168話 『別れの言葉をあなたに』
シルスさんは大きく深呼吸して、祈るように自分の手を握りしめ、目を閉じて何かをぶつぶつと呟き始めた。
自分の肌に、秋に相応しくない温かな風が触れたと思うと、シルスさんが気を失い、私の身体に倒れて寄りかかってきた。
「シ、シルスさん!?」
揺さぶると、瞼がゆっくりと開き、円らな蒼い眼が私と目を合わせる。
「なつめ……?」
船の垣立に手をやって、自分の力で立とうとするシーゼルを、私は両手で支えた。
「うん、私だよ……!」
「どうしたの……、その恰好」
私はシーゼルに、この格好をした理由、そして、シーゼルにその恰好をさせた経緯を全て、簡潔に話した。
大切な時間を無駄に使ってはいけない。
「それで、ここは……?」
シーゼルが自分の足だけで立てるようになり、私は支えをとった。
「ここは船の上――」
「……船?」
シーゼルは船から顔を出し、海と地平線を眺めた。
「これが海……あの時、暗くて全然分からなかったけど、こんなに綺麗なんだね」
シーゼルは、風で帽子が飛ばされないように抑えて、無限に続く青い海をじっと眺めていた。
「なつめ」
「な、何?」
数秒間くらい海を見つめた後、いきなり私に呼びかけてきて、少し戸惑ってしまった。
「私たち、これから何をするの?」
意外な質問だった。
テイシング監獄島に戻って決闘をするなんて、こんな時に言いたくないし、シルスさんにも口止めをされた。
私だって、シーゼルには不安を一切なくして笑って行ってもらいたい。
嘘をつくのは嫌だけど、人を不幸にする真実は言いたくない。
「……これから旅に出るんだよ。私、お兄ちゃん、他三人とシーゼル。6人でこの世界を旅する。これから色んな苦難があるかもしれないけど、それよりもっと、笑っちゃうような楽しい出来事が待っている」
「……そっか」
シーゼルは、何故か嬉しそうにはしていなかった。
なんで笑ってくれないの?
なんで笑顔でいてくれないの?
笑顔でいてよ。
そうじゃないと、私の方が辛くなるでしょ。
嫌だよ、嫌だ、私だってこんなこと言いたくない。
嘘を吐くのは辛いんだよ。
「ねぇ、私の世界は……、どうなるかな」
「…………」
何も言い返すことができなかった。
「救えるのかな、私たちで」
「……救おう、もっと強くなって」
シーゼルは涙を流していた。
今までに見たことない、哀しい顔。
そして、すぐ私に抱き着いてきたので、私は優しくシーゼルを包み込んだ。
「ごめん、旅の始まりなのに、こんなにも、私たちの旅を、風も天気も祝福してくれているのに……」
「今は――泣こう。これから、きっと楽しいことが待ってる。皆、私たちを祝福してくれる。だから、もういらない涙は、今のうちに全部枯らしちゃおう、ね?」
私は更に強くシーゼルに抱き着いた。
そうすると、シーゼルは私の胸に顔を当てて泣きじゃくった。
私の目から、涙が自然を頬を伝っているのが分かった。
これでいいのだろうか。
私の求めていたこと、伝えたいことは全部言えたのだろうか?
後悔、後悔、後悔――、そんな汚んだ言葉を、自分自身にいつまでも投げかける、なんてことにならないだろうか。
少しずつ、頭の整理が追いつかなくなってくる。
シーゼルはその間も、私の胸の中で泣いている。
そして、シーゼルが泣くのをやめ、目を擦り始め、欠伸を漏らした。
「泣きすぎて疲れてきちゃったみたいで凄く眠いよ」
「うん」
「もう、流す涙もなくなっちゃった」
「……うん」
シーゼルが倒れそうになり、私は必死にその体を支える。
力が抜けたようにシーゼルの膝が曲がり、全身が下へ下へと降りていく。
私は甲板に膝をつき正座をし、シーゼルの身体を自分に引き寄せ、シーゼルを寝かせ、帽子をとって膝枕をした。
「ごめん、ありがと」
何故シーゼルが謝るのか。
「ねぇ、なつめ」
「何……?」
「これから楽しいことを沢山して……皆で一緒に過ごせるんだよね?」
「……当たり前でしょ、何言ってるの……」
「ならよかった、なつめずっと、私のこと見て悲しい顔してるから、何のことかと思っちゃった」
「――!」
その時に気づいた。
そっか、私……、私が笑顔でいなきゃダメなんだ。
そうじゃないと、シーゼルだって笑顔になんてなれやしない。
こんな大切な事、何で今まで気が付かなかったんだろう。
でもこんなの、笑顔でいられるわけないじゃん……。
どうやって笑顔を創れって言うの?
作り笑顔もできない。
「笑ってよ、なつめ」
シーゼルはウトウトしながら、眠気を耐えて私の目をずっと見つめる。
私は頑張って、笑顔を作った。
しかし、自分でもわかるくらい、その笑顔は強張っていた。
「ふふふ、あはははは、何それ、変な顔」
シーゼルに笑われ赤面になった。
「うん、ありがと。楽しかった」
「…………」
「もう限界みたい」
「…………」
シーゼルの瞼が少しずつ閉じていく。
「ありがと……なつめ……」
そうして、シーゼルは笑顔のまま、また眠りについてしまった。
言葉が出なかった。
シーゼルの顔に、私の目から溢れ出る涙が零れ落ち、一粒落ちると、水しぶきのように小さな粒になって弾け跳んだ。
涙を枯らす約束だったのに、私、涙枯らせなかったよ――。
物陰から誰かが出てきて、私たちに近寄ってきた。
涙で視界がぼやけていたが、涙を拭うとマミさんが歩いてこちらに向かってきていた。
マミさんは私の目の前に立ち、手を合わせて数秒間目を閉じた。
手を合わせるのをやめ、膝をついたマミさんは、シーゼルの頭を優しく撫でた。
「……神とは、時に残酷なものです」
マミさんは続けて私の頭も撫でた。
「……なつめさんは強い。後悔なんてすることはありません。彼女はきっと、貴女と会えてとても嬉しかったと思いますから。貴女が悲しむと、彼女も悲しんでしまいます。強く、強くいきましょう……、涙を枯らして」
その言葉を聞いて、私は益々涙があふれて止まらなくなった。
「……シーゼルさんをベッドに運びます。シルスさんから事前に言われていたので」
そう言い、シーゼルをゆっくりと優しく抱きかかえ、船内に戻って行った。
ポーチの中からウサギの人形が顔を覗かせ、飛び出していったかと思うと、マミさんのことを追いかけて行ってしまった。
独りになった甲板には、カモメの気持ちよさそうな鳴き声が空気中に響き渡り、肌寒い風だけが吹いていた。
次話もよろしくお願いいたします!




