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5 天使の梯子

 紬の誰がどう見ても挙動不審な動きはなんとか誤魔化したつもりだった。・・・一応本人的には。


 彼女がいる(かもしれない)本人が目の前にいるのだ。恋心が芽生えた瞬間、あっさりと木っ端みじんにされるより少しの間だけだろうと、久しぶりの恋する気持ちを味わってもいない。せめてもう少し。そんな思いから、大げさな慌てふためくような動きや、顔の下で両手を組んでうっとり~乙女全開ポーズはとらなかった。けれど、目と顔色は隠せてなかったらしい。


 多分女の人からの秋波など送られることに慣れているのだと思う伊倉さんは、紬の事を全然気にした様子もなければ、特に変化した様子も見られなかったけど、斎藤さんには完全に気づかれてしまった。

 ほほーう、と目が一瞬きらりと輝いたかと思うと、何故かドヤ顔を紬に向けてきた。


「そうだろう、そうだろう。お勧め物件連れてきて正解やったなっ。儂、絶対に気に入ると思ったがいちゃ。いやー、いい仕事したー」


 ええっ!?私に勧めるつもりだったって事!?

 

 見事斎藤さんの思惑通りになったということらしい。だからってその顔はして欲しく無かったかも・・・。


 こんないい男にお茶を褒められて簡単に恋に落ちた紬を見て、ドヤ顔の次に当然だと言わんはかりにうんうんと頷いている。紬に彼氏がいないことは会社の人全員を含め、斎藤さんにも知られているのが悪かったのか。 

 あなたはお節介やきのどこぞのおばちゃんですかと言いたくなるのを紬はぐっと堪え、だらだらの見えない汗を背中に流しながら、やっぱりバレてるぅぅぅーと心で泣いた。


 思惑に嵌ったことはことは悔しいけれど、それはそれとして。

 好きになったと思った相手にこの場で冷めた目で見られるのは避けたい。芽生えたばかりのこの恋が叶わないことは分かってるけど、今すぐ玉砕へまっしぐらというのは遠慮したい。憧れの気持ちで眺められる位置くらいとどめておきたいというのは我がままだろうか。

 だからせめてこれ以上余計なことを言わないで~と斎藤さんに切に願った。


「はい、店で出しても遜色ないものだと思います。まさか仕事先でこんなに美味しいお茶が飲めるとは思ってもみませんでした。香りもよく、濃厚で、とろみがあって・・・。それと、練り切りも美味しかったです。黄緑と黄色のグラデーションの見た目も美しさと、あっさりとした餡が口の中でほろりと溶けていく触感がとても滑らかで美味しかったです。大野さん、ご馳走様でした」

 紬の願いが叶ったのか。伊倉さんは深読みすることなく、斎藤さんの言葉を額面通りに受け取ったらしい。紬が丁寧に入れた深蒸し煎茶と同時に出した福寿草の練り切りに、いたく感激してくれたらしい。随分と丁寧な感想と共に爽やかな笑顔までも貰ってしまった。


 はうっ!

 予想もしていなかったその笑顔に、紬の心は再び打ち抜かれた。


 たかがお茶。されどお茶。美味しいと言ってもらえたら嬉しいなと思って丁寧に入れたお茶。例え社交辞令だとしても美味しいと貰えただけでも十分に嬉しい。

 なのに多分本心からの褒め言葉と、予想外の破壊兵器と並ぶんじゃないかと言える笑顔を受けた紬は、眩暈がしそうなくらいの衝撃を受けた。


「うん?伊倉、儂が言いたかったがは、食べもんの事じゃなしに大野さん本人の事ながに。ちょっとおっとりしとるけど、よー気ぃつくし、可愛らしいし、儂の知ってる一番のお勧めの「わー、有難うございますっ」

 

 ちょっと、いきなり何言おうとしてるんですか、斎藤さん、止めてくださいよ!


 紬は佐藤さんの言葉を途中で遮った。続きは「娘さんを紹介」とでも言うつもりだったのかも知れない。あわよくばなのかもしれないが、どうやら紬の世話をやこうとしてくれていたらしい。


「美味しいと言って貰えて、私も嬉しいです。今度来られた時も是非お茶を飲んでいってくださいね」

 最後まで言わせてなるものかと、さらに言葉を続けた。


 誰かを紹介しようとしてくれるのは有難くはあるけれど、絶対に女性にモテるイケメンさんを紹直接連れてきて介してもらっても困るだけ。それにもっと困るのは伊倉さん(むこう)だろう。仮に今恋人がいないとしても、見た目が綺麗でもなければ、女らしい体つきをしているとはいいがたい、普通すぎて特徴もない女性をいきなり紹介されたって迷惑なだけだろう。

 

 ―――そう考えていたのに。


「ああ、失礼しました。あまりにもお茶が美味しかったもので、つい。斎藤さんが勧めてくれるだけあって、大野さんはとても可愛い方ですね」


 はい!?


 今、何か、突拍子もないことを言われた気がする。

 やっぱりイケメンさんは言うことも一味も二味も違う。こんな地味な女相手にもすらすらと褒め言葉が出てくるらしい。微笑み付きで可愛らしいなんて言われてしまうと、その気が無かった女子でさえきっとグラっとする筈だ。だからその気があった女子なんかは、その威力は半端ないと言うことで。

 ぽっ、ぽっと体の熱が上がり、「可愛い」のその一言だけで、もしかして私ってそこそこ可愛い部類に入るのかも、なーんて簡単に勘違いをしてしまうくらいには強力だ。


 社交辞令。これは仕事を続けていく上でのこれは立派な社交辞令!社会人ならこれぐらい流して当たり前。本気に取らない!


 紬は必死心の中で繰り返していた。


「きっと斎藤さんに聞いていなくても、自分から望みが生まれたと思います。お茶好きなこと以外にも、もっと色んな事が知りたいと思いました。大野さんに彼氏がいないと斎藤さんには聞きましたが、本当ですか?」


 ちょっと待って。この流れって・・・。

 緊張で喉が干乾びている。うまく返事が出来そうもなくて、紬は小さくコクンと頷いた。


 こんな状況はあり得ないと否定しながらも、同時に期待して加速していく一方の心臓がさらに激しくなりそうなのを感じながら、紬は柔らかく語る伊倉さんから目が離せなくなっていた。

 降り続いていた雪が一瞬止み、窓から一筋の光芒が差し込み長身な伊倉さんの背を照らした。


「大野さん。―――私と付き合ってもらえませんか?」


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