17 母の行動が斜めすぎて・・・
「―――頂きます」
彼氏認定されていることを、否定すればいいのやら、ここは肯定すればいいのか彼氏がいたことがない為に判断が付かない。後で。もうちょっと心を落ち着かせてからでないと、駄目だ。ここは敢えて考えないことにした。
取り合えず、目の前のご飯を食べなきゃ。
浮つきそうになる意識を目の前のうどんに意識を集中させる。ほわりほわりと揺れ動く湯気が温かいうちに食べなさいよと誘っているように見える。
余計なことは考えない、食べることに集中と思いつつも、やはり紬の頭の中はぐるぐると家族の顔が浮かび、そして考えないでおこうとすればするほど幾つもの伊倉さんの顔がちらついて、手が止まりそうになる。
空いている筈のお腹も満足しているのか分からないまま目の前のうどんを時間を掛けてどうにか食べ終えた。作ってもらっておいて残すのはなんだか嫌だし、気が引けるから。
「ご馳走様でした」
なんだかどっと疲れた気がする。ただ食事をしていただけなのに。紬は少しだけ器の底に汁が残っているがそのままシンクへと運んで、自分の使った器を洗い始めた。
「はい、お粗末様。食事が終わったところで早速なんだけど。ねぇ、紬」
「・・・な、なに?」
背中越しに掛けられたお母さんから名前を呼ばれる声は、お使いを頼まれるとき等によく聞く普段とは違う少し高めのトーンへと明らかに変化した。また何か頼まれるのかと思わず身構えてしまう。
「伊倉さん、連れてきて。家で面倒見ることになったから」
―――は?
にっこり顔のお母さんに、固まって反応できない紬。頭の中で言われたことをリピートしてみるもさっぱり意味が分からない。
銅像のように動かない娘には頓着せず、お母さんは嬉々として話が続く。
「新しい土地で、慣れない環境でしょう?体調が悪いのにご飯なんて作れないじゃない?具合が悪くなっても看てくれる人がいないと大変でしょう?だから、紬が連れてきて?ね?」
首を傾げて言うお母さんの姿に、いや、何が「ね?」だよ。と、紬は心の中で即座につっこむ。そしてようやく言われたことが頭の中で処理され始め、その内容に慌てた。洗っている器を割らなかったのは奇跡だと思う。
「そんなの無理でしょ!?普通ありえなくない!?だって会ったばっかりの人なんだよ!?それなのに家で面倒みるの!?」
紬は無意識に水だけは止め、泡が付いたスポンジをぎゅっと両手で握りしめたまま後ろを振り返った。足元はスリッパが濡れ、泡交じりの大きな水溜まりが出来た。
「あら、紬は心配じゃないの?だってインフルエンザよ?」
「そりゃあ、インフルエンザの事は心配だけど。でも、」
でも、だからって、なんで家で!?と紬の頭の中はパニックだ。
病気になったんだから当然でしょ?と涼しい顔をしているお母さんが正しいのか。はたまた、拒む紬がおかしいのか。
(ウチに伊倉さんが!?ええーっ?)
普通はそうなんだろうか。いや、でも絶対に違う気がするっ。
こんな時、真っ先に拒否するの弟の麻斗の存在が無いことが口惜しい。紬だって、非常ではない。連絡先を教えてもらったのだから、迷惑にならない程度に具合はどうかと尋ねるつもりだったし、もう一度病院に行きたいのであれば連れて行く気だった。それが、家で看病となれば根本から話は違ってくる。心配は心配だけれど、それって違わない?と思う。
「や、だって。お父さんも、何か言ってよ」
突然、見知らぬ他人と言ってもいい程の付き合いしか無い人を家に泊めると言い出したとんでもないお母さんのことを、家主であるお父さんなら意見してくれるはずだと紬は話の矛先を向けた。
「・・・言い出したら、お母さん聞かないし。まあ、紬の彼氏なら、うん、まぁ、いいかなと思うんだよね。いい青年みたいだし。病気は、一人だと本当に大変だからねぇ。ある程度治るまでウチに居てくれてもいいよ。どうせ、部屋は空いてるんだし。お父さんは構わないよ」
否定し、叱るとばかり思ったのに、苦笑い付きで許すお父さん。紬は、口を開けたまま茫然と聞いていた。味方を得たからか、ほーら。と胸を張るお母さん。おばあちゃんに至っては、お茶を啜りながらにこにこして頷いている。
そういえば、お父さんてこんな人だった・・・と、紬は遠い目をした。
一般論って。普通って、何?と誰かに問いたくなった。
・・・泣いてもいいだろうか。
「大丈夫。紬がご飯食べてる間に、伊倉さんにちゃーんと連絡して話を付けといてあげたからね。ほらほら、ボウっとしてないで早く迎えに行ってあげなさい。その間に客間に布団を用意しておいてあげるから」
・・・紬が知らぬ間に、お母さんは伊倉さんとアドレスを交換し、あまつさえ家で療養することを承諾させたらしい・・・。
―――お母さんって・・・。
誰か、私を慰めて欲しい。
バイタリティ溢れるお母さんの行動に、紬は改めてお父さん似の性格なんだなとつくづく思ったのだった。