第32話:老いた天才剣士は重要人物 最前線への進軍
まだまだ若い者には負けない、とは言わなくなった自分に思うところがない訳ではなくて。
かといって、息子に一本取られるようになった事実からも目をそらすことはできなくて。
・・・まあ、三本中、二本はおれが取るから、息子のムッドに負け続ける訳でもないんだが。オーバによると、ムッドの奴はおれよりレベルは上らしいのが嬉しいような悲しいような気持ちになる。
老いた、という現状を認められないほど、愚かなつもりもない。
大草原の天才剣士などと言われていた恥ずかしい昔のことをいつまでも心の拠り所のようにしているつもりはないのだが、そのことを知る者たちからはそんな過去があるからこそ、自分に向ける尊敬の眼差しが得られるのだということにも、気付いてはいる。
正直なところ、今、自分が強者だとはあまり感じない。
オーバをはじめとして、ジル、ウル、クマラ、アイラなど、アコンにおいては訓練の手合わせで勝てない相手が多過ぎる。
これまでずっと剣に生きてきて、これだけ勝てない相手がいて。
おれはオーバたちの役に立てているのか、という不安は感じている。
そんな不安を感じながら、オーバに頼まれた歩兵隊の総指揮。
思わず、ノイハでいいんじゃないか、とおれは言ってしまったのだが。
「・・・ノイハに指揮なんか無理だろう? こういうのはジッドに任せる」
そんなことをあっさり言うオーバの期待には応えたい。
「それと・・・」
そう言って続けたオーバからの密命。
驚くしかないその内容にオーバからの信頼の厚さを感じる。
それが単純に嬉しかった。
そういう思いで、おれは歩兵隊を引き連れて、歩いたり、舟に乗ったりしながら、はるばるスレイン王国までやってきた。
大草原の果て、天険の隘路を抜けた、噂の辺境都市アルフィからさらにその先。
テツの村という、小さな村。
大草原や大森林では見ない、外壁のある村。
そこに歩兵隊とともにやってきた。
そもそも、歩兵隊のほとんどは、辺境都市アルフィの者たち。つまりスレイン王国の兵士たち。
それをおれが率いるのは、その兵士たちが大森林で訓練を積んだからだ。
辺境都市の支配者である男爵から依頼されたオーバが、兵士たちの訓練を引き受けた。オーバが進めたのはかなり変わった訓練だったようだが、そのオーバの意図は何度も説明を受けた。
・・・オーバは、天才なんだろうな、と思う。
天才でなければ、何だろうか。
少なくとも、おれたちとはかけ離れた、とんでもない考えをもって行動している。
女神さまのご加護を一身に受けているのも当然だろう。
「ジッド殿」
呼ばれておれは顔を上げた。
トゥリムだ。
何年か前の戦いの後、オーバに仕えるといって大森林に移住したスレイン王国の優秀な剣士。
このトゥリムも、おれにとっては勝てない相手の一人。ただし、その中でも、かなりいい勝負ができる相手なのだが。今回、このトゥリムを守ることをオーバから密命として頼まれている。自分より強い奴を守るってのも不思議なもんだ。
オーバが言うには、おれはトゥリムに剣技では負けていないのだと。おれの剣術のスキルレベルの高さでトゥリムとはいい勝負ができているらしい。長年磨いてきたものがいかされていると。ただ、レベル差で最後は勝てていないという。スキルやレベルというのは、オーバがおれたちに教えてくれた、人の強さの秘密。
トゥリムもおれと一緒にこの歩兵隊を率いてくれている。
「こちらがイズタ殿だ」
トゥリムが一人の男を紹介してくれた。
この村の代表者で、オーバともつながりがあるという、鍛冶師イズタ。この村でオーバの指示に従って新しい武器をつくっている。
ここで武器をもらってから進軍してくるように、オーバからは命じられている。
「あー、イズタ、おれはジッド。オーバに頼まれて、ここで武器を受け取るように言われてる。よろしく頼む」
「はい、武器、ある。予備も、ある。すべて、預ける」
イズタはスレイン王国の言葉で話す。
トゥリムはスレイン王国の言葉も、おれたちの言葉もどちらも分かるから、通訳をしてほしいところだ。おれはスレイン王国の言葉だと、なんとなくしか、分からん。戦闘の指示は、短く、分かりやすくが基本だからそれほど問題にはならんのだが。
イズタの向こうから、何人もの男が武器を運んでくる。その武器は、どうも、おれが知っている武器とは、似ているようでまったくの別物のようにも思える・・・。
「・・・トゥリム?」
「ああ、ジッド殿、言いたいことは分かるのだが・・・」
「そうか?」
「私も、同じ気持ちだ」
運ばれてきた武器、を見て。
おれとトゥリムはそろって首を傾げた。
「これが、武器だと・・・?」
それは、想像もしていなかった物だった。
それから、トゥリムの通訳で一生懸命使い方の説明をするイズタの言葉を理解しようとおれは努めた。
テツの村を離れ、さらには海沿いのカスタという町も通り、スレイン王国を進軍していく。
いくつかの町を経由して、アイラの騎馬隊と合流。
先にスレイン王国に入っていたアイラの騎馬隊は、ひたすら訓練に打ち込んでいた。
速度調節と、隊列の維持、そして、速駆けでの隊形移動など、オーバが歩兵たちで徹底して行ってきた訓練を騎馬隊にも厳しく行っている。
何年か前の戦いの時よりも、馬の数が三倍以上になっている。足並みをそろえるのは簡単ではないのだが、アイラの指揮は見事なものだと思う。
半数くらいは大草原からの徴兵なので、まともな訓練はナルカン氏族のところで集結してから始めたはずなのだが、かなり練度が高い。
ちらりと馬上からこっちを見たアイラに、おれは手を振る。
休憩を告げたアイラが、こっちまで馬を寄せてきた。
「遅かったわね、ジッド」
「・・・馬と比べるのはおかしい」
「あはは、そうだったわね。でも、そう考えると、早いのかしらね?」
「オーバが、舟を用意してたからな。スレイン川の大草原側は、一気に移動できた」
「そう。あたしも今度、舟ってのには乗ってみたいわ」
「この戦いが終わったら、帰りに乗ってみるといい。馬より速いし、風が気持ちよかった」
「へえ」
「それで、そろそろ攻め込むのか?」
「うーん、まだみたい。でも、そっちはツァイホンっていう町に入るようにってオーバから指示があったわよ」
「町に入るってことは・・・」
「守る戦いってことよ」
「ツァイホンってのは、どのあたりなんだ?」
「この、辺境伯領の一番北にある町みたいね」
「辺境伯領はスレイン王国の一番南の領地なんだろう? つまり、最前線か」
「そういうこと。ジッドはオーバに信用されてるわ」
「そうか?」
アイラがにこりと笑う。
「あたしたちは、出番は最後の方みたいなのよね。騎馬隊は守る戦いにはいらないって」
「・・・確かに」
馬を走らせて相手を踏み潰していく戦い方は、町を守るためには必要がない。町を守り切って、相手が逃げてからなら、出番もあるってものだろう。騎馬隊は速いしな。人間が走っても、馬からは逃げ切れん。オーバならできそうだが。
「町を守る戦いでも、ぶつかり合う戦いでも、どちらでも圧倒する。そうやって、はっきりと差を見せつけたいみたいね」
「それならオーバが暴れたらいいだろうに」
「・・・それだと意味がないのよ、きっと。でも、戦う前に勝敗は決めておくもの、なんだって。だから、この先の戦いは、オーバにとってはもう勝つことが決まってるのよ」
「準備万端ってことか」
「そうね・・・」
言葉を切ったアイラの視線がすうっと上へ移動していく。
おれも釣られて、上を見る。
「ところで、それが、新しい武器なの?」
「そうみたいだな。使い方は一応、確認してあるんだが」
「町を守るのにはいらない気がするわ」
「・・・町を守るのには使わんが」
「あら、そうなの?」
「そっちは、別の物を預かってる」
「・・・そう。まあ、オーバの考えを最後まで見抜くのは無理よね」
「まともな考えをしてたら、こんなとこで戦おうなんて思わんだろう。ただ、オーバがそうやってスレイン王国とのつながりをつくったことが、間違いなくアコンをあそこまで発展させたんだがな」
「いっぱい人が来たもんねえ。ジッドは、人が増えたアコンが嫌いなの?」
「嫌いってことはない。ただ、知らない奴がいるってのも、慣れないってだけさ」
「・・・前は、アコンじゃ、知ってる人ばっかりだったわね」
どこか懐かしむようにアイラがつぶやく。「人口は百人を目指すってオーバが言ってたのに、いつの間にかその十倍くらいになったもの。いろいろ変わっちゃったわ」
「アコンの木は今じゃ王宮なんて呼ばれてるからな。ほとんどの人はアコンの群生地の周りにできた家に住んでるし・・・」
「水道橋とか、水路とか、馬を乗り換える駅とか、オーバの発想には驚くわ。もう、ダリの泉の村に住んでた昔が夢のことみたいだもの」
「・・・おれが知ってた大草原も、今じゃ、だいぶ変った。ああいう変化が悪いとは思わんのだが、年寄りには慣れんもんだ」
「年寄りじゃないわ」
「アコンでは最年長なんだが・・・」
「そうは見えないってことよ」
ぱしん、とアイラに肩を叩かれた。
そこから感じた気遣いに、おれは小さく息を吐いた。
カスタの町で補給した米を五分の一、アイラの騎馬隊に残して、おれたち歩兵隊は辺境伯領最北の町ツァイホンを目指す。
このあたりの地理はトゥリムが詳しい。
だから道に迷うようなことはない。
オーバがどこの誰を敵として考えているのかはよく分からないが、騎馬隊の存在はまだ隠しておきたいのだということは分かった。
前の戦いでも、そのことは効果的だった。
騎馬隊なら兵力差を埋めることができる。スレイン王国に馬がいない今なら。
アイラが率いる百と少しの騎馬隊が、この国を蹂躙することになるのだろうと思う。
おれは、トゥリムが通訳したイズタの説明を思い出しながら、訓練と進軍を繰り返していくつかの町を通過し、オーバに指示されたツァイホンの町へと入った。
戦いはもうすぐそこまで迫っていた。