11 その一言
―――あ。
うかつにも恋愛遍歴が無いことを自ら暴露してしまった。下を向き、慌てて口を押えても今更遅い。
自ら言い出さなければバレなかったのに。
(でも、私なんかと違って伊倉さんは沢山のデートを経験してるんだろうなぁ)
これだけ目を引く容貌をしていて、相手の事を思いやる優しさがあるのだから、これまで誰ともお付き合いがない筈がない。今たまたま彼女がいないだけで、運が良かっただけなのだろう。そう思うと、ちくりと紬の胸に痛みが走った。
お使いに行く前はデートだとか、そんなつもりは全くなかったけれど、買い物が楽しかったのは事実。出来るならもっと長い時間一緒に居たかったなと思うくらいに。
まだ気持ちを伝えていないけれど、伊倉さんの事が好きだと自覚している。そんな人からただの買い物だと思っていたお出かけがデートみたいで役得だと言われたのだ。多分、伊倉さんも楽しかったと思ってくれたからそう言ってくれたのだろうと思う。舞い上がらないわけがない。
けど、この年まで一度もデートもしたことがないなんて、伊倉さんに馬鹿にされたり、呆れられているんじゃないかと少し怯えた。怖くて落とした視線を上げられない。外にいる為にただでさえ低い温度が更に下がった気がして体が震えた。
「済みません、気が付かなくて。外に突っ立てると風邪を引いてしまいますね。荷物を中へ早く運びましょう」
紬が体を小さく震わせたことに気づいた伊倉さんは、寒くて震えたのだと勘違いをしたらしい。間違いを正すのを躊躇った紬は、そのままにすることにした。
それに雪が降っているのに外で立ち話をしているのだから、確かに寒い。
「こっちこそ、済みません。中にも入らずに」
玄関ドアを開けようとしてノブに手を掛けた瞬間、内側からガチャリと開いた。
「わっ」
吃驚した。まさか開けようとして向こうからドアが開くとは思ってもいなかったから、紬は伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。ぼうっとしていたら開けられたドアに手をぶつけていだろう。
「二人ともお帰りなさい。さあさあ、中へ入って、入って」
やっぱり犯人はお母さんだった。やけに上機嫌なお母さんはにこにこと笑顔を振りまいたまま玄関に招き入れてくれた。
「ただいま」
紬が挨拶の声かけをしながら先に入り、続いて伊倉さんが続いた。
「伊倉さん。寒い中、急なお願いにも関わらず有難うございました」
お母さんは外まで出る気が無かったらしく、つま先が出るタイプのサンダルを履いてお礼を言った。
「いえ、ついでに必要な買い出しも出来たので助かりました」
伊倉さんは自分の分として、長靴と食品も購入した。その荷物と一緒にウチの食品が入ったエコバッグを持ってくれているからかなり嵩張っている。
「買ってきたものは重いですから、一度こちらへ置かせてもらいますね」
「あらあら、有難うございます」
伊倉さんは持ってくれていたエコバッグを框へと落ちないよう静かにおいてくれた。こういうところが丁寧な性格だなぁと感じる。
後ろでドアが閉まると、紬は家の中の温かな空気が感じられてほっとしたけれども、それはそれ。今一言お母さんに言わないと気持ちが治まらない。
「お母さん、急にドアを開けたら危ないでしょう?」
軽四車のエンジン音が止まったのが聞こえたのだろう。暫く待っても入ってこないから様子を見に来たんだと予測できた。いつもは紬は一人だからどうってことはないのだけれど、伊倉さんと一緒に出掛けていることは知っているのに何故開ける。少しは考慮して欲しい。
「だって中々入ってこないんだもの。心配になっちゃって。あら、でももしかしたらお邪魔しちゃった?」
ちょっと!お邪魔って、何を想像したの、お母さん!伊倉さん《ほんにん》が目の前にしてーっ。
そう叫びそうになったけれど、ぐっと堪えた。ここで変に慌てたら何かあったと思わせてしまう。
「なんにも無いですっ」
もー、なんてことを言ってくれるんだ、お母さんってば。
何もなかった。そう何も無かったのに、顔に熱が集まってきた。
「そう?残念ねぇ」
残念って・・・。
娘が嘘を付いていないことは分かったのだろう。何もなくて寂しそうにする親がどこにいる。全く。
内心、ぷんっと怒って横を向いた紬の目に、伊倉さんが映りこんだ。伊倉さんはウチの親の言葉にどうしていいのか分からないのだろう。困った風に苦笑いしている。
「・・・伊倉さん、ウチのお母さんがほんと済みません・・・」
恥ずかしい・・・。
そんな俯いた紬の耳に返ってきたのは、
「とんでもない。その大野さんのお母さんのお陰で一緒に出掛けられたので嬉しかったですよ」
今度は嬉しさからの恥ずかしさに耳まで真っ赤に染まる紬だった。




