3 意外にも
「斎藤さん、今日はどのお茶飲みますか?」
紬は使い終わったタオルを二枚とも貰うと、斎藤さんから今日は年始の挨拶をしに訪れただけと聞いたが、帰る前にお茶の銘柄はどれにしますかと尋ねた。
手塚製作所に来た時は、紬が入れたお茶を必ず飲んでいくということが習慣になっているからだ。
実は紬はおばあちゃん子で、家では小さな頃からお茶を急須で入れて飲むことが日常だった。コーヒーや紅茶も飲まなくはないが、基本日本茶が多い。
ある程度の年齢になると家族の分も自分で率先して入れて一緒に飲むようになり、それが当たり前となった。働くようになってからもそれは変わらることはなかった。それが高じて前職と現職の比較的自由になる時間が多かった間に、日本茶のアドバイザーなる資格を取るまでとなった。
この会社の社長も結構お茶好きで、履歴書に書いてあった資格に「おっ」と嬉しそうな声を上げていたのはまだ記憶に新しい。珍しい資格が有利に働いたらしい。何がどう転ぶか予測不可能といってもいいのか。これには紬も予想外だった。
「んー、そうやなぁ。大野さんのお勧めでお願いするわぁ。どれ飲んでも間違いないし」
わあい、褒められた。
もっと日本茶好きが増えればいいのになぁと思ってる紬には嬉しい一言だ。
入社したての頃、紬が入れたお茶を飲んだのをきっかけに斎藤さんもお茶に目覚めてくれたらしい。以前はインスタントコーヒー一辺倒だったらしいが、今では完全にお茶だけとなっている。
お茶好き仲間が増えることは、よきかな。よきかな。うんうん。
元々のお茶好きの社長は勿論、今では滝田さんや、他の社員から数名のご指名がある度に毎日お茶を入れるようになっている。うまい、美味しいと褒めてくれることもあって、毎回丁寧に入れている。
最初は社長の許しも貰って、今では数種類のお茶を常備するまでになっている。値段が高いものは流石にないが、低価格で買える範囲のもので、普通煎茶、深蒸し煎茶、玄米茶、ほうじ茶、番茶をよく買う。勿論インスタントコーヒーも用意はしてある。現在あるのは普通煎茶、深蒸し煎茶、玄米茶の三種。
「そうですか?それじゃあ、今日は深蒸し煎茶で。実は知り合いの方からの頂き物なんですけどいいお茶を頂いたんです。甘みと香りが凄くいいんです。私のお勧めです。伊倉さんは、お茶とコーヒーどちらを飲まれますか?ミルクと砂糖もありますから」
挨拶周りを幾つもこなしているのならもう既にあちこちで飲んだ後かもしれない。断られるかな。出来れば飲んでくれると嬉しいな。
基本なるべくお客様には好みなものを出すようにしている。最近は毎日が寒いからホットコーヒーで、という人も少なからず居られる。
伊倉さんは外見からは年齢が25の紬より少し年上かな?くらいに見える。今までの経験上、若い人程圧倒的にコーヒーを頼まれることが多い。一緒に来ている斎藤さんが頼んだのはお茶。初対面な上、別の飲み物をくださいとは頼みにくいだろうとは思うが、念のため一応提案をしてみる。
出来ることなら自分が入れたお茶がきっかけでお茶好きとなってくれると、いいななんてちょっぴり夢想してみたり。イケメンが自分の入れたお茶でくつろぐ姿。はあ、いいわぁ。
ちょっと想像の芽が膨らんできた。
事務所に来てからというもの、伊倉さんはずっと変わることのない硬い表情をしている。緊張の為かもしれないけど。少しは緊張が解れた表情も見てみたい。
例え場所がこじんまりとした無機質な事務所だろうとコーヒーを静かに飲む姿は絶対に絵になるだろうけど、小ぶりの湯飲み茶わんを片手に変わらない表情のまま、まったりとする姿も似合いそうだけど。でも日本茶を一口含んだ時にほわっと表情が緩んだりなんかしちゃったら、どうしよう?きっと悶える。絶対に悶える。そして是非その麗しい姿を写真という記録として残させてーっ。
はっ。いけない。想像を超え、イケナイ妄想の世界へ突入しそうになってた。
駄目よ、しょっぱなからありのままの自分をさらすなんて。自重、自重。はい、深呼吸ー。
多分、表情には出てなかったと思うけど。・・・そう思いたい。
「では、お言葉に甘えて。同じくお茶をお願いします。・・・実は日本茶が好きなので」