朝
起床後はまっ先にテレビを点ける。
畏まった番組でも下らなくても、ずっと同じチャンネルにしていて、見知った画面から時間を知る。
生活のBGMであり時報になっている。
観ていなくても帯番組が変わると時間が分かるし、部屋がしんとしているとそわそわして不安なのだ。
ネット配信動画で好きな映画を観ることも出来るが、映画はじっと画面を見つめて強制的に心を動かされるからけっこう疲れる。
観るぞ!と決意を固め意気込んで座り、笑ったり泣いたり、喜怒哀楽に揺さぶられる。
そのうち内容とは関係のない演者や監督の背景に思いを馳せたり、最終的には自分の人生についてまで考え込んだりして、私は単純で飛躍的なのだ。
自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回る犬みたい。
一人で映画を観終わるとぽつんと時の中に置き去りにされたような気持ちになる。
さっきまで親しくしていた人たちが挨拶もせず、みんな揃ってゾロゾロと談笑しながら出て行き、私は遠目からその団体を見送るようになる。
団体はやがて角を曲がり見えなくなる。
途端にどうしようもない寂しさや切なさ、取り返しのつかない不安感が込み上げてしまう。
再び気力が湧き上がるときには、あの列に追い付こうとWikipediaで調べ始め、気になった別の単語のリンクに飛んだり、当初の目的などそっちのけでインターネットの波を漂流することになる。
それに熱中して一日が終わったりする。
たかが映画でこの調子である。
BGMに向かないだけでなくリスキーな行為なのだ。
テレビ番組を流しているとそこが社会の、世界の全てであるかのように見えてくる。
各番組が狙った演出や思惑に誘導されると安心する。
誘い笑いの声に乗れたときなどは、ちゃんと自分以外の人が存在していて自分もその輪の一員で、ちゃんと社会と繋がった気でいる。
私のために作ってくれた時間なのだと、勝手に落ち着いている。
どこかで誰かもこんな気持ちで番組を流しているのではないかしらと錯覚めいた連帯感すら感じる。
歯を磨いてキッチンで味のしないヨーグルトを立ったまま食べる。
起き抜けは食欲もなく味もしない。
味がしないどころか歯磨きの時点でまだ感情も手応えもない。
冷蔵庫に手をかけたことすら朧気なまま、いつの間にか手に取っていた白を咀嚼せず舌で転がす。
何がきっかけで始めたのかは覚えてないが、もう5年ほど朝のルーティーンになっている。
ぼうっと、座る気にもならないほど怠惰に何も考えないで喉を動かす。
これから始まる1日への最後の猶予時間。
白々と夜が明けるように、じわじわと目醒めていく。
水を飲み、顔を洗って肌を整える。
鏡に映る私はいつも醜い。
すっと透けるように青白く血色のない肌はまるで幽霊のようだ。
私の肌の白さなんて生きる上で何の役にも立たない。
ヘアサロンや気まぐれに寄った化粧品店でかろうじてリップサービスのきっかけにしてあげられる程度だ。
この肌がくすんでしまったらお店の人は何をきっかけに話し始めるのだろう。
何にもならないと思いながら私は幽霊に執着する。
母はいつも悪気なく人と比較したり他人の粗探しをした。
あなたは色が白いから似合うわね。
あなたは細いから似合うわね。
やっぱりこっちが正解ね。
あの子には似合わない。
私もあの子のようになってしまったら、どういうつもりで生きればいいのだろう。
でも知ってる。私もいつかあの子になる。
そして誰にも認識されない本当の幽霊になるのだ。
髪を整えながら少しはマシな顔つきにする。
烏のように真っ黒い髪は中途半端な癖っ毛で、どうにか歩み寄るために私はパーマをかけている。
チョココロネのように巻かれた黒髪を後頭部で一つに束ねた。
添えられた赤いリボンはさらさらとしている。
この対比が好きで満更でもない顔つきになる。
この季節は9時を過ぎるともう部屋に陽は差し込まない。
金色に照り返すバルコニーの床を眺める。
その奥に視線を伸ばすと低層階マンションの屋上や戸建て住宅が敷き詰められている。
家々の隙間を縫うように走る道路は細いわりに車通りが多く、あまり閑静とは言えない。
桜がもう散り始めている。
薄紅色に混じる緑は中途半端で美しくない。
この季節が一番汚い。
その中で潔い濃紺に赤い文字で新築分譲マンションに異議を申し立てるのぼりが立っている。
管理会社は時が経てばそのうち収まると言っていたけれど、風に晒されボロボロになり陽に焼け褪せていたのぼりやポスターは今年に入って新品に更新された。
景観を壊しているのはどっちかと思っていたが、古びたのぼりを放置せず自分たちなりに街を綺麗に保とうとする心には感心する。
毎日ぐだぐだと惰性的にヨーグルトを摂取する私よりかは人としての営みが見えるだろう。
この、のぼりの意味を考える。
建設中ならともかく、とっくに完成し定住している人がいるものはどうしようもないわけで、山をも退かそうとする健気な抵抗に憐れみを覚える。
これまで与えられてきた環境を、どうしてこれからも当たり前に享受できると思えるのだろう。
私たちだってここで生活するためにお金をまわしているし、同じように税金を納めている。
一方的な被害者意識を顕わにした紺と赤はやっぱり潔くない。
早く、あの緑に混じる汚い薄紅色と共に散ってしまえばいい。
しかし絶対に動かない山を前に、せっせとポスターを貼り替えたり、のぼりを掲げ胸中を晒すことで溜飲を下げているのならまだ平和なのかも知れないとも思う。
怒りとはどうにもならない状況を迎えるための最後の取り引きだ。
本当に退かしたいのはこの場所ではなく自分の心に荒れ狂う憤りなのかも知れない。
やっぱり可哀相。
インターホンが鳴った。
まだ寝巻のまま応対する。
しょっちゅうオンラインショップを使っているので配達員も慣れたものだ。
受領書に苗字を走らせ荷物を受け取る。
若い配達員は颯爽と階段を駆け下りていく。
ご年輩の配達員だとエレベーターを使って降りていく。
部屋に荷物を届けてくれるとはいえ、このマンションの住民以外がエレベーターを使うのは好ましくない。
真に使うべき権利を持つ人がいるときに待ち時間がかかるし邪魔だからだ。
まず住民だけが使うことを前提に最低限の性能や経年劣化の速度、箱の面積が計算されている。
配達員の動向など含まれていない。その都度あの箱は計算外の動きをしている。
この消耗がいずれ来るであろうエレベーターの補修に影響しないかと管理費を思い少し心配になる。
でもなるようにしかならない。
今ある環境を当たり前に享受し続けられるとは限らないと呆れたばかりだった。
自分の身に降りかかると当然の摂理が見えなくなる。
おじいちゃん、どうぞ怪我のないように使って下さい。




