「幸せ者の馬鹿なのかしら」
*
……炎に炙られ、芳しい香りを立ち上らせる肉塊の元の姿が、あのおぞましいグシュドルだとはきっと誰も夢にも思わないのだろう。
カレンはどこか遠い目をしながら目の前に差し出されている肉に対してそんなことを思った。
ーーのも束の間。
「あっつ……!?」
「早く受け取りなさい」
ジュッと音を立てて跳ねた肉汁が彼の顔に飛び散る。それを慌てて拭うと、不承不承ながらも肉を少女の手から受け取って。
嫌そうに顔を歪めながらも肉にかぶりついた。
「…あれ、」
――――意外と、いける。
悔しいが、普通の肉と大差ない味だ。エアルの火加減も実にちょうど良い。また、肉をただ火に通しただけで味付けをしていないにもかかわらず、満足できる旨味が口の中に広がる。
これは、いつも口にする携帯食料とは比べ物にならないほどしっかりとした満腹感を得ることができるだろう。
カレンは二口目、三口目と次々に肉に口をつけ、エアルの方に手を差し出した。
「おかわり」
その言葉に、パンっと乾いた音が響く。
カレンの差し出した手はエアルによって弾かれ、行き場をなくして空をさまよった。
突然の攻撃(?)に隻眼を瞬かせる彼に、エアルは冷ややかな声を放つ。
「図々しいわね。誰が仕留めた獲物だと思っているの」
「わ、悪かったよ。え、てことは、お前…これを全部一人で食べるのか?」
その言葉に少女は無言で指先に炎を灯した。それを見て反射的に飛びすさったカレンに、エアルは心底馬鹿にしたような声音で告げたのだった。
「食べたいのなら、この場所を綺麗に片付けてからにすることね」
***
「…ところで、お前はどうしてモンスターの魔核のことなんて知ってたんだ?」
「…………」
――――無情な丸投げ宣言を受けてから30分ほど経った頃。
2人はエアルの魔法で熾した焚き火を囲み、グシュドルの肉を堪能ーーしていたのはカレンだけかもしれないがーーしていた。
カレンは二十数頭余りに達していたグシュドルの亡骸をエアルの指示に従って処理したのであった。
彼女がモンスターの弱点だと説明した魔核はどうやら、売るとそれなりの金になるようだ。
そのため胸部を切り開き、砕かれた魔核の中から比較的大きな欠片を探し出して回収する…という実に血生臭い仕事を必死にこなすこととなった。
それが終わると、見るも無残な姿になったモンスター達を見えないところに運んでこいという指示を出され、とりあえず近くの茂みや木の近くに放り込んできたのだが。
かなりきつい肉体労働だったことは否めず、仕事を終えた今、疲労感が彼の体にのしかかっていた。
散々な目にあったが、その後、口約通りにエアルは一頭のグシュドルの肉を焼いてくれて、今に至っている。
カレンの問いに無言で肉を手に持つ少女は、それをぱくりと口に入れた。小さく咀嚼してから、こくんと飲み込む。
「生きるための知恵よ。私は今まで一人でモンスターを狩ってきたから、やっていくうちに覚えた」
「…素直に答えてくれたところは良かったんだけど、俺の問いの優先順位はその肉よりも低いんだな」
諦めを感じつつ零した呟きは食事に夢中のエアルの耳には届いていないようだ。
ふと、カレンは肉を食べるのをやめ、彼女を見据えた。
「そういえば、俺の報酬って何だ? お前、金は持ってるのか?」
「現金は、今は所持していないわ」
「は? じゃあ、払う金はないってことなのか?」
その言葉に、エアルは腰元につけていたポーチの中からあるものを取り出した。
両手の上にその手を差し出され、手を開いたカレンは、直後に感じた重みに怪訝な声を上げる。
「これは………?」
「それは、全てモンスターの魔核よ」
手の上に小さな山を成す色鮮やかなその魔核たちは、それぞれ大きさもまばらで、キラキラと宝石のように輝くものもあれば、光を反射することなく漆黒に沈むものもある。
「それが、報酬よ。まとめて売れば、確かルズリカ金貨5枚分に値するはずだわ」
「ルズリカ金貨5枚分……!?」
ルズリカ金貨といえば、その名の通り金貨で、この世界では最大価値を持つ貨幣だ。
他にはサレナ銀貨、アズール銅貨があり、5アズールで1サレナ、20サレナで1ルズリカとなる。
基本的には1アズールで1日分の食料をまかなえるほどなので、5ルズリカといえば5×20×5で500。単純計算から言えばそれだけで500日分の食料をまかなえることになる。
恐ろしい価値の魔核たちに、若干手を震えさせるカレンは、目の前で淡々と大金の話をする少女にある疑念を抱いた。
――――曰く、この少女はかなりの世間知らずではないのだろうか、と。
明らかに普通ではない状況に自分の身が置かれているにもかかわらず、それが当たり前のことであるかのように対処しようとしたり。
モンスターを食べたり、血生臭いことでも無表情で指示してきたり。
途方も無い金額を無造作に他人に与えようとしたり。
この少女は、何者なのだろうか。
出会った時に王国騎士団に追われていたことに始まり、エアルに対して解決されない謎は多く残っている。
彼女の恐ろしいまでの強さが抱えるものは、一体何なのか――――。
「………それでは不服なの?」
そんな思考を引き戻したのは、エアルの変わらない無感情な声だった。
見ると、少女はむすっとした顔でカレンの顔と手の上の魔核を見比べている。
どうやら、黙っていたことを報酬に対する不服と捉えられてしまったようだった。
カレンは首を横に振ると、その手の上の物たちをエアルの手の上へと慎重に移動させた。
「…これは、何を意味しているのかしら」
自分の手の上に戻ってきた魔核を見つめたまま少女は尋ねる。
「俺は、前払い制は受け付けてない」
「……は?」
「そんな大金、俺が何もしていないうちには受け取れないよ。それに、逆にお前に魔核っていうモンスターの弱点と、いい金の儲け方を教えてもらってるんだ。こんな状態では報酬を受け取るどころじゃないからな」
「……話を持ちかけてきたのはあなたなのに、ずいぶんと謙虚ね」
「よく言われるよ」
困ったように笑うカレンに、エアルは大きくため息をついた。
「幸せ者の馬鹿なのかしら」
「……そこまで言われる筋合いはないんですけど。……でも。そんだけ金もある、実力もあるお前が、なぜ護衛を必要とする? 今までソロでモンスター狩りをしてきたってことは、モンスターは特に敵ではないんだろ」
すると、エアルはその言葉に答えることはなく、魔核をポーチに戻して立ち上がった。
「………あなたには、関係ないわ」
そう言ってカレンを見下ろすと。
「行きましょう。あまり休んでいる暇はないわ」