33話 『とんでもない』
スリルさんは壁を修復し終わり、ポケットから眼鏡を取り出し、真っ白な眼鏡吹きでレンズを拭き始めた。
「ふむ。その話、実に興味がありますな」
眼鏡を拭き終わると、四角い眼鏡吹きを二つ折りにし、長方形になった眼鏡拭きをまた二つ折りにして小さい正方形にして燕尾服のズボンのポケットに入れた。
そして天井のシャンデリアの光に反射するくらい綺麗になった眼鏡をかけると、手を上下で擦るように二回叩いた。
……いやいや綺麗になりすぎでしょ。眼鏡拭きだけであんなにピッカピカになるものなの? 私だったら洗剤垂らして水洗いするけど。
「マグ様。このお三方が話があるようですぞ」
「うへへへ、捕まえたぞー! ほらー前みたいに私のほっぺにちゅーしてー、メルー!」
「いやですよお母様! それにもう私はそんな歳じゃないのー!」
……確かに。
メルちゃんは黒髪の女性の服をまた掴み、次は右の壁に投げつけた。壁に衝突した黒髪の女性は、壁から滑り落ち、地面に天井を背にして倒れた。微かに見える顔は、ほんの少し笑っている様にも見えた。
何というか、若いというか幼稚というか……本当によく分からない人だ。
メルちゃんは腕を組み口を尖がらせている。眼鏡を拭き終わったスリルさんは大きくため息をつき、頭を片手で抱えた。
「これだからあの二人は……」
「あのー……壁、大丈夫なんですか? またヒビが入っているみたいなんですけど」
私の話を聞き、黒髪の女性がぶつけられた壁を見ると、スリルさんはヒビの入った壁に近づき、さっきと同じ様に壁に手を当てると、壁のヒビがまたもみるみるうちに直っていった。
「私のタレントは『修復』。物を直す能力でございます。それにこれは日常茶飯事だったものでして、この前まではマグ様がお嬢様の部屋に入る際、早く会いたいが為に扉を壊して入るくらいでした。しかし今日は非常に酷い有様でございますよ。トホホ……」
スリルさんは呆れた顔で黒髪の女性を抱きかかえ、右の扉を開けた。黒髪の女性はぐったりとしていたが、その顔は不気味な笑みに包まれていた。
「メルの愛情が全身に伝わってくる……この感じ、最高……!」
たぶん、愛情ではなく嫌悪に近いものだと思うけど、きっと、メルちゃんも思春期なんだ、どうせ反抗期反。
……って今は思っておこう。しかし、凄い性癖を持った親を持ったものだ。
「この部屋で話をしましょう」
スリルさんは私たちに手招きをして、部屋の中に入っていった。私たちは顔を見合わせ、カグラさんは困った顔をし、苦笑いをした。私も同じように苦笑いをしてお兄ちゃんを引きずって右の部屋の中に入って行った。メルちゃんはお母さんの近くにいたくないと思ったらしく、部屋には入りたくないと言い、大広間に残ることになった。
部屋の天井に部屋を照らす光が、大広間には匹敵しないが、透明なガラスに花柄の模様がついたシャンデリア、その真下には濃い木製の長机があり、その横には赤褐色のソファーが二つ、対になるように置かれている。ソファーの上には傷だらけで笑っている女性、マグさんが仰向けで寝かせられていた。その瞳は赤く、近くで見ると本当に狂気的なものを感じてしまう。床には奇妙な模様が施された絨毯が床に敷かれている。部屋の脇にはガラス張りで扉付きの食器棚の中に、薔薇やアサガオ、ステルスゴールドプリズムの模様が描かれているティーカップやティーポットなどが入っていた。スリルさんはその棚の下にある扉を開き、ティーバックを五つ取り出し、そのティーバックを取り出したティーカップの中に一つずつ入れ、そこにお湯を注ぎ始めた。あのお湯はどこから出てきたのだろう。手から出ていたようにも見えたし、お湯を出す魔法的なものを使ったのだろう。異世界なら何でもありなんでしょうなあきっと。
「どうぞ、ソファーに腰をお掛けください」
「あ、ありがとうございます」
スリルさんはティーカップを長机の上に置き隅に置いてある丸くて小さいイスをマグさんの寝ているソファーの横に置き、そこに座った。私たちもスリルさんに続き、ふかふかのソファーに座った。
お兄ちゃんはまだ気を失っているみたいだし、そこらへんに放置しておこう。とりあえずソファーの後ろに置いておこう。
そして、スリルさんは右手を顎につけ、話を始めた。
「して、説得とはどういうことですかな?」
「その、メルちゃんの事で」
「ふむ……」
スリルさんは何かを考え、鮮やかなオレンジ色の紅茶が入ったティーカップを持ち立ち上がり、一回飲んで肩を撫で下ろし、先程と同じように大きなため息をついた。
「あなた方が説得をしたい事は大体分かりました。ですが、その事についてはマグ様が決める事でございます。しかし、あなた方にマグ様の心を変えられるほどの力があればの話なのですが……」
「え、それってどういうことですか?」
次はティーカップの中に入った紅茶を一気に飲み干し、手を後ろに絡ませ、窓の近くに歩いて近寄り、窓から入り込んでくる眩しい太陽光を、窓の両脇についているカーテンを閉めて光を遮った。
「マグ様は世間一般で言うとんでもない過保護で、お嬢様から離れる事ができないくらいの愛があるのです。ですから、怪我をしたり誰かに誘拐されたりなどが怖くて、部屋から出そうとしませんでした。それはお嬢様への愛故なのか、それともただの軟禁なのかは私には到底分かりません」
マグさんは疲れたのか、さっきまえ見開いていた目を閉じ、すやすやと眠りについていた。
ちょっと笑ってるところが怖いけど。
私はティーカップの取っ手に右手の中指と人差し指をかけ、小指の上にティーカップを乗せ、落ちないように左手で支えて紅茶を一口だけ口の中に入れた。
って、めっちゃ美味しいじゃん! 私が四月頃に行った長野県のある場所で飲んだ紅茶よりも何倍か美味しい! もちろん長野県のある場所で飲んだ紅茶も美味しかったけど。
このティーバック欲しいなあ、後で何個かもらってマミさんに複製してもらおう。そうすればいつでも飲み放題だからね。
カグラさんはもう既に紅茶を飲み干していたらしく、幸せそうな顔をして全身の力を抜き、ソファーの背もたれにぐったり寄りかかっている。ここでもブレずにマイペースでいるカグラさんもなかなかのものだ。
来月から土日に一回ずつ更新です!
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