契約
*
「はぁっ、はっ、はっ………」
ドサっと投げ出した体で、森の柔らかい地面を感じる。
どうやら、敵は撒いたようだ。…撒いたのか、少女の攻撃によって、命を落としたのか。分からないが、もう今さらどちらでもいいことだ。今は何より、命があるだけで他のことがどうでもよく感じられる。
もうしばらくは、この柔らかい地面に体を預けて休みたい。草木の香りはいつでも心を安らかにしてくれるーーーー。
「ねぇ、ちょっと。死んでしまったの?」
ーーそんな休息の時を打ち砕くように少女の声が響いた。
「……生きてるよ。お前の超重量を抱えながらも無事走り抜けて助かりました」
「軽口を言うぐらいの余裕があるなら、早く起きなさい」
無情にも冷ややかな声でカレンに促す彼女。カレンは、反動をつけて起き上がり、少女を睨みつけた。
超巨大ライフルを杖にするように立つ少女は、はじめに感じた通り、華奢で小さく見えて。
紅い空の下、無言で視線を受け止める彼女に、カレンは小さく息を呑んだ。
頭の高い位置で二つに結わえた紫髪の下におさまる顔は小さく、それでいて青色の吊り目気味な大きな瞳が際立っている。
小ぶりだがすっと通った鼻梁、紅い唇。
青と白の戦闘用服と思われる軽装から伸びる首や手足はすらりと長く、細い。この腕のどこにあんな銃を抱える力があるのか。
…見れば見るほど、その可憐な外見や声は戦場などよりも、どこかの煌びやかなお城でドレスを纏い、わがまま放題を言っている方がお似合いである。
カレンは実際にドレスを着たお姫様なんて見たこともないし、現に彼女は人に運べだの走れだのさっさと起き上がれだのとわがままのような要求をしていることは確かであるが。
「何、人の顔をジロジロと見ているの」
不機嫌そうに口を開く少女。そのどこまでも上からな物言いにむっとしたカレンは、声を低くして反論する。
「助けてやった人にその言い方はないだろ。第一、お前よりも俺の方が年上だと思うんだが」
「そんなこと、今気にする話でもないでしょう。私は、自分の歳なんて覚えていないもの」
自分よりも背の高いカレンに臆することなく少女は言葉を重ねる。
「…でも、助かったのは確か。礼を言うわ」
「……今更か…。別に、いいけど。…それよりも、なんでお前は王国騎士団なんかに追われてたんだ? 国家機密でも盗んだのか? 実は俺はお前を助けるために戦争に参加してたってことか?」
カレンの素朴な疑問に少女は片目の眉を吊り上げた。
「はぁ? そんなこと、知らないわ。あなたも、知る必要はないことだと思うけど」
そのあまりにも馬鹿にしたような声音と態度に怒りを通り越して呆れ返ってしまう。
「はぁ? …って…知らないのかよ、お前も」
「知らないわ。あなたが、自分が隻眼であるゆえを知らないように、私もなぜ追われていたのかを知らないの」
それが当たり前であるかのように、淡々と述べる彼女にカレンは思わず前髪で覆われた左目を押さえた。
「なんで、それを知ってる……って、おい!」
焦るような声を出す彼の前で。
突然、少女は糸が切れたように崩れ落ちた。
「う、るさいわね……。そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわ……」
座り込み、地面に手をつく少女の側に転がったライフルが、黒い光沢を放つ銃口からかき消えていく。
「…銃が………」
「レザリアは、喚んだらまた、来てくれるわ。……それより、目の前で倒れた人の心配をしようという気には、ならないの…?」
「あ、ああ、悪い」
恨みがましく見上げられ、カレンは少女のすぐ目の前に屈み込んだ。
なおも、火花を小さく散らすロングブーツ。少女が落下したのがこのブーツの故障によるものだとしたら。その直前に聞こえた銃声は、このブーツを狙ったものだったのだろう。しかし、かなり頑丈に作られているのか、特に目立った外傷はない。
「…だとしたら、だ」
カレンは、火花を散らしているその部分に指を近づけた。
驚いたように足を引こうとする少女。しかし、思うように動かせないようで、その動きに大して意味はない。
「何を……」
「これぐらいなら、直してやれるよ。簡単なことだ」
迷いなく、しかし慎重にそのものを掴み出す。
歯車と歯車の間に挟まっていたそれは、小さな金属片。見たところ、銃弾がかすったブーツが欠けてしまい、その破片が不運にも歯車と歯車の間に挟まってしまった、というところだろうか。
それにしても、1人の少女の足元をかする程度の銃撃しかできないのか。王国騎士団にしては情けない。この少女の方がよっぽど腕がいいではないか。
「もう、立てるはず。多分だけどな」
カレンの言葉に無言でゆっくりと膝を立てて立ち上がると、足元を確かめるように何度かその場で足踏みをして。
少女は、すっとカレンを見下ろした。
「…直ったわ」
「…それは、よかったな」
金属片を手の上に乗せたまま立ち上がった彼に、少女は腕組みをしながら首を傾げた。
「あなた、それなりに使えるわね」
「色々と貢献してるのに、それなりなんだな? もう少し評価高くても文句は言わないんだけど。というか、」
手の上の金属片を差し出すと、少女は無言で受け取り、ぽいっとどこかに投げ捨てる。
半ば予想していた展開に呆れながら、カレンは続きを述べた。
「さっきの銃は、あれ、魔装銃だろ? それに、そのブーツは高性能の義足。どれも高いものだろうし。こんな戦場が広がる場所をお前みたいな足が不自由な女がふらついてるのも普通じゃない。お前……何をしに来た?」
「…………」
鋭くなったカレンの眼差しに迎え撃つように冷ややかな視線を送りながら黙りこくる少女。
しばしの沈黙のあと、少女は腕組みを解くこともせず口を開いた。
「……レザリアは、お金で買ったものじゃないわ」
「……は?」
しかし、その言葉はカレンの問いに答えるものではなく、少々的外れなものであったが。
「あなたにいう義理はないでしょう。…でも、知りたいなら、私について来なさい」
「ついて来なさい…って、そんな簡単に言うか? 敵か味方かもわからないような怪しい奴に」
正論のカレンの言葉にも特に表情を動かさず、少女は右腕を伸ばした。
「レザリア」
「っ………」
胸に向けられた巨大なライフル銃、レザリアの銃口。それは、服越しにでも冷ややかな金属の温度が感じられるようである。
「…報酬は払うわ。あなたは、お金のために死線にも赴く傭兵でしょう? 私は、今、自分の護衛が必要で、使える人間を見つけた。お互いの利害の一致よ、文句はある?」
「文句も何も、それは脅しっていうんですが」
飄々とした様子のカレンに、少女が初めて少し目を見開く。
「…あなた、怖くないの」
「怖いも何も、ここで何をしたところで、どうせ決まってるようなものだろ。俺には、お前の条件をのむことしか選択肢はない」
カレンは、困ったように肩をすくめた。
「護衛、してやるよ。ただし、お前の名前を教えろ。俺も、名前は明かすから。じゃないと呼ぶのが面倒で仕方ない」
その言葉にゆっくりとレザリアを下ろした少女は、無表情のままで。
「…あなたから先に名乗りなさい。そちらから雇い主に名を明かすのが礼儀でしょう」
「その態度は変わりないんだな…。まあ、言ってることは正しいからな」
カレンは、右手を差し出した。
「俺は、カレン・オリヴィエだ。よろしくな」
「……カレン。女みたいな名前ね」
「…知らねえよ、そんなこと。俺の親に聞け。今はどこにいんのかは知らないけど」
「まあいいわ。私は、エアル・セスティアーナ。短い付き合いになると思うけどよろしく頼むわ。もし、私との契約を放棄したらーーー覚悟しなさい」
そう言って、意外なことに、エアルはカレンの手を握り返したのだった。
これが、2人の出会いである。