第42話:老いた天才剣士は重要人物 リィブン平原の会戦(5)
守備陣の左側面の木柵の打ち込みも、残すところ、あと少し。
作業を進めるフィナスン組は落ち着いたもので、ひとつも慌てたようすはない。
左側面に回り込んで攻め寄せてきた敵兵の足は、湿地帯のぬかるみにはまってまともに動かない。
中には、膝や、ふとももまで沈んだ敵兵もいる。
オーバも、とんでもない場所に最初の陣を築くように指示したものだ。
弓兵の中でも狙いの正確な者が左側面の守備にあてられた。
ろくに動けない敵を淡々と弓兵がしとめていく。
正面、右側面にも敵兵は押し寄せつつあるが、右の敵兵はあらかじめかなり削っておいた。
陣の後方も含めて包囲されるまでまだ時間があるだろう。
陣に入った長槍兵は長槍の留め具をひとつ外して、長槍を普通の槍とそれほど変わらない二メートルくらい長さに戻し、陣の木柵にとりつく敵兵を陣の中から突き落としていく。
テツでできているからやや重いとはいえ、この長さなら自在に振り回せる槍になるのだ。
フィナスン組が掘った堀の深さは一メートルの半分くらい。浅い堀だが、幅はぎりぎり一メートルくらいか。陣側は掘った土が盛られて少し高くなっている。その土をこの戦いのあと、さらに固めて木柵は安定感を増すはずだ。
攻め寄せてきた敵兵は、一度堀に下りて、陣にとりつくために跳び上がると、そこを狙って槍兵がひと突きで堀へと突き落とす。
堀へと落ちた敵兵は後ろに続いていた別の敵兵の上に倒れて巻き添えにしていく。
頭などを突いた場合には即死もある。
さっきまで外で戦っていた歩兵隊は、長槍兵も弓兵もすべて守備陣の中に入り、敵軍から見ればこれはもう攻城戦と同じ状態になっている。おれたちからすれば守城戦だ。
敵軍の目標はおそらく陣づくりの妨害だろう・・・と思う。
だから、攻城戦をする必要はない。
こうなったら作戦失敗で引上げればいい。
陣内に苦労して逃げ戻ったおれたちが、後退する敵軍をわざわざ追いかけて追撃するはずがない。もちろん、実際にそうなったとして、トゥリムは追撃を命じないだろう。
それなのになぜこいつらは軍を退かないのか、と考えていくと・・・。
おれは守備陣の左側面の見た。
フィナスン組が相変わらず楽しそうに作業をしている、ように見えた。
・・・いや、これまでの正面や右側面の木柵の打ち込みとちがって、本当にのんびり作業してやがるよ、こいつら。かけ声がどう考えてもさっきまでよりゆっくりになってる。
誰の指示だ?
おれじゃない。トゥリムか? それともスィフトゥ男爵か?
・・・まさか、オーバじゃないだろうな?
あり得る。
オーバなら。
あいつなら、そこまで含めて読み切っているのかもしれない。
フィナスン組は、とにかくオーバの指示に忠実に動く。
しかも、優秀で、幅広くさまざまな目的に動かせる。
そういう連中だ。
敵軍の指揮官は、まだおれたちの守備陣が左側面を残して完成していないから、中に入ってこの陣を打ち破り、食糧なんかを手に入れられると、思ってるんじゃないか?
おれたちからしてみると、あれだけどっぷり深みにはまる湿地帯があるなら、そっちの木柵なんか足りなくても十分守れる。足の遅い兵士など、ただの的だ。
五倍の兵数といっても、すでにかなり削った。
戦っている敵兵の多くは負傷した者だ。
まあ、このままこの陣に攻め寄せるのなら、丁寧に槍と弓で対処するだけだろう。
トゥリムの指示があちこちに飛ぶ。
副官と団長格の兵士がそれぞれ四方に分かれ、兵士が交代で休憩をはさめるように気を配りながら木柵を手堅く守る。
フィナスン組が最後の木柵を打ち込み始めた。
湿地帯側には多くの敵兵がいるものの、守備陣にはほとんど近づけていない。
フィナスン組が使っていたふたつの台の上には四人の弓兵が立ち、見晴らしのいい高さから次々と矢を放っている。
他の木柵に押し寄せる敵兵も特に問題なく跳ね返せている。
歩兵たちはよく集中し、油断もない。交代で水を飲むことも、パンをかじることもできる。
敵兵は必死の形相で、傷だらけ、血だらけになりながら、陣の木柵を乗り越えようと迫ってくる。
相手は命がけなのに、おれたちはまるで作業をしているかのようだ。
堀から木柵のところまで上がってくる敵兵を、槍を持った歩兵がひたすら突き落とす。
敵兵の厚みが増したところには、トゥリムの指示で移動してきた弓兵たちが一斉射でその数を削る。
千五百いたはずの敵兵は、はっきりと分かるくらい、減っていた。
「ジッドさま」
不意に、弓を持った歩兵から声をかけられ、慌てておれはふり返った。
「どうした?」
見ると、弓兵の中でも、一、二を争う腕前の者だ。
アコンで訓練を続けた結果、ノイハに憧れているらしい。
ノイハはアコンで最高の弓使いだからな。
さっきまで、フィナスン組の台の上から湿地帯の敵兵を狙っていたはずだが?
台の方を見ると、別の弓兵がのぼって弓を引いている。
「気になることが」
「早く言え」
「敵陣から、兵が出ています」
「はあっ?」
「台の上から、見えたんです」
「敵陣から兵が? なぜトゥリムに伝えない?」
「ジッドさまの方が近かったので」
そう言われてみると、トゥリムは陣の右側面に近い位置で指揮している。湿地帯側となる左側面は湿地のおかげでもっとも守りやすいからだろう。
「おれは台にのぼって確認する。すぐトゥリムに知らせろ」
「はい」
おれと弓兵は互いに反対側へと走る。
敵陣から新たな敵兵が出てきたとして・・・。
ん・・・。
どうだろうか?
特に、何も問題はない、気が、するぞ?
「場所をあけてくれ」
おれは台の下から弓兵に声をかけた。
片方の弓兵がすぐに台からおりて、おれに場所を譲る。
迷わず、遠くの敵陣を見る。
確かに、敵陣からぞろぞろと人があふれ出てきていた。
今ごろ?
しかも、急ぐようすもない。まるで単に移動するかのような速度だ。
この戦いの最初に飛び出してきた敵兵のような勢いはまったくない。まるでフィナスン組の作業のようにのんびりとしている。
そう言ってしまうとフィナスン組に失礼な気もするが・・・。
あっちからは、ここの戦いがどう見えているのか?
増援部隊だとしたら、あの行軍の遅さは罠か何かだろうか?
敵陣との距離がありすぎて、敵兵の動きを見ていても理解ができない。
ただ、確かに敵陣から敵兵が出てきているというのは弓兵の報告、その通りだった。
「ジッド殿!」
弓兵とともに走ってきたトゥリムが叫んだ。「敵陣から増援が?」
気を遣って弓兵が台からおりたので、トゥリムがそのままおれの隣に立った。
「増援かどうかはよく分からんが」
おれは敵陣を指す。
トゥリムも目を細めて敵陣を確認した。
「確かに、敵陣から出た兵士たちがこっちに進んでいますね。しかし、なんだ、あの遅さは?」
「何か、企んでるのか?」
「・・・いえ、分かりませんね。まあ、今さらどれだけの数で攻め寄せてきたとしても、この守備陣にたてこもって戦うのならば敵兵の数は問題になりませんし」
「ここを通過して、ツァイホンを目指すとか?」
「まさか?」
「だよなあ・・・」
本当に、何を考えているんだろうか?
「とりあえず、疲れている今の敵兵と戦う間に、多めに休息をはさめるようにして戦いましょう。新たな兵は、五百は動いているように見えます。あれが来るのなら、こっちが考えていたよりも、戦う時間は延びるでしょうから」
「そうだな」
おれとトゥリムは台をおりて、弓兵に場所を譲った。そのままスィフトゥ男爵にも敵の増援について伝えたが、男爵にも相手がどんな意図で動いているのか、思いつくことはないようだった。
フィナスン組が最後の木柵を打ち込んで守備陣が完成し、神聖魔法による治療部隊へとその役割を変えた。こいつら、本当に優秀過ぎる。どれだけ頼りになるのか。
敵兵は、もし湿地帯を回って陣にたどり着いたとしても、もう木柵に阻まれて中には入れない。
それからしばらくは敵兵が必死に攻め寄せてきたが、こちらは冷静に槍を突き出し、矢を放つだけで、どんどん敵兵は減っていった。おれたちはひたすら守りを固めて、交代で休息をはさみながら、着実に敵兵を削っていった。
もとは千五百だったと考えられる敵軍だったが、見たところ、もはや五百を切ったと思う。しかも、無傷の敵兵はしっかり探してもなかなか見つからない。重傷だと思える敵兵はいくらでも簡単に見つかるのだけれど。
敵軍から撤退の合図となる銅鐘の音が響いた時、攻撃を受けていたおれたちがほっとして安心するのではなく、攻め寄せていた敵兵の顔に安堵の色が見えたのだから、この戦いがあちら側の兵士にとっていかに厳しいものだったかが分かる。
「追撃?」
スィフトゥ男爵がトゥリムに尋ねる。
「ない。このまま」
追撃しないと言われ、男爵もうなずく。
まあ、もとから必要ないと考えていたのだ。おれたちの方が今でも少ないしな。
陣を離れ、負傷した味方と力を合わせて後退していくどこか寂しげな敵兵たち。
おれたちが陣を出て追撃してこないと分かると、その歩みはさらに遅くなる。そもそも、誰かを担いだり、支えたりしている者がほとんどなのだ。
湿地帯側から撤退していく敵兵の姿は、びしょ濡れか、泥だらけか。血だらけの敵兵と同じような疲れ具合だ。それでも、負けたのに表情が柔らかい。よほど撤退するのが嬉しいのだろう。
こちらの歩兵たちも、パンをかじったり、水を飲んだりしながら、去って行く敵兵の姿を見送っていた。
別に戦って友情が芽生えるなどということはないが、こちらとしてもそれだけの数の敵をしとめたという自覚はある。敗軍が見せるあの疲れた背中は、いつかの自分の姿なのかもしれないのだ。
戦うからには手を抜くことはないが、たまたま今回は敵味方に分かれただけ。どちらももともとは同じスレイン王国の民である。だから、その姿に同情はできるのだろう。
多くの負傷兵たちとともに、ゆっくりと、ゆっくりと自陣へ向かって歩き、ようやくおれたちから五百メートルは離れた安全圏に達したくらいのところで。
あとから敵陣を出た増援らしき敵兵と合流したようだ。
そのまましばらく、その場で動きが止まる。
「なんだ?」
「なんでしょう?」
「何?」
おれも、トゥリムも、スィフトゥ男爵も、もちろん、守備陣の歩兵たちも、フィナスン組も、そこで何が起こっているのか、まったく分からなかった。
ただ、時間だけが過ぎていき、そうして・・・。
再び、敵軍はおれたちの守備陣へと移動を再開したのだった。
「・・・よく分からんが、こっちに向かってるよな?」
「そのようです」
「どうする?」
「どうするも何も、もう一度、守りを固めるしかないでしょう?」
「そうだよな・・・」
そう話すと、おれたちも再び動き始めた。
なんだかよく分からない状況だったが、とりあえず。
再び、おれたちは自身の守備陣を守るために戦うことになった。
なんだか、わざわざ休息するための時間を割いてもらったかのようで不気味だ。
しかも、よく分からないのが、陣に攻め寄せる先兵がさっきまでと同じ、すでにぼろぼろになった敵兵たちだ。
同情はしないわけではないが、遠慮もしない。
槍を突き入れ、堀に落とし、矢を放つ。
倒し、傷つけ、殺す。
そうしなければ、こちらがそうなるのだから。
では、新しく敵陣を出てきた敵兵はというと・・・。
なぜか、湿地帯側から攻め寄せようとして、足を深々と湿地に沈めていた。
もはや訳が分からない。
分からないけれど、おれたちとしては、とても楽に守備陣を守れる。
湿地帯側では弓兵たちがその腕前を競うように、まともに動けなくなった敵兵を射抜いている。
そのうち、それまでの負傷兵たちではなく、新しく攻め寄せてきた敵兵も陣の木柵にとりつくようになってきたが、別にそれで守備陣を破壊されるようなこともなく。
ここでもまた、槍を突いて堀に落とし、弓を引いて矢を放つ。
こちらは矢をどんどん消費していくのだが、あちらはどんどん命を消費していた。
おれの隣に立っていた一列目の槍兵の団長が、まっすぐ敵兵を見ながら大森林の言葉で教えてくれた。
「さっき、朝から戦ってる敵の負傷兵が、もう殺してくれと叫びながら陣にとりついてましたよ」
おれは思わず団長の顔を見た。
なんとも言えない、複雑な表情だった。
おれは戦場へ視線を移した。
「・・・いろいろとスレイン王国の言葉が聞こえてくるんだが?」
「どれも、似たような感じです」
「・・・同情、するなよ?」
「・・・なんというか、同情は、してもいいんじゃないかと思います」
「そうか」
「手加減はしません。約束します」
「分かってる」
「できるだけ早く、なんとかして殺してやりますよ」
その言葉に、おれは何も言えなかった。
陽が傾き、空が赤くなり始めると、再び敵軍から撤退の銅鐘が響いた。
今度こそ、敵兵はおれたちの守備陣を離れて、まっすぐ自陣へと後退していく。
ただし、今度は自分の身ひとつで、誰かを担いだり、肩を貸したりしているようすはあまり目立たなかった。
ただ、守備陣の周りに無数の死体が転がっているだけだ。
この戦いが、のちの世に伝わった「リィブン平原の会戦」である。
たった三百の歩兵隊で、五倍となる千五百の敵兵を壊滅させた、オーバとイズタによる新兵器とその新戦法が注目され、指揮したトゥリムの功績として人々の記憶に刻まれた。
多くの者が興味を抱いて調べたから、おそらくいろいろな事実が判明しただろう。
あのとき、敵軍に何が起こっていたのか。
まあ、おれは別に知りたくもない。
ただ、おれたちが千五百もの敵兵を壊滅させたと言われているが、あれはただの敵軍の自滅だったのだと。
この戦場にいたおれたちは全員、そのことを知っていた。
それだけだ。