夕
目を覚ますと15時を過ぎていた。
受け取った荷物を開けていないことを思い出した。
梱包を解くと淡い桜色のデニムジャケットが入っている。
いつかこれを試着したとき、とてもしっくり来る色合いとデザインだったが、自分の年齢を考え躊躇われた。
「さすがにこの歳でピンクはないかな?」と苦笑して彼を見ると真剣な顔で「そういうの気にしなくていいと思う」と言った。
彼は私が私の役を自由に演じる勇気をくれる。
いつまでもこのジャケットが似合うようでいたいと思った。
せっかくなのでこのジャケットをメインにコーディネートを考える。
インナーを白シャツから紫みを帯びた濃い茶色のVネックニットに変えた。
桜色が引き締まる。
楽しくなってこれを着て散歩に行くことにした。
たとえ誰にも気にかけられなくとも、もしくは奇異の目で見られようとも構わない。
幽霊は薄紅に色付き、消えた。
外に出ると強い陽射しに一瞬、目を細めた。光はとても暖かい。
散り際の桜の花びらが風に巻き上げられ舞った。
大通りでは桜の絨毯があちこちの隅に敷かれている。
もうすぐこの街の春が終わるのだ。
絨毯を踏みしめ緑の入り混じる桜の木を見上げる。
花びらが絶えず降り注ぎ脱皮を急いているかのようだ。
花だって常に美しく在りたいのだろうか。
自分の中途半端な醜さに気付き、早く早くと新緑を伸ばすのだろうか。
散らない桜があればいいのにと思う。
この街には車道の脇や民家同士のほんの狭い間でもきちんと整備された小川が流れている。
流れの速さと純度を見るからに側溝などではなくちゃんと川なのだ。
水底には鮮やかな緑が浅いうねりの中にさらさらと靡いている。
水流の隙間にぎゅうっと街を押し込んだのか、または人が水脈を支配し尽くしたかのように見える。
大通りから外れ狭い道路を歩いていくと車道の下に通る流れのための小さな橋があった。
見下ろすと街中には珍しい白い水芭蕉が茂っている。
狭くガタガタとした階段で河辺へと降りると頭上に戴く橋が仄暗いトンネルになった。
ここはこの辺りでも特に念入りに整備されている。ふくらはぎの下が浸る程度の浅い水の中には遊歩道のようにどこまでも石畳が浮かぶ。
さあっと風が吹き抜け、水は清く澄んでいていつまでも眺めていたい瑞々しい光がある。
さっきまで立っていた埃っぽい空気の真下にこんなにも純粋な自然が潜んでいたことに驚く。
周囲の車通りの喧騒や建物に不釣り合いなほど幻想的で美しい。
この美しさと街の調和を図るにはもう遅いだろう。それなりに賑わってはいるものの、時代を感じさせる商店街に観光客を狙った新しい施設、そこに自然の美しさはとてもじゃないが相容れない。
旧い生活感、雑多な人混み、自然の恵み、全てを内包しつつこんなにバラバラな街は珍しい。
いっそのこと全て新しくしてしまえばいいのに。
昔の景観を守りたいなんてとっくに無理なんだ。
エゴイズムな未練がましさが街をくすませている。
新緑が頭を過った。
小川に手を入れると痺れるように冷たい。この川にはまだまだ冬が流れている。
自然の季節感すらバラバラじゃ街並みが揃わないのも無理はないかなと感じた。
こうやってじっくり歩いて細やかな自然の差違に気付くことが面白い街だと思う。
途端に愛着が湧いて不協和音が奥行きに変わった。
空気が冷えてきた。ジャケットの前を押さえ身震いする。
踵を返し早々と帰途に就く。
途中にある八百屋さんで大粒の苺を買った。
今季最後に食べる苺になるだろう。
このお店は珍しく本物の八百屋さんだ。ちゃんと野菜ばかりで利益を得て営業している。
他にもこの街には本物のお肉屋さんやお米屋さんもある。
スーパーマーケット以外で食品の買い物をするのはこの街が初めてだと思う。
この成り立ちは人がたくさん住んで循環しないと成立しない。
こうして自分も街の一部になるのが嬉しい。
エントランスを抜けエレベーターで昇る。
降りると夕焼けがじわじわと空を焼き始めていた。
赤とピンクとオレンジと紫が壮大なグラデーションで大空を染め、風が頬を撫でていく。
心で想うよりずっと甘く美しい。
死を想うよりこの景色を誰かに見せてあげたいと思った。




