6 好奇心と過保護
「ただいまぁ、あー、寒かったぁ・・・っと、ちょっとむぎちゃん、どうしたの!?赤い顔してるけど。風邪でも日引いて熱でも出たんじゃない?」
紬の他にもう一人いる事務員の滝田さんが買い物から帰って来ると、パソコンに向かいながら手に持った名刺をぼんやり見ていた紬を見て驚いた声を上げると、慌てて近寄ってきた。
外から帰ってきたばかりだから滝田さんの動きと一緒に冷たい空気が紬のところまで流れてきた。ぼうっとしていた頭には丁度いい刺激になった。
「えっ?あ、滝田さん、お帰りなさい。風邪じゃないです、ちょっとぼうっとしてただけですから」
いけない。まだ仕事中なのにぼんやりしてた。しかも、携帯片手に。別にネットやゲームで使っていたわけではないが仕事をしていなかったのだから、バツが悪い。
紬は気が抜けていた体をしゃきっとさせ、頬を両手でむにむにしさっきまで囚われて人物を頭から追い出した。
「ええ?ほんとに?でもむぎちゃん、来客あったみたいだけど茶わんも片付けてないのって、よっぽど体の調子が悪いんじゃないの?」
どうやらよっぽど心配をさせてしまったらしい。滝田さんからの疑いがまだ解けていないらしい。
「あ」
いっけない。片付けのこと、すっかり忘れてた。
普段は来客が帰った後は速やかに片付けているのに、これじゃあ心配を掛けてしまうわけだ。
「体は全然どうもないです。ちょっと考えごとしてただけです。すみません、直ぐ片付けます」
がたんと椅子を鳴らし、慌てて立ち上がると来客用テーブルに置きっぱなしになっていた湯飲みと、陶器のお皿を給湯室へと持って行った。
さっと洗いながし、水切りかごへと伏せる。後で拭いて片づけることにし、濡れた手を拭いて自席へと戻った。
「ねえ、むぎちゃん。本当に体調が悪くないなら、何があったの?理由があるはずよね?白状しなさい」
「うっ」
どうやら白状するまでは見逃してくれないらしい。紬より少し年上(大っぴらに言うと怒られそうだから、こっそり。三十代後半だけど、若く見える)で、小学生のお子さんを持つ滝田さん。子供自身が気が付いていない体調変化にも気づくことが出来るお母さん気質が、只今発揮されてる模様。世間ではインフルエンザが猛威を振るっているとニュースにもなっている。風邪でもなく、体調も悪くないのなら仕事をさぼっていた理由は何だという話だ。当然だ。
滝田さんの仕事をしている時は普段はいつも穏やかだ。それが今は視線を逸らすことなく真正面から向き合って、嘘は許しませんという強い視線を向けられている。怒られているわけではないのは分かっているが、気分は蛇に睨まれたカエルだ。
紬は早々に白旗を上げた。(もとより勝とうともしていない)
***
「えっ、斎藤さんと一緒に来ていた男の人から告白された?」
予想外の内容に滝田さんは驚いた。
2人の来客があったことは滝田さんも分かっていたので、作り話のような嘘くさい紬の話は信じて貰えたよう。
伊倉さんから帰り際に貰った名刺を滝田さんが見せてと言ってきたので渡した。
それには会社支給の携帯番号の他、手書きでプライベート用のアドレスと携帯番号が書き加えられている。手渡されるときに伊倉さんがぽそりと「返事は急がなくてもいいです。でも、連絡してくださいね。楽しみにしてます」と付け加えられたというオマケつき。
これから自社へ戻るという斎藤さん達を紬は玄関先で車の見送りはしたものの、それからどうやら無意識で席へと戻ってから手書きの文字を眺めてぼうっとしていたらしい。その原因は耳元で呟いていった声がいつまでも耳に残っていたからだと、元凶の伊倉さんに強く言いたい。・・・言えないけど。
「伊倉櫂李さん、ね。斎藤さんが勧めるくらいだから変な人ではないと思うけど。この伊倉さんって、ど
んな人だった?爽やか美形?細マッチョ?それともキラキラ王子様系?」
―――滝田さん、なんか自分の好みを求めようとしてませんか?当たってるけど。
「爽やかな美形でした。もー、めちゃくちゃイケメンです。そのイケメンがですよ?私とは初対面なのにいきなり『付き合ってもらえませんか?』って。ありえなくないですか?」
お茶好きなのは向こうにもすぐ分かって貰えたとは思うが、たったそれだけの理由で付き合って欲しいなんて言われたとは信じられない。
揶揄われたのだと思ったけれど、とてもそんな雰囲気じゃなかった。それに斎藤さんまで同席していたし。職場が同じ人がいるところでそんな嘘を付くのはあり得ないと思う。しかも、取引先で。もし嘘だったら仕事としても影響が少なからず出ることは分かると思う。
だから告げられたことは本心なのだと思う。ただ、信じられないという気持ちが強いだけで。名刺という物体が無ければ想像空想だったのかもしれないと自分の記憶を疑ってしまいそうだ。
「分かってないわねー、むぎちゃんは。誰がなんと言おうとむぎちゃんは可愛いの。だから初対面で気づいた伊倉さんは目が高いわね。でも、確認はしとかないとね?」
「何をですか?」
ないって。誰がなんと言おうと可愛いなんて、友達でさえ言わないのに。こんな風に面と向かって可愛いって言ってくれるのはウチのおばあちゃんと滝田さんぐらいだ。
しかも確認って、爽やか美形度合いを自分の目で確認するんですか?
滝田さんは自他ともに認めるキラキラ王子系に目がないタイプ。年齢層の幅も広く、お気に入りの俳優さんやアイドルが出ているドラマやバラエティーの話はよく聞かされる。
「ただいまー」
滝田さんが答える前に丁度そこへ社長が挨拶周りから帰ってきた。すると滝田さんはお帰りなさいの挨拶もそこそこに社長に実にいきいきと(紬にはそう見えた)紬と伊倉さんの事を報告した。
話を聞き終わると同時に社長は、きりっとした表情になると、
「よし、分かった!来週早々に設備のメンテの予約をいれよう!大野さん、東海深川工業にすぐ連絡入れておいて」
嘘っ!?マジですか!?
滝田さんに次いで紬の事をあれこれ心配してくれる社長の気遣いは有難いのだが・・・。
急かされて紬は貰った名刺に印刷されていた会社の番号に緊張しながら電話を掛けたのだった。(滝田さんと社長には個人用の番号にかけてみろと言われたが、内容が仕事の事だから無理ですと必死に逃れた)