第34話:老いた天才剣士は重要人物 ツァイホンの戦い(2)
外壁の上から敵軍を見下ろしたトゥリムは、ああ、やはりとうなずいていた。
「どうした、トゥリム?」
「いえ、あれです。よく見てください。敵には輜重、つまり食糧や予備の武器を運ぶ部隊がほとんどいません。千人以上の兵士がいるとは思えないくらいです」
「やっぱり食糧不足で間違いない、か。三日、必要なのか?」
「一人ひとりが腰に小さな袋を結んでます。あれが最後の食べ物かと」
「あの袋がなくなったらおしまい、か。だが、そのぶん、死にもの狂いになって攻めてくるんじゃないか?」
「それはカイエン候の狙いかもしれませんね。自軍ではなく、従った諸侯の軍だけで攻め寄せさせたことも含めて。しかし、オーバ殿はそのさらに上をいく」
「今日の作戦か?」
「アコンで、あれだけ多くの人を養い、守っている王とは思えませんね。悪辣、卑劣、それでいて合理的です」
「・・・初日は、登らせるだけ登らせてから、糞尿を振りまけ、だからな。腰の袋に糞尿がかかったら食べられなくなるから、だろう?」
「それでも食べるとは思いますが、戦意は確実に低下するでしょうね」
敵軍が銅鐘を鳴らして、攻め寄せてくる。
弓兵が矢を放つのだが、途中で失速して、十二、三メートルくらいの高さまでしか届かない。外壁の外にある堀の向こうから射ているというのもあるが、そもそもスレイン王国の弓はあまり強くない。
ナイフのようなとても短い短剣を何本も腰に差した兵士たちが、外壁の積石の隙間に短剣を刺して足場をつくり、少しずつ登ってくる。
「ひしゃくを準備だ。登ってくる道は一、二・・・五本だな。ツボを移動させろ」
「慌てない。矢、届かん。待て」
おれの指示をスレイン王国語でトゥリムが補い、守備兵が動く。
南壁の指揮官はスィフトゥ男爵。
表向きは。
オーバとの話し合いで、スィフトゥ男爵はトゥリムとおれに全てを任せている。
スィフトゥ男爵自身、かなりの使い手で、トゥリムが言うには一対一では互角だろうとのこと。
こちらからの攻撃、つまり妨害がないので、どんどん敵兵が外壁へと押し寄せている。
「先頭の敵兵があと一メートルで糞尿を垂らせ。顔面狙いだ」
守備兵から返事が返ってくる。
ツボのふたが外されて、まあ、なんというか、好ましくない臭いが広がる。
「投石、用意」
トゥリムが短く告げる。
糞尿の担当ではない守備兵が石を構える。
ひしゃくが動き、あと少しというところまで登ってきていた敵兵の顔面に汚物がかけられる。そのまま敵兵は落下していく。この高さだ。おそらく即死か、立ち上がれないくらいの重傷だろう。
スィフトゥ男爵の表情が歪んだ。
「・・・相手に同情してるのか?」
「オーバ殿、怖ろしい。味方、安心、敵、ならん」
「ああ、その方がいいと思う。おれもオーバと戦うのはお勧めしない。糞尿はそのまま続けて、全てまき散らせ! 投石開始!」
糞尿に続いて、投石も始まる。
相手の矢は届かない。相手も投石してくるが狙いは正確ではない上にその勢いも弱い。
外壁の高さが、こちらの投石の勢いを増す。
水のない空堀の底に、動かない数十の敵兵が積み上がった頃には、相手の戦意がはっきりと失われているのをおれは感じた。
用意したツボの中の糞尿はなくなり、投石用の石も外壁の上に運んだ分は使い終わった。
夕陽が赤い。昼過ぎに始まった初日の戦いも、もう少しで終わる。
南壁の守備兵はそのほとんどを弓兵に交代させていた。
戦況は言うまでもなく圧倒的で、楽勝だ。
そもそも、南壁の守備兵はアコンで訓練した者たち。持っている弓がスレイン王国の弓とは違って、かなり強い。
大森林ではありふれている竹が、スレイン王国にはないらしい。オーバとノイハが開発した大森林の竹を使った弓は、ここに持ち込んだ物なら最大射程が三十メートル以上。銅の矢じりでも十分な殺傷力がある。この高さの外壁の上から狙うのなら、なお余裕だ。
この大森林の弓は、訓練していない辺境伯領の兵士には扱えなかった。弱い弓しか引いていないのだから無理なのは仕方がないが、ユゥリン男爵は不満そうだった。
ノイハが言うにはコツがあるらしい。おれにはよく分からないから教えることもできない。
南壁の敵軍から銅鐘の音が響く。
生き残った敵兵が、まだ息のある味方をかかえて後退する。
「追げ・・・」
「そこまでだよ、トゥリム。逃がしてやっても大した影響はないさ」
「ジッド殿?」
「弓兵も、もうやめろ。交代で見張りを残して、休みをとる。いいな」
守備兵たちが動きを止めて、おれとトゥリム、そしてスィフトゥ男爵を見る。
男爵がうなずいて、兵士たちが動き出す。
しばらくすると他の外壁からも敵の銅鐘の音が聞こえる。
どうやら南壁が一番最初に退いたらしい。
「トゥリム、スィフトゥ男爵と一緒に、他の方角の外壁の指揮官との打ち合わせに出向いてくれ。おれは、丸太やら石やら、明日の準備をここで済ませておくから」
「分かりました」
そう言ったトゥリムは男爵を促して、外壁を下りていった。
おれはトゥリムたちを見送って、それからもう一度、敵軍を見た。
三百から五百は死んだだろうか。
「人の数だけなら、大森林や大草原とは比べものにならないくらい多いのにな・・・」
それなのに、無駄に死んでいく。
ここではとにかく、命が軽い。
以前の、オーバと出会う前の、大森林や大草原のようだ。
守備兵に指示を出して、明日の準備をさせる。
おれはそれを見守り、陽が沈む頃に外壁を下りて、倉庫へと向かった。
夜。
かすかな足音が聞こえる。
やれやれ、と腰の剣を抜く。
こんなところまで、オーバの読み通りだ。
「誰だっ!」
倉庫の外の見張りが声を上げる。
もちろん返答はない。
がきん、という剣と剣がぶつかる音が聞こえる。
おれは倉庫の中から出ていく。
見張りは二人。
敵は五人。
とりあえず、一瞬で一番近くにいた男の喉を突き、殺した。
「無理に戦うな。見張りの二人はそのまま時間を稼げ」
見張りにそう告げて、左側の二人目に体を寄せる。
振り下ろされた剣を受けずに半身をひねってかわし、そのまま剣を持った腕を打ち、流れるように柄で腹を殴る。
言葉にならない何かの音をもらしながら男が倒れる。
この程度のレベルの相手なら、本当に楽勝だ。
倒れた男を踏んで跳び、そのまま右の男の頭にがつんと剣を振り下ろす。
嫌な音だと思う。
「ばか、な・・・」
見張りと戦っていた男がちらりとおれの方を見た。「三人、一瞬・・・」
「あきらめろ。抵抗しないのなら、命は助けられるぞ」
「くっ・・・」
見張りの二人は、おれに言われた通り、無理せず相手の攻撃を丁寧に受けている。
「一人は気絶させてある。別にお前たちを殺しても問題はないが、殺したい訳でもない。どうせ、門を埋める前からもぐりこんでいた間者だろう? もうあきらめて剣を捨てろ」
そう言ってみたが、まだ見張りに剣を打ち込んでいく。
両方を確認して、右の見張りの方が余裕はありそうだったので、左の敵に近づく。
見張りから一歩引いた敵が、おれの方に向き直って剣を振り下ろす。
振り下ろされた剣をかわしながら、その剣を握った腕を柄で強く押して相手の体勢を崩し、そこからまっすぐにのどを突き抜く。
がふ、と敵の口から血があふれる。
これで四人。あと一人。
昔、氏族のテントで何人もの剣士に囲まれた時に比べたら、なんとも簡単なことか。
「つよ、すぎる・・・」
その評価にはうなずけないが、何も言わない。
残った一人が下がりながら剣を振るうが、見張りの男が逃がさないように間を詰める。
おれは血を吐いた男を蹴りつつ喉に刺さった剣を抜き、最後の一人の背後に回った。
「囲め」
短い指示に、もう一人の見張りも反応する。
最後の一人が三人に囲まれた状態になった。
「・・・他の倉庫、仲間、火、つける」
つまらないことを言い出すものだ。
この、南の倉庫に誘い込まれたことすら見抜けていない。
「他の三つの倉庫は見張りが十人ずつ配置されている。だからたった五人のお前たちは見張りが二人に見えるこの南の倉庫を狙った。お前たちに他の仲間などいない。もうあきらめて剣を捨てろ」
ばたばたという足音とともに、守備兵がさらに集まってくる。
降伏しないのは、おれの言葉がうまく通じていないから、かもしれない。
「おい、こいつを降伏するように説得しろ」
おれに言われて、敵と向き合っていた見張りが説得を始める。
もうすでに一対十を超えた数になっていた。
スレイン王国の言葉で、なにやら言い合っているが、話が終わらない。
「ジッドさま、降伏に応じません」
おれたち、大森林の言葉で、大森林で訓練していた守備兵が教えてくれる。
やれやれ。
「なら、囲んで殺せ。一人は気絶させてある。そいつは縛って、明日の朝にユゥリン男爵に差し出せ」
「はっ!」
返事とともに、囲まれた敵が後ろから、横から、次々に刺されていく。
一人を相手に残酷なものだと思うが、味方に被害を出さないためには当然の行動だ。
それにしても。
あの大森林の奥地で、たった一人で生きていたオーバがどうしてこんな戦い方までくわしいのだろうかと、疑問に思う。疑問に思うが、あの賢いオーバなら、これも当然なのだとも思う。
あくびをしながら剣を収めたおれは寝所へ向かった。
この夜、おれが殺した四人の間者の死体は、翌朝、ユゥリン男爵によって外の敵軍から見えるように北の外壁に吊るされた。
ユゥリン男爵が大声で、敵軍に向かって間者を討ち取り、食糧を守ったことを叫んでいたらしい。
おれたち、大草原や大森林の者を野蛮な種族だと見下している、スレイン王国の奴らの方がよっぽど野蛮だとおれは思ったが、口には出さなかった。
「トゥリムの奴は、どう思ってんのかね・・・」
誰にも聞こえないように、おれは小さくつぶやいた。




