26話 『白黒の世界』
回はちょっと長めの●(くろまる)。
私は今、絶望している。
生きている心地がしない。
……今はもう、自分が何者か、それすらも分からなくなってきている。。
檻の中はとても息苦しくて、私を縄で締め付けてくる。
首が、千切れてしまいそうなくらい。
「夜飯をつくれ」
扉の奥から、男の声がした。
脚を折り曲げ、部屋の隅に寄って座り込む。
その声が、内にある恐怖心を表に出す。
私は耳を塞いだ。
聞きたくない、聞きたくない、聞こえるな、聞こえるな……。
耳を塞いでいたはずの手が、何かの力によって奪われた。
「きこえねぇのか! バカ野郎が!」
男がそう罵声を浴びせ、私の頬を叩く。
頬は酷く張れて、見る見るうちに赤くなった。
ヒリヒリして、意識も朦朧としてきた。
男が腕を引っ張り無理やり立たせ、私の頬を手で力いっぱいに握る。
「聞こえてんのかって聞いてんだ!」
そう言い、腹部を蹴る。
息が止まって、それが苦しくて、思わず噎せ返った。
制服のボタンが一つ、その衝撃で弾け飛ぶ。
「ったく……誰がここまで育ててやったと思ってんだ!」
そう言い、赤くはれた頬を大きな手で叩いた。
「使えねぇな……!」
私を投げるように捨てて、男は部屋から出て行った。
地面に倒れた瞬間、全身に強い痛みが走る。
膝や腕は痣だらけになっていた。
火傷の跡もある。
泣こうとしたが、泣くための涙すら出てこない。
喉が渇いたが、飲む水はない。
腹が減ったが、食べ物も何もない。
あるのは、ただ一つの恐怖だけ。
逃げる手段は、飛び降りるか、あの扉を通るか、それしかない。
飛び降りたら死ぬ。
扉を通ってたら戻されて、そして殴られる。
絶望なのだ。故に。
私だけではないのだろうか?
みんな同じだから大丈夫?
私以外も、殴られるし、火傷をさせられる人生を送っているのか?
昔はそう、自分の心中で笑っていた。
『――きっと、これは皆がやっている』
『――私だけではないのだ』
そう言い聞かせて、あの男の前で笑い続けてきた。
そう言い聞かされて、私はあの男に殴られてきた。
……あの男が扉の奥からいなくなる時、私は部屋の外に出て、薄いグレーの新聞紙を読む。
そこには、華やかな外の世界が映っていた。
白くて、でも濃くて、とても美しい世界だった。
私もその美しい世界の住人になりたいと考えて、ずっと、華々しい妄想に浸っていた。
きっと皆これを経験し、その世界に足を踏み込むのだと、そう信じてた。
だが、現実は酷だ。
いつまでも解放されず、私は長い間この牢獄に閉じ込められている。
……外には、学校というものがあるらしい。
子どもが楽しく笑い、遊び、そして学習をする――天国のような場所だそうだ。
この制服は、あの男から貰った。
学校に行くときにこれを着ていくそうだが、私は学校には行けず……。
ただ着させられただけだった。
最初、喜び笑う私の姿を見て、あの男は私にまた手を出した。
息が荒く、酷く興奮していた。
あの時は、息ができなくなるくらいの惨い仕打ちを受けた。
本当に、死んでしまいそうだった。
あのまま死んでしまいたいと、そう願ったのにも関わらず私は死ねなかった。
いいや、死なされなかった。
それからか、絶望という文字が、頭にすぐ思い浮かぶようになったのは。
この部屋にいても、あるのはただの暴力。
奥の扉を叩いても、誰も助けに来やしない。
声を出そうにも、掠れた声は響かない。
体は衰弱しきっていた。
何か物を持つくらいの力しか残っていなかった。
ガチャっと扉が開く音がして、あの男が入ってくる。
「さっきはごめんな……これ食ってくれ」
そう言い、私を起こして抱き寄せる。
傍には、カップ麺が置かれていた。
蓋の隙間から湯気が出ていて、スパイスのきいた香りが鼻からすっと入ってくる。
男がいなくなり、部屋は静かになった。
形も長さも別々の割りばし。
それが、薄い蓋の上に乗せられていた。
割りばしを、残る力で手でガシッと掴み、中の麺が硬いまま口の中に放り込んで噛み砕く。
こんなものでも、最高の絶品。
不思議ではなかった。
いつもは、カビの生えたパンや、虫が浮いているような水しかもらえなかったからだ。
でも、いつもと違って水は綺麗で、それでいて美味しくて、最高の食事だった。
私は、今までにない〝幸福感〟を感取した。
初めてのことだった。
あの男に、ここまで優しくされたのは。
あの男の見立てが変わったのか、心が落ち着いていた。
恐怖心が、心の底から抜けてくる。
その時、もしかしたら『これで終わるのではないか』と、そう思った。
カップの中身を、汁も具材も何一つ残さず食べつくし、床に再び横たわった。
きっと、明日からは絢爛華麗な日々がやってくる。
私の思い描いたような、そんな日々。
白黒の世界に切り取られたような、そんな世界の煌めきが。
そう考えながら、私は目をゆっくりと閉じた。
*
――だが、現実はそう甘くはなかった。
(私とは一切関係ありません)
次話もよろしくお願いいたします!




