13話 『そとのせかい』
真二の後ろにぴったりとくっつき、石造りの建物の廊下を歩く。
他の部屋があるらしく、ドアノブが壊れかけた扉であったり、半開きの扉があった。
真二以外にも、ここには人が住んでいるのだろうか。
コツ、コツ――
奥から廊下に響く音がした
雨が降りしきるだけの静かな町には、その音ですら色が見えてくる。
誰かがやってきたみたいだ。
咄嗟に真二の黒い上着を掴み、後ろに隠れる。
曲がり角から出てきたのは、痩せこけた人間だった。
ふらふらと歩きながら、前に進む私たちの横を素通りする。
視線を感じた。
怖い。とてつもなく。
その男は、真二の部屋の隣の扉の中に入って行った。
真二の部屋の隣人らしい。
「あんな感じの変な連中もいるからな。外は危険なんだ」
ポケットに手を突っ込みながら、真二はそう言った。
私が目を覚ました時も、変な人は多かった。
……真二は、どうなんだろうか。
しばらく歩き、階段を下りて町に出た。
小粒の雨が私の額にちょくちょく当たる。
風はほんのり冷たいのに、生暖かい雨が降っていた。
「これ着るか?」
真二が上着を脱ぎ、私に手渡した。
ジャンパースカートの袖に腕を通し、それを着る。
ぶかぶかだ。
でも、ないよりかはいい。
ただちょっと臭い。カレイシュウというヤツだ。
真二は、後ろについていたフードを私に被せた。
「これで少しはマシだろう」
真二は小さく微笑んだ。
……真二は寒くないのだろうか。
…………。
少しだけ、真二に寄り掛かった。
動揺したのか、真二の体がほんの少し震えて表情が少し硬くなった。
「……この町は【廃棄都市】と呼ばれているんだ。……いや、この町というより、集中都市以外の町全てというべきか。集中都市からの排気ガスが、町に雨を降らしている。所謂、『毒雨』だ」
真二の体の震えが止まっていた。
自分を落ち着かせるために話し始めたようだ。
「ここら辺に建っている建物は、廃墟かマンション、もしくはアパートだ。だいぶ年数が経ったものばかりで色もすっかり落ちているが、家具を買えば住めないことはない」
よく見ると、おもちゃと書かれた看板や、書店と書かれた看板などが付けられた建物が沢山ある。
「みんな、ここに住んでるの?」
そう訊くと、真二は首を横に振った。
「集中都市に住んでいる奴が殆どだ。俺だって、前までは集中都市にいた」
「なんでこっちに来たの?」
「……あっちの暮らしに疲れただけだ」
「そうなんだ」
少し、素っ気ない返答をしてしまっただろうか。
「満足か?」
「うん、もう大丈夫。やっぱり空気汚かったから来ない方が良かった。でも、外に出れたのはよかったよ」
「……そうか」
そうして、私たちは部屋に戻った。
部屋に入り、壁に貼り付けられたカレンダーを見つけた。
『12月24日』に、赤い丸が書いてある。
一体、何のことだろう。
「真二。今日って何日?」
「どうした急に。今日は23だ」
私はカレンダーを指さした。
「あの24日の丸ってなに?」
「あ、あぁ、あれはな。特別な仕事があるってことだ。明日は帰りが遅くなるかもしれないから……いつまでもゲームしてないで早く寝ていろよ」
所々、言葉に詰まっていた。
とっても怪しい。
きっと明日は何かある。
…………もしかしたら私、捨てられたりして。
普通なら、自分のこともよく知らない人のこと、ずっと家にいさせるわけないし……。
うーん、でも別のことだって――
その日は、考え事だらけで思考を巡らせ、遅くに眠りについた。
……次の日――24日。
朝起きると、机には一枚のメモ用紙とこの部屋の鍵が置かれていた。
『今日は遅くなる。良い子にして待っているんだぞ。飯は冷蔵庫の中に入っているから、それを食べるように。by真二』
鍵、忘れたのかな。
時計はもう12時を回っている。
良い子なんて、子どもじゃあるまいし。
もちろんする。
いいや、いつもしているつもりだ。
そうして、薄型のゲーム機を布団から取り出した。
何も悪いことをしなければ良い子なんだ。
つまり、ずっと止まっていればいい。
要はゲームをすれば動きが止まる。
……そういえば、セナやマミ、メルやなつめの兄はどうなったのだろうか。
私だけここにきて……。
抜け出す方法を探そうにも見つからない。
でも本当は、このままの方が良いなんて……そうも思ってしまう。
もし目覚めた時、海の中で息も吸えなく藻掻き苦しんで死ぬくらいなら、ここにいた方がよっぽどマシであろうし。
◇
……それから、ご飯も食べずにゲームを9時間くらいやった。
今日は本当に遅くなるらしく、真二は夜になっても帰ってこない。
いつもなら、17時か18時くらいには帰ってくるのに。
……私、本当に捨てられたのかな?
この町には、泊れる施設なんて山ほどある。
その中の一部屋に移ってしまえば、見つけることなんてほぼ不可能だ。たぶん。
焦りか、それとも寂しいのか、または悔しいのか、或いは憎らしいのか。
ゲーム機を布団に放り投げて、玄関のあたりをうろうろした。
早く帰ってこないか、早く帰ってこないか……。
まだかまだかと、独り言だけが虚しく部屋に響く。
コツ、コツ――
誰かの足音が外から聞こえた。
その足音は、うちの玄関の前で止まる。
ゆっくりとドアノブが回り、扉が静かに開いた。
「真二――――」
と、声をかけた。
しかし、そこにいたのは真二とは別人だった。
昨日の痩せこけた人間だ。
その男は私を見るなり、扉も閉めずに私に襲い掛かってきた。
一食も摂っていないためか力が全く入らず、少しも抵抗できない。
そのまま、私の手足が男の持っていた縄によってきつく縛られた。
口をガムテープで止められ、鼻でしか呼吸ができない。
苦しい。
海よりも、もっと苦しい。
男は息を荒げ、私を担いで自分の外に出る。
私を自分の部屋に連れて行くつもりだ。
異臭のする部屋に連れてこられ、私は床にどさっと落とされた。
背中が痛い。息がうまく整えられない。
痩せた男はニヤニヤ笑っていた。
前にも、似たような事をされた覚えがある気がする。
気がするだけで、その時の内容は一つも覚えていないのだ。
でも、その時とは全く違うと、私の中の私が叫んでいた。
逃げられない。絶望的な状態だろう。
自然と、目から涙がこぼれてきた。
視界がぼやけて、その男の姿もぶよぶよに見える。
『君は捨てられたんだよ、あの男に』
男が話始めた。
『いつもなら早く帰ってくるのに、今日は全然帰ってこないだろう? きっと、君は見捨てられたんだ。ふふ、ふふふふふふふ……』
気味の悪い笑い声が聞こえた。
体を動かそうとしたが、力が全然出ない。
【――これからは僕が、君を*た≪っ%ぷ#り%可愛がってあげるからね……】
男は、私の耳元で呟いた。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だイヤだイヤだ。
真二、お願い。助けて、助けに来て――
もう、私、これ以上嫌だよ……。
こんな目に遭いたくないって、ずっと思ってきたのに……。
ずっと……ずっと……。
ずっと――?
――ガチャ――
男の手が肌に触れた瞬間、扉が開くような音がした。
「チッ、誰だよ……せっかくあと少しで……。おとなしく待ってろよ、メスガキが」
そう言って、私を蹴って様子を見に行った。
もう、力が一ミリたりとも出なくなっている。
「……な、なな何だお前! やめろ! この! うわっ――――」
鈍い音と共に、何かが倒れる音と金属音がした。
私が落とされた時とは違い、その何かは重い音だった。
全身を黒に包んだ人が、ドタドタと部屋にやってきた。
もう、ぼやけて顔が見えなかった。
「……杏果!」
間違いなく、真二の声だった。
涙で顔はよく見えなかったが、いつもと違う格好をしていることは確かだった。
手足に縛られていた縄を解き、口に付けられたテープを取って、真二が私を抱きしめる。
「ごめんな……ごめんな……一人にさせて、本当にごめんな……これからは絶対に遅くは帰らない。鍵も絶対に忘れない。本当に、本当にごめんな……」
真二は鼻を啜りながら、ずっと謝っていた。
真二の涙が、私の頬に触れるのを感じる。
異臭まみれの部屋には、いつの間にか甘い香りが漂っていた。
そして私は、眠りにつくように気を失ってしまった。
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次話もよろしくお願いいたします!




