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28話.四月は旅立ちの季節~grand finale~《後編・最終回》

0時からの更新は中編と後編が時間差でUPしています。さあ、一年を巡る旅が今、終わりを告げようとしています。

 








 光。






 白い建物の天井。






 風、あたしはうっすらと霞む目を開ける。


 少し首を巡らすと、窓が開いていて、目映いばかりの新緑が陽を弾いていた。










「───────喉が、渇いたわ」






 パイプ椅子に腰掛けて、うとうとしていたあの人が顔を上げた。

 あたしは、彼に穏やかに微笑む。






「…み、ゆき…?」






 あたしは、小さく頷いた。

 まだ三十になったばかりだというのに、少し、老けた様に見える。


 元々、童顔なのにね。

 きっと、いっぱい心配させたんだ。








「おはよう、誠吾せいご。─────て、もう昼過ぎみたいね」








 身体が一年も動かしていない所為か、ちょっと痛い。

 でも、彼が目を見張って、涙を目に湛えて、手を伸ばしてきたから。


 信じられない、といった様に頬に触れ、髪を掻き上げたから。






「ほ、本当に?美雪、戻って‥?」





 ゴキゴキと痛む関節を無視して、あたしはそっと彼の額を撫でた。





「ええ。貴方が呼んでくれたから」





 それから通り掛かった看護婦さんの驚きの声。沢山の白衣。先生を呼ぶ声。

 あの人は追い出されて、幾つもの検査、検査、検査───────






 時は急に動き始めた。














 リハビリを経て、退院出来る頃にはもう五月になっていた。











「ふう。これで、この病院ともさよならね」








 たった一つのボストンバック。これがあたしの荷物の全て。

 病室のベッドに腰掛けて、ちょっと感慨深く見回して。






「────────美雪」



 呼ばれて顔を上げると、そこにはスーツ姿の誠吾が立っていた。


 少し慌てたのだろう、柔らかな猫っ毛が乱れて、汗で額に貼り付いている。





「あらら、来ちゃったのね?誠吾」





 彼は訝しげに、ちょっと厳しい顔をしていた。






「その口調だと計画的だったんだね。

 一体、何処に行くつもりなんだ?部屋ももぬけの殻にして。君はまだ、本調子じゃないんだぞ」






 あたしは長い髪に指を絡ませ、くるくると徒に巻いてみる。






「出張中に荷物を引き払ったのもバレてるか。

 何、態々早退して来たの?」




 白いワンピをぱたぱたと叩いて。

 あたしは立ち上がった。




「心配しなくても、挨拶くらいはして行くつもりだったよ。身体の事なら、先生ともう話し合ったし。無理しなきゃ…」


「美雪ッ!!」


 鞄を投げ捨て、彼はあたしの両肩を掴んだ。






「行かないでくれ、美雪。この一年、ずっと考えていたんだ。

 僕が間違っていたよ。二人でやり直そう。これまで通り、僕が君を護って‥」


「そうして、また自分を擦り減らしてゆくの?」




 あたしは誠吾が、奥さんにあたしを重ねているのを分かっていた。


 愕然とした彼の表情が、二の句の継げない彼の唇が、本当の気持ちを物語る。





「誠吾、あたしは奥さんじゃない。

 もう一年前の、貴方が居なきゃ日も暮れない美雪でも無いんだよ」




 優しい人。

 でも、この人もまた、強い人では無かったのだ。




 



「ごめんね、誠吾。ずっと、苦しめてたね。

 貴方だって、いっぱいいっぱいだったのに、あたしを九年間も支えてくれて。

 なのに、あたしはそれに気付きもしなかった」






 彼は、全ての力が抜けた様に突っ立っていた。

 あたしはするり、と頬に手を伸ばす。






「貴方の言ってた事は正しかった。あたし達はこのままじゃいけなかったんだ。

今までも、そしてこれからも」






 ちょっとだけ、目頭が熱い。

 泣きはしないから、許してね。






「─────歩きだそう、誠吾。一年前の、時が止まった処から」






 貴方は、あたしを愛してはいない。

 過去への罪悪感で子供の様に庇護はしても、

 そこに恋情は無いのだ。









 それは、もう、何年も前から知っていた事。


 見たくないから、という子供じみた理由で目を閉じていただけの事実。






「…君は、変わったね。目覚める前と後じゃ別人の様に」






 暫しの時間をおいて、彼は漸く、力無くそう呟いた。



「夢の中で、何があったの?」






 あたしはポケットから、黄ばんだ薬袋を取り出した。

 消え掛けた文字で、辛うじて『一日、二回』と、そう読める。






「──────金平糖?」



 中を覗き込んだ彼に、あたしは首を横に振った。





「お薬を、貰ったのよ」













 あたしは散歩道、一本のクレヨンを拾った。



 それが、あたしとヤン先生との出会いの始まり。
















「─────しかし、春日さんも酔狂ですね。

 こんな売れない作家の、とっくに廃盤になった作品を自費出版なさるなんて」








 あたしは真新しい印刷の匂いを嗅ぎながら、出来上がってきたばかりの一冊を手に取った。


 頁を捲っていると、この件を引き受けてくれた、小さな出版社担当さんが、腰に手を当て、肩を竦めていた。






「んな事言ったって、東条さんもファンの一人だったんでしょう?────じゃなきゃ、こんな話に乗ってくれるワケ、無いですもん」



 オジサンは少し赤くなって唇を歪ませると、



「まあ、確かに読んだ事くらいは。これでも編集者の端くれですからね。

 実は昔、娘が不登校してた時にあげた覚えがありましてね。それで覚えてただけです。

 ─────まあ、悪い話じゃ無かったですな」


 そううそぶいた。


 ふふ、『不登校してた娘』に、ねぇ…。フフフ。




 「不気味に笑わんで下さいよ。貴女が資金を出して下さらなければ、考えもしませんでしたってば。イラストレーターも有名処を引っ張り出しましたし、まあ、今回はそこそこ売れるとは思いますがね」




 あたしはくすくす笑い出した。




 そうね、『本人達』が見たら、びっくりする程格好良いからね。






 まあ、約一名は苦笑するだけかもしれないけれど。





 物思いに耽っていたあたしの前に、一本の缶コーヒーが差し出される。





「それより、『あの話』は進んでいるんですか?」





 東条さんはニヤリ、と笑って切り出してきた。






「─────今朝、書き上げましたよ。これ、データのコピーです」


 メモリースティックを差し出して、溜息を吐く。






「何ですか、その溜息は。貴女が言い出しっぺですよ。一年間の死に掛け体験記を、この《クレヨンの扉》に連動させて発売するなんてアイデアは」


 軽く握って、ふるふると預かったそれを左右に振ると、






「まあ、出版に耐えられるくらいにダメ出しされるのは覚悟してたんでしょうが。読者はファンタジーとして受け取るかもしれませんがね。

 まあ、『故人を冒涜している』なんつーバッシングくらいはあるでしょうよ。だが、所詮、売れるか売れないかだけですから。

 逆に話題性になってくれりゃ、ウチとしては御の字なんですがね」




 うわあ、身も蓋も無い。




 あたしは口許を片手で覆って苦笑した。






「《植物人間状態からの奇跡の復活!!》と、でも煽り文句を帯に謳っといて下さい。心霊関係は結構ウケますから。

 とにかく、私みたいな無名の新人は、書いた物を手に取って貰わなければ、始まりませんからね」




 向こうも、同じ感想だったらしい。苦笑している。




「‥貴女の文章には妙なリアリティがある。

 夢話のオムニバスを持ち込まれなきゃ、私だってそう思いました。

 だが、読み出したら、一気に話に引き込める何かは感じます」






 少し甘い、自分の缶を飲み干して、彼は笑った。





「通しで読んだら、また連絡しますよ。

 ─────その時までに心の準備、宜しく」



 ニヒヒ、と人の悪い笑みを浮かべる彼にちょい怯えながら、あたしは出版社を出た。














 空は抜ける様な青空。

 緑が瑞々しい色を湛えて。


 風は優しく纏わりつき、道端の、垣根の花が芳香を放っている。




 そして、あたしの手には、真新しい《クレヨンの扉》。






「──────やあ、先生。お久し振り」






 本の中には蒼いジャケットを翻し、デカ燕君の手綱を握るヤン先生の姿があった。


 アーチの花は、今、何が咲いているだろう?

 小さな助手と大きな猫さんは元気だろうか?


 そして、熟女はあたしの余りの悪どさに苦笑しているかもしれないな。








 不思議な世界、優しい世界。

 いつも、気持ちのいい風が吹いていた。

 何故か懐かしく、何処かおかしくて。



「いい子じゃなくなったかもしれないけど、あたしはあたしらしく、やってくよ」


 そこそこ元気にね。






 何だか、挿絵の先生が少しだけ微笑んだ、そんな気がした。















 これで、春日美雪の冒険は終わります。



 これから彼女が書いた本を、貴方が手に取るかどうかは誰にも分かりません。


 ちょっぴりの勇気も、ほんの少しの力も、

 物語から受け取るのは貴方次第です。


 ただ、貴方が絶望の淵に立った時、

 日常に倦み、何もかもが嫌になった時、


 道端に落ちているかもしれない、クレヨンを見逃さないで欲しいのです。


 下を向いて歩くのは、悪い事ばかりではありません。


 それは貴方が、貴方だけの《シグナル》を見つける為にそうしているのかもしれないのですから。


 小さな、小さな【兆し】です。


 ですが、それは彼等に会いに行く為の大事なバスポートなのです。


 貴方の扉の向こうに居るのは、彼等では無いかもしれません。


 貴方が大好きな物語の住人が、待っているかもしれません。


 それは扉を潜らなければ、分からない事。





 貴方だけが、知っていれば良い事なのですから。







 ───────え?私が誰か、ですって?


 そうですね、誰でしょうね。





 ひょっとして、『貴方の物語』を読んだ、読者の一人なのかもしれませんよ。











 ~fin~


【後書き】


本作品は2010/05/01から丁度一年間に渡り、私が森小説として掲載し、発表したものです。

読んで下さった皆様方には最大限の感謝を。

この話は過去作品の中でも、とても好きな作品として仕上がりました。出来れば、感想など戴けたら幸いです。

書き始めた時はこんな結末は考えていなかったのに、ぴたりと最後のピースがはまった時には自分でもびっくりしたものです。


さて、お語はどうでしたか?

貴方の傷には届いたでしょうか?

何処か懐く、おかしな彼らは貴方の心を癒してくれたでしょうか?


これは、貴方の物語。


2019/4/6 葉室ゆうか拝。

 

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