24話.三月は卒業シーズン!格安ツアーは内容を良く吟味して?《前編》
この月が覚醒の月、となります。
さて、彼女は何に目覚めるのでしょうか?
ポチョン、ポチョン、
ポタン、ポタン…
水滴の音と共にダンスするのは雪解けの水の精。
ちっちゃい彼等はまるで雫の被り物の様な頭をして、水色の全身タイツで、
『わああああい!』
とか言いながら、踊り。
川の水面に次々にステップで複雑な波紋を描き出してゆく。
トテ、ポタ、ポタタン、
ポチョン、ポチョン…
あの、頭。まるで──────
「…じょよ。…いや、ユキだったか。大丈夫か?」
そっとあたしを揺する、その人の口調に、何となく覚えが…だが、それよりも!
「ウル●とサ○ラ!!?(もしくはピチョ●君)」
ツッコミが固い物に当たった。
あれ?
あたしの意識は急速に浮上し始めた。
目を開けると、白髪の青年が胸鎧に突っ込みを入れられたまま、硬直していた。
「…箏雪さん…?」
そこに居るのは《冬将軍》、箏雪。
見回すと、そこは広く、天井の高い日本家屋の様だった。
どうやら、その一室に寝かされていたらしい。
彼の隣にはあの時傍に居た、二頭の白い狼達。
「済まない、うちの奴等が────身体はどうも無いか?」
さすが筝雪さん、華麗に総スルーしたわ。
で、この状況はナニ?
あたしは首を傾げ、直前の出来事を反芻し始めた。
三月のクレヨンは何もかもを飲み込みそうな黒い色。
それで、いつもの様に描いた扉を潜ったあたしは、風を受けて落下していた。
ヤン先生はいつ来ても、ちゃんと着地地点と時間を知っている。
今日は何でお迎えかなー?
とか、思っていると、一陣の冷たい風が吹き抜けた。
それは冬将軍の軍列。
お供の狼達が、白い軌跡を空に残して駆けて行く。
ああ、冬も終わりなんだなぁ。
と、感慨深く頷いていると、
何と、一頭の白い狼が列を離れてこちらに駆けて来ると、あたしの胴目掛けて、大きく『あ~ん』と口を開けたではないかッ!?
「うわわわわわわわわぁあああああっ!!」
ガブリ、とやられる筈のあたしは…何故か、狼の胴に挟まってる。
一環の終わりでは無かったものの、上機嫌の狼にどっかに連れて行かれてる。
「ひゃああ、ひゃっこいよぅ!
箏雪さん、箏雪さん、気付いてェ~」
犬みたく、ワフワフ言いながら、軍列に紛れ─────
「で、こうなったワケですね…」
ごめんなさい。と謝る様に、銀糸刺繍の真っ白いお布団に顎を乗せた、一頭の白狼。
「これが、君を連れて来た悪戯者だ。
あの時の一頭で、名を《零下》という」
冬将軍は隣の狼君を《摂氏》と紹介してくれた。
「落ち着いた摂氏と違って、零下は少々受かれ者でな。今年最後の行軍という訳で調子に乗ったらしい。花を添えるつもりでしでかした、と言っている」
花?
首を傾げると、『ハッハッハッ』と舌を出しながら、零下ちゃんは円らな瞳でこちらを見て弾んでいた。
……まあ、悪い気はしない。
怒る気も失せてしまって、彼女を撫でていたあたしは、大事な事を思い出した。
「身体は何とも無いですけど、箏雪さん、ヤン先生に連絡しないと!!」
摂氏がフンフン、と何かを銜えて主に持って来た。
それはリモコン形状をしていて、冬将軍が受け取り、スイッチを入れると白い漆喰の壁に何やら映像を映し出した。
3,
2,
1,
久しぶりに丈の短い草が生え揃った草原に、用意された大きな簡易トランポリン。
トールが銀髪を振り乱し、天に向かって何かを叫んでいる。
ぱっ。
次に切り替わった映像には、ヤン先生の薬部屋が。
指を幾つか鳴らした先生が、調合した薬を、更にゴリゴリと磨った草の実に加えていた。
ふと、何かを感じたのか、その汁を嘗め、ついでに指に付けて部屋の四隅に雫を飛ばす。
『私を見ているのは、何方ですか?』
映像の先生はこちらを真っ直ぐに見つめている。
だが、声は何処からともなく響いて来る。
「ヤン先生ッ!?」
『その声は‥ユキですか?どうしました、そこは何処なんです!?』
四角錐型の緑色の結界の中で、先生が鋭い視線を飛ばすと、
「すまん、魔法医師。うちの者が最後の行軍の際に攫って来てしまったのだ」
そう言うと、武骨な指先で何かを画面に向かって弾いた。
描かれた波紋の向こうに居る、黒髪の青年の掌に掴まれたのは…
『─────四季の指輪?裏面が雷、という事は、冬将軍。貴方ですか?』
「ああ」
前回の借りがあるからだろう。
先生はあからさまに表情を変える事はしなかった。
『これを渡すからには害意は無いようですね。
それで、ユキは?』
「傷一つ負わせておらんよ。
ただ、直ぐに帰してやる事が出来ん」
多少先生の表情が気色ばんだが、はっと気付いた様に膝を打つ。
『《最後の行軍》と仰いましたか。四季の神として動けないのですね』
白髪の青年は暫しの沈黙の後、重く口を開いた。
「秋ならともかく、春は無理だ。季節が逆行してしまうのでな。俺には緋煉の愚は犯せぬ」
二人が考え込んでしまったので、あたしは摂氏君に《お手》をさせながら言った。
「んじゃあ、薫桜さんに連絡は付きませんか?」
「『春の若君に!?』」
二人が同じポーズで慄き、頭を抱える。
『ああ、それだけは考えたく無かったので、色々他の方法を考えていましたのに』
「あの男を頼らねばならんのか?
どうしてもそれより他に手は無いのか?」
濃紺の瞳が苦渋の光を湛えていた。
そ、そそそそんなに困ったさんなの?あの人‥いや、神様。
『とにかく物凄い、───“人”好きなんです。あの方は』
「そんなもので片付くか。玉響媛どころの騒ぎじゃ無いぞ、あいつは」
初夏にこの世界にやって来たあたしは、まだ春を経験していない。
だからだろう、二人の苦悩を理解する事が出来なかった。
『ユキ、一つあの方の逸話を教えて差し上げましょう。
一昨年の春、偶々ゆうかの家の形を一目見て気に入られたあの方は、それから毎年必ずお立ち寄りになる様になったのです』
それはある春の日に、彼女の家を尋ねた時の事…
先生はそう語りつつ、俯いたまま指を二つ鳴らした。
画面に映し出される、ゆうかさんチ玄関前の先生。
《ゆうかー、居ないんですか?》
そんな風に問い掛けながら、先生がドアノブに手を掛ける。
華雪崩。
そう言って過言では無いものが、
ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
と、中から溢れ出し、あっと言う間に流されて小さくなって行く先生。
ピンクの流れの中に、女性の手足らしきモノと、猫のニクキュウや尻尾までが、ゆらゆらと揺れていた。
『何度申し上げても、《ゆうかは桜が好きなんだー。プレゼントだよー》と取り付くしまもありません。度が過ぎるのです、あの若君は』
しかし、幾ら皆で考えても神域である、この場所に行けるのは同じ神でしか無い。
しかも、夏の姫君は一月の封印の影響で、今シーズンは無理が出来ない。らしい。
と、なると──────
「……すまん、魔法医師。アレに頼むしか無さそうだ…」
『神隠し対策は万全に行って下さいよ。彼女は唯の人の子じゃない。
《旅人》で、選択を来月に控えて居るのですから。─────そう諭す事をお忘れ無く』
ヤン先生の憮然とした表情と共に映像は途切れた。
大きな溜息を吐くと、人嫌いである筈の青年は、意外と優しくあたしの頭を撫でた。
「君にも迷惑を掛けるな、大事な《覚醒の月》に。だが俺の名に賭けて、必ずユキ、在るべき場所に送り届けよう。」
ぱたん、ぱたぱたぱたぱたぱた、ぱたたたた…………
襖を勢い良く開ける音がして、一人の女の子が姿を現した。
「箏雪、この女子は何じゃッ!!」
「これ、琴凪。行儀が悪いぞ」
腰までの黒髪を乱して、白い着物に赤い帯を締めた、十歳くらいの彼女は地団駄を踏んだ。
「嫁かッ!?我を差し置いて、この女子を娶る気じゃな!」
あたしの旋毛にチョップを入れようとしたその子の手は、目を瞑る冬将軍の見えぬ結界に遮られた。
うえええええええええええええええええぇんんんッ!!
ゴロロロロロロロゴロゴロゴロゴゴゴロロロロロッ!!
畳の上を縦横無尽に転がり回る、琴凪ちゃん。
突然止まっては「えぐっ、えぐっ‥」と嗚咽を漏らす。以上、エンドレス。
「イヤな攻撃ですね」
「…………」
ついに耐え切れなくなった箏雪さんは、布団に顔を突っ込んでいた零下ちゃんを徐に抱え上げると、
投げた。
スライディングの要領で琴凪ちゃんの転がる軌道に、白い狼が滑り込む。
仕方無くポスポスと歩み寄った摂氏君が、止まった琴凪ちゃんの顔をベロベロと舐め回した。
きゃははは!と笑い出した女の子を、ほっとした様子で見る冬将軍とあたし。
「紹介しよう。《雪ン子》の琴凪。人嫌いを克服する為、数年前に人に似せて俺が拵えた養い子だ」
色が白いとは思ったが、雪ン子だったのか。
あたしを指差していた冬の眷属は、主から頭を押さえ付けられ、
「悪かったのだ」と謝った。
その様子が余りにも偉そうだったので、あたしはつい微笑ってしまう。
それで場が和んだのか、彼女もニコニコと笑って、あたしに手を差し出した。
「ユキ、というのだな。
箏雪の嫁で無ければ我の敵では無い。一緒に遊ぼう!」
あたしは冬将軍を仰ぎ見た。
彼は暫く躊躇っていたが、やがて小さく頷いた。
「付き合ってやってくれ。琴凪には歳の近い《人》の友達がおらん。その間に俺は薫桜に繋ぎを取ろう」
ぱんぱん!!
そんな風に彼が二度柏手を打つと、白尽くめの女性と同じく童が色々な楽器を運び込んで来た。
だが、彼らの表情という表情は、琴凪ちゃんに比べ、全くと言ってよい程無かった。
「今から《交神》するのじゃな。箏雪の舞は美しいが、【遠雷の言祝】ならば、門外不出じゃ。見るのも禁じられておる。出よう、ユキ」
ひんやりとした手に引かれて、縁側に出たあたしは、信じられない物を見た。
聳える程に高い、樹氷で化粧した二本の巨大な木の、遥か天辺からぶら下がったソレは何と‥
「ブランコ、でかっ!!」
そう、綱の上部は霞んで見えない程だ。
だが、慣れた風に少女は立ち、二人乗りを促してくる。
恐る恐る前に座ると、付いて来た二頭の冬狼がつむじ風になって背中を強く押した。
「うひゃあああ「あーははははっははッ!!」ああっ!?」
まるで、空中を飛び回っている様だ。
ハ●ジだよ、ハイ●。
冷たい風が火照った顔に心地良い。
あたし達は思いっきり遊んだ。
「楽しいのう、楽しいのう!!」
「うん!」
二人は雪で家を造ったり、巨大ジャンプ台で橇の前後ろに乗って翔んだり、また二頭に咥えられたりして止められたり、を繰り返した。
そうして数時間が瞬く間に過ぎて行った。
不意に、摂氏君が顔を上げる。
何かに気付いた様に、零下ちゃんも耳を動かした。
「─────犬笛じゃ。箏雪が呼んでおる」
琴凪ちゃんが、その美しい眉を顰めた。
「そっか。じゃあきっと、薫桜さんに連絡が取れたんだね。そろそろ帰らなきゃ」
つい、と袖が引かれた。
「帰るのか、ユキ」
「‥うん、ヤン先生が心配してるからね。
どっちみち、家に帰るから泊まれないし」
すると、しょげていた雪ン子は怪訝な顔をした。
「ヤン先生に相談して、春休み中にもう一回くらい来れないか、聞いてみるよ」
慰めるつもりで口にしたその一言が決定的だった。
彼女はそのまま、腕をがっしりと掴んだ。
「気付いておらぬのか、ユキよ」
真摯な眼差しは子供のものでは無かった。
「え?」
つい、と視線は山の方に移され、彼女はニタリと笑った。
それは邪悪でとても不気味だった。
思わず、振り払おうとしたあたしを手繰り寄せ、片手で空間に虹色の煌めく《歪み》を造った。
「何を怖がる。────我は【真実】を教えてやろうと言うのだ」
二頭の吠え声と、誰かの制止の声がした様に思える。
だが、その時には既にあたしは片方の靴を残して、歪みの中に引き込まれていたのだ。
そこは広大な氷の迷宮だった。
しかし、靴を無くした片方の足は靴下が凍る事も無く、あたしは僅かな冷たさのみを感じるだけだった。
「‥ここ、何処‥?‥」
ココ、ドコ‥ココ、ドコ‥ココ……コ……
殷々と返って来るあたしだけの声。
「琴凪ちゃん、何処に居るの?」
あたしだけが限り無く映る合わせ鏡の世界。
心細い。
泣きそうで思わず呟いた。
《のう、ユキよ。家に帰る事が出来無くば、其方、ここにおるしか無いのう》
おかしそうなその声に、あたしは辺りを見回した。
「ここに、閉じ込める気なの‥?」
すると、勝利を確信した朗らかな笑い声が、反射して満ち溢れた。
《面白い事を言う。我は言うた筈じゃ、【真実】を教えると。いや、己で見極めよ》
雪ン子は声を張り上げた。
《そら、其方の後ろにおるのは、一体誰じゃ?》
振り向いたそこに映っているのは、当然あたし。
だけど、あんなに髪が長くは無い。
あんな風に白い服は着ていない。
何より、何より─────そこに目を瞑って眠る様に立っているのは、どう見繕っても二十代前半。
アタシジャ、ナイ。
~後編に続く~




