2 その瞬間。
先頭に歩いてくる男性の姿がガラス越しに見えた。紬が知っている出入り業者の人だ。
「大野さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。いやー、寒いおもとったらやっぱ降ってきたわ。沢山積もらにゃいいがいけどねぇ」
事務所内に紬が一人しかいないことは直ぐに気づいたらしい。ぱっ、ぱっと肩に付いた雪をポーチの屋根下で軽く払いのけた後、外の冷気と共に玄関から事務所へと入ってくるとまず新年の挨拶を受けた。
「斎藤さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ほんとにですね。積もらないといいですね」
やってきたのは、手塚製作所がよく利用している東海深川工業株式会社の斎藤さんだった。メンテナンス企業で、成型加工設備の不具合や、電気系統もお世話になっている会社だ。
新年だからなのか、いつも着ている紺色の作業服は新品らしい。機械油で汚れている箇所も無ければ、袖には折り目がぴしっと付いている。その斎藤さんの後ろの陰にもう一人背の高い人が控えているのが見えた。頭一つ分高い。随分と背の高い人らしい。
「ほんまにね。あ、大野さん、紹介するちゃー。昨日からウチに短期間やけど研修員として派遣されてきた伊倉。暫く儂と一緒に行動するとおもーから、また宜しく頼むちゃ~」
紬のお父さんと同じくらいの年齢だと思われる斎藤さんは、社長とも昔からの顔見知りらしく、まだ入社して間もない頃から一従業員である紬にも気さくに声を掛けてくれる。多少気さくすぎるとも言えなくはないが、話しやすいのは事実。だからと言って紬も同じレベルで方言をバンバン言うことは避けるようにしているのだが、偶につられてしまう。
斎藤さんに紹介され、後ろに立っていた人は一歩前へ足を出した。ドアの陰から現れた男性の姿が室内の照明下、明らかになった。
うわー・・・。
斎藤さんと同じデザインの紺色の作業服を着ている筈なのに、随分と背が高く、足が長いせいかモデルとして十分通用するようなすらりとした体格に全く違う服に見えた。背が高いことにも見目好い容貌にも目を惹かれたが、それだけでなく―――
「伊倉です。宜しくお願いします」
耳に心地いい低くゆったりとした声色での挨拶を受けた紬は、芯がありそうで真っすぐ向けられた瞳が今、自分に向けられているのを感じると酷く動揺した。
清潔に整えられた黒髪から覗いた目がやけに紬の心に印象として刻まれた瞬間だった。
急に降り始めた横殴りとも呼べるほどの雪は、駐車場から会社の玄関へ入るまでの短い距離しかないというのに、頭や背中にかなり張り付いたらしい。それらは温かな室内の温かな温度にあっという間に結晶から水滴へと変化し、前髪の一房から一粒の雫がつうっと流れ落ちていくのが見えた。
髪の毛の先からぽたりと落ちて行った雫を見て、紬はようやく我に返った。
「お、大野です。あの、こ、こちらこそ、宜しくお願いします」
返し一つにどもってしまった。はっきり言って挙動不審とも取れるレベルでぎこちない動きになってしまったと思う。頭を軽く下げるだけに異様に力が要った。
熱を持ち始めた顔を見られるわけにはいかないと思い、頭を上げると伊倉さんと目が合わないように視線を外しながら紬は事務所奥のパーテーションで区切られた簡易給湯室へと向かった。
「タオル持ってきますねっ」
この時期は資材搬入時にやはり髪や服が濡れたりすることが度々あることから数枚タオルを常備してある。スリムな食器棚の上部の扉を開け、中から2枚タオルを取り出した。
紬は緊張しながら2人に近づきタオルを手渡した。
「ど、どうぞ、使ってください」
「有難う。助かるわぁ」
「有難うございます。使わせていただきます」
斎藤さんはタオルを広げると豪快にガシガシと髪を拭き始めたのに対して、伊倉さんは折りたたられたそのままに吸い取らせるように水分を拭き取っていた。
その何気ない仕草に紬はまたもや見惚れていた。
「うんうん、大野さんのその反応。やっぱ伊倉みたいながに、若い女の子はみんな見惚れるがいねぇ。どこ連れて行っても若い女の子の視線一人占めしとったが。どや、イケメンやろ?そう思わんけ?」
どうやらあからさまにバレていたらしくぎょっとする紬を余所に斎藤さんは深く、うん、うんと頷きながら伊倉さんがイケメンであることを確認してきた。
何故本人を目の前にしてわざわざそんなこと確認してくるかなぁ!?
声を大にして斎藤さん言いたかったが、それこそ本人に直接聞かれてしまう。
紬がどう思ったのかなんてきっと態度で伊倉さんにも多分バレているのだろうが、ここで力強くカッコいいですよねとすんなりと笑って言えるのなら苦労しない。紬は世渡り上手に素直に気持ちを言うことが出来ない、どちらかと言えば消極的な性格だ。せいぜいがはにかんで頷くのが精いっぱいなのだった。