第36話:老いた天才剣士は重要人物 ツァイホンの戦い(4)
肉の焼ける臭いとともに、南北それぞれの外壁から、敵兵が移動してくるのが見える。
作戦通り、火攻めで他の外壁への突撃をあきらめさせたようだ。
スィフトゥ男爵は、あれから三度、銅の矢じりの矢での一斉連射を試していた。
敵兵も慣れてきたようで、手や腕で矢から身を守っている。手や腕を貫かれても、頭や胸を守れるのなら死ぬことはない。
痛い思いはするが、一度後ろへ下がって矢を抜いて、再び橋へと戻ってくる。
一斉連射を繰り返す度に、即死する敵兵は減っていた。
ただし、一斉連射で負傷した敵兵は入れ替えのための時間がかかるので、スィフトゥ男爵が一斉連射を命じると守備兵たちには一息つく余裕が生まれた。
この外壁の全体を見て、効果的に一息つく瞬間を生み出すあたり、指揮官としてスィフトゥ男爵は有能なのだろう。
はっきり言えば、おれよりも、はるかに優秀だ。
アコンでオーバから、みんなと一緒にサンゴクシを教えてもらってなかったら、だがな。
サンゴクシはアコンで大人気の学習だ。特に男の子から人気がある。計算や文字の学習が嫌いな子たちが、目を輝かせてサンゴクシの学習に取り組む。
立ち合いの時に男の子たちがカンウだ、チョーヒだ、チョーウンだ、なんて楽しそうにわめきながら手合わせするのには困ることもあったが。
最初はオーバがサンゴクシを教えていた。特に、戦いを学ぶというわけではなく、サンゴクシという物語を子どもたちが・・・あ、いや、大人も含めて、だな、とにかくわくわくしながらみんなで物語を聞く。そして聞き終わると次々にサンゴクシに関する質問が飛び交う。
オーバがいないときには、ジル、ウル、クマラ、アイラ、もちろんおれも、サンゴクシの学習では教える側に回る。ノイハは・・・サンゴクシが好きなのは同じだが、覚えるのは苦手らしい。それはそれでノイハらしくていいのだが。
「ジッドさま、トゥリムさまから、そろそろではないかと」
伝令が、すぐ近くに来ていた。
守備兵たちの安定した守りに、どうやら少し呆けていたらしい。油断はいけないとおれは自分自身を戒める。
ちらり、とスィフトゥ男爵のようすを確認する。
外壁の上に堂々と立ち、敵兵を悠然と見下ろすその姿は落ち着いたものだ。
前の戦いで、守城戦にはずいぶん苦しんだとオーバから聞いていたが、その経験が活かされているのだろうか。いや、確か辺境都市の外壁はここと比べるとかなり低かった。あれでは苦しいのも当たり前だ。ということはやはり指揮官としての才があるのだろう。
「残りの銅の矢の数を確認。スィフトゥ男爵に、あと何回一斉連射ができるか聞け。それをトゥリムに伝えろ。テツの矢の出番はそれからだ」
は、という短い返事をして伝令が走っていく。
伝令を見送って、外壁へ視線を戻す。
まるでアリのように這い登ってくる敵兵の表情はどうだろうか。
朝ほどの高い戦意は感じない。
ありありと敵兵の疲れが見える。
逆に、こっちの守備兵はよく集中している。
この三日間、こいつらは怪我もほとんどしていない。
訓練は、大森林で徹底的に行ったと思っている。オーバの考えを実行できるように、徹底的に、だ。積み重ねてきた訓練の成果がはっきりと出て、この三日間の実戦で自信をつけたのだろう。
カリフやリエン、シエンなど、副官たちの指示も的確で迷いがない。
ごくまれに、外壁の上まで登った敵兵がいても、副官たちがあっさりと切り倒して落としている。
あいつら、神殿騎士や巫女騎士という連中は、おれとの立ち合いでもほとんどが互角以上に打ち合える。カリフなどは、トゥリムからもたまに一本を取るくらいに強い。
もちろん、男のカリフはアコンでサンゴクシの学習が大好きだ。オーバにしつこいくらいに質問をしていた。
・・・あ、いや、油断はいけないな。
この守城戦での余裕は、何年もかけてオーバが積み上げてきたものだということをおれは忘れてはならない。それでいて、スレイン王国の連中にはそのことに気づかせないようにしなければならない。スレイン王国の連中は、今は味方でも、いつ敵になるか、分からない奴らだ。
まあ、どれだけごまかそうとしても分かる奴には分かることだが。
男爵とトゥリムのところから戻ってきた伝令が、一斉連射はあと三回だと報告してくる。
おれはテツの矢の準備と、攻撃の切れ目に水を飲ませるようにという指示を出して、自分でも腰に結んでいた水袋を口にふくんだ。
スィフトゥ男爵がこちらを確認してうなずく。
東壁中央に集めた弓兵の準備は終えている。
テツの矢じりの矢をつがえて、待機。まだ弓の弦は緩んだままだ。
あれから、敵は負傷兵が増加して、その表情はさらに暗くなったように見える。
朝とは全く違う空気を感じる。
銅の矢による負傷者や外壁から落とされた死者は確実に増えていっている。敵兵の戦意が失われていくのも当然だろう。
登り道に配置していた弓兵は三人一組から二人一組に減らして、中央の一斉連射の人数を増やした。
四十人での四連射。アコンから持ち込んだ強力な弓で百六十本のテツの矢の雨を降らせた時、どういう状況になるのか。
北壁を副官に任せて移動してきたユゥリン男爵が、スィフトゥ男爵の隣で東壁での戦いを見守っている。まあ、テツの矢じりの矢がどれほどのものか、気になったのだろう。
オーバのことはもちろん信じているのだが、テツの矢はまだ実戦で使われたことがない。信じていても不安は残る。確認では銅の胸当てを確かに貫いてはいたのだが・・・。
スィフトゥ男爵が上げる手の動きに合わせて、弓兵たちが弦を引き絞っていく。
ごくり、とおれはつばを飲み込む。
外壁の東南側に離れたトゥリムも、なんだか神妙な顔をしているように見えた。
スィフトゥ男爵の手が振り下ろされる。
前に出た第一陣の弓兵が一射目、間髪入れずに立ち位置を交代した弓兵が二射目、さらに三射目、四射目と続く。
ドス、ドス、ドス、ドス、と想像していた以上の大きな音が四回、聞こえた。
狙いは橋の上と、その後方の敵兵たち。
外壁の上に弓兵が乗り出した瞬間、これまでの銅の矢と同じように手や腕で頭や顔をかばう敵兵。
しかし、その手や腕を貫いたテツの矢じりの矢は、そのまま頭や顔、人によっては目や口や鼻に突き刺さっていた。手や腕を頭へ縫い付けるように・・・。
銅の胸当てを貫き通して、背中に矢じりが抜けた者も多い。
盾を構えて防いでいた者も、盾を貫かれて負傷していた。さすがに、盾持ちの死者は少ないように見えたが・・・。
それまでの銅の矢の時よりも、後退していく敵兵の数が明らかに少ない。死者も多いようだが、負傷者の動きがかなり鈍い。肩や足を完全に貫かれている者がまともに動けるはずがない。
生き残った者たちがその痛みであげた叫びや呻きによって、敵陣が混乱しているようだ。
敵とはいえ、眼下に広がった惨状に、おれも含めて守備兵たちも一瞬、動きを止めてしまった。
下を見ずに登ってきている敵兵の姿によって、すぐに我に返ったから良かったものの、危うく防御の手を緩めてしまうところだった。
敵の悲鳴に対し、中央でユゥリン男爵が歓喜の叫びをあげている。
あいつは、いつか自分がこの弓矢を向けられる可能性があることに気づいていないのだろうなと思った。見たところ、今回使った全ての矢を回収できるわけでもない。敵がテツの矢を持ち帰れば、どこかで矢じりを調べて、いつになるかは分からんが同じ物を作るようになるのだ。まあ、それでもこの内乱の間に開発できるような物ではないとは思うが。
スィフトゥ男爵の表情は青ざめているように見えた。
確か、スィフトゥ男爵は辺境都市での戦いで、オーバが裏切って敵に回ったと勘違いしてオーバを襲い、その反撃で痛い目を見たという。おそらく、テツの矢の威力を知ってオーバを敵に回すことの恐ろしさを思い出したのだろう。
とにかく。
何がどう違うのかはよく分からんが、銅の矢よりもテツの矢の方が威力は高いということだけははっきりと理解できた。
テツの矢をつくったイズタと、つくらせて利用したオーバ。二人の顔が頭に浮かぶ。
おれも、今はスィフトゥ男爵のように顔色がおかしくなっているのかもしれない。
これまでよりも時間はかかったが、敵陣は混乱をおさめて、再び橋の上へと攻め寄せてきた。
盾持ちの数が少し増えたように見える。
だが敵兵の動きは明らかに鈍い。
気持ちは分かる。
戦意など、どこかに消えて、失われたのだ。今は、恐怖で体が思うように動かないのだろう。
盾さえも貫き、負傷させられるのだ。
盾を持てない者は、どうすることもできない。
トゥリムは外壁の東南の角で合図の狼煙を上げた。
スィフトゥ男爵が再び手を上げて、振り下ろす。
二度目のテツの矢による一斉連射。
橋の上の死体が量産されていく。
後方から命じられて前に出ようとする敵兵と、恐怖に染まって後退しようとする敵兵が橋の上でぶつかり合い、まだ生きているであろう倒れた負傷兵を踏み潰して追い詰めていく。
橋の上の混乱を見たスィフトゥ男爵の鋭い指示が弓兵に飛び、弓兵がすぐにテツの矢の準備を始める。
これまでと違って、間をおかずに狙うつもりのようだ。
そして、三度目のテツの矢による一斉連射は、それまでの橋の上ではなく、それよりも後ろの敵兵たちのかたまりを狙って放たれた。
橋の上と同じ惨状がその後方でも広がる。そこに新たな混乱が生まれる。
その時、ツァイホンの町の南東にある林から、次々と影が現れ、ツァイホンの町を目指して動く。影はどんどん増えて、その勢いは止まらない。
「あれは、味方だな?」
おれは伝令に確認する。
おれの後ろで背伸びした伝令が、動く影を確認する。
「はい。おそらく、フェイタン男爵の軍勢かと」
「千人近い数だな。予定よりも多いような気がする」
「勝ち戦にうまく合わせる、ずる賢い方だとよく聞きます」
それを聞いて、おれは思わず噴き出した。
領主格の男爵に対してずる賢いなんて、そんな失礼なことを一兵卒が言っていいのだろうか?
「・・・我々の町は、以前、あの方たちに攻められたのですよ」
おれの表情を読んだのか、伝令の兵士が小さくつぶやいた。
そう言えば、今は味方だが、以前の、辺境都市アルフィの戦いでは辺境伯領内で敵味方に分かれて戦ったのだ。
その相手に恨みが残っていても不思議ではない。
悲しい現実だ。
「スィフトゥ男爵とユゥリン男爵に、西門から追撃の軍を出すように伝えろ」
おれは表情を引き締め直して、伝令の兵士にそう命じた。
あとは、敵兵を追い払うだけだ。
四度目のテツの矢の一斉連射で、敵軍の潰走は始まった。
予定通り三日で、ツァイホンの守城戦は勝利を決めたのだった。