況の差になっていることはカイエン候には読めていない。まあ、相手から奪うことが考え方の中心にある限り、オーバには到底かなわない。カイエン候の軍師というのは、そのあたりがカイエン候とは少しだけちがうようだ。
はたしてこんな状態でまともな戦いになるのか。
陣を次々と出て行く歩兵たちに合わせて、三つ目の陣が忙しく動き始める。
三つ目の陣と敵陣は互いにはっきり見える距離にある。
もちろん、こちらが攻め寄せるようすは丸見えだ。
辺境伯軍は、大盾を持った兵士たちを先頭に、敵陣へと寄せていく。歩いて、並んで、できるだけ列を整えて。スィフトゥ男爵の軍勢だけでなく、フェイタン男爵の軍勢もいるので、この前の会戦のようには足並みはそろっていない。それでも、この前の敵軍のように、てんでばらばらに突っ込むようなこともない。
敵陣の守備兵は、あまりやる気はないにしても、弓矢を構えて準備はしている。
前回の戦いでは温存していた弓兵だ。陣を守るために使うつもりだから、攻め寄せた前回は温存したのだろう。
まだ距離があるということも含め、射かけてくるようすはない。
そして、敵兵は、そのやる気のなさで、重大な失策を犯している。
自陣に加えられたおかしな物の存在に気づかないのだ。大盾を持つ兵士に注目しているというところも大きい。視線をそっちに誘導しているからな。それも含めておれたちの作戦はうまくいっている。
当然のことだが、隠蔽はしている。見えにくくなるように、土をかけて埋めている。フィナスン組の細工は上々だ。
大盾を持つ歩兵に矢を射かけても無駄だと考えている敵陣の兵士は、おれたちが近づいていくとざわめきが起こり、それは次第に大きくなる。盾兵の後ろに、馬がいるからだろう。
敵陣の兵士たち、彼らにとっては、馬は未知の動物だ。フィナスン組とナフティ組が馬をひいて歩く前を守るように大盾を持った盾兵が進む。
敵陣のざわつきが大きくなっていく。
馬に射かけるべきかどうか、判断が難しいのだろう。馬が何のためにここにいるのか、理解できないのだから。
この馬たちの役割は、突進ではない。突進なら、もうとっくに駆けさせている。この馬たちの役割は、昨日の夜のうちにフィナスン組が敵陣の木柵に結んで地面に埋めたロープを引っ張り、敵陣の木柵を引き倒して破壊することだ。
盾兵が大盾を見せびらかすように歩き、馬もその姿を見せて進むが、敵兵の足元、敵陣の木柵のところどころに結ばれ、埋められた結び目には一切目を向けさせない。
敵陣から射程距離に入ると、一斉に矢が飛んでくる。
おれたちがやっているような、交代での連射などはない。ただの一斉射だ。
盾兵があっさりと矢を受け止め、さらに前進する。
敵陣と距離、およそ八メートル。
最前列の盾兵は馬を守るように矢を防ぎ続けた。
フィナスン組とナフティ組は、地面に埋められたネアコンイモのロープの端を、馬と荷車をつなげる道具に結びつけていく。急所に当たらなければ、スレイン王国の矢で即死することはない。フィナスン組も、ナフティ組も、度胸は兵士たちよりも上だ。
盾兵、フィナスン組とナフティ組と馬、それに続いてフェイタン男爵のいる左翼は小盾と銅剣の一団が、スィフトゥ男爵のいる右翼は小盾と槍の一団がいる。さらに後ろから、どちらの軍勢にも弓兵が詰めている。
フィナスン組から、トゥリムに合図がくる。
トゥリムが手を挙げて応える。
そして、馬が敵陣から離れるように動き出した。
ぐっと後ろ足をふんばり、前足を伸ばす。そして二、三歩進むと、埋めていた土が飛んで、馬と敵陣の木柵の間に結ばれたロープがはっきりと見えた。
敵陣で矢を放っていた弓兵が手を止めて、陣の内側に向かって何かを叫んでいる。
しかし、まあ、もう遅い。
辺境都市と大草原での輸送に活躍してきた馬たちだ。力がちがう。
馬に引っ張られて、敵陣の南側の木柵の一部が崩れていく。
中には途中で木柵が折れて、崩れるとまではいかなかったところもあったが、少なくとも八カ所、人が三人くらいは通れる幅で敵陣の木柵が崩れた。
大騒ぎとなった敵陣では、内側にいた兵士たちが慌てて木柵の近くに出てきた。
もちろん、それを逃すわけがない。
スィフトゥ男爵の指示で一斉射、右翼から矢が放たれると、フェイタン男爵もわずかに遅れて一斉射の指示を出す。
まだ突撃はしない。二人の男爵は盾兵と弓兵に指示を出し、突撃用の小盾の兵士たちは待機させている。
矢を受けた敵兵が倒れる中、フィナスン組とナフティ組は結んでいたロープをほどいて、馬を敵陣近くへ再び誘導する。そして、次のロープを結びはじめた。
そのことに気づいた敵兵が伝えようと叫んでいるようだが、木柵を崩された敵陣の騒ぎは大きく、状況の理解は進まないようだ。
大盾で盾兵が馬を守る中、二度目の馬による木柵崩しが進む。
馬をしとめようと飛び出した敵兵は、弓兵の餌食になるか、大盾にはばまれて届かない。大盾にはばまれた時点でフィナスン組やナフティ組に切りつけられ、倒れていく。
さらに五カ所、敵陣の木柵が崩れ、もはや陣とは呼べない姿がそこにはあった。
フィナスン組とナフティ組は、やることはやった、あとは兵士の仕事だと、堂々と三つ目の陣へ馬と一緒に後退していく。あざやかな働きぶりだ。もう、馬のところに敵の矢は届かない。
大盾を持った盾兵がゆっくりと前進し、敵兵の矢を防ぐ。こちらからはお返しとばかりに矢を放ち、盾兵の前進を援護する。弓兵たちも、小盾の兵士たちも、盾兵に続いて進む。
武器を捨て、膝をつけば、殺さない。
盾兵と小盾の兵士が男爵の合図に合わせて大きな声でそのように叫ぶ。繰り返し、繰り返し叫び続ける。
混乱している大騒ぎの敵陣にも十分に聞こえる、歩兵たちのそろえられた叫び。
歩兵たちは、叫んでは一歩、叫んでは一歩と、敵陣へ寄せていく。
寄れば寄るほどに増えるはずの敵からの矢が、はっきりとその数を減らしていた。
矢の数が減る理由として思い当たることは二つくらいだろう。
弓矢を捨てて逃げたか、弓矢を捨てて膝をついたか。
どちらにせよ、オーバの言う通り、陣攻めなのにまともに相手にならない。
おれたちがやろうとすることが理解できないから。
知らないことには対処できない。
臨機応変に対応できる、そういう厳しい訓練を積んだ軍ではない。カイエン候の軍勢は個の力に頼った荒くれ者の、王都周辺からの援軍はそのへんに住んでいる農夫たちの、まさに寄せ集めでしかない。
盾兵が敵陣の木柵のところに並んだとき、敵兵は弓や剣を捨てて膝をついているか、背中を向けて走って逃げているかのどちらかだった。
三つ目の陣から敵陣のようすを確認していた副官のカリフからの伝令が、敵陣の北側からどんどん敵兵が走り出して逃げていることが伝えられたとき、スィフトゥ男爵とフェイタン男爵は競うように捕虜を捕縛するよう命じていた。
戦わずして勝つ。
オーバがそう言っていたな、とトゥリムに話すと、トゥリムは神妙にうなずいた。
あとは、スィフトゥ男爵の目を覚まさせて、追撃だ。